箱庭リベレイト 第十五話「再会」
神様が封印されたからと言って、人々の生活に変化が現れることはなかった。大きな出来事と言えば法王が新しい人に変わったくらいで、それ以外はいつもと変わらない。
ハンターの人に追いかけられたのをきっかけに起こった一連の出来事は、忘れがたい思い出だ。あの日知り合った人達だけでも魔族に対する考え方は色々で、私に危害を加えようとする人もいれば、対等に接しようとする人もいた。勿論世の中には前者の考え方の人の方が多いのだけれど、それ一色ではないと知ることができた。
神様との戦いで失った水分を補給して元気になった後は、霧雨の森にいた。でも森の奥で隠れてるのではなく、森に迷った人に声をかけて道案内をしてあげた。相手は私のことを人間だと誤解しているけれど、それでも話をしていると、考え方が色々あって面白い。
今日はそんな案内人もお休みだ。アメティストと待ち合わせをして、一緒にガルハヤ帝国に向かった。車輪付きの棺桶に乗って、狼にそれを引っ張らせるなんて移動方法は滅多に味わえるものではない。
ふと、あの日リッカがメタポルタを訪ねた理由を思い出す。
「……そういえば、この棺桶のお金って払えたの?」
「払えたからこそ、こうして乗ることが出来ている」
アメティストは偉そうに胸を張る。いや、領主なのだから本当に偉いんだけど、偉そうという言葉が似合う。
「魔法薬の大量生産はもうこりごりだ」
「じゃあ、もうちょっと領主らしい仕事したら?」
「仕事には責任が伴う。私にライヘンバッハの人々の生活を背負う度量があると思うのか」
「ない」
「即答はやめろ。傷つく」
なんでこんな人がライヘンバッハの領主を務めているのか不思議だけど、そういう国として成り立っているのだからこれでいいのだろう。
* * *
「おお、来たか!」
ガルハヤ帝国の魔王城では、既にパーティが始まっていた。謁見の間と思しき広い空間にはテーブルが等間隔で並べられ、その上には豪勢な料理が山盛りになっている。ガルハヤ帝国の住民と思しき魔族がにこやかに酒と料理を楽しみ、場はそこそこに温まっていた。
そんな場にやって来た私達を出迎えたのはカルネリアンだ。右目には眼帯が当てられ、右腕と右足はそれぞれ義手と義足になっているが、特に不自由ない様子で私達に歩み寄り、両手を広げて歓迎の意を示した。
「本日は快気祝いの席に招待して頂き、ありがとうございます」
アメティストは礼儀正しく頭を下げ、私もそれに見習って頭を下げる。
「そういう堅苦しいのは良い。貴様らもたっぷり飲んで食え! 貴様らが腹いっぱいで幸せいっぱいになることが何よりの祝いだ!」
カルネリアンはばしばしと私達の肩を叩く。よく見ると頬がほんのり赤く、軽く酔っているのだと分かる。
「アメティストには世話になったな。あの時貴様が我々を屋敷に連れ、シリダリークを呼ばなければ我輩はおそらく死んでいた」
「いえ、そんな。魔族として当然のことをしたまでです。お元気になられて本当に良かった」
「こうもいっぺんに置き換わると、まだ慣れんことも多いがね」
カルネリアンは右手を開いたり閉じたりしている。魔石がはめ込まれた金属製の義手で、カルネリアンが手を動かすたびにかちゃかちゃと金属音が鳴る。
「……そうだ、アステル」
「は、はいっ」
「緊張するな。普段通りにしておればよい」
カルネリアンはその義手で私の顎をそっと持ち上げる。
「この義手でどれほど繊細な動きが出来るようになったのか試したい。今宵、付き合って貰えるな?」
「今日の晩? いいです……じゃない、いいけど」
「いや待てアステル。言葉の意味をちゃんと理解しているか?」
アメティストが焦った様子で話しに割り込んできたけど、意味くらいちゃんと分かっている。
「快気祝いが終わった後で、義手の動きをテストするんでしょ?」
「やっぱり分かってない!」
「ふむ。では今宵その意味をじっくりゆっくり」
「魔王様は元気になりすぎです」
アメティストは片手で軽く頭を抑え、カルネリアンの背を押して広間の片隅へ追いやって行く。私もそれについて行こうとしたけれど、アメティストはそれを空いた手で制する。
「私と魔王様とで少し話をする。アステルは料理でも食べながらくつろいでいればいい」
「うむ。腹を満たしておけ。後々たっぷり運動することになるのだからな」
「だから元気になりすぎです!」
義手の動きのテストでたっぷり運動?
カルネリアンの言葉の意味はよく分からないけれど、とりあえずアメティストの言うとおりご飯を食べよう。テーブルの上の料理を軽く見渡した。
「よっ、久しぶり。元気だったか?」
声のした方を向くと、そこにはルチルの姿があった。取り皿の上には肉料理が山のように盛られている。欲張りだなと思ったけど、私も同じように取り皿の上に山を作っていたので人のことは言えなかった。
「うん、元気。ルチルは?」
「アタシ? アタシはもー、毎日忙しくてたまんねえよ。野郎二人増えたら世話の焼けること焼けること」
「野郎二人? ルチルって、ラピスと一緒に商売してたんじゃ……?」
「アレがきっかけで増えたの。タガリはアタシがスカウトしたから仕方ねえし、リッカもラピスにご執心だからこれまた仕方ないとはいえ、気に掛ける相手が一人から三人になるのは忙しいよ」
「ご執心?」
「惚れてんの。今日だってラピスと一緒に酒と料理持ってどっか別の場所行っちまったし」
「惚れてる……」
少し考えてその意味を理解する。異性を求愛の相手として見ている状態だ。求愛が成功するとつがいとなって、それが人間の場合は「夫婦」と呼ばれる。この辺りのことは私とは関係のないことだから、どうしても理解するのに時間がかかってしまう。
「うまくいくといいね」
「リッカも悪い奴じゃねえんだよなあ。とはいえ今すぐラピスをやれるかっつうと……」
ルチルは渋い顔をしている。悪い奴じゃないのにどうして嫌そうなんだろう。その辺りは、人間の機微によるものなのかもしれない。
「タガリはどこにいるの?」
「あっち。不老不死の癖に速攻で酔いつぶれてやがる」
ルチルが親指で指示した先、広間の壁際には椅子が並べられていて、そのうち何脚かを占領してタガリが寝転んでいた。遠くから見ても顔色が悪い。
「酒で口が軽くなったところで話をして協力してもらえるよう言質取ろうって思ってたのに、まさかの一杯目でアレ」
ルチルは大袈裟に肩を竦めてみせた。
「……今は、あんまり協力してもらえないの?」
「まあなんつーか、自分勝手だよ。家事ほっぽり出してやりたいことしかしねえし、口を開けば死にたい死にたいだし、アタシが忙しくなったのは大体コイツのせいって言ってもいい」
「そんなでもついてきてくれるんだね」
そこまで自分勝手なら、ルチルについて行くことすらしないのではないか。多少なりともルチルに情があるからついてくるのではないか。そういう期待をほんのり持ったけれど、ルチルはあっさりと首を振る。
「食事と寝床がついてくるからな。そりゃ自分勝手言いながらついてくるよ」
ルチルは大きくため息をついて、取り皿の上の肉料理を一口頬張って「うめえ」と呟いた。
「ルチルはこれからも世話焼きするの?」
「そーだなー。リッカは剣の腕がそれなりで自分の食い扶持くらいは稼げるし、タガリはやっぱりあの錬金術がなー」
「神様がどうにかなったの、ルチルとタガリのお蔭だもんね」
「おう、もっと褒め称えてくれてもいいぜ」
ルチルは大袈裟に胸を張った。
「ま、そんなこんなで賑やかな行商の旅って感じで楽しくやってくよ。あんたはライヘンバッハ暮らしだっけ」
「うん、ええとね……」
最近の暮らしぶりを話そうとした矢先、広間の扉が勢いよく開けられてターラーとギフトが姿を現した。
「失礼致します! この度は魔王陛下の快気祝いの席に招待して下さり誠に感謝致します。小生のような悪魔にすらこうして言祝ぎの機会を与えて下さる魔王陛下の海よりも深き慈悲の心には感涙するばかりで――」
「うるさい黙れ」
どこまでも続きそうなギフトの演説をターラーは一言ではねつけて、カルネリアンの元に歩み寄ってぼそぼそと何かを言っていた。ギフトみたいに大声を出してくれないと、ここからでは何を言っているのか分からない。ターラーの言葉にカルネリアンは笑みを浮かべ、料理の方を指差した。けれどもターラーは首を横に振って踵を返す。ギフトはというと、待ってましたと言わんばかりにカルネリアンに近付いて演説を再開し始めた。
「ルチル、ごめん。ちょっと用事」
「ん? おう、行ってら」
ルチルはあっさりと手を振り、私はギフトの元に向かう。
ギフトはよく分からない言葉で矢継ぎ早にカルネリアンに話しかけていたけれど、私の姿に気付くとそれを中断して微笑みかけてきた。
「アステル嬢ではありませんか。お久しゅうございます」
「久しぶりギフト。……あのね、三人で話をしたいんだけど、いいかな?」
三人、という言葉にギフトは顎に指を当てて少し考えていたけれど、思い当る節があったのか、ポンと手を打った。
「それは良いことで御座いますね」
* * *
「……で? わざわざ引き留めたからには、それなりの用件があるんだろうな?」
城を去ろうとしたターラーを呼び止めて城のバルコニーまで連れ出すと、ターラーは露骨にふてくされた顔をしていた。
「それなりなのか、分かんないけど……でも、相談したいことがあって」
「ほうほう。小生とターラー殿で協力出来る事であれば何なりと」
「何で俺も協力する流れになってるんだよ」
「……えっとね、ギフトとターラーは、これからどうするの?」
まずはここを確認しなければならない。ギフトは少しだけ首を傾げ、ターラーは眉間に皺を寄せた。
「小生は契約を求めて彷徨う悪魔。本来は新たな契約を求めて町に潜む……所ですが、いかんせんつい先日の神様の凋落ぶりが実に良いものでして、当分はあの物語を反芻するだけで十分なんですよねえ」
「……俺については、よく分かってんだろ」
ターラーはわざとらしく自分の服を軽く引っ張ってみせる。法王の服でも僧侶の服でもない、ありふれた服装だ。
あの日の後、ターラーは「神を騙るタチの悪い精霊を退治した。だが自分が法王と言う職をこれ以上続けることは出来ない」と法王を辞め、スクロドフスカを去った。世間は大変な騒ぎに包まれたけれど、それはどちらかと言うと突然の辞職と次の法王は誰かという点で大騒ぎになっていた。
次の法王が決まる頃にはターラーは既に「先代の法王」という立場に収まっていて、悪魔がどうとかそんな問題は語られなくなっていた。疑念が広がる前に速攻で蹴りを付けたのは正解だったのだな、と一連の騒動を見ていて思った。
ギフトは新しく契約を結ぶつもりはない。ターラーは法王を辞めて自由の身。第一関門はクリアだ。
「……私ね、ライヘンバッハを出て、色々なところに行ってみようって思うの」
「ふむ。見聞を広める旅と言った所ですかな」
ギフトの言葉に頷きで返す。ライヘンバッハで案内人をしているだけでも色々な発見があるけれど、これからの世の中に合った生き方をするにはどうすればいいかはまだ定まらない。
だから、広い世界に出て色々な人と話をして、沢山の経験をして、どういう生き方をすればいいのか、ゆっくり考えて行きたい。森の奥で誰にも見つからないように生活するよりも、良い生き方が見つかるかもしれない。
「でも、一人で旅をするのは怖くて、だから」
「だから?」
ターラーは苛立ちを隠すことなく続きを促す。ハンターの人達と似た傍若無人さがあって、やはり怖いものがある。
「……一緒に、来てくれないかなって」
「ほほう! アステル嬢とターラー殿と小生とで旅で御座いますか!」
ギフトはくるくると私達の周囲を飛んで、私とターラーの顔を覗きこんだ。
「小生は一向に構いませんよ? ターラー殿は如何ですかな?」
「……旅の仲間が欲しいって話なら、何で俺にも声をかけた。同情のつもりか? それならギフトと二人旅をすりゃいいし、ルチルについて行っても良いだろうが」
ターラーの言うことはもっともだ。苦手意識があるのにわざわざ旅の仲間に誘い入れることもない。冷静に考えればそうなのだ。
それでも。
「違う」
静かに頭を振った。
「……ギフトも、ターラーも、分からないかな。私、二人と一緒にいると、なんだかよく分からない気持ちになるの」
胸に手を当てる。今この瞬間も、よく分からない気持ちになっている。
「胸がきゅっとして、泣きたくなるような……。それでも温かくて、悲しいとかじゃなくて、嬉しい、のかな……」
「なんとまあ」
初めて吐露する気持ちに、ギフトは軽く目を見開いた。
「アステル嬢。それは『懐かしい』という気持ちに近くはありませんか」
「懐かしい?」
親しい人や物に久しぶりに遭遇した時の気持ち? そんな経験はしたことが無いからそうとは断言できないし、なによりギフトとターラーは「懐かしい」なんて言葉が似合う程親しい関係でもない。
私が首を傾げていると、ギフトは私と目線を合わせてにこりと微笑みかける。
「小生も同じ気持ちを抱いておりました」
「……え?」
「不思議なものですね。アステル嬢と出会ったのはハンター達の会話を盗み聞いたのが切欠で、ターラー殿と出会ったのは悪魔を呼ぶ呪文に呼び寄せられての事。どちらも偶然の産物であり、小生は以前から貴女らを存じ上げていたわけではありません」
それなのに、二人といると懐かしい気持ちがこみ上げる。
「ターラー殿もそうではないですか? いえ、そうでしょう。そうでなければこうしてバルコニーまでついてくる事など有り得ません」
「断定かよ」
ターラーは短く言うけれど、ギフトの言葉は否定しない。
つまり、そういうことなのだ。
「……あのね、三人とも同じ気持ちなら、一緒にいちゃ駄目、かな……?」
二人が傍にいるとなんだか嬉しい。二人とまた離れ離れになると思うと、なんだか悲しい。どうしてこんな気持ちになるのかは分からないけれど、悲しい思いはしたくなかった。
「小生は構いませんよ」
「…………」
ターラーは押し黙ったまま地面を見つめている。
「ターラー。駄目かな。私、正直に言ってあなたのことがまだ少し怖いけど、それでも、ターラーと一緒にいたいって思うんだ」
そっとターラーの手を取って、真っ直ぐに顔を見つめる。
「……どうせ行くアテもねえんだ。付き合ってやるよ」
ターラーはほんの少しだけ、私の手を握り返した。
「ありがと」
自然と微笑みがこぼれる。
「アステル嬢にターラー殿。見事な星空ですよ」
ギフトが空を指差すと、そこには満天の星空が広がっていた。
「ほんとだ。きれいだね」
「…………」
三人で同じ星空を見上げている。それだけで心が満たされる。
「この星空だけではありません。不思議な縁を持つ者同士、様々な美しい風景を共に心に刻みつけて参りましょう」
一筋の流れ星が夜空を駆ける。私とターラーは静かに、けれどしっかりと頷いた。