引退
(※バッドエンド=1人で捕虜を救出しようとした時になるアレ)
「シリダリーク、ちょっと話がある」
毎晩恒例の馬鹿騒ぎが終わり、片付けを済ませた時分になって、宿の親父が真剣な面持ちでシリダリークの寝室に現れた。
「んだよ親父、毛生え薬が欲しけりゃ正式な手続きを踏んで依頼出せよな」
「そういう話じゃない」
至極つまらない返答にシリダリークはおどけた仕草をひっこめる。ハゲネタに反応しない親父は、大抵重大な話題を持っている。
黙って目線で続きを促すと、宿の親父はシリダリークの目を真っ直ぐに見据え、言葉を放った。
「……カルネリアンを、見つけた」
呼吸が一瞬止まった。
その間にも宿の親父は時間帯、場所、その他あらゆる状況を事細かに話していく。具体的で整合性の取れた内容は、その言葉が嘘ではない事を示している。
(……まさか)
まさか、生きているとは。
* * *
「――もういい! 一人でやる!」
吸血鬼退治の依頼中の事だ。捕虜を救うかどうかの口論の末、カルネリアンはパーティを抜けて単独行動に走った。
敵陣のど真ん中、報酬の有無、依頼への影響……様々なストレスを抱え、全員が感情的になっていたのは否定できない。いつもならシリダリークがもう少し粘り強く説得してカルネリアンを思いとどまらせただろう。しかし、あの時はそうしなかった。捕虜達に声をかけて説明を始めるカルネリアンを尻目に、シリダリーク達は牢屋を後にした。
それから、カルネリアンを欠いたパーティでレイスの群れを倒し、かの国最高の冒険者達を眷属の呪いから解放し、そして――吸血鬼バルテルミーを討った。そのどれもが生死を賭けた戦いであり、カルネリアンの事を気にかける余裕はなかった。
六人だったらもう少し楽に事を進められたのだろうか――戦闘中にそう思う余裕など言うまでもない。
そう考える余裕が生まれたのは、依頼を終えた馬車に揺られる頃……イスミから受け取った吸血鬼の城周辺の捜査結果に目を通した頃だ。
捜査結果には、吸血鬼の城の地下へ繋がる洞窟近辺におびただしい量の血と死体があった事、それらの死体は連れ去られた捕虜と特徴が一致する事、死体の海の中に折れた螺旋状の角が二本落ちていた事が書かれていた。書類と一緒に渡された皮袋には、件の角が二本とも入っていた。
「おや、それは元リーダーの角で御座いますか」
シリダリークが手にしているものに目敏く気付いたギフトがにたりと笑う。あれだけへつらっていたのに随分な態度の変わり様だ。
「だろうな」
短く答えて角をじっと見る。カルネリアンの角は鹿のように毎年生え変わるものではない。角の中に詰まっている神経や血肉がいびつな断面から見えた。これが折れるとなると、四肢を失うに匹敵する痛みが生まれた事は想像に難くない。
(……その時、痛みを感じられる状態にあったのか?)
カルネリアンの遺体は見つからなかった。しかし、シリダリークの両手にずっしりとのしかかる角の重みがただ一つの事実を告げていた。
――カルネリアンは死んだ。
* * *
(……ねえ、本当にこんな所にいるの?)
(黙って気配消しとけ。あと、ベタベタ引っ付くな)
リューンの路地裏。ある料理屋の裏口がよく見える位置でシリダリークとコルニオラは身を隠していた。
親父の話では、この辺りでカルネリアンを見かけたらしい。俄かには信じがたい事だが、残飯を漁っていたのだろう。
(シーちゃん、お兄様を見つけたらどうするつもり?)
(一発ぶん殴って話を聞く。その後の事はその時考える)
コルニオラを連れてきたのは念のため、プラス説得要員としてだ。宿の親父の話ではカルネリアンはまともに戦える体ではなかったとの事だが、油断はしない。あの馬鹿魔王は馬鹿みたいに強かった。だからこそ彼は魔王となった。
(ねえ、あれ)
コルニオラはより一層声を潜めてシリダリークの服の裾を引っ張る。コルニオラの視線の先には一人の男……ひどく見慣れた男が、ひどく見慣れない格好をして、ひどく頼りない足取りで歩いていた。
かっと頭が熱くなる。
「――カルネリアン!」
事前に立てていた計画をかなぐり捨てて男の前に立った。男はびくりと小動物の様な反応を見せ、その後驚きに目を見開いていた。
「……シリダ……リーク……?」
「ここで会ったが百年目だな、ああ?」
シリダリークが一歩踏み込む。それと同時に、カルネリアンは踵を返して駆け出した。あの義足とも言えない頼りない右足でよく走れるものだと感心したのも一瞬。
「待ちやがれ!」
シリダリークも駆け出し、コルニオラも「あっ、待ってよシーちゃん! お兄様!」とその後を追った。
「…………」
リューンの下水道は広い。清掃員が何人も行方不明になり、得体の知れない魔法生物が詰まっていたりする。そういえばダスキンに渡した地図は役に立っているのだろうか。
ともかく下水道だ。シリダリークとコルニオラは下水道のむやみに複雑な道を駆け、あちこちに残された痕跡を辿りカルネリアンを追った。そして今、彼の「家」の傍にいる。
「ひゅ、ひゅうっ……ぐげ……」
壁代わりの樽の向こうから響く苦しげな息遣い。何かを吐く音。生臭い鉄の臭い。彼はもう、走る事も叶わないのか。シリダリークは一度ぎゅうと目を瞑り、そしてコルニオラと視線を交わして頷き合った。
「……鬼ごっこは終わりだ、馬鹿魔王」
「…………!」
二人に気付いたカルネリアンが反射的に距離を取ろうとするが、背後は壁。それでも必死に壁に背を押し付けて少しでも距離を取ろうとする様子は、逃げ遅れたゴブリンの類が生の可能性を模索して命乞いをする様を彷彿とさせた。
「……何を、しにきた」
痰の絡んだような声でカルネリアンは言葉を発した。その口元にはどす黒い血がべったりと付着しており、右目を覆う包帯や裾の擦り切れたマントにも血痕や得体の知れない汚れが染みついている。右腕があるべき場所には何もなく、右足は手製と思しき棒があてがわれているだけで、こめかみから生えていた螺旋の角はいびつに折れていた。
「我輩を笑いに来たか」
そう言って卑屈な笑みを浮かべるカルネリアンの目は暗い。
「見ろ、これが冷静さを欠いて目の前の人を助けようとした馬鹿の末路だ。哀れなものだろう。惨めなものだろう」
姿も、声も、表情も、彼を構成する全てから威厳と自信が抜け落ちてしまっている。
「冥王と対等に渡り合った、お伽噺に出てくるような火竜を討った、蟲竜ワイアームと空中戦を繰り広げた……。そんな冒険者が、今やリューンの下水道に住んで残飯あさりと乞食の日々だ。なんと出来の悪い喜劇か」
これが本当にあのカルネリアンか。
「親父から話を聞いてここに来たのか? あの馬鹿がまだ生きているぞ、リューンの片隅で残飯を漁って乞食をしているぞ、そいつは笑い話だ見に行ってみようってな。いい趣味だなあ、吸血鬼殺しの英雄様?」
「……っ!」
シリダリークが握り締めた拳を振るう――前に、コルニオラの平手がカルネリアンの頬を打った。
「お兄様、脳に蛆でも沸いた? 一番大切な前提を見失ってるじゃない」
一番大切な前提。コルニオラが言いたいことはシリダリークには理解できたが、カルネリアンは理解出来ていない様子でコルニオラを睨み付けている。
「コルニオラはお前の妹で俺はお前の従者だ。死んだと思っていた兄が、主人が生きてたと聞くと、真偽を確かめるのが当然だろうが。乞食だとか吸血鬼殺しの英雄だとか関係ねえよ」
仕方なくコルニオラが言いたい事を翻訳してやる。随分と世話の焼ける魔王様だ。
「……妹、従者……」
「お兄様、生きてて良かった……」
呆けたような間抜け面に対し、コルニオラはふわりとやさしく抱きしめた。
「……胸を張って堂々と再会したかった」
落ち着きを取り戻したカルネリアンは、今までの事をぽつぽつと語り始めた。シリダリークは話を聞きながらカルネリアンの状態をつぶさに観察し、これだけの傷を負っておきながらろくな治療を受けていないようだと結論付けた。常人なら死んでいてもおかしくない。そのしぶとさは流石魔王といった所だが、走った直後の様子と壁や床に染み付いた血痕を見る限り、重大な障害は避けられなかったのだろう。
「金を貯めて、良い義足を買って、冒険者として復活できたら宿に帰ってまた一緒に冒険しようと考えていた」
「金を貯めて、ねえ」
話の合間にカルネリアンが取り出した貯金箱には、薄汚れた銀貨が少しだけ入っていた。子供の小遣い程度の金額だ。
「何年かけるつもりだった? 何年もこんな場所で生活して腕が衰えないとでも? それにその間、俺達はずっと冒険者として活躍してると思ってたのか?」
「……それは……」
カルネリアンは答えに詰まる。仲間の前に惨めな姿を晒したくないから「金を貯めて義足を買ってから会う」なんて無茶な条件設定をしたのだろう。現実逃避に他ならないが、シリダリークは追及の手を緩める。
「大体、もう皆で冒険は出来ねえぞ」
その代わりカルネリアンが知っておくべきカードを切った。
「な、な、な……どういう事だ? まさかあの時……」
「お兄様、大丈夫。誰も死んでないわよ」
もうパーティが存在しない。カルネリアンにとってその事はよほど予想外だったのだろう。おどおどと落ち着きのない様子でシリダリークとコルニオラを交互に見やっている。
「あのパーティはお前がいたからこそ保っていたんだ」
シリダリーク達一人一人の実力は、ゴブリンの集団など石ころに等しいレベルだ。六人が力を合わせる必要があるのは、竜や吸血鬼といった超一級の妖魔ぐらいのもので、当然そんな依頼は滅多にやって来ない。
吸血鬼退治の依頼を達成した後、シリダリーク達はそれぞれが目を付けた依頼をばらばらにこなしていった。依頼がばらばらであれば終わる時間もばらばらであり、五人で集う機会が必然的に減っていった。……いや、コルニオラはシリダリークにべったりで、アステルは日帰りの依頼しか受けず夜はじっとカルネリアンの角を撫でていた為、正確に言えばターラーとギフトの顔は殆ど見なくなった。
元々ターラーはカルネリアンの首を狙ってやって来たのを丸め込んで仲間にした。狙う獲物が消えたパーティに在籍する必要は無いだろうし、彼が冒険者を辞めて前々から誘われていた御堂騎士団に入ると聞いてもさほど驚きは無かった。あれだけハングリー精神の強い男だ、御堂騎士団でも十分にやっていくだろう。
ギフトはいつの間にか宿から姿を消していた。親父の話ではとある依頼の為遠方に赴き、それ以来消息不明だと言う。依頼主に確認を取ろうとしても、依頼主が住んでいた町は原因不明の凶事で壊滅していた。世間的にはギフトは死んだとされているが、あの悪魔がそう簡単にくたばる事は無い。今も恐らくどこかであの大袈裟な能弁を垂れているだろうし、確かめる術は無いが原因不明の凶事を引き起こしたのもギフトだろう。
ターラーとギフトが抜け、宿に残ったのはたったの三人となった。例えカルネリアンが戻っても、もうかつてのメンバーで冒険する事は無い。
「……そうか……ターラーとギフトが……」
シリダリークの話をじっと聞いていたカルネリアンは、がっくりと肩を落とした。
「ま、互いの状況についてはこんな所だな」
「そうね。じゃあさっさとこんな所から出ましょ、お兄様」
シリダリークとコルニオラはさっと立ち上がったが、カルネリアンはきょとんとしている。出る、という言葉が聞こえなかったのか。
「こんなとこにいたら治る傷も治らねえ。治療費だとか義足代だとかその辺は貸しにしといてやるから、とりあえずついて来い」
少し強引に腕を引っ張ると、カルネリアンはおずおずと歩き出す。小さな声で「すまない」と呟いていたが、聞こえなかったふりをした。
* * *
「本当に三人とも辞めてしまうのか」
宿の親父は残念そうな顔を隠そうともせずに念を押してきた。シリダリークは「ああ」とはっきり頷き、コルニオラは「ツケはちゃんと返したでしょ?」と微笑み、アステルは「二人と一緒がいいから」と申し訳なさそうに頭を下げた。
彼からすれば熟練の冒険者が三人揃って辞めてしまうのは多大な損失になるのだろう。その気持ちもよく分かるが、こちらにはこちらの事情がある。
「落ち着いたら手紙を出してやるよ。心配しすぎて今以上にハゲんなよ」
「今以上とは何だ!」
ぷりぷりと怒り出す親父を娘さんが宥め、三人は長い間慣れ親しんだ宿――白霧亭を後にした。
「……これから、どこに行くの?」
リューンの雑踏のど真ん中で、アステルが二人を見上げてきた。何も知らずについてきたのだから不安に思うのは当然だろう。
「とりあえず故郷に戻るかな。その後は……あいつ次第か」
「あいつ?」
アステルがきょとんとした顔をする。シリダリークは丁度いいタイミングで雑踏から現れた彼を指差した。アステルがその先を見て、大きな目をさらに大きく見開かせた。彼が親しげに片手を挙げると、アステルは弾丸のように彼の元に飛び込んでいく。
「――カルネリアン!」
「元気だったか、アステル!」
「うん、うん! カルネリアンも元気だった? おなかすいてない? 痛いところない?」
カルネリアンがアステルの頭を撫でると、アステルはわあわあと顔を押し付けて泣き出し始めた――のはわずかな間で、見る見るうちにその体は溶けて彼女の本来の姿に戻ってしまった。カルネリアンの足にまとわりつくスライムは場所が違えば魔物に襲われていると誤解を受けかねないが、ここはリューンだ。アステルというスライム娘の名は知れ渡っており、通行人は街中のスライムをさして気にせず歩いている。
「冒険者、辞めてきたのか」
左手でアステルを撫でながらカルネリアンは問い、シリダリークとコルニオラは頷いた。カルネリアンの右目には清潔な眼帯があてがわれ、右足は耐久性に優れた義足をはいている。髪も服も清潔に整えられており、まだかつての威厳や自信は戻って来ていないが、あの時の面影はかなり薄くなった。
「一旦故郷に帰るだろ? そんな体になっちまったら色々手続きがいるだろうし」
「そうだな。魔王はもう続けられないし、王権の放棄手続きがある」
「……それだけで結構大変よ。こりゃ帰ってから事務作業の嵐ね」
というか生きてるうちに自ら王権を手放した魔王っていたか?
シリダリークの些細な疑問を無視してコルニオラとカルネリアンは歩き出す。アステルもどうにか人の姿を取り戻す程度に落ち着き、カルネリアンの左手を握りながら嬉しそうに笑っていた。
「そういう事務作業が全部終わったら、冒険者の宿を開こうと思う。貴様ら、ついて来てくれるな?」
療養中にこれからの事を考えていたのだろう。そう言い切るカルネリアンの左目に迷いはなく、こうなると人の意見を聞かない事はシリダリークも重々承知だ。
「へいへい。俺らが『皆』で築いてきた名声を使って客をたっぷり取り込んで大金持ちになってやろうぜ」
「頼りにしておるぞ」
カルネリアンはにやりと笑い、シリダリークはそこに一瞬だけかつての魔王の姿を見た。