繰り返す夢後日談
(※コトナさん宅犬丸君、しこんさん宅猿野君、二十日さん宅仙波君お借りしました)
大学近辺には安さと量を売りにした飲食店が非常に多い。
薄利多売の客商売は生存競争が激しく、わたし達の在学中も、飲食店の面構えはころころと変わった。そんな中でも、客を掴むコツを知る店は長く営業を続けている。
今、わたし達がいるファミリーレストランも、その一軒だ。
「懐かしいな」
席について辺りをぐるりと見回した犬丸君が嬉しそうに呟いた。
あの夢から覚めて暫く経ち、仙波君が「あの時夢の中で一緒にお昼しようって約束した気がするんですけれど」と言い出したのがきっかけで今日は集まった。
わたしは普段こんな店には来ないものだが、大学生の頃は三人に連れられて良く通っていた店であったし、たまにはジャンクフードを食べるのも悪くないと仙波君の提案に乗った。
「よくここで飯食ってレポート書いたりしたよなあ」
猿野がわたしの隣に座り、店員が持ってきた水を全員に回す。ついでにメニューを差し出して「ドリンクバーは全員として……詩織様は何にします?」と訪ねてきた。
「わたしはクラブハウスサンドイッチで」
「じゃあクラブハウスサンドイッチひとつ。オレは粗挽き胡椒ハンバーグで」
「オレは……シーザーサラダかな」
「僕は鯖の味噌煮御膳と白玉クリームぜんざいがいいなあ」
それぞれの注文を店員が忠実に復唱し、ドリンクバーについての説明を機械的にこなしテーブルを離れて行った。
「じゃあ早速ドリンクバーでなんか取って来ます。詩織様は何が良いですか?」
「わたしの口に合うものを」
「わかりました!」
猿野は嬉々とした表情で席を立つ。犬丸君も「緑茶があればいいんだけど……仙波君はウーロン茶で良かったかな」と確認を取ってから席を立った。
口数の多い二人が席を立ったが、学生だらけのファミリーレストランでは騒がしさに変わりはない。
「……ごはんだけでなくデザートも頼むとは、なかなか肝が太いですわね」
「ここの白玉はなかなかおいしかった覚えがありましてね。叶うならもう一度食べたかったものです」
わたしの向かいに座る仙波君はにこにこと穏やかな微笑みを浮かべている。長身で体格も良い彼に着物はよく似合っていて、周囲の学生からの注目をちらちらと集めていたが、彼自身はそれを気にする様子は全くない。
「ところで仙波君。あなた、あの夢の中でわたしが見せた紙切れの内容を理解しましたわね」
「ええ。そのはずだったんですが、起きたらきれいさっぱり忘れちゃいました」
「……やっぱり。わたしも、しっかり覚えたはずなのに目が覚めたらどうしても思い出せなくなってて」
神を退散させる呪文。わたしは確かにそれを見て、展望台の屋上でそれを唱えた。頭に叩き込んだはずなのに、目が覚めると頭の中の呪文はほろほろとほどけて消えた。
「あれは長い長い夢のできごと。忘れたのなら、忘れた方が良い記憶だったのでしょう。悪夢が現実にならずに全員が無事に戻ってきた。それで十分じゃないですか」
「……まあ、それはそうですわね」
「猿野君が死んだ時の雉子ヶ谷君の取りみだしよう、僕は決して忘れません」
「あら。わたしも仙波君が泣きじゃくった御姿は決して忘れませんわ」
「恥ずかしいですやめてください」
仙波君が眉尻を下げてほんの少しだけ頬を染めたのを見て、あの醜態を忘れてはならないと心に決めた。
猿野と犬丸君が戻ってきて、ほどなくして全員分の料理が出揃った。
猿野が持ってきたのは温かい紅茶で、わたし好みの甘さになるようきちんと砂糖が混ぜられていた。高校時代からの付き合いともなると隅々まで気が利いていて便利なものだ。
「犬丸君。最近のお仕事の調子はいかがです?」
サンドイッチを食べながら尋ねてみると、犬丸君は「いつも通りだ!」と笑顔を浮かべた……のは一瞬の事で、すぐにしょんぼりとした顔で「……いや、あまり、調子が良くない」とこぼした。
「最近はあまり眠れなくて、食欲もめっきり減ってしまってな」
お前は年頃の乙女かと言いたくなるペースでシーザーサラダをつついている犬丸君を見ていると、わたしが思っている以上に調子が良くないのだろう。猿野と仙波君も心配そうに犬丸君の顔を覗き込んでいる。
「和、大丈夫か?」
「……まさか、あの夢が原因、ですか?」
犬丸君は力なく頷いた。
「寝て、目が覚めたらあの道路に立っていたらどうしよう。いやだ。もう死にたくない。痛い。苦しい……そんな事ばかり考えてしまうんだ」
あの夢の中で犬丸君はトラックに轢かれ、見知らぬ男に刺されて死んだ。凄惨な死を二回も味わった恐怖は「夢だから」の一言で済まされるものではない。しかも、猿野と仙波君が犬丸君を庇って代わりに死んだ事もある。
わたしはわたしなりに犬丸君を救おうと動いていたが、わたしは犬丸君に襲いかかる死に対しては無力だった。猿野に命じて犬丸君を助けさせたが、猿野が死んだのでは犬丸君を救ったとは言えない。
「……なあ、和」
口を開いたのは猿野だった。
「オカルトな話なんだけど、自分や他人が死ぬ夢って『生まれ変わり』の意味があって、吉夢に分類されるんだ」
しかも自分自身や近親者であるほどその意味合いが強まると言う。
「だからさ、和にはこれから良い事がすげーたくさん起きるんじゃねーか?」
「……いや、しかしあれは……」
口ごもる犬丸君の目の前に、白玉を乗せた小皿がひょいと差し出された。
「くよくよしていると悪いものを呼び寄せてしまいますよ。おいしい団子を食べて、ちょっと運動して、お昼寝しちゃいましょう」
「翔太君、仙波君……」
犬丸君の目尻にじわっと涙が滲んだかと思えば、次の瞬間にはぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。
「仙波君、食べさしの団子なんか押し付けるから犬丸君が泣いちゃったじゃないですか」
「ええー、僕のせいかなあ、これ。白玉クリームぜんざいはまだ一口も食べてないんだけどなあ」
「冗談ですよ」
わたしは鞄からハンカチを取り出して犬丸君に差し出した。「ありがどう」と声を震わせながらハンカチで涙をぬぐう様は手のかかる弟のようだ。
「犬丸君。幸いにもわたしはたっぷりと時間が余っています。怖くなったらいつでもお呼びなさい。話くらいは聞いて差し上げます」
「詩織君……」
ぐすぐすと泣きながらも犬丸君は笑顔を浮かべた。
「ありがたいけど、呼ぶ時はみんなを呼ぶよ。詩織君だけを呼び出すと猿野君が怖いからな」
「オレはそこまで心狭くねーよ」
猿野はからから笑い「たぶん」と小さく付け加えた。
犬丸君が落ち着いてからは、大学時代の話や互いの近況について話し合った。犬丸君は多少元気を取り戻したのか、猿野からハンバーグを一口分けて貰い「うまい」と顔をほころばせていた。
さて昼食も食べ終えたので清算、という段になって仙波君が伝票を持ってささっとレジ前へと向かって行った。
「仙波君、何をしているんです」
「何をって、お会計を」
「……なにか悪いものでも召しあがられました?」
わたしの言葉に仙波君は「ひどい言い草だなあ」と苦笑いを浮かべた。
「一食奢るくらいの余裕は僕にだってあります。それがそんなにいやなら、今度、雉子ヶ谷君の行きつけのお店で皆でディナーと洒落込みましょう。勿論雉子ヶ谷君の奢りで」
「海老で鯛を釣るおつもりですか」
「ふふ、どうでしょう」
仙波君は飄々とした微笑みを浮かべる。彼はよく人に奢られており、わたしが彼に施した回数も数え切れない。それでもなんとなく憎めないのは恐ろしいものだ。
ファミリーレストランを出て少し歩くと、交差点に出た。
「では、また今度」
「詩織君、このハンカチは次に会う時にしっかりと無菌状態にした上で返すぞ!」
仙波君と犬丸君はそれぞれの家路に向かい、わたしも信号が青に変わったのを確認してから道路を渡った。
大型トラックが横断歩道に向かって走ってくる。緩やかにスピードを落とし、余裕を持って白線の手前で止まる――寸前、猿野がわたしの手を引いた。
「猿野?」
「……えっあっ!? すみません! トラック走ってくるの見ると、つい!」
猿野は慌てて手を離す。耳まで真っ赤にする様は本当に猿のようだ。
「あの夢のあとです。無理もありません」
暴走とは程遠い安全運転のトラックだが、この場所でとなると身構えてしまう気持ちはよくわかる。
そういえば、とまだ猿野に伝えていない事があったのを思い出す。
「猿野、展望台の屋上でわたしが呪文を唱える時、わたしの手を強く握り返しましたわね」
「……震えてたので、つい。気に障ったのなら謝ります」
「いいえ。お陰様で落ち着いて事を進められました。感謝します」
あの非常事態の中、わたしはみんなに迷惑をかけまいと気を張っていた。それでもやはりあの大一番、失敗した時の事を考えると恐ろしくてならなかった。
呪文を間違えたらどうしよう。そもそもここで呪文を唱える事が本当に正解なのか。失敗したらみんなはどうなるのか。分からないことだらけだった。
色々な可能性を考えて震える手を、猿野は強く握りしめた。言葉はなかったが、それだけで恐怖がやわらいだ。
「本当にありがとう」
にっこりと微笑みかけると、猿野は顔どころか全身を茹でダコのようにして「もうオレ死んでもいいです」とうわごとのように呟いた。
「まあ。猿野に死なれたらとっても困るんですけれど」
「えっ」
「猿野ほど優秀な下僕はそうそういませんからね」
「……はい! オレ、これからも詩織様の為に頑張ります!」
家路に向かって歩き出すわたしの後を猿野が追う。家まで送るつもりなのだろう。
猿野はわたしに対してやや過保護なきらいがあるが、猿野が常に傍にいてわたしの世話をしてくれるこの状況は、不快ではなかった。