二人のケジメ
(※二十日さん宅一虎さん名前だけお借りしました)
姉が訪ねてくるのはいつも突然のことだ。一人暮らしを始めたばかりの頃は随分と困らされたけれど、今はもう慣れてしまっていた。食材はかなりの余裕を持たせるし、来客用の布団もすぐに出せる位置に収納している。漫画とゲームを少しだけ買って、見られたくないものは引き出しにしまって鍵をかける習慣もついた。
「おかえりー」
だから、夕食の買い出しに行ってる隙に上がり込まれてもそれほど驚かない。ベッドの上に寝転がって漫画を読む姿はもはや客人の態度ではない。
「ただいま。晩御飯は今から作るからちょっと待って」
「あー、いいよいいよ。今日はそれ目当てで来たんじゃないから」
姉はひらひらと手を振って身を起こす。ベッドの上には読みかけの漫画やウエストポーチ以外に、小さな紙袋があった。
「ちょっと話があってさ。晩御飯作る前に話しちゃっていい?」
「いいよ。夜から仕事だから手短にね」
ヘルメットを脱いでフードを目深に被る。コップを二つ出して烏龍茶を注ぎ、テーブルの上に並べた。お茶請けは安売りしていたスナック菓子で良いだろう。
「あ、これ好き。この粉ってマジで麻薬だよね」
姉は向かい合わせに座るなりスナック菓子を一つとってばりばりと食べた。遠慮というものがまるでない。
「で、話って」
「そうそう」
スナック菓子を食べる手を止めて、小さな紙袋をテーブルの上に載せた。そして紙袋をひっくり返すと――ぼとぼとといくつかの札束が転がり出た。
「……え?」
「あげる」
「ええっ!?」
じっくり眺めてみても、札束にしか見えない。ぺらぺらとめくってみても中身は新聞紙ということもなく、一枚一枚が本物のお札だ。
「宝くじでも当たった?」
「じゃあそういうことにしといて」
「じゃあって! そんな適当に言っていいことじゃないでしょ!」
「ま、とりあえず受け取りな。整形手術して、暫くは生活できるくらいの額はあるからさ」
「……整形?」
手が止まり、テーブルの上に転がる札束を見る。確かにこれだけあれば十分だ。
「プロレスラーみたいな客商売、大変でしょ。普段と全然キャラ違うし。整形手術して誰からもドン引きされない顔になって、銀がやりたいことをゆっくり探しな」
「……ドン引きって」
「事実でしょ」
この人は歯に衣を着せるということを知らないのか。
「で、でもかづ君は全然気にしてないって言うし……」
「それはごく一部の天使。そういう人もいるけれど、世の中の大部分の人はドン引きする。で、そういう嫌なことも金があれば解決できるのならやっちゃった方が良い」
姉はそこで一旦言葉を切って、深く息を吸った。
「……っていうのは建前。ホントはこれ、あたしがスッキリしたいから押し付けたいだけのお金」
「スッキリしたいから?」
「銀が事故ったのって、本をただせばあたしが銀を巻き込んで暴走族したからじゃん。それがずーっと気になっててねえ。まあ他にもいろいろあるけど、これを銀に押し付けてあたしがスッキリしようって算段なわけ」
「別に……ねーちゃんのせいじゃ……」
せいじゃない、とは言い切れなかった。
姉もそれは分かっているのか、うんうんと頷いて札束を揃えてぼくの前に置いた。
「自分の身と銀を守ろうとした。けど暴走族になるってのは間違ってたのかもしれない。もっと平和にやり過ごす方法があったかもしれない。とはいえ『もしも』を考えて昔のことをずーっと悔やむのもガラじゃないし、ここらで精算させてくれないかな」
姉がぼくに対して深く頭を下げる。
「ごめん!」
短くもはっきりと言い切った。姉は嘘をつかない人だ。一連の言葉は本物だろうし、きっちり並んだ札束が何よりの証拠だ。
だから、ぼくも正直に言わなきゃいけない。
「……ぼくからも、ごめん」
札束を二、三個取って姉の前に置いた。姉は頭を上げてぼくの顔を見る。
「今までずっとねーちゃんに守られてたのに、それに甘えてばっかりで、苦労ばっかり掛けさせて、たまに文句も言っちゃって、不満に思っちゃって、ごめん」
「別に、苦労とか甘えてるとか思ったことないんだけど……」
「ねーちゃんがスッキリしたいのと同じで、ぼくがスッキリしたいの。ごめん」
「……ん。じゃあ気持ちだけ受け取っとく。だから部分返金はなし」
前に置かれた札束をぼくの方へと押しやる。ぼくはそれをさらに突き返す。
「ぼくだっていつか整形しようと思って貯金はしてたから大丈夫。いくらかは貰うけど、ぼくからもケジメつけさせて」
それに、と思う。
「これから何かと物入りなんだしさ、お金はあった方がいいでしょ」
「…………」
姉は突き返された札束とぼくの顔を交互に見て、小さく頷いた。
姉の用事はこれだけだったらしく、話がまとまると早速帰り支度を始めた。
「ねーちゃんさ、結婚したら栃木に行っちゃうの」
「そだね。警察も辞めれたし、いっこちゃんの方が大丈夫そうなら式を挙げて、入籍して、華の新婚生活」
ウエストポーチを身に着け、ブーツを履き、ほんの少しだけ重さが残る紙袋を手にする。
「会ってほんの数か月で婚約とかびっくりしたけど、上手くいくといいね。一虎さんいい人だし、暴力沙汰とかやっちゃ駄目だからね」
「んー? いい人……うん、まあ、ちょっと癖はありそうだけどねー」
あんなに爽やかで優しくて格好いい人がちょっと癖がある? 姉の目は節穴なのだろうか。
「ま、今生の別れってわけでもないし、会いたくなったらバイク飛ばして会いに行くから」
「それはいいけど、いい加減会いに来る前に連絡ぐらいして」
「はいはい」
帰り支度を終えて、腕時計をちらりと見る。そろそろ晩御飯を作り始めないといけない時間なのは、姉の腕時計を覗かなくてもわかる。
「じゃ、また」
「待って」
テーブルの上に置かれた札束と、姉の手にぶら下がる紙袋を思い描く。
「一虎さんにも、ありがとうって伝えて」
「…………」
姉は少しの間黙っていたけれど、眉尻を下げてへにゃりと笑った。
「分かった」
バイクのエンジン音が遠ざかる。
テーブルの上の札束を貴重品入れの中にしまいこんで、晩御飯を作り始めた。正直に言ってまだ混乱しているけれど、仕事は仕事だ。入っている分はこなさないといけない。
(今日の分が終わったらオーナーに話をして、それから……)
プロレスラーという仕事はあまり好きではない。顔を隠せるとはいえ全く違う自分を演じなければならないし、痛い思いはしたくないしさせたくない。
でも、職場の雰囲気自体は好きだった。誰も彼もが気のいい人で、ぼくがいつも顔を隠していることも深く詮索してこなかった。普通に同僚として接してくれた。
出来ることならこの職場で働き続けたい。裏方仕事……例えばマネージャーなんかに転職することは出来るのだろうか。この辺りも含めてオーナーと相談しなければ。
今の生活も悪くはないけれど、これからはもっと良くなるだろう。口元からは自然と笑みがこぼれた。