ハネモノ 第一話「少年と少女」
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」
炎天下の下、日焼けした中年男性が張りのある声を出した。木を組んで作った簡素なテーブルには小奇麗な布が敷かれ、その上で新鮮な果物の数々が刺すような日差しを浴びてきらきらと輝いている。中年男性の声に惹かれて集まった人々は、魅惑的な輝きを放つ果物にうっとりと目を細めた。
「今朝オアシスで採ってきた果物だよ! グリフォンに乗って行ってきたから鮮度もばっちりだ!」
みずみずしい果物は、この砂漠の町クバサにおいて誰もが憧れる一級品だ。露店にたむろする人々に紛れて、金髪の少年がじっと果物を見つめていた。中年男性が提示する金額は相場よりも随分と安いが、それでも少年には手の届かない値段だ。周囲の大人が次々と果物に手を伸ばす中、少年はためらうことなく大人達に混ざって果物を二つ手に取った。そして代金を支払わずに麻袋の中に入れ、その場から走って逃げだした。中年男性は少年の行動にすぐに気付き、
「こらーっ! 泥棒ーっ!」
と周囲の大人が驚くほどの大声を出したが、少年はひるむことなく風のように走って距離を稼いでいく。中年男性は残りの果物を自分の鞄の中に慌てて放り込んで少年の後を追った。その間にも少年の姿は遠くなり、中年男性はこんなことなら店番を雇っておけばよかった、と今更ながら後悔した。
少年からすると、店番を雇っていない露店を見かけた時点で今日の盗みのルートに臨時で組みこむ事は当たり前のことだった。今日行くルートからは少し外れていたが、この露店を起点にして今日のルートに駆け込んで行けば問題はない。頭の中にある地図を参考にして入り組んだ道をわざと走り、目的の露店街にたどり着いた。
露店街の人混みにまぎれながら、果物屋の店主が来ているかどうか背後をうかがってみると「泥棒!」と大声が聞こえた。
「げっ」
あれだけの果物を鞄に入れる時間と外見から予想される足の速さから、もう追いついてこないだろうと考えていただけに、驚いて思わず声が出た。果物屋の店主は少年目指してまっすぐ走ってきており、少年は焦らずすぐさま走り出した。人混みの中を縫うように走り、目的の露店から保存食や飲み物、衣類を次々とかすめ取って麻袋の中に放り込んで行く。このあたりの露店は店番を雇っているのが殆どで、少年が商品を盗むや否や、店の奥から店主と思しき者が鬼のような形相で少年を追い始める。
「またかこのクソガキ!」「今度は逃がさねーぞ!」「今まで盗った服返せ!」
などと少年の後方で賑やかな一団が形成されつつあるが、少年は動じることなく細い路地に入り込んで行く。路地は人一人が通るのがやっとな細さで、あわよくば路地の入口で団子になって見失ってくれると有難いと思ったが、少し足を止めるとすぐにどこかの店主の怒声が聞こえた。
「相変わらずしつこいっつーの」
少年はため息混じりに呟き、左腰に巻きつけていたフック付きのロープを取り出して、周囲を取り囲む建物の屋根に向かってフックを投げた。少し力を込めてロープを引くとフックが完全に屋根に引っ掛かり、少年は助走をつけて壁を駆け上がってロープを手繰り寄せて屋上に登った。そこから下を眺めると、何人もの店主があちこちをうろついていた。
「それじゃ今回も、有難く頂きまーす」
少年は重くなった麻袋を抱えて屋上をひょいひょいと渡り歩き、町を後にして砂漠地帯へ駆けだした。
* * *
誰もいない砂漠地帯を走り続け、クバサの町が豆粒ほどの大きさになった頃、少年は砂漠の中でも大きな岩がごろごろと点在する場所に辿り着いていた。大きな岩が作り出す日陰は涼しく、走り続けて上気した少年の頬を優しく冷やした。ぱたぱたと手で顔を扇ぎながら、少年はひときわ大きな二つの岩の間にある僅かな空間を覗きこんだ。
そこには布張りの粗末な屋根が張られていた。壁はなく、通り抜ける風は砂漠とは思えない程に涼しい。地面にはぼろぼろになったござが敷かれていおり、お世辞にも座り心地が良いとは言えないが、ないよりはましだ。ござの上には様々なものがごちゃごちゃと散らばっていて、そのごちゃごちゃとした世界の中心でトカゲ頭の少年がこちらからは背を向けて座っていた。
「メシ、盗ってきたぜ」
少年が戦利品の詰まった麻袋をござの中央に置くと、トカゲ頭の少年は「お疲れさん」と言いながら麻袋の中を物色した。
「おっ、果物じゃん。どういう風の吹きまわし?」
「不用心な果物屋がいたから、ついでにかっぱらってきただけ」
少年は麻袋の傍に座り、左腰に巻きつけているフック付きのロープを手持無沙汰にいじった。
「そういや、そのロープどうだった? ルピナスの体重に耐えられるぐらいに強化したけど大丈夫だった?」
「ん、問題なし。つうかさ、半分トカゲなんだしコデマリの方が絶対盗みに向いてんじゃね?」
壁を素手で登ったり尻尾を囮にしたりできるじゃん、とルピナスと呼ばれた少年は少し不満げな表情を見せたが、トカゲ頭の少年コデマリはあっさりと首を横に振った。
「俺は技師志望だって言ってるだろ。盗みなんて前科がついたらどこも雇ってくれねえんだよ」
「だからってかけがえのない友人に盗みをさせて、良心は痛まねえのか」
「別にかけがえのない友人ってわけじゃ……」
コデマリはそこで言葉を切り、屋根から顔を出して「おっ」と呟いて空を見上げた。何事かと思いルピナスも並んで屋根から顔を出して空を見上げてみると、そこには小さな飛行船がのんびりと飛んでいた。
「飛行船じゃん。見るの久しぶりだな」
「久しぶりだけどさ、今の時期にこの辺に来るもんだったっけ」
飛行船はルピナスやコデマリが物心ついた頃には既に空を飛んでいた。町の大人から聞いた話では十五年前から見かけられるようになり、それ以降一定の周期で空を飛ぶ姿が目撃されている。飛行船は世界各地を飛び回っているらしいが、何のために飛んでいるのか、誰が乗っているのか、知る者は誰もいなかった。
「確かに、いつもと比べると早いな」
普段のペースならこの付近に姿を現すのは数日後だ。どうしてだろうと考えていると、飛行船は次第に高度を下げていった。船体も不安定に揺れており、調子が悪いのは誰が見ても明らかだ。
「あれ、落ちそうだな」
ルピナスが不安げに飛行船の行方を見守っていると、飛行船はゆるゆると高度を下げて砂漠の中に音もなく着地した。墜落というより不時着に近く、また町からは少し離れているので、この事態に気付いたのはルピナスとコデマリの二人だけだろう。
「…………」「…………」
二人は黙って顔を見合わせ、黙って立ち上がって飛行船に向かって駆けだした。
* * *
間近で見る飛行船は思ったよりも小さく、十人も乗れない程のものだった。外から見る限り損傷はなく、十五年間空を飛び続けて蓄積された汚れで船体がくすんでいる程度だ。
「中に誰かいるのか?」
ルピナスはじいっと飛行船の搭乗口を睨むが、内側から開けられる気配は一向にない。中に人がいるのかどうかが気になるルピナスに対し、コデマリは飛行船の造形が気になっているらしく、プロペラや動力部はどんな構造なのかちょろちょろと調べている。
「……入ってもいいものなのか……」
ルピナスが迷いながらも搭乗口に手を触れてみると、あっさりと扉が開いた。中を覗き込んでみると、薄暗くて見えづらいが一通りの生活用品と食料がきちんと整理され、つい最近まで人がいた気配があった。中に足を踏み入れて食料を調べてみると、新鮮でかなり質の良いものが揃っている。壁に掛けられている衣類も丁寧な作りで、かなりの高級品である事は一目見るだけで分かった。
「随分とお金持ちなことで」
飛行船に乗れるのだから富裕層である事は明らかだったが、こうも金持ちぶりを見せつけられるとやはりいい気はしない。こうなったら金目のものはあらかた盗んでしまおうかと思い、辺りを物色してみると一枚の扉を見つけた。落ち着いた色合いの扉は高級感が漂っているが、下部に小さな窓のようなものが取り付けられている。すりガラスの小さな窓からは中の様子は伺えないが、窓の鍵はこちら側についているので窓を開ける事は出来た。しかし窓を開けた所で中の様子が少し分かるだけで、そうするぐらいなら扉を開けてしまった方が早いだろう。ルピナスはあまり深く考えることなく、扉の方の鍵を開け、ドアノブをひねった。
「おじゃましまーす」
先程の部屋は茶や黒を基調とした落ち着いた部屋だったが、扉の向こう側は白やピンクを基調とした可愛らしい部屋だった。部屋のあちこちにぬいぐるみが飾られ、家具の一つ一つが女性向けの繊細なデザインのものだ。しかしルピナスの目はぬいぐるみも家具ではなく、ただ一点――椅子に腰かける少女を捉えていた。
赤く長い髪が綺麗な少女だった。青い瞳はやや目つきが悪いが、それはそれでルピナスにはひどく魅力的に映った。そして何よりも、背から生えた純白の羽がルピナスの目を奪った。
「……天使……」
恐らくは鳥の獣人なのだろうが、羽以外の部分は人間そのもので、本当に天使のように見えた。ルピナスが呆然としている中、少女は首を傾げてじっとルピナスを見つめていた。
「ビオラか?」
そう問いかけた少女の声音もルピナスの耳には心地良く感じられ、問いかけの意味を考える前にぼうっとしてしまった。
「ビオラか、と聞いているんだ」
少女の顔に少し苛立ちが浮かび、ルピナスはそこでようやく我に返った。
「ビオラ? 何だよ、それ」
「君はビオラじゃないのか? それなら君は誰なんだ?」
ビオラとは人の名前だろうかと推測しながらも、ルピナスは自分の名前とこの付近に住んでいる事を簡単に説明した。
「ふむ、ルピナス……か」
「ま、俺の自己紹介はこのぐらいにしておいて、そろそろ君について教えてくれない?」
何故飛行船が墜落したのか、ここで何をしていたのか、そんな事よりも少女の名前や趣味嗜好を知りたい。本来ならば飛行船について色々と尋ねるべきなのだろうが、女の子に目がないルピナスとしては少女について知る事の方がはるかに重要だった。
「私について? ……名前は、ベリス」
「ベリスちゃんか! いいね、いい名前だ!」
ルピナスがにわかに鼻息を荒くする一方で、少女はそれきり黙ってしまった。
「あれ? 自己紹介終わり?」
「それ以上、君に言うべき事もないだろう」
「俺はもっとベリスちゃんについて知りたいんだけどなあ。ね、俺のアジトでじっくりお互いについて話さない?」
「あじと?」
少女は真顔で首を傾げ、ルピナスがアジトについて説明しようとすると、そこにコデマリが現れた。
「あれ、どしたのその女の子。ここにいたの?」
飛行船を目にした時と比べると、コデマリは明らかにベリスに興味がないようだった。ルピナスがベリスの名前と彼女がこの部屋にいた事を説明しても「ふーん」とそっけない返事だけ返ってきた。
「それでさ、これからベリスちゃんとアジトで語り合うんだ」
ルピナスの頭は既にベリスのことで一杯で、彼女をアジトに連れていくことに関してコデマリの意見など聞く気もなかった。コデマリもルピナスの性格は知っているため、ため息をつきながらも「じゃあさっさとアジトに帰るぞ」と飛行船を後にした。
* * *
「俺のとっておきのアジトへようこそ!」
アジトに到着するなりルピナスが両手を広げてベリスを歓迎したが、ベリスは渋い表情でまじまじとアジトを眺めていた。
「……アジトというのは、居心地が良くてロマン溢れる夢の結晶だと言ってなかったか?」
「風通し良くて涼しいし、どんな邪魔も入らないし、完璧に俺好みの空間! これをアジトと呼ばずに何と呼ぶんだ!」
満面の笑顔を浮かべたルピナスはござの中央に座ってベリスをこまねいた。その奥ではコデマリが諦めたような表情で様々な工具を麻袋に詰めていた。
「これで涼しいと言うのか。私にとってはひどく暑いぞ。居心地も良くないし、こんな所で生活する奴の気が知れない」
ベリスはぶつぶつと文句を言いながらもござの端に座り、ルピナスが渡してきた水筒の水をごくごくと飲んだ。
「ベリスちゃんったら手厳しい! もっと厳しく罵ってもいいんだぜ!」
ルピナスが鼻息を荒くする傍ら、コデマリは「自重しろよ」と冷たく呟いた。
「それでさ、ベリスちゃんはずっとあの飛行船でいたの?」
「ああ。ずっといたな」
「……ずっと? 飛行船から降りた事はないの?」
まさか、という思いで訊ねてみたが、ベリスは事もなげに頷いた。
「今までずっとあの部屋にいたな。身の回りの世話はビオラがしてくれたし」
「そのビオラってのは、どこにいるんだよ」
「分からないな。食糧補給のために一旦船から降りて、その間に船が勝手に動き出してしまった」
「船が勝手に動き出した? 今までそんな事はあったのか?」
「なかった。どうすればいいのか考えているうちに、船がここに落ちた」
「ふーむ」
何らかのトラブルがあったのだろうな、とは予想していたが、ベリスの話を聞いていても原因はまるで見えない。コデマリに意見を求めても、
「さっきざっと調べてみたけど、これといった異常はなかったぜ」
時間をかけてじっくり調べたら異常が見つかるかもしれないが、そんな微細な異常が航行不能になるほどの影響を及ぼすとは思えない、とコデマリは付け加えた。
「……よく分かんねえなあ。それでベリスちゃんはこれからどうするつもりなの?」
「これから?」
「船が落ちた時どうするかとか、そのビオラって奴から聞いてない?」
「……聞いた事はあるような気がする」
ベリスが腕を組んで難しい顔をしている間、ルピナスはにこにこと彼女の顔をじっと見つめていた。眉間にしわを寄せて昔の事を思いだそうとしている彼女の顔もまた、ルピナスには非常に愛らしく感じられた。
「リヒダ・ナミトに行け、だったかな」
「リヒダ・ナミト? 結構遠いな」
ベリスが口にした都市は、西側の大陸を治める国家が存在する、いわば西側の首都だ。今ルピナス達がいるクバサの町は東側の大陸に存在しているため、ここからリヒダ・ナミトへ行こうとしたらまずは港に向かい、そこから船に乗って西側の大陸に向かわなければならない。幸いにもリヒダ・ナミトは西側の大陸の港町でもあるため、船に乗りさえすれば到着する。
問題は船に乗れるかどうか、だ。船賃は飛行船に比べれば安くて利用しやすいとはいえ、ルピナスのような貧しい盗賊には到底払えない。西側の大陸に渡るならば密航しか手はないが、その経験の無いルピナスがベリスを連れて密航に成功するとは思えなかった。
「……ルピナス? 何を必死に考えているんだ」
西側に渡る手段を真剣に考えるルピナスを、ベリスは不思議そうに首を傾げて見つめた。
「君がリヒダ・ナミトに行くわけじゃないだろう」
ベリスのその言葉を聞いて、ルピナスは即座に答えた。
「俺は行くぞ」
今まで話をした限り、ベリスが一人でリヒダ・ナミトまで行けるとは到底思わない。ならば自分が彼女を連れていくしかないだろう。目の前で女の子が困っていたら、助ける。それはルピナスにとって当たり前の事だった。
しかしベリスには理解しがたいものらしく、彼女は眉間にしわを寄せてルピナスを睨んでいた。
「何故君が来るんだ」
「だって、ベリスちゃんをリヒダ・ナミトまで送り届けるナイト様が俺以外いねえもん。あっ、ナイトが嫌なら下僕でも犬でもいいぜ」
「……そんな事をしても、君には一銭の得にもならないぞ」
「いやもうベリスちゃんと一緒に旅ができるってだけで十分お得。俺の心がすげえ潤う」
「……このアジトはどうする?」
「コデマリが残るから大丈夫。つうかベリスちゃんがアジトの心配をしてくれて感激で涙が出そう」
「…………」
ベリスは腕を組んでじっと何かを考えていたようだが、ルピナスの熱気に根負けしたのか、組んだ腕を解いて右手をルピナスに差し出して微笑んだ。
「仕方ないな、そこまで言うなら私を送り届けてみろ」
ルピナスはにかっと笑ってその右手を掴み、握手を交わした。
「お任せ下さい、俺の天使様」