もう一つの選択肢
「ディアナ・エリファス。国家の名の元に魔女裁判で裁かせていただく」
老人が引くと同時に、従者たちがじりじりと距離を詰めてくる。自分の間合いに入ってきたら斬りかかるつもりで、トウヤは従者たち一人一人の立ち位置、距離を確認する。
「なーにピリピリした空気になっちゃってんの?」
張りつめた空気の中、ディアナはトウヤの腕を掴み、剣を下ろさせた。「何を」と言うトウヤに対しディアナはにこりと笑い、そして従者たちに向けて両手をひらひらと振った。
「そんな物騒なもん出さなくても、私は抵抗しないわよ。受けて立とうじゃないの、魔女裁判」
「なっ……! 何言ってんだてめえ!」
予想もしなかった反応に、トウヤはディアナの腕を掴んで抗議するが「馬鹿力で掴まないでくれる?」とあっさり払いのけられた。動揺しているのは相手側も同じようで、老人も従者も間抜けな顔を見合わせている。
「どうしたの? 何の抵抗もしないのがそんなにおかしい?」
ほれほれさっさと連れて行きなさいよ、とディアナはずいずいと従者の目の前に立ち、腕を組んで不敵な笑みを浮かべた。そんなディアナに対し、従者は完全に負けていた。おどおどとした態度でロープをディアナの手首にかけようとしているが、その間もディアナの顔色をちらちらと伺っていた。
「噛みつきやしないわよ。こんなとこで暴れても仕方ないし、ちゃーんと裁判で無実を証明するんだから」
それまで呆然と事の成り行きを見ていたトウヤは、その言葉に違和感を覚えた。裁判と言うのは名ばかりで、実際は魔女裁判にかけられるという事は死を意味する。そう言っていたのは他ならぬディアナだ。それなのに「無実を証明する」など何故言えるのか。
(決定的な証拠でもあるのか?)
そんな考えがよぎるが、すぐに否定した。先程のディアナの声は、若干震えていた。流星群の夜に「お母さん」と呟いた、あの時と同じ声だった。
魔女裁判を恐れている。
トウヤは直感的に理解した。そして同時に、体は動きだしていた。ロープを結ぼうとしていた従者を突き飛ばし、突然のトウヤの行動に驚くディアナの腕を掴んで瞬間移動を実行した。
瞬間移動は少しの距離でもかなりの力を使う。二人同時の移動となるとさらに倍以上の力を消耗し、トウヤが持つ力の全てを瞬間移動に注いでも、町はずれの丘に飛ぶのが精一杯だった。
小高い丘に到着すると、トウヤはその場に崩れ落ちた。立つことすらままならず、全身から力が抜けていく。
「トウヤ?」
顔中に疑問を浮かべながらも、ディアナはトウヤの肩を掴み、少々乱暴に揺さぶった。
「なんなのよこれ、わけわかんないんだけど。ちゃんと説明しなさいよ」
「……逃げろ」
「え?」
口を動かすことすら難しい。目を開ける力も、意識を保つ力もどんどん失われていく。
「……裁判なんてもん……受けるんじゃねえよ……」
「…………」
目の焦点も合わなくなってきたが、ディアナがそっと頬を撫でてくるのが分かった。優しい暖かさに、トウヤは目を閉じる。
「……ありがとう」
意識を手放す寸前に、彼女がそう呟くのが聞こえた。
* * *
目を覚ました時、空ではなく木の天井が見えたことに驚いた。次に、自分がまだ生きていることに驚いた。
意識は戻り、目もきちんと見えているが、それ以上の力は残っていなかった。目線だけを動かして周囲の状況を把握しようとした。
その瞬間、「あれ、起きたの」という彼女の呑気な声が聞こえた。何故彼女の声が、と戸惑うトウヤの視界にディアナがひょっこりと入って来た。
「おそようございます」
「……は?」
「よく飽きもせずあれだけ寝てたわねえ。お腹とか空くんじゃないの?」
眠気覚ましにこれ食べなさい、とトウヤの反応を待たずに口に木の根をねじこんできた。今まで食べたことのない苦みの塊にせき込むと、ディアナは愉快そうに笑った。
「食えたもんじゃないでしょ? でも、それが一番栄養豊富なのよね」
「寝起きにそんなもん食わすな! それに、何でお前がここにいるんだ、ここはどこだ」
「んー、簡単に言えば重たいトウヤの体を背負って逃げ続けて、森の中で見つけた廃屋を拝借してるってところね」
重すぎて腰が折れるかと思った、もっとダイエットしろと不平を洩らすディアナに、トウヤはただ目を丸くしていた。
「何で俺を背負って逃げてんだよ」
一人で逃げた方が圧倒的に逃げ切れる公算は高いというのに。そんなトウヤの思惑を知ってか知らずか、ディアナはこともなげに言った。
「だってトウヤと一緒にいたいんだもん」
「…………」
「それに、もし捕まったらトウヤもきっと死刑よ。何せ私の使い魔なんだもん」
「俺は、お前の使い魔になった覚えはねえよ」
「世間はそんな主張は認めてくれないの。ま、これからの事は後でゆっくり話すから、とりあえず起きれるようになりなさい」
再び苦い木の根をねじ込んでくるが、体を動かせないトウヤは抵抗する事も出来なかった。苦い木の根を飲み込みながら、トウヤは己の体が早く回復する事を願った。
一分一秒でも早く、このふざけた暴力的で無茶苦茶な生き物と喧嘩がしたかった。