箱庭リベレイト 第一話「アルマの使徒」
かつて、この世界には瘴気に満ちた小さな島がひとつだけあった。
そこへ舞い降りたのは唯一神アルマ。
彼は島の周囲に環状の大陸を作り、多くの生命を生み出した。その後島に巨大な塔を作り上げ、今もそこから平和な世界を見守っている。
それがアルマース教の教典に記されている物語の大筋で、俺の仕事はその滑稽な物語を語り、人々に有難がられることだ。
「――神はいつも我々を見守って下さっています。人として正しくあれば、神は惜しみない祝福を与えます。正しくあれ」
お決まりの文句で締めくくり、祈りの動作をすると聴衆も同じ動作を返した。
週に一度の説法は、毎回同じ内容を話し、毎回同じような対応をすれば終わるから気楽なものだった。
聴衆は俺に会釈をしてから、ぞろぞろと行儀よく並んで礼拝堂を後にする。
「ありがとうございました」
と去り際に礼を言う奴はにこりと微笑み返してやれば目に見えて舞い上がる。アルマース教最高位、神に最も近く、神に最も愛された者に微笑まれたのだから当然のことだが、やはり小気味よい。
ただ、ここ最近はその権威も少し薄れてしまった。
「天使様にもよろしくお伝えください」
……そう。アルマース教最高位、法王よりも神に近い奴――「天使様」が現れたからだ。
* * *
「天使様」が現れた日のことはよく覚えている。
ここ、宗都スクロドフスカは雪山の中腹に造られた都市だ。道が整えられているとはいえ、お世辞にも交通の便が良いとは言えない。
それでもこの都市が繁栄しているのは、アルマース教の総本山であるということ、そして晴れた日には山間から「神が住む塔」が実に美しく見える景観のお陰だろう。
天使様が現れたのは、正にそんな晴れた日のことだった。
その日、昼食を済ませた俺は午後の会談に向けて準備を進めていた。教典の解釈を見直し法を変える為の会談だが、議論は遅々として進まない。物分かりの悪い連中の詭弁にはうんざりする。
準備を進めている最中、ふと窓の外を見た。雲一つない青空の中に白い塔がアクセントとしてにょっきりと生えている。
人間が生まれる前から存在すると言われている塔は、未だに分からないことが多い。そもそも塔の中に踏み込んだ者がいない。塔の探索を試みる者は後を絶たないが、誰もが塔にある程度近付いた時点でふっと姿を消し、まるで違う場所で、数日間の記憶を失った状態で見つかるのだ。ならばと外から観察して分かるのは、塔が得体の知れない白い素材で出来ていることと、何十年経っても一切の劣化が見られないことくらいだ。
その日の塔も陽の光を浴びて憎らしいほどに輝いているだけで、何の変哲もない……いや、その時の塔は、陽光を浴びているにしても「輝き過ぎていた」。
見ている間にも塔は輝きを増し、そして一筋の光が天に向かって放たれた。それと同時に耳鳴りがして、俺の背後――部屋の中央から強い風が吹いた。
(敵襲か?)
反射的に身体全体を覆うバリアを張って振り向いた。すると、がきんと硬質なものがぶつかる音がして、目の前に青白く輝く槍があった。
咄嗟に張ったバリアが槍の攻撃を防いだのだと理解すると同時に、
「流石は法王。まずまずの反応だ」
と女性の声が聞こえた。
そこに立っていたのは、教典に書かれている神の使い――天使そのものだった。
プラチナブロンドの長髪に白を基調とした鎧とスカート、透き通るような青い瞳。身体はぼんやりとだが輝きをまとっていた。そして、何よりも……背には一対の白い羽があった。
「突然の狼藉、申し訳ない。私はリシェル。リシェルスドルフ=アルマンディンだ。貴方は現法王、ターラーとお見受けする」
そう言って彼女、リシェルは槍を納めて姿勢を正した。
「……確かに私はターラーと申しますが、貴女は……?」
「アルマの使い、天使と言えば分かりやすいだろうか。魔王を討ち、我が神への信仰をより強固なものにする為にここに来た」
普通であれば気の狂った女の戯言と一蹴する内容だ。しかし、それなりに対策を施している部屋にやすやすと入って見せたこと、一対の白い羽、信仰心を持つ者ならばひれ伏してしまいそうな神々しい雰囲気。あらゆる情報がリシェルの言葉は真であると告げていた。
「……そうでしたか。まさかこの目で天使様の降臨を見ることが出来るとは、何たる幸せ」
俺がリシェルに頭を下げる頃になって、ようやく部屋の外からあわただしい足音が聞こえてきた。ザル警備もいい所だ。平和ボケしている。
「侍従も来た様子。ここはひとつ、私だけではなく皆の者にも貴女のこと、貴女がここに来た目的について詳しくお聞かせ願えますか」
「ああ、そうさせてもらおう」
俺の提案に対し、リシェルは高圧的な態度で頷いた。
スクロドフスカに天使が降臨したという知らせは瞬く間に全世界へ広まった。
天使の姿を一目見ようと大勢の客が押し掛け瞬く間に宿屋は埋まり、都市は軽い混乱状態に陥った。当時と比べると多少落ち付いたとはいえ、今も宿泊客の数は多い。
リシェルは定期的に礼拝堂で神の教えを説き、教典の解釈や法整備の為の話し合いにも積極的に参加してきた。加えて非常に腕が立ち、厄介な魔物が現れたと聞けば自慢の羽でひとっ飛びで討伐してきたりもする。
瞬く間にリシェルは周囲の人々の信頼と尊敬を勝ち取り、俺を差し置いて教会のトップに躍り出た。
天使という権威、人間の限界を軽く超えた実力。彼女が一番となるのは当然のことではあったが、腹が立った。俺がどれだけの危険を侵して今の力と地位を手に入れたと思っているんだ。
俺の思いとは裏腹に、リシェルは俺をそれなりに信頼しているようだった。
つい最近神によって作り出されたという彼女は、世間の常識に疎かった。分からないことは真っ先に俺に尋ね、俺は正直に答えてやった。普通の人間が相手なら間違った答えを教えて失脚を狙うものだが、世間知らずの天使という絶対的な信頼の前に嘘は無力だ。正解を伝え、信頼を積み重ねて行った方が良い。
「流石は神に最も愛された男と呼ばれるだけはある」
俺の人望や実力に対して上から目線で褒めることも少なくない。魔物を討伐する際は手を組んだこともある。と言っても俺はサポート役が殆どで、実際に魔物を葬るのはリシェルだ。
「強いと言われる魔物も大したことはないな。この分なら、魔王を殺すことも夢ではない。その時はターラー、貴方も協力してくれ」
リシェルがこちらへやって来た大きな目的は魔王討伐だ。俺は魔王というものにさして興味はなかったが、立場上頷くしかなかった。
リシェルはいつも教典の解釈や信仰の強化、そして魔王討伐について考えていた。
だから、彼女の部屋に呼び出された時もそのいずれかで相談だろうと高をくくっていた。
* * *
「夜分遅くに呼び出してすまないな」
リシェルの部屋には豪華な調度品が取り揃えられているが、それが使われた形跡はない。果たして彼女は休息を必要とするのだろうか。
「いえ、お気になさらず。して相談事とは」
「そのことなんだが」
リシェルは右の手の平をかざし、青白く輝く槍を瞬時に生み出した。柄がなく彼女の右手の辺りに浮かぶその槍は、多くの魔物を葬って来たものだ。その優秀さはよく知っている。
「私は世間話から始めて探りを入れるような真似は得意ではない。なので単刀直入に問おう」
槍の切っ先が俺の喉元に突き付けられる。
「何か私に隠していることはないか?」
ぴりっとした威圧感がリシェルから放たれる。
「私はリシェル様に対して常に正直でいます。何がご不満なのか私には分かりかねますが、槍をお納めください」
「……この質問に、正直に答えて貰えるのなら槍は下ろそう」
リシェルは深く息を吸い、俺の目を射抜くように見詰めた。
「貴方は悪魔と契約を交わしたことがあるか?」
「悪魔、ですか」
悪魔とは魔物の一種だ。数が少なく詳しい生態も不明だが、積極的に人間に干渉し破滅をもたらす存在として知られている。
「貴方の才能は素晴らしい。巧みな話術で人の信頼を得、剣の腕は何物をも打ち負かし、あらゆる魔法を使いこなし、さりげない挙動から人の心理を見抜く。……素晴らしすぎる」
リシェルは眉間にしわを寄せた。
「一人の人間がこれだけ多方面の才能を持ち、なおかつその若さでその全てを使いこなす。貴方の能力はあまりにもいびつすぎる」
「……だから、悪魔と契約して才を得たと?」
「才能を与える悪魔の噂は聞いたことがある。だから」
貴様もそいつと契約を交わしたのだろう?
リシェルの目はそう非難していた。
「……悪魔と契約して多くの才能を得て、法王に成り上がった。貴方はそう仰るのですか」
「否定する場合は納得のいく理由をこの場で述べて貰う。一人の人間が自然に得られるはずの無い数多の才能を得た経緯と、その身体からかすかに漂う腐った土の臭い……悪魔の残り香について」
腐った土の臭い。
悪魔というものは揃ってその臭いを持っているのだろうか。一を見て全を語るのは愚の極みだが、確かにあいつの身体からはかすかに臭いがした。
「安心しろ。殺しはしない。私はただ、貴様の行いを知りたいだけだ」
貴方ではなく貴様と来たか。
俺は仕方なく両手を軽く挙げ「天使様は鋭い」と呟いた。
「確かに、私は悪魔と契約してこの才を得ました」
リシェルは槍を納めず、じっと俺の様子をうかがっている。理由を言え、ということなのだろう。
いいだろう。ならば、彼女好みの理由を並べてやる。
「私は、捨て子でした。身寄りのない私を引き取り、育てて下さったのがアルマース教の神父。私は彼と彼の神に深く感謝し、唯一神アルマに少しでもお近づきになりたいと思い、神父の道を選びました」
長年教会で過ごしていると嫌でも神父の仕事は身に着く。後を継ぐのにそう苦労はなかった。
「しかし、ご存じの通り、神に最も近い者……法王となるには、豊かな才覚と人徳が必要でした。私はそのどちらも持ち合わせていなかった。それでも、私は敬愛する神に近づきたかった」
だから、と言いかけて言葉を詰まらせる。何度か大きく瞬きをして目を伏せると、リシェルは「分かった」と槍を納めた。
「貴様の行いは許されるものではない。だが、その理由には酌量の余地がある」
「申し訳ありません。神に仕える者が、悪魔と、契約を交わすなど……」
「その責任はいずれ取ってもらう。しかし今は、協力してもらいたいことがある」
リシェルはそっと窓の外に目を向けた。夜空には丸い月が浮かび、その光がリシェルの頬をわずかに照らす。一般的な基準で言えば、美しいのだろう。
「来週メタポルタで行われる、フェッセルン褒章の授与式に私も参加させてほしい」
「フェッセルン褒章の授与式、ですか」
魔道都市メタポルタで年に一度行われる式典だ。その年に魔道の分野で多大な功績を残した者に金と名誉を与えることが式典の趣旨で、法王や教会幹部の出席が義務付けられている。そこに天使を混ぜ込むぐらいのことは、法王という地位を利用すれば簡単なことだ。むしろ式典の運営陣からは諸手を挙げて歓迎されるだろう。
しかし何故そんなものに参加したがるのか。それなりに年季と賑わいのある行事だが、宗教的な意味合いはかなり薄い。俺の疑問を表情から読み取ったのか、リシェルは「簡単なことだ」と口を開いた。
「あの式典では最新の魔法がお披露目される。今の魔王は新しい物好きで、人間に化けて授与式に紛れこむ可能性は極めて高い」
今の魔王というと、カルネリアン・ヤルダバオート十三世だ。何度か手紙を送っただけで実際に会ったことはないが、随分と自由奔放な性格だと聞いている。人間に化けて単独で忍び込むような芸当もやってしまうのだろう。
「私は魔王とやりあえるだけの力は持っているが、奴の周りにうじゃうじゃいる側近の相手までは出来ない。故に、敵陣の真ん中に切り込むのは難しいだろう」
「……だから、授与式に紛れ込む魔王を狙う、というわけですか」
リシェルはこくりと頷いた。
「貴様には授与式参加の口利きと、私が魔王とやりあっている間、人の子に被害が及ばないよう護っていてほしい」
「それくらいならお安いご用です」
俺は二つ返事で了承した。下手に断れば何をされるか分からない。法王という聖職中の聖職は小さなきっかけ一つで簡単に追い落とされる。相手が天使となれば尚更だ。
頼まれたこと自体は簡単だ。問題は、その後の対応だ。リシェルという厄介な相手に最大の弱みを握られたのだから、どれだけ軽く見積もっても法王を辞するのは間違いない。
このまま言いなりになっていれば、人生の大半を費やして得た地位が、教義の見直しのため慎重に固めてきた地盤が、ぽっと出の天使に壊されてしまう。リシェルの話を聞きながら、俺は俺の目的を達成する為にどう動けばいいか考えていた。