王城ステイ 第一話「勇者と簀巻き」

 魔王とは何か。
 学術的な定義で言えば魔族を統べる王であり、アルマース教の定義で言えば唯一神アルマの楽園創造を阻害しこの世に混沌をもたらした者であり、世間一般の定義で言えばガルハヤ帝国に住まう忌むべき暴君である。
 リッカの答えは世間一般のそれと近い。
 「魔族を統べる王」という言葉だけではいまいち実感に欠け、そこから始まる論理の展開を理解できる程の教養も無い。唯一神アルマに対する信心はそれなりにあるが、今の魔王が創世の頃からずっと存在し続けているとは信じ難い。仮に魔王の血脈が受け継がれ続けているとしても、当時の血はほんの一滴流れているかどうかだ。そんなかすかな繋がりを理由に今の魔王を「混沌をもたらした者」として糾弾するつもりはない。

 リッカの感覚で言えば、魔王はガルハヤ帝国を根城とし、世界の発展を妨げ平和を脅かす忌むべき存在だ。世界各地に生息する魔物は人間を襲い、家畜を食らい、星が一巡する程の時間――一年をかけて育て上げた作物を荒らして回る。適当な一つの村に絞っても、一年間に起こる魔物の被害は両手の指では数え切れない。
 魔物がもたらす損害は世界の発展の妨げになっている。しかし、全国各地に存在し多様な生態系を誇る魔物を根絶させる事は難しい。
 ならば、魔物達の総大将である魔王を討って「人間に手を出してはならない」と知らしめれば良い。物理的な根絶が不可能なら奴らの意識から人間に対する敵愾心を絶てば良い。
 魔王を殺せば世界は平和になる。その為に、リッカは勇者として旅を続けてきた。

 今、リッカは小高い丘の上に立って眼下に広がる町並みを見下ろしていた。石畳で舗装された道に街灯が等間隔で立ち、石造りの家屋は行儀よくずらりと並んでいる。
 そこだけ見ればよくある町の姿だ。しかし、路上を歩く人々は人間とは異なる風貌をしており、町の中央を貫く大通りの先には堅牢な城がそびえ立っている。
 伝聞や物好きな画家によるスケッチでしか見たことの無い光景を目の当たりにする事で、リッカはようやく自分が魔王の住まう国――ガルハヤ帝国に辿り着いたのだと実感した。
 輪を描くような形の大陸の北部にある故郷から南部のガルハヤ帝国まで。決して楽な道のりではなかったが、この歩みは無駄ではなかった。
 城へ向かう前にもう一度武器のコンディションを確認する。背負った剣を引き抜き、刀身をじっくりと観察した。かつてリッカと同じく勇者をしていた父から貰った剣だが、曇り一つ無い刀身は年月の劣化を感じさせない頼もしい相棒だ。
 剣を鞘に収めリッカは歩き出そうとする――が、その歩みを背後からの声が止めた。
「あの……人間さん、ですか?」
 リッカは今しがたしまったばかりの剣を迷い無く抜き、振り向いて声の主に剣を突きつける。
「何の用だ」
 声の主は案の定魔物だった。まだ幼い人型の雌のようで、剣先を向けられて手に持っていた木の枝で編んだ籠を足元に落としている。リッカの髪色と同じような真紅の肌を除けば人間に非常に似ていて腹立たしい。
「え、えっと……わたし、いつもここでご飯たべてて……」
 籠からは透き通った赤の果実と得体の知れない干し肉の塊のようなものがこぼれている。魔物の表情と言葉を素直に受け取るとこちらに害意は無いのだろうが、信用できない。
「失せろ。斬るぞ」
 短くそれだけ言って魔物を睨む。まだ声が変わって間もない程度の年齢であるリッカの睨みなど、戦いに慣れた相手なら怖くもなんとも無いだろう。しかし相手はリッカより幼い外見の雌である。魔物はじりじりと後退し、ある程度距離を開けるとリッカから背を向けて一気に走り去っていった。
「……ふん」
 大事な決戦の前に剣を血で汚さずに済んで良かった。リッカは剣を収め、置き去りにされた木の籠を軽く蹴って歩き出した。

 ガルハヤ帝国は「帝国」の名を冠しているにも関わらず規模はそれほど大きくない。アルマース教総本山である宗都スクロドフスカと同程度であり、城と城下町、それと農耕や畜産の為に必要な土地があるだけだ。
 住民のほぼ全員が魔物であり、城に向かう為には必然的に数多の魔物を相手にする必要がある――とリッカは予想していたのだが、それに反して魔物達はリッカに牙を向けなかった。それどころか人間の姿を珍しがって話しかけてきたり得体の知れない食べ物を渡そうとしてくる。
「ああもう邪魔するな! 僕はこれから魔王を殺しに行くんだ!」
 思わずかっとなって魔物相手に言ってはいけない事を口走ってしまっても、
「あらそう。魔王様は手ごわいけど頑張ってねえ」
 と返される始末である。
 リッカは言い返す事も諦め、肩から提げた旅荷物に何かをぐいぐいと詰め込まれながら、大通りを真っ直ぐに突っ切った。

 * * *

 国の規模と城の規模は比例する。大通りの先にそびえ立つ城は遠くから町を見下ろした時に予想した通り、それほど大きなものではなかった。しかし小さいながらも頑丈そうな造りであり、ちょっとやそっとの攻撃では崩れそうも無い。かなりの手間暇がかかっている事は素人目でも明らかだ。
 二階建ての家屋程度の高さはありそうな巨大な城門は開かれており、その両脇には門番と思しき魔物が立っていた。重厚な甲冑で全身を覆っているが、尻から艶やかな尾羽が垂れている。
 リッカは静かに剣を抜く。旅荷物は大通りの脇、目立たない場所に置いてきた。魔物に見つかる可能性もあるが、その時はその時だ。旅荷物を抱えながら魔王と戦うのは現実的ではない。
 二匹の門番の目にもリッカが剣を抜く所は見えたのだろうが、二匹は微動だにしない。
(目が見えないのか、僕を舐めてんのか)
 判断はつかないが、さっさと黙らせるに越した事は無い。駆けて距離を詰めようとするが、一匹が「魔王討伐の方ですか?」と声をかけてくると同時に顔当てを押し上げて鳥のような顔をあらわにした。
「……そうだと言ったら、どうする?」
 リッカは剣を構え慎重に間合いを計り始めるが、門番達に警戒の気配は無い。
「ご希望なら玉座までご案内致しますし、自力で探すのでしたらご自由にお入り下さい」
「は?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。警戒心の欠片も無いこいつらは本当に魔王城の門番なのか?
「お勧めは玉座直行コースですね。今の魔王様は玉座にいらっしゃる事は少ないのですが、そこを中心に捜索されたほうが闇雲に城内をさ迷うより効率的です」
「そこまで言っていいの?」
 僕はお前らの親玉を殺しに来たんだぞ?
「これが今の魔王様の方針ですので」
「……あー、なるほど。大した余裕だな」
 理解した。つまり今の魔王は家臣の助けなど必要とせず、自分一人の力で刺客に対処するという事だ。
 ならばその方針に乗ってやろう。リッカは門番に歩み寄り、玉座までの案内を命令した。二人の門番は素直に頷き、うち一人が「では、私について来て下さい」と城門をくぐった。
(……無防備ってもんじゃねえぞ……)
 開け放たれた城門も、隙だらけの門番も。
 リッカは呆れながらも城門をくぐり、門番が正門を開けようとした時――頭上の騒ぎを耳にした。

 見上げると正門の上はバルコニーになっているらしく、そこで複数の男達が何やら言い争っている。詳しい内容は聞き取れないが、じゃれあいではなく本気で言い争っている事は察せられた。
「……ここで暫く待っていれば魔王様が現れそうですね」
 門番はやれやれと肩をすくめ、バルコニーの方を見上げた。
「は? 何で?」
「上で言い争いをしているのが馬鹿執事と――」
 リッカの頭上を黒い影がよぎる。方向から考えて何かがバルコニーから飛び出したのだと理解すると同時に、リッカのすぐ傍にそれがどさりと落ちてきた。
「――馬鹿魔王ですから」
 リッカと門番は落ちてきた物体を同時に見る。巨大な巻物に見間違えかねないそれは、厚手の布と太い縄で簀巻きにされた一人の男だった。
「貴様、人を簀巻きにした挙句投げ飛ばすとは何事か!」
 簀巻きの男はバルコニーに顔を向けてぷりぷりと怒っていたが、簀巻きの端からちょこんと顔を出しているような姿ではいまいち迫力が無い。
「うぬぬ、貴様の行為は重大な謀反だ! 罰として今日の晩飯を全部貴様が嫌いな料理にしてやろう! フハハどうだ謝るなら今のうちだぞ!」
 言い争いをしていたのは執事と魔王で、目の前の男を簀巻きにして投げ飛ばす事は重大な謀反……となると。
「あー、魔王様。喧嘩中すいませんけどお客さんっすよ」
 リッカの嫌な予感を門番はあっさりと現実のものにした。というか何だそのラフな態度は。
「うん? 客だと?」
 ぎゃあぎゃあとバルコニーに向けて低レベルな罵詈雑言を垂れ流していた簀巻きの男は、くるりと器用に転がって門番とリッカの顔を交互に見た。
「ほほう人間か。我輩はガルハヤ帝国の主にして魔族を統べる王、カルネリアン・ヤルダバオート十三世だ。小さな国だがゆっくり過ごしたまえ」
「…………」
 リッカは黙って簀巻きの男を見下ろした。紫色の肌に黄色い目、黒に近い赤紫の髪にこめかみの辺りから伸びるねじれた角。事前に聞いていた情報と一致する。彼が魔王で間違いないのだろうが、まさか簀巻きにされた状態で丁寧に挨拶されるとは思わなかった。
「して、貴様は我輩に何用か?」
「……あ、えーと」
 予想を裏切られてばかりで状況把握に精一杯だった頭を少し落ち着け、剣を抜いて魔王に突きつけた。
「あんたを殺しに来た」

「……ほほう。組織的にではなく個人で来るとは珍しい」
 余裕たっぷりに微笑むその表情は、本来であれば魔王の貫禄を存分に感じさせるものだろう。しかし今は簀巻きである。ぐるぐるに巻かれた布から顔だけ出している有様では威厳も何も無いし雰囲気もぶち壊しだ。
 ……盛り上がるものは無いが、冷静に見れば魔王を討ち取るまたとないチャンスでもある。
「魔王、覚悟!」
 剣を魔王の首に向けて思い切り振り下ろす。
「なんの!」
 魔王はごろごろと転がってリッカの一撃を避ける。なかなか器用なものだが、文字通り手も足も出ない状態ならばリッカの優位は揺るがない。
 石畳に弾かれ手放しかけた剣を改めて握りなおし、魔王の元へ駆ける。魔王はぐっと足を高く上げ、その勢いで立ち上がろうとする……がバランスを崩してまた倒れる。あれだけ転がれば目も回るだろう。
「ま、待て! これ以上寄るな!」
「問答無用! 死ね!」
 魔王の首を刎ねるべく剣を高く掲げ――その時、魔王が早口に何かを呟いていることに気付いた。
(魔法か!)
 だがこの短時間で詠唱できる魔法の威力など高が知れている。真正面から受け止めても全く問題は無い。
 魔王の詠唱が終わり、リッカの頬を風が撫でる。そう、この程度が関の山だ。
「終わ――」
 終わりだ、と言い切る前にごうと嵐のような音がして、リッカの体が軽々と風に持ち上げられ、壁に叩き付けられた。息がつまり、視界が一瞬で暗転する。
 あの詠唱でこれだけの魔法が発現するはずが無い。何か細工をしていたんだ、してやられた――薄れ行く意識の中で「だから寄るなと言ったろうに」という呟きが聞こえた。

 * * *

 目が覚めた時、リッカは見知らぬ部屋にいた。
 薄い灰色の石を組んで造られた部屋は、壁も天井も綺麗な平面になるように丁寧に磨かれている。上品な赤色の絨毯で覆われた床も、恐らく同じように磨かれているだろう。
 高い天井には等間隔でミルク色の石が埋め込まれ、ぼんやりと淡い光を放っている。窓の外を見る限りまだ夕方だというのに、わざわざ魔法を用いて照明を点けるとは贅沢なものだ。
 リッカが寝かされているベッドも非常に上等なもので、ふかふかとした柔らかさと春の日差しを思わせる温かさは、気を抜けばあっという間に溶けるように眠ってしまいそうだ。
 視界に映るもの、肌で感じる事、全てが一級品で自分がここで寝かされている事がひどく不自然に思える。
(……起きねえと)
 ゆっくりと身を起こすと背中を中心に鈍い痛みが走った。簀巻きの魔王と戦い敗れたのは現実なのだと理解すると同時に、ベッドの隣に誰かが座っている事と、彼が「お体の調子は如何ですか」と問いかけてきた事をリッカの目と耳が捉えた。
「鈍い痛みが少しだけ」
 答えながらリッカは男をじっと観察する。床につくほど長い白髪に薄緑の肌。瞳は真っ赤で白目にあたる部分は真っ黒に染まっていた。きっちりとした身なりをしているが、紛う事なき魔物だ。
「それだけで済んだのならば幸いです」
 そう言って目を細めて笑う男の声は、先程バルコニーで口論していた男のそれだ。という事は、この男が……
「……執事?」
「おや、私の事までご存知でしたか。よく調べていらっしゃる」
「あ、いや、門番がそれっぽいことを言ってただけで」
「そうですか。では自己紹介をしておいた方が宜しいですね」
 男はにこりと微笑んで立ち上がり、
「現魔王カルネリアン・ヤルダバオート十三世の世話役兼執事長を仰せつかっております、シリダリークと申します。以後お見知りおきを」
 流れるような動作で頭を下げた。
 動きの滑らかさ、穏やかな声色、しわ一つ無い衣服……五感で感じられる情報と、バルコニーでの罵声がどうにも繋がらない。声は同じなのだが、あれはもっと荒々しく丁寧さの欠片も無いものだった。
 リッカのそんな違和感を知ってか知らずか、シリダリークは「貴方様のお名前をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか」と言葉を続ける。
「……リッカ。職業は勇者」
「リッカ様ですね。かしこまりました」
 勇者という単語を耳にしても顔色一つ変えない。シリダリークの主人である魔王を殺しに来たというのにリッカに対する敵意も無い。気絶している間に殺す機会はいくらでもあったはずなのに、一級品に満たされた空間でふかふかのベッドに寝かされていた。
 腑に落ちない事だらけだなと思いつつ、リッカは枕元にご丁寧に置かれていた剣をとりあえず手に取った。

「リッカ様に一つお願いしたいことが御座います」
「お願い? どうせロクなもんじゃねえだろ」
 リッカはベッドから降り、警戒心に満ちた顔でシリダリークを見上げた。非常に丁寧な物腰だが、魔物のお願いなどろくなものではないはずだ。
「魔王と謁見して頂きたいのです」
「ほれみろ!」
 魔王との謁見など死ねと言っている様なものではないか!
「魔王がリッカ様に危害を加える事は御座いません。子供じみた馬鹿ですがそれなりの分別はあります」
 リッカの態度にシリダリークはすかさず補足してくるが、魔物の言葉など信じられるはずが無い。
「断る」
「リッカ様の身の安全もお荷物も保障致します」
「信用できない」
「今から城を出れば野営する羽目になります。ここに泊まって行っては如何でしょう」
「泊まるわけねえだろ」
「今ならどんな汚れも落とす超強力洗剤もお付け致します!」
「通販か!」
 その後もよく分からない押し問答が続いたが、一切態度を軟化させないリッカに痺れを切らしたシリダリークが両肩を掴み静かに一言呟いてきた。
「……リッカ様、ご自身の今の立場を理解されておりますか」
 言葉遣いは変わらない。物静かで折り目正しい雰囲気も変わらない。ただ、声から温かみが消えただけだ。それだけなのにリッカの背筋はすうっと冷えた。
「もしも我々の意思に反する事をすればどうなるか……その程度なら、お分かりですね?」
 シリダリークはにたりと笑って先の割れた舌を口からちろちろと覗かせた。こいつは蛇に近い魔物のようだが、そんな事が分かった所でどうにもならない。もしも彼の制止を振り切ってここから逃げ出せば――どう考えても「死」の一言がつきまとう。
「……分かったよ! 会えばいいんだろ!」
 半ばやけくそで吐き捨てると、シリダリークは温かみのある声で「ありがとうございます」と礼儀正しく頭を下げた。

 * * *

 日が暮れる前に謁見を済ませてしまいたいというシリダリークの主張で、謁見を決めた直後部屋の外に連れ出され、彼の先導で廊下を歩いていた。
 外観の通りこじんまりとした城であり、廊下も二人が並んで歩ける程の幅しかない。
 しかし建物としての品質は非常に高く、リッカが寝かされていた部屋と同じ薄灰色の石を組んで造られた壁や床は平面になるよう磨かれ、歩きやすい。廊下にも等間隔で設けられた照明のおかげで視界には一切不自由しない。
 壁際に設けられた窓から何気なく外を見ると草一本生えていない空き地が一面に広がっていた。城の増築予定でもあるのだろうか。
 いかにも高そうな調度品も等間隔で飾られており、品質だけ見れば宗都スクロドフスカの大聖堂にも勝るかもしれないな、と思いながらリッカはシリダリークの後をついて行く。
「魔王って、さっき簀巻きにされてた奴だよな?」
「ええ」
「……なんで、簀巻きにされてたんだ?」
「私がわざわざ遠方から取り寄せた果実を勝手に半分食べたからです」
「……はい?」
「食われたのは昨日の事ですが、あの時呑気にも昼寝してやがったので簀巻きにしてやりました。途中で起きて騒がれましたがまあ後の祭りというものです」
「…………」
 シリダリークの顔は冗談を言っている風ではない。恐らく真実なのだろうが……
(他人のものを勝手に食う魔王も魔王だけど、だからと言って簀巻きにして投げ飛ばす部下ってどうなんだ?)
「食べ物の恨みは恐ろしいもの。リッカ様もお気をつけ下さい」
 リッカの戸惑いを無視して、シリダリークはしれっと言い放った。

 謁見の間は正門から入って直進した場所、城の中心部に位置していた。先程リッカが寝かされていた部屋よりはるかに広く、家具の類はほとんど見受けられず生活臭が無い。壁や柱に埋め込まれたミルク色の石は淡い光を放ち、玉座に座る魔王とリッカ達を優しく照らし出している。
 シリダリークの後押しを受けてリッカが玉座の前まで進むと、魔王は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「おお、来てくれたか! 話したい事はいくつかあるが、その前に貴様の名前を教えてもらおうか」
「……リッカ」
 逆らってはいけない。シリダリークの冷たい言葉を思い出しながら、リッカは正直に名を告げた。
「リッカか、良い名だ。先程も名乗ったが我輩はカルネリアン・ヤルダバオート十三世。全ての魔族の頂点に立つ王だ」
 以降よろしくとカルネリアンは笑いかけてくるが、リッカはそれを無視する。
「……で、本題って何だよ」
「うむ、貴様に一つ提案があってな」
「提案?」
 どうせろくでもないことだろう。リッカは剣を抜いて構えるが、カルネリアンはぴくりとも動じない。
「――単刀直入に言うと、暫しの間、この城に滞在してみないか?」
「断る」
「早いな!」
 この城に滞在しろなんて無茶な提案、断って当たり前だ。いくら逆らってはいけないとはいえ、こればかりは受けられない。
 こんな場所に居続けていれば、何をされるか分かったものではない。相手は人間と敵対する種族、魔物なのだ。魔物の巣窟の中で気絶したにもかかわらず生きているこの幸運が生きている間にこの場から逃げなければならない。
「貴様にとって悪い話ではないと思うのだがね」
「何をされるか分からないのに?」
 敵意をむき出しにして睨みつけると、カルネリアンは口に手を当てて何かを考える素振りを見せた後で「我輩を含め、この城に住まう者達は貴様に危害を加えんよ」と言ってきた。
「信用できない、という顔をしているな。ならば『もし魔王城に赴いた勇者が死体となって帰ってきた』となれば世間はどうなるか考えてみるといい」
「……世間……?」
「間違いなく人間と魔族の溝はより一層深くなり、全世界を巻き込んだ戦争になる。しかし、我輩は戦争を望まない」
 戦争はデメリットだらけではないか、とカルネリアンは軽く両手を広げる。
「ヒトも魔族も数え切れないほどの死者が出る。自然は破壊され、戦の煙で空が濁る。長い年月をかけて築き上げてきた文化が失われる。そこまで犠牲を払って得られるのは何かね? 仮に魔族側が勝ったとして、我々が得られるのは喪失感のみ」
「…………」
「よって、我々は戦争を避ける為、貴様を殺すような真似はせん。理解できたかね?」
 リッカは渋々頷いた。「魔族が戦争に勝つ」という例えは腹が立つが、確かにカルネリアンの言う通りに思える。
「加えて、貴様が我輩を殺そうとするのは一向に構わない。滞在中、好きなタイミングで我輩を殺してみるがいい」
「……いいのか?」
 こちらからは手を出さないが、リッカからはいつ手を出しても良い。リッカにとって都合が良すぎる条件に自然と眉間にしわが寄る。
「人間だけでなく魔族からも常に命を狙われるのが魔王というもの。貴様が我輩の命を狙うのも当然の事で、我輩はその思いを制限する気はない。全力でかかってきたまえ」
 ただし、とカルネリアンは人差し指を立てた。
「我輩以外の者に一方的に危害を加えた場合、即座にガルハヤ帝国から永久追放する」
 臣民は城に勤めているだけの一般人であり「殺しても罪に問われない存在」である魔王とは異なる。一般人への暴行はガルハヤ帝国でも罪と認められており、外部の者に対する措置は永久追放となる場合が多いと言う。
 つまり人質を取ったり兵力を削いだりする事は出来ない。それは確かにデメリットではあったが、生活を共にしていつでも殺しにかかっていいというのは好条件に思える……魔物の言葉を信用すれば、の話だが。
「……その言葉が本当なら、僕のメリットは分かった。逆に、あんたらのメリットは何だ? ただの無償奉仕じゃねえんだろ?」
 魔物がそんな慈善事業をするはずがない。カルネリアンは少しの間思案顔で黙っていたが、にやりと好戦的な笑みを浮かべた。
「ヒトの刺客を傍に置いておくのも一興かと思ってな」
「……酔狂なこった」

「で、どうする?」
 カルネリアンはリッカの瞳をじっと見つめる。挑戦的な眼差しで、このまま逃げ帰るのは無様な気がした。
「……僕は勇者だ。真っ当勝負じゃあんたに勝てなくても、隙を見て殺しにかかる。命の危険を感じたら、どうしても勝てないと感じたら、その時点で一旦退く。それでよければ話を受けてもいい」
「よし、そう来なくてはな!」
 カルネリアンは勢いよく立ち上がり、つかつかとリッカに歩み寄ってきて手を握ってきた。リッカの手よりごつごつとして力強く、ある種の頼もしさすら感じられる。
「……リッカ様はこの城に滞在する。つまり我々と生活を共にする、という事でよろしいですね?」
 後ろからシリダリークが声をかけてくる。カルネリアンが「当たり前ではないか」と答えると、
「よっしゃ! 客とはいえ城に長期滞在するならもう猫かぶる必要はねえな!」
 シリダリークから従順で物静かな雰囲気が消えうせてガッツポーズを作った。粗暴な雰囲気丸出しの話し方はバルコニーで口論していた男の声と一致する。
 こっちが恐らく素なのだろうが、ここまで変わり身が早いと言及する意欲も失せる。
「あー、そうそう。もしかしたら誤解してるかもしれねえから言っとくけど、もしお前が俺らの言う事に逆らっても俺らは何もしねえからな」
「……え?」
 謁見を頼まれた時に言ってきたあの脅しは嘘だと言いたいのか?
「さっきそこの馬鹿が言った通り、俺らはお前を殺さねえし、余程の事が無い限り傷つけることもしねえ。言うことを聞かないとかそんなレベルの出来事で魔族の評判を落とすような真似はできるかっつーの」
「でも、あの時『断ったら殺す』みたいな口ぶりだったじゃねえか!」
「俺が言ったのは『断ったらどうなるか分かるだろ?』だ。俺としては『断ってもどうともならないからご自由に』程度の意味合いだったんだけどなあ。誤解されたのは残念だなあ」
 シリダリークはにやにやと笑う。確信犯だ。
 彼にもう少し文句を言いたかったが、カルネリアンが「話はそれぐらいにして」とぱんぱんと手を叩いた。
「客人が来てくれたのだ。今宵は宴にするぞ!」
 そう言ってぱちんと指を鳴らすと、入り口の扉が開かれて料理を積んだ長いテーブルがいくつも運び込まれてきた。使用人と思しき魔物達が椅子を並べ、銀杯に酒を注ぎ、肉をほんの少しあぶって温める。少し離れた場所では楽器を携えた魔物達がリラックスした様子で雑談している。
 あっという間に宴の準備は整い、カルネリアンが銀杯を高く掲げる。
「皆の衆、我輩の隣に立つのが新たな客人リッカだ! 彼の来訪を歓迎して――」
 魔物達が「乾杯!」と声を揃える。リッカもおずおずと杯を掲げ、酒をほんの少しだけ口にする。人間の酒とは製法が違うのか、初めて感じる不思議な味がした。
 わあわあと馬鹿騒ぎをしている魔物達を見ているとなんとなく騙されたような気がしてならないが「まあいいか」とリッカは温かな料理に手をつけた。

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