狸と白ワイン
(※クリーネ鬼人化、村人全滅ルート)
(……何かあったな)
一人で依頼を受けて出て行ってから数週間。ようやく宿に帰ってきたカルネリアンの顔を見たシリダリークは、奥歯で砂利を噛むような違和感を感じた。
立ち居振る舞いは出発する前と変わらない。エールを仰ぎながら宿の親父に軽口をたたき、寄ってきたアステルにお土産だと言って飴玉を渡している。ただ、ふとした一瞬の表情に影が差す。
アステルは無邪気に喜んで飴玉を口にしているし、ターラーは我関せずと言った様子で聖書片手に酒と料理をつついていた。と思いきやギフトが何やらまくし立てながらターラーに近づき聖水を思いっきり投げつけられている。
冒険を共にする仲間も、宿の親父も、他の冒険者達もシリダリークと似たような違和感を感じている様子は無かった。コルニオラなら同じように感じていたのだろうが、生憎彼女は一夜限りの恋人を求めて夜のリューンへ繰り出していた。
カルネリアンが受けた依頼は大したものでもなかったはずだ。ならば、依頼内容が嘘だったか、追加で依頼を受ける等の不測の事態が起きたか。
(今はまだ……聞けねえな)
恐らくはこんな大衆の前で話せない話題。シリダリークは肩をすくめてエールをちびりと舐めた。
毎晩恒例の飲めや歌えやの騒ぎが終わりを迎え、カルネリアンが白ワインを片手に宿の階段を上ったのを確認し、シリダリークはおもむろに腰を上げた。
「シリダリーク殿」
階段を上ろうとしたシリダリークを聞きなれた声が引き止めた。振り向くといつの間にやらギフトが人のいい笑みと共に宙に浮いていた。
「魔王閣下の所へ向かわれますかな?」
「……ああ」
「主人の異変を察知し、尚且つ主人の都合が悪くならないタイミングを見計らって声をかける。正に従者の鏡、流石は魔王閣下直属の世話役、その立ち姿も美しゅう御座います」
立て板に水を流すように述べられる賛辞はいつもの事だから良いが、ギフトもカルネリアンの違和感には気付いていたのか。調査役を任せられる程の洞察力があるとはいえ、少し意外だった。
加えて「自分がカルネリアンの異変に気付いている事」を誰にも気付かせずに馬鹿騒ぎに興じる演技力と胆力。シリダリークは改めて目の前のギフトという悪魔に対する警戒心を強めた。
「……食えねえやつだ」
「小生の体は毒の塊で御座いますからね。食べたら死んでしまいますよ」
んふふと笑うギフトから背を向け、シリダリークは階段を上ってカルネリアンの部屋へ向かった。
* * *
「一人寂しく酒を飲んでる馬鹿の部屋はここか?」
ノックもせずに部屋に上がると、カルネリアンは窓辺にもたれかけてぼんやりと外を眺めていた。
「貴様こそ何の用だ。夜這いか。我輩はノーマルだ諦めろ。大体尻の穴とは本来出す為のものであって入れる為のものではない。我輩の尻の穴は出すことしか知らん」
「のっけから下ネタフェスティバルかようっせえな。お前で童貞卒業するぞ」
「やだそれ我輩も処女卒業しちゃう」
「ダブル卒業式を挙げたくなかったらさっさと話せ」
シリダリークはベッドの縁に腰掛けて足を組む。
「何の事だか」
しらばっくれるのが下手な奴だ。仕方なくシリダリークは机の上に置きっぱなしになっているワイングラスを指差した。
「寝る前に赤ワイン飲まなきゃ死ぬって豪語してる奴が白ワイン飲んでるのはおかしい。異議あり。場合によっては神前裁判に持って行く所存」
「気分じゃなかった」
カルネリアンは少しの間黙っていたが、観念したようにぽつりぽつりと言葉をこぼしはじめた。
「……濃い赤は、見たくなかった」
ちびちびとワインを飲みながらカルネリアンが語った話は壮絶なものだった。カルネリアンも、依頼の為に向かった村も、森の中に住まう人々も、同行した冒険者達も、一人の男の悪意に満ちた計略に呑まれた。生き残ったのはカルネリアンただ一人であり、それも運がよかったとしか言いようが無かった。死体の山の中にまぎれていてもおかしくなかった。
「……我輩は誰一人救うことが出来なかった」
よくもまあこれだけの事を今まで黙っていたものだ。シリダリークとギフトにしか気付かせず、アステルに手土産を渡し宿の親父に下らない話をし、ターラーによく分からない論を一方的に垂れ、宿の馬鹿騒ぎに何食わぬ顔で便乗していた。確かナツギリとかいう冒険者と肩を組んで歌ってすらいたはずだ。
「大した狸だ」
大げさに肩をすくめてもカルネリアンは曖昧に笑うだけだ。
「なあ、シリダリーク」
「何の御用で御座いましょう魔王閣下」
「目の前の人々も救えない奴に王を名乗る資格はあると思うかね」
(……重症だな)
シリダリークのおどけた返しにも無反応、資格などという柄にも無い言葉、暗く沈んだ瞳。ここまで落ち込んでいるカルネリアンを見るのも久しぶりだ。
「思い上がりも甚だしい」
シリダリークの言葉にカルネリアンは静かに肩を落とすが、構わず言葉を続ける。
「神様でもねえ奴が、どんな状況であっても目の前の人を救えると思ってんのか」
話を聞く限り、今回の事例は誰が同じ状況に陥っても平和的解決には至れなかっただろう。ほんの数日前に知り合った冒険者が、何年もかけて培われた司教に対する絶対的な信頼に打ち勝つのは難しい。彼の悪意を示す確たる証拠も無く、興奮状態にある人々が相手となれば尚更だ。
「お前はただのカルネリアン・ヤルダバオート十三世だ。他の人より出来る事は多いけど、誰からも全幅の信頼を置かれてるわけじゃねえし、全知全能でもねえ」
「手厳しいな」
「事実を言ってるだけだ。今回の件はお前以外の誰であっても救う事は出来なかったと思う。そんなどうしようもなく胸糞悪ぃ事件にお前がぶち当たったのは、偶然の巡り合わせだ。死んだ奴らには悪ぃけどよ、お前は運が悪かった。それだけだ」
「……だとしたら、我輩の悪運も大したものだ。水の眷属になりかけたり、今回みたいに死に掛けたりしても、なんだかんだで五体満足」
あの時も卵の世話役を引き受けたカルネリアンは運が悪かった。あの寒い海底には二度と行きたくねえな、とシリダリークは呟いた。
「まあつまりだ、今回の事で王の資質がとか冒険者辞めるとか考えを飛躍させんなよ」
カルネリアンはじっと黙り込む。
「二、三日凹むぐらいはいい。愚痴だって自棄酒だって付き合ってやる。ただな、これだけは忘れんな」
シリダリークは一呼吸置き、カルネリアンがこちらを見ている事を確認した上で断言する。
「お前は立派な魔王だ。おしめ付けてビービー泣いてた頃からの付き合いである俺が保障してやる」
「誰がビービー泣いてたって?」
カルネリアンは顔をむくれさせるが、その雰囲気が若干和らいだのはシリダリークにも感じられた。
「お前が」
「情けなく泣いてたのは貴様の方だろう。木登りをして降りられなくなった時とか」
「あん時は二人揃って泣いてたろ」
シリダリークが口角を上げて見せると、カルネリアンは「そうだったか?」と首を傾げながらもぎこちなく同じ表情を返した。
「シリダリーク、明日は暇か」
「おう、どうした」
カルネリアンは窓辺から離れてワイングラスの中身をぐいと飲み干した。あまり美味そうではない。
「教会に依頼の結果を報告するついでにボロクソ言いに行く。ついて来い」
「了解。世話の焼ける魔王様だこと」
「今更気付いたか?」
カルネリアンはにやりと笑い、グラスに白ワインを注いで一気に飲み干す。
「そうだな、報告だけではない。我輩の愚痴と弱音と性愛の探求に付き合ってもらおうか」
「最後の一つは断る。俺はノンケだ」
「誰が貴様など相手にするか。ナイスバディの美女を夜のリューンで捜し求めるのだよ。ついでに貴様もいい加減に童貞卒業しろ」
「そっち方面は興味ないんでそこは有給使っていいか」
「そんなに嫌か! 我輩が夜伽の相手を譲るのは他ならぬ貴様だからだぞ! 普通光栄に思うものだろう!」
カルネリアンはぷりぷりと怒りながらさらに白ワインをあおる。不味いものはさっさと処分しようという心積もりなのだろうが、随分とペースが速い。
「シリダリーク」
「おう」
「我輩は貴様という従者を持てた事、誇りに思っておるよ」
「お前、相当酔ってるだろ」
「ばれちゃった?」
ぺろっと舌を出すその仕草は、年若く愛らしい女子だけが許される仕草であり、いい年こいた大人の男がやっていいものではない。シリダリークはため息をついて立ち上がった。
「今のお前すげえ気持ち悪い。さっさと寝ろよ」
「気持ち悪いだなんてひどいわ、添い寝してくれなきゃ許さないんだからあ」
くねくねとコルニオラの物真似をしながら寄りかかってくるカルネリアンを蹴っ飛ばし、シリダリークはさっさと部屋を後にした。