ハネモノ 第二話「魔物」

「……さて、まずはクバサに向かわないとな」
 ルピナスはアジトから出て立ち上がり、気合いを入れて肩をぐるぐると回した。
「それじゃコデマリ、俺が帰ってくるまで留守番よろしくな」
「おう」
 ルピナスはベリスに向かって手を差し出すが、ベリスはその手を取らずに立ち上がった。
「私が行きたいのはクバサじゃなくてリヒダ・ナミトなんだが」
「分かってるって。リヒダ・ナミトに向かう船はここから少し離れたところにある港町、トイス港からしか出てないんだ。で、ここからトイス港に向かうにはクバサから馬車に乗ってくのが一番早い」
「なるほど。それじゃあさっさと私をクバサまで連れていけ」
 どこからこんなに偉そうな態度がにじみ出るのか不思議なものだが、ルピナスは「仰せの通りに!」と嬉々として返事をした。高圧的な態度を取られるのは、嫌いではない。

 * * *

 豆粒ほどの大きさにしか見えないクバサの町を目指して二人は砂漠を歩き始めた。照りつける太陽も、足下の砂も熱い。歩いているだけで自然と汗がにじんだ。
「ベリスちゃん、暑いの大丈夫? 俺がおんぶしてあげようか?」
「君におんぶされるくらいなら私はここで野垂れ死ぬ」
「うーん……そんなに嫌われたら俺、興奮してくる」
「……変態め。……ん?」
 ベリスがふと足を止め、ルピナスの後方をじっと見つめた。そんなベリスの頬を伝う汗を拭って舐めたいと思いつつ、ルピナスも後ろを振り向いた。

 けたたましい鳴き声をあげながら、巨大な鳥がこちらに向かって飛んできていた。正確には、翼と上半身は鷲で下半身はライオンという出で立ちの生物――グリフォンだ。
「なんだあれは?」
 首を傾げるベリスの目の前にグリフォンは降り立ち、敵意をむき出しにした様子で嘴をかちかちと鳴らした。
「グリフォンだ。こんなところに野生はいるはずねえんだけどな……」
 そう呟きながらベリスの前に立つと、グリフォンはルピナスの方を見て甲高い声で威嚇した。グリフォンを実際に見るのは初めてだが、二人にとって好ましくない状況下に置かれていることは分かった。
「……何か使えるものは……」
 辺りを見回してみるが、一面の砂漠には武器になりそうなものは何もない。砂を投げつければ目潰しにはなるだろうが、視界を取り戻して怒り狂ったグリフォンから逃げられる公算はない。
 使えそうなものと言えば腰に巻いているロープぐらいで、ルピナスは仕方なくそのロープを手に取った。
「……ベリスちゃん、俺が合図したらまっすぐ走って逃げろよ」
「君はどうするつもりだ」
 フック付きのロープをどう使おうか考えながら、ルピナスはにかっと笑いかけた。
「俺もすぐ追いつく。ていうか、なんだかんだで俺のこと心配してくれるんだ、感激」
「そんなことは」
 そんなことはない、とベリスが言い切る前にグリフォンは再び甲高い鳴き声をあげて威嚇した。
「お喋りはここまで、だってさ」
 ルピナスはフック付きのロープをくるくると回しながらグリフォンに対して好戦的な笑みを浮かべた。その笑みに答えるようにグリフォンは三度甲高い鳴き声をあげ、ルピナスに飛びかかった。鷲の鋭い爪が降り下ろされるが、ルピナスはそれをぎりぎりまで引きつけて紙一重のところで避けた。文字通り目と鼻の先にグリフォンの柔らかな羽毛がある状態でルピナスはロープを勢いよく投げた。フックの重さとルピナスの微調整でロープはグリフォンの体に絡まった。
「よし」
 決して完璧とは言えないがグリフォンの動きを止めた。やや心許ないが逃げるには今しかない。
「ベリスちゃん、逃げ――」
 逃げるんだ、と言う前にルピナスは言葉を失った。ベリスはぶつぶつと小声で何かを呟いており、グリフォンに向かって伸ばされた両手には淡い光が渦巻いていた。
 魔法だ。
 とルピナスが察すると同時にベリスの両手から光が放たれ、グリフォンの目の前で光が炸裂した。
「さて、逃げるか」
 とだけ言ってベリスはさっさと駆けだし、ルピナスはグリフォンに絡まったままのロープを自分の腰から外して慌ててその後を追った。

 グリフォンの姿が見えなくなり、クバサの町がいよいよ近づいてきたところで二人は走るのを止めて歩き始めた。
「ベリスちゃん、さっきのって魔法だよね」
「ああ」
 全力疾走して熱くなった体に相変わらず容赦のない日光が降り注ぎ、先ほどとは比べものにならない量の汗が流れていたが、そこから不埒な妄想を始める気持ちにはなれなかった。
「飛行船にいた時、魔法に関する本は沢山読んだから一応魔法は使える」
「本読んだだけであれだけ出来るってすげえよ」
 魔法は練習さえすれば誰でも出来るようになる技能だが、普通は誰かに師事して何度も失敗を重ねながら何年もかけて習得していくものだ。それを本を読んだだけで習得出来た、ということはベリスには魔法の才能があるのだろう。
「俺なんかコデマリに何年も教えてもらってこの程度だぜ」
 と言いつつルピナスは指を動かし、魔法で強風を発生させた。強風といってもたかが知れていて、ベリスのスカートをめくるので精一杯だ。ばさっ、と一度大きくはためいたスカートはすぐに元に戻るが、ベリスは特に動揺した様子は見せなかった。
「白か。いいね」
「……白?」
 ベリスはルピナスの言葉の意味を理解していないようだったが、それ以上追求することもなくクバサの町に目を戻した。
「そろそろクバサに着くな」

 * * *

 数時間ぶりに訪れるクバサの町はやはり活気に満ちていた。いくつもの露店が並び、あちこちで人の話し声がする。中には怒鳴り声であったり酔っぱらいの意味不明な叫び声も混じっているが、いつも通りだ。
「馬車乗り場はこっち」
 とルピナスが先導し、ベリスは辺りをきょろきょろと見回しながらついてきた。初めて見る露店や町の喧噪に興味津々といった様子だが、ルピナスは心を鬼にしてさっさと馬車乗り場に向かった。

 馬車乗り場はクバサの町の入り口近くにある。様々な種類の馬車が待機しているが多くは富裕層向けの馬車で、ルピナスのような貧民に近い平民が乗れるのは、粗末なリヤカーを馬が引っ張るだけのみすぼらしい馬車だけだ。
「これが馬か」
 ベリスはべたべたと馬の頬に触り、その毛並みの良さに感嘆していた。
「ベリスちゃん、こっちこっち」
 ルピナスはそんなベリスを呼び、リヤカーに乗せた。続いてルピナスも乗り、御者に「トイス港まで」と言って二人分の料金を手渡した。御者は頷いて手綱を引き、馬がゆっくりと歩き始めた。

 次第に遠くなっていくクバサの町を、ベリスは荷台から名残惜しそうに見つめていた。
「ゆっくり観光したかった?」
 ルピナスの問いに対して、ベリスは少し迷いながらも頷いたため「ごめんな」と返した。
「俺は盗賊やってるから、店の奴らに見つかると捕まって半殺しにされる。だからあの町で観光ってのは出来ない」
「……君はなぜ盗賊をやっているんだ」
 子供でも職はある。なのにわざわざ盗賊に身を落とす理由が分からない、とベリスは言った。
「んー……まあ、いろいろと事情があるんだよ」
 ルピナスは苦笑しながら盗賊になるまでの経緯を思い返した。
「俺の親父が考古学者だったんだけど、俺が生まれて間もない頃に悪いことしちゃってさ」
 世間的には「悪いこと」では済まない大惨事を引き越した極悪人なのだが、その辺りの細かい事は省いた。
「親父が悪人ならおふくろも悪人だ、俺も悪人だ、って言われて、職にはありつけなかった。だから仕方なく盗賊やってるってわけ」
「……その親父とおふくろはどうしているんだ?」
「死んだよ」
 父は国の精鋭によって捕らえられ、死刑を受けた。母は数年前までルピナスと同じく盗賊をしていたが、ある時病に冒されてあっという間にこの世を去った。
 思いも寄らない返答にベリスは言葉に詰まった様子だったが、ルピナスはそんなベリスににかっと笑いかけた。
「んな顔すんなって。別にそこまで気に病んでないし、盗賊やってなかったらコデマリみたいないい奴とも会えてなかったしさ、悪いことばっかじゃねえよ」
 本心からの言葉だった。自分の生い立ちに不平不満を言って嘆いてもこの状況が変わるわけでもないし、コデマリという友人に出会えたことは本当に良かったと思っている。
 ベリスはそんなルピナスの笑顔を見て、少しだけ笑った。

 * * *

 馬車は砂漠を走り続け、地平線に緑が増え始め、砂漠の終わりが見えてきた頃になってベリスがふと後方に目を向けた。
「ベリスちゃん?」
 どうしたの、とルピナスが訊ねるとベリスは無言で後方の空を指さした。指さした先に目を向けると――
「げ」
 つい先程見たような影と、つい先程聞いたような甲高い鳴き声が聞こえた。
「またかよ」
 グリフォンがけたたましい鳴き声をあげながらまっすぐにこちらに向かって飛んでくる。グリフォンの気配に気づいた馬が御者の指示を無視して速度を上げはじめ、荷台ががたがたと揺れた。
「……あんな風体だったか?」
 ベリスがグリフォンをじっと見て難しい顔をした。確かに外見が多少、というかかなり変わっていた。柔らかそうな羽毛は鋭い針のようになっており、爪もただ殺傷力だけを求めた禍々しい形状に変わっていた。顔つきも凶悪なものになっており、別の生物と言っても違和感はない。
「でもあの鳴き声はグリフォンだろ。何でああなったのか分かんねえけど」
「このままだと危なくないか?」
 ベリスはぽつりと呟いて必死に走る馬をちらりと見た。グリフォンは明らかにこの馬車を標的にしており、あの凶悪な爪に襲われるとひとたまりもないだろう。御者は馬に指示を出すのに精一杯で、二人でグリフォンを撃退するしかないようだ。

「……撃退、って言ってもなあ」
 ルピナスは荷台の中を見渡した。これと言った荷物は見あたらず、粗末な座布団ぐらいしかない。腰のロープは先程使ってしまったし、急いでいたから新たなロープの工面もしなかった。何も道具がないこの状況で空を飛ぶグリフォンを撃退することなんて出来るのだろうかと、少し途方に暮れた。
 その横でベリスが魔法を唱え、小さな電撃をグリフォンに向けて飛ばしたが、あっさりと避けられた。
「やはり当たらないか」
 グリフォンの機動力なら、気を逸らすか動きを止めるかでもしない限り魔法は当たらないだろう。ベリスの魔法なら一度当てれば撃退できるのだろうが、当てるための気を逸らす手段がない。
「どうすっかな……」
 グリフォン、グリフォンかあと頭を働かせていると、その片隅に何かが引っかかった。凶悪な鳴き声をあげるグリフォンをじっと眺めていると、数時間前のことを思い出した。

――今朝オアシスで採ってきた果物だよ! グリフォンに乗って行ってきたから鮮度もばっちりだ!

 あの、果物を失敬した不用心な店の主人が確かそう言っていた。だからあのグリフォンがあの主人のものであるという証拠にはならないが、その可能性は高かった。砂漠地帯に野生のグリフォンはいない上に、グリフォンをペットにするような輩はそう沢山いない。
「試してみるか」
 ルピナスはあの店主の声を思い出しながら、深く息を吸った。
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」
 張りのある声を出して店主の声真似をすると、グリフォンの甲高い鳴き声が一瞬だけ止んだ。少しだけ戸惑った様子を見せたが、すぐに元の獰猛な表情に戻った。
「やっぱ、あの間抜け店主のペットか」
「あれがペットだと? 随分趣味が悪いな」
「元はもっとふかふかしてたし、世話をしてると案外可愛かったんじゃねえの」
 ルピナスは苦笑しながらもその目は油断なくグリフォンを見ていた。
「さて、あれがペットなら俺の声真似でちょっとは動きを止められる。ベリスちゃんはその隙にあいつの翼に魔法を当ててくれ」
 グリフォンの機動力は翼によるものが大きく、それさえ封じてしまえれば逃げきることは簡単だ。その意図を理解してベリスは頷いた。
 そうこうしている間にもグリフォンはじりじりと距離を詰めてきており、時間はあまり残されていないようだった。
「んじゃ、いくぞ」
 ルピナスは再び深く息を吸い込み、グリフォンの目をしっかりと見た。
「落ち着け、俺が分かるか! 今朝一緒に果物を取りに行ったことを思い出せ!」
 口にした言葉は適当な思いつきだが、グリフォンはその声を聞いて動きを止めた。ベリスがその隙を突いて翼めがけて電撃を放った。電撃は寸分違わずにグリフォンの翼に命中し、グリフォンは甲高い悲鳴を上げて地面に落ちた。翼がぴくぴくと痙攣しており、しばらくの間は飛ぶことも出来ないだろう。
 スピードを上げたままの馬車はあっと言う間にグリフォンとの距離を開き、その姿が見えなくなった。

 * * *

 馬車は砂漠地帯を抜け、赤土と申し訳程度の草が生えた大地を進んでいた。
「いやあどうなることかと思ったけど、お客さんのおかげで助かったよ」
 のんびりと馬を走らせながら、御者は笑顔を見せた。
「礼を言うぐらいだったら運賃返せよ」
 冗談混じりにルピナスが言うと、「それはちょっとなー」と御者は苦笑した。
「しかし何だい、あのグリフォンは。あれじゃあまるで魔物じゃないか」
 まさかねえ、と呟く御者に対してベリスが「魔物?」と首を傾げた。
「ああ、お嬢さんぐらいの年の子は知らないかもな。今から十五年前、全世界に魔物って呼ばれる化け物があちこちに現れたんだよ」
「あんな化け物が、世界中に?」
 信じられない、といった様子のベリスをちらと見て、御者は昔を思い出すかのように目を細めた。
「動物や人間に似た形の凶暴な生物が突然現れてね。あちこちで大きな被害が出たよ。俺なんかはああこれで世界は終わるんだって思ったんだけど、偉い人が魔物を生み出す元を封印してくれたんだ」
「どういう風にして封印したのかは分かんねえけど、な」
 ルピナスが口を挟むと、御者は意外そうに目を見開いてルピナスの方を見た。
「お客さんは知ってるんだ」
「まあ、多少は」
「……でだ。魔物はいなくなったし、にっくき犯人は捕まって死刑になったしでめでたしめでたし、ってわけ」
「犯人はなぜそんなことをしたんだ?」
 至極当然の疑問をベリスが投げかけると、御者は首を傾げた。
「さあなあ。お国の精鋭さんが犯人を捕まえたらしいけど、動機は結局発表されなかったなあ。まあ、ろくでもない動機だろうよ」
 御者がそう言って軽く笑い、ルピナスはそんな御者に対して小さく手を挙げた。
「なあおっさん、そんな事よりトイス港にはいつ頃着く?」
「んー、そうだな……今日の夕方には着くかな」
「分かった」
 そう返すルピナスの言葉はどことなく棘があった。
「……ルピナス? 何をイライラしているんだ」
「えっ、別にイライラしてねえって! ベリスちゃんがそんな風に勘違いしてくれるって事はそんだけ俺のことを見てくれてるんだよな、ああ嬉しい」
 ベリスが少し話しかけるだけでこうして鼻の下をのばしてヘラヘラする。やはりさっきの言葉の刺は気のせいかとベリスは思い、「馬鹿な事を言うな」とルピナスの頭をぽかりと叩いた。

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