箱庭リベレイト 第十四話「それぞれの正義」

 僕は勇者だ。
 大して強くもないし、武勲を挙げたこともない。魔王の根城に乗り込んで何故かもてなされて帰ってきた。世間一般の「勇者」のイメージと比べるとあまりにも貧弱で頼りない。
 それでも僕は勇者でありたいと思っているし、僕にとっての正義は何なのだろうと考えている。安易に世間に迎合して思考停止するのではなく、自分にとっての正義を考え、意志を貫く。それが僕の理想の勇者だ。
 天使の手からカルネリアンを守ったのも、今こうして神に刃を向けているのも、僕なりの正義を貫きたいからだ。

 胸元で空色の石が揺れる。剣にもう一度黒い光を纏わせる。
 神は巨大な光の塊のようだ。そのシルエットは人間の上半身に見えないこともなくて、頭の辺りには大きな一つ目がぎょろりと開かれている。体中のそこここから触手のようなものが生えていて、僕やギフトを打ち据えようとしている。
『勇者が何故神に抗う。魔王を殺すことこそ絶対的正義。勇者は正義の体現ではないか』
 向かってくる触手を切り裂いて神の身に刃を走らせる。手ごたえはないが、神の姿勢はわずかに傾ぐ。
「魔王を殺して魔族を追い詰めて、それが平和に繋がるのかよ」
 勢いよく振られた触手を剣で防ぐ。びりびりとした衝撃が体に走る。
「魔族だって馬鹿じゃねえ。話し合えば分かり合えるところもあるんじゃねえかな」
『……魔王に懐柔されたか。哀れ』
 神の体がすらりと細くなり、背に何枚もの翼が生える。触手の代わりに何本もの腕が姿を現す。どう考えても異形の怪物であるはずなのに、何故だかすごく神々しいものに思えた。
 何本もの腕が統制の取れた動きで印を結ぶ。一糸乱れぬその動きは強風を生み出し、僕の体はやすやすと持ち上げられ壁に叩きつけられた。
「……ぐっ……!」
 息が詰まる。が、意識を失う程ではない。
『呆気ないものよの』
 神は瞬きの内に目の前に迫り、腕を軽く振るう。それに合わせて何かが胸元を強く打ち据えた。意識が軽く遠のき、剣を手放してしまう。空色の石にひびが入る。
 神は空色の石を優しく持ち上げ、
『人の身で余に叶うと思うたか』
 いともたやすく握りつぶして見せた。空色の破片が服の上にぱらぱらと落ちる。
 剣を拾おうとした手は、一本の腕が静かに、だが力強く抑えつけた。
『勇者を殺すのは余の心も痛む。だが、魔王の手に落ちた者を野放しにするわけにはいくまい』
 神の手が僕の首に添えられる。じんわりと温かいその手は、神が確かにここに存在するのだと確信するに十分だった。
『辞世の言葉があるなら聞いてやろう』
「じゃあ、一言だけ」
 僕がそう答えると、神の目がじいっと細められる。
「叶うと思ったからここにいる」
 その言葉と同時に、無数の鎖が神の全身を捕らえた。

「いい陽動だった」
 そう言って、神の背後から姿を現したのはターラーだった。
 彼の手には金色の輝きを放つ石があり、神を捕らえる鎖もそこから伸びていた。
『貴様……法王か……!』
 神は鎖を引きちぎろうともがくが、びくともしない。
「無駄だ。あんたに壊せるような代物じゃねえよ、これ」
『……その石、まさか……』
 神の目は金色の石を凝視する。ターラーは肩を竦め、口角を吊り上げた。
「御明察。こっちが本物の『賢者の石』だ」
 アステルとギフトが囮となり、僕が賢者の石で以て神を討つ――と見せかけて、僕も囮でターラーが本命。ただの魔石を賢者の石のように見せ、魔法薬で底上げした魔力で「リッカが本命だ」と思いこませる。そんな二重の囮が上手く働くか不安だったけど、こうして神を捕らえることができた今、ようやく安堵の息を吐くことができた。
 ターラーは呪文を紡ぎ、鎖はますます太く強固になる。
『法王が神にこのような狼藉……許されると思うておるのか』
「はぁ? 神?」
 ターラーは隠すことも無く獰猛な笑みを浮かべる。法王にはとても見えない。
「んなもんどこにいんだよ」
『貴様の目は節穴か』
 ため息をついて首を振る。
「俺の目の前にいるのは、アルマース教の信仰心を糧に生まれた精霊だ」
『…………っ!』
 神が言葉に詰まる。
「ちゃちな土着信仰でも精霊は生まれる。信仰が精霊を生むのなら、この世界で最も信者が多いアルマース教の信仰を糧にした精霊が生まれるのは当たり前の話だ」
「それに気づいてからのターラー殿は本当にイキイキとしておりましたねえ」
 ギフトがターラーの傍に寄る。ターラーは露骨に不快そうな顔を浮かべたが、話を続けた。
「精霊ならまだやりようがある。何しろこっちには精霊のスペシャリストと言える召喚士と、神に見合う召喚石をこしらえられる錬金術師がいたからな」
 召喚石の仕組みは僕もざっくりと説明を聞いたし、召喚石を作る為の呪文も教えてもらった。僕にはまだ使いこなせない呪文だったけど、ターラーはあっさりものにしてみせたのだから「神に愛された法王」は伊達ではなかった。
『……まさか貴様、余を……』
「この賢者の石があんたの棺桶だ。あんたがどれだけ信仰心を集めても、それを糧に封印の魔法は働き続ける。人々に信仰心がある限り、あんたはここから出られない」
 賢者の石は魔素を魔力に、魔力を魔素に換える力を持つ。とはいえこれが魔石であることに変わりはなく、通常の魔石と同じように加工を施すことができる。タガリがやったことは、リシェルの核を元に、神の魔力や周囲の魔素から魔力を工面し、半永久的に封印の魔法が発動し続ける加工を施した。理論を聞くだけでもややこしいもので、賢者の石の作成は僕達が体力と魔力を回復するよりも時間がかかっていた。……いや、その程度の時間でできたのが凄いのかもしれない。
「アルマース教に対する信仰心がなくなれば封印は解ける。……けれども、そうなっちまうとあんたは死ぬ。精霊っつうのは脆いもんだな」
『貴様……それが法王のすることか!』
「するね」
 ターラーはあっさりと答えた。
「俺は信心なんざ欠片もねえ。カミサマとかいう都合のいい存在なんかいるはずない。いたら俺は法王になんざなってねえよ」
「……あのさ、信心もねえのに何で法王になってんだよ」
 ターラーの本性を見てから常々疑問に思っていたことを口に出す。宗教とは最も縁遠い思想なのに、悪魔と契約してまで法王に上り詰めた。そこが分からない。
「復讐だ」
 ターラーはぽつりと漏らす。
「アルマース教なんてもんがあるから俺はロクな人生を歩めなかった。人一人救えねえ宗教なんぞクソくらえだ。だから俺は法王になって、この宗教を内側からぶっ潰す。そのつもりだった。誰かさんのお蔭で台無しになったけどな」
 厭味ったらしい台詞にギフトは小さく肩を竦めた。
「もう法王は続けられねえし、俺の夢は終わった。けどな、あんたと会えたのは良かったと思ってる」
 ターラーは神に一歩近づいて、にっこりと微笑みかけた。
「例えまがい物でも、こうして神に直接手を下すことができる。ざまあみろ」
『……貴様……どこまで余を愚弄するか!』
「どこまでも」
 そう言い返すターラーの顔は、どこか晴れやかだった。

 ターラーは改めて呪文を紡ぐ。鎖はさらに強固に神を縛り、金色の石の中に少しずつ入って行く。
『やめろ! 余はこの世界を守り、平和の為に在らねばならぬ!』
 神はその腕と翼を動かして鎖を解こうとするけれど、動けば動くほど鎖は神の身体をがんじがらめにしていく。
『幾度となく訪れた災禍を退けたのは余の干渉あってこそ。今ここで余を封じれば、近いうちに災禍が多くの人々を不幸に陥れるだろう……!』
「……ほほう。つまりこの世の平和は貴殿の尽力の賜物であり、貴殿を封じると混沌の時代が訪れると?」
『その通り。それが嫌なら――』
「素敵な事ではありませんか!」
 神の言葉を遮って、ギフトは歓喜の声を上げた。
「人々の心が荒み、欲望が剥き出しになれば小生も随分と活動がやりやすくなる。数多の悲劇に更なる彩りを添える事が出来る。嗚呼、何と素晴らしい事で御座いましょう……!」
 両手を広げてくるくると空を舞う姿は本当に嬉しそうだ。ギフトの趣向はやはり悪魔のそれで、決して褒められるものじゃない。一時的な協力関係にあるとはいえ、あまり心を許してはいけない人種だ。
「……まあ、そうでなくとも小生は貴殿を封じたいと思いますが。何しろ、世界最高の精霊が信仰心の衰えと共に力が弱まり、焦って天使を派遣したが故にちっぽけな石に封じられ、じわじわと身が滅びるのを待つばかりとなる……そんな物語、加担するしかないではありませんか!」
『黙れ! 力が弱まるなど、そんなことは――』
「おやおや? では何故今更になって天使を派遣して魔王を殺そうとしたのですか? 第十三代目魔王はこの世を戦乱に陥れる危険性もない穏やかな御仁。平和な世を守る為などという御託は通じませんし、魔王がこの世の害悪と言うのならもっと早めに手を打っていたのでは? もう十三代目になるのですよ?」
 ギフトは口に手を当ててくすくすと笑う。
「信者の数が減っている事はアルマース教関係者なら周知の事実。ターラー殿が法王に選ばれたのも実力や外交力もありますが、話題作りという点があることも否定できません。信仰心を糧に力を得ている貴殿なら、信者減少の影響は大きなもので御座いましょう?」
 神は無言でギフトを睨みつけ、ギフトは優雅な微笑みを浮かべた。
「確かに魔王を殺せば世の人々は神を信仰する気持ちを取り返すでしょう。貴殿にとって起死回生の一手……のはずが、いやあとんだ結末に終わりましたねえ! 最ッ高ですよ!」
『……薄汚い悪魔が。貴様にとっては喜ばしくとも、世の人々にとっては不幸でしかあるまい。それについてはどう思う?』
 神は辺りをぐるりと見回す。この場にいるギフト以外の人々――僕と、アステルと、ターラーに問いかけているのだろう。
「私、は……」
 アステルは一歩踏み出そうとして、バランスを崩して転んでしまう。べちゃりと半身がスライムと化しながらも、真っ直ぐに神を見上げていた。
「……私はまだ、死にたくない。それに、あなたがいなくても、皆で平和な世の中は作れるんじゃないかなって思うの」
「僕も似たような感じ。魔王を殺したってあんたが得するだけで何の解決にもならねえし、それに、なんつうか……平和な世の中って、誰かを殺して成り立つようなもんじゃねえよ」
 魔族と共存する平和もあるんじゃないだろうか。具体的な道筋は見えないし前途多難だけど、それを目指すのが僕なりの正義なのかもしれない。魔族が一概に邪悪な存在と言えないのは知っているし、人間と魔族の子供であるラピスを見ていると、そういう選択肢もあるのだと思わされる。
 僕達の言葉に神は不快そうに目を細めるが、それ以上は何もできない。鎖はずるずると金色の石に収まって行き、神の体もあと少しで金色の石に触れるだろう。
「平和がどうとか魔族がどうとかそんなこたぁどうでもいい」
 ターラーは法王にあるまじき言葉をはっきりと言い放ち、神を睨みつける。
「あんたをこの石にぶち込んで、創世者ヅラして箱庭みたいにしてた世界を自由にする。それができりゃあ十分だ」
 そこまで言うと、ターラーは少し考えて「なあ」と神に問いかけた。
「あんたの干渉で平和は保たれてきたって言うけどよ、じゃあ、なんであの時俺の平和は守ってくれなかったんだ?」
『余が守るのは大きな流れのみ。一人の人間を救う為に力を振るう程余は暇ではない』
「……うん、だろうな」
 ターラーは呪文を唱え、鎖は先程よりも速度を上げて金色の石の中に飲みこまれて行く。神の体も、鎖と共に消えて行く。
『やめろ! この世界は余がおらねばならん! 痴れ者共が……ッ!』
「今まで面倒を見て下さり有難う御座いました、子離れの時期ですよ、とでも言えば宜しいのでしょうか?」
 ギフトはひらひらと手を振る。神の体はずるずると飲みこまれて行き、やがて――意外と呆気なく、その全てが金色の石の中に封じられた。
「神なんていねえんだよ」
 金色の石を見ながら、ターラーはぽつりと呟いた。

「さてさて、『これ』は如何致しましょう?」
 ギフトはターラーが持つ金色の石を指差した。黄金の輝きを放つその石は綺麗で、どこか神々しい雰囲気がした。
「誰が持ったっていいことねえよ」
 ターラーは金色の石を無造作に放り投げた。すると、石は部屋の中央でふわりと浮かぶ。
「この場所に封印する。それが一番だ」
「……でも、大丈夫かな。誰か来たら危ないよ」
 アステルが心配そうに金色の石を見上げる。ここに辿り着く人などそうそういないだろうけど、石を持ち去られたり壊されたりしたらと思うと心配になるのも無理はない。
「石が見つからねえようにしたらいい」
 ターラーはぶつぶつと呪文を唱え、金色の石に向けて両腕を伸ばす。
 びきっ、と金色の石の周囲に白い石が生まれる。白い石はびきびきとその数を増して行き、やがて天井と床に到達し、部屋の中央を貫く円柱と化した。
「ああ、こうすりゃなかなか見つかんねえな、確かに」
 円柱に触れてみるとすべすべとした触感で、表面には繊細な幾何学模様が刻み込まれていた。元からあったものだと説明されれば納得するくらいによく出来ている。
「やることはやった。帰るぞ」
 ターラーは一つ大きなため息をついて、窓の方に目をやった。帰りもまたターラーにおんぶして貰わないといけないのかと思うと、自分の実力不足が少し情けなくなる。
「アステル嬢、帰りは小生の背中にどうぞ。小さくなられた分運びやすくて大変宜しい」
「うん、ありがと」
 ギフトもまた窓の方に向かう。

 神は白い柱の中で眠る。
 改めて思うととんでもないことをやったものだ。達成感のような、罪悪感のような、よく分からない気持ちがこみあげる。
 僕の横でアステルが同じように白い柱を見上げている。
「……もう、大丈夫なんだよね」
「ああ。僕はもう帰ってゆっくり寝たい」
 緊張の糸が切れたのか、じわじわと眠気が襲ってきていた。よく考えなくてもここまで夜更かしをしたのは初めてだ。
「なんだか、すごい偶然だったね」
「偶然?」
「だって、神様を封印する石はタガリが作って、封印する為の呪文はルチルが知っていて、私やギフト、リッカがいなかったらターラーが隙を突くことも出来なくて、リッカ達が巻き込まれたのはラピスがあの結界の中に入り込んだからで、アメティストがいなかったらメタポルタから皆で脱出することも出来なかった」
 言われて見ればそうだ。立場も目的もばらばらだったのに、色々な偶然が積み重なって事件に巻き込まれた。誰か一人でも欠けていれば、この結末に至ることは出来なかっただろう。
「確かに、すげえ偶然」
「でしょ?」
 アステルは暫く白い柱を見ていたけれど、満足したのか踵を返してギフトの元へ向かって行った。
 僕もいつまでもターラーを待たせるわけにはいかない。白い柱から目を離して、窓辺へ足を向けた。

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