霧の涙 最終話「再会 -prayer-」
空は高く、落ちてくる陽光は暖かくて気持ちが良い。雲はちらほらと見えているが、日光を遮るほどの強さは無く空の青さに白のアクセントを加えているだけだ。陽光の温かさに合う涼しい風が吹く中を、カイゼルとジョーカーは歩いていた。
「あれがそう?」
それまで出鱈目に口笛を吹いていたジョーカーは、道の先に広がる町を指差した。高い塀に囲まれた大きな町で、外からは中の様子は伺えないが、あれが目的地だという事は分かり切っていた。
「そうですよ。君は自分が訪れた町のことをそんなにすぐに忘れてしまうのですか」
以前訪れたでしょうと苦笑すると、ジョーカーは何とも言えない奇妙なポーズを取って、
「お前は今まで訪れた町の詳細を覚えているのか?」
と、芝居がかった口調で言った。明らかに普段の言葉遣いではないので何かから引用したのだろうな、と分かったが特に興味もないので詳しくは聞かなかった。
この町を訪れるのも一年ぶりか――。
カイゼルは妙な懐かしさを覚えながら、町の中へ入っていった。
* * *
町の中は以前と比べるとひっそりとしているが、慎ましやかに人々が生きる様子が感じられて好感が持てた。一度は町から全住民が消えるという事態に陥ったが、諸々の事態が収まった頃になるとこの町に移住する人がちらほらと現れ、最近になってやっと町らしく見えるようになってきた。
カイゼルは歩き慣れた道を通り、かつては富裕層向けの区画だった場所を歩き、見慣れた十字路を曲がった。昔はそこに老舗の高級菓子店があったのだが、現在は子供向けの駄菓子屋になっている。一応高級菓子も売られているが、殆ど需要がないのか店の端に追いやられていた。
「駄菓子かあ。久しぶりに食べたいなあ」
ジョーカーは勝手に駄菓子屋に入り、飴玉やクッキーを目の前にして涎を垂らした。カイゼルも続いて駄菓子屋に入り、飴玉やクッキーを完全に無視して店の端に追いやられていた洋菓子を買った。久しぶりに見るその菓子は、相変わらず丸くて愛らしい色遣いをしていた。
「マカロン? うわあ、久しぶりだなあ」
ジョーカーは会計を済ませたカイゼルの横から袋を覗き込み、感嘆の声を上げた。
「これを買っておかないと怒られますからね、きっと」
「誰に? おばけから怒られる、だなんて非現実的な事は言わないでよね」
「非現実の塊のようなジョーカー君がそんな事を言いますか」
大量のマカロンが入った袋をぶら下げ、駄菓子屋を出た。十字路に戻り、目を瞑ってでも歩けそうな程に慣れた道を歩く。
「お菓子を持ってこなかったら、きっと「カイゼルさんがそんな気遣いもできない人だなんて思わなかったよ!」とか言われそうですから」
「……ああ、確かにそんなこと言いそう」
慣れた道を進んでいくと、突き当たりに大きな家が見えてきた。
塀に絡まっていたツタは取り除かれ、雑草一本生えていない庭は、正にカイゼルがかつて暮らしていた家の庭の景色そのものだった。懐かしさを感じながら、家の裏手に回る。そういえば裏庭ではよくラクリマから愚痴を聞いていたな、とふと思い出した。飽きもせずに同じ内容の愚痴を繰り返す彼女を愛おしいと思い始めたのは、いつの頃からだっただろう。
そんな思い出が詰まった裏庭にたどり着くと、そこにはいくつもの墓石が建てられていた。綺麗に等間隔で並んだ墓石は裏庭の大部分を埋め、それでもまだ足りずに家の裏手に至るまでの道にも墓石は連なっていた。黒い霧で命を落とした人々の名前が刻まれた墓石の中、最もよく日が当たる場所に建てられた墓石の前に、二人が座っていた。カイゼルが近づくと二人はすぐにそれに気付き、ぴらぴらと手を振った。
「カイゼルさんじゃん」「それにジョーカーも」
カイゼルは二人の間に割って入り、墓石の丁度目の前にどっかりと座った。
「オーロ君もネーロ君も、お久しぶりです」
カイゼルが墓石にマカロンを供えると、ネーロがその瞬間にマカロンを奪い取って開封した。あまりに品の無い行動にカイゼルは考えるよりも早く頭を引っ叩いた。
「君達が食べるのは結構ですが、もう少し死者への畏敬を持ちなさい」
「畏敬は持ってるよ! 持ってる上で、敬って遠慮する時間を省略しただけだよ!」
きいきいとネーロが騒ぎ、オーロはその隙に開封したマカロンを一口食べて「うーん、美味い」と唸った。そしてジョーカーは他の墓石への供え物をちょいちょいとつまみ食いしていた。
「……全く、君達を育てた親の顔が見たいですね……」
カイゼルがため息をついた間にも、オーロとネーロはマカロンを次々と口に運んでいった。
* * *
「……おおよそ一年ぶりですが、元気でしたか?」
カイゼルがオーロとネーロに問いかけると、二人は同時に「それなんだけどね!」と叫んで左右からカイゼルの腕を掴んだ。
「やっと無罪が立証できそうな証拠を見つけたんだよ!」
「無罪、と言うと……魔女云々の話ですか」
カイゼルが二人の事情を思い出しながら問いかけると、オーロもネーロも嬉しそうにうんうんと頷いた。
「この墓参りが終わったら、裁判を起こして無罪を勝ち取ってやるつもりだ」
生まれてからずっと続いてきた逃亡生活に、やっと終止符が打てる。オーロとネーロの瞳は今まで見た事がないほどいきいきと輝いており、本当に心の底から喜んでいる事が分かった。
「……裁判となると、魔女狩りの家系の者と相対する事になりますね」
魔女狩りの家系の者――暗にヴェキアの事を言うと、二人の表情はさっと曇って苦虫を噛み潰したような表情をした。
「……あー……そっか……」
「それはやだなあ……あいつ、何か気持ち悪いから会いたくねえんだよなあ」
会いたくない気持ちはカイゼルにも嫌と言うほど分かる。仮面を被ったかのようにいつも同じ笑顔のヴェキアは、何を考えているのか分からない。出来る事なら関わりたくないタイプだ。
「まあ、無罪を勝ち取ってヴェキア君に目に物見せてやりなさい」
おうよ、とオーロはガッツポーズを作り、ネーロは「あ、それでね」とカイゼルに対して小さく手を挙げた。
「今までちょくちょくこの家に逃げ込ませて貰ってたけどさ……無罪になったら、ここに住んでもいいかな?」
「ああ、その話な。俺らの中では満場一致で可決だったんだけど……カイゼルさん、どうかな」
突然の提案にカイゼルはふむ、と腕を組んで考えた。この家は今は誰も住んでおらず、オーロ達が時々仮宿に利用する程度だ。その時に庭や墓石の手入れをして貰っているが、もしオーロ達が別の場所に定住する事になれば今までのように頻繁な手入れは期待できなくなるだろう。それに、誰にも使われないままこの思い出が詰まった家が朽ちていくのは少し寂しい。確かにオーロ達にここに住んでもらうのが一番良い方法に思えた。
「……いいですよ、無罪になったら是非ともここに住みなさい」
「よっしゃ!」「やったあ!」
二人が全く同じ挙動でガッツポーズを取り、
「家賃代わりに毎日庭の手入れと墓石を磨く事を忘れないように」
とカイゼルが釘を刺すと、二人は全く同じ挙動で「げ」と苦々しい表情をした。
「そういえば、亡霊になっていた父君はお元気ですか?」
ふとその事を思い出したので問いかけてみると、オーロとネーロはにやりと笑った。
「家の中にいるよ」
「墓参りついでにここに逃げ込んでてね」
カイゼルは振り向いて家の方を見た。ここからでは家の中の様子は見えないが、オーロとネーロに嘘をついている気配はない。
「……ということは、母君もここに?」
「そうだね。今頃お父さんに腕ひしぎ十字固めでもかけてんじゃないかな」
「腕ひしぎ十字固めと言うと……どんな技でしたっけ」
そこに今まで話に加わっていなかったジョーカーがひょいと割り込み、突然オーロに組みかかってあっという間に腕ひしぎ十字固めを決めた。
「こんな技だよ」
「は、離せ、離せよ! うわあいたたたたたたた」
「ああ、なるほど」
ぎゃあぎゃあとわめくオーロをきれいに無視してカイゼルは納得した。と同時に疑問を覚えた。
「……何故、夫である父君に腕ひしぎ十字固めを?」
「分かってないね、カイゼルさん」
ネーロはふふんと鼻を鳴らした。
「理不尽な暴力、それがお母さんの愛情表現だよ」
「…………」
あまりにも特殊な愛情表現にカイゼルは何も言えなくなった。
あっという間に食べ尽くされたマカロンの箱を片付けていると、オーロがひょいとカイゼルの顔を覗き込んできた。
「なあ、カイゼルさんはどうなんだ?」
「どうなんだ……って、まあそれなりに生活を楽しんでいますよ」
カイゼルは諸々の後始末が終わった後は、ジョーカーに頼んで狭間の世界に移り住んでいた。この世界に残って研究したい事もそれなりにあるのだが、狭間の世界の限りなく魅力的で不可思議な空気に比べると、どうしても色あせてしまう。狭間の世界に移り住むことを決断するまで、さほど時間はかからなかった。
ジョーカーや、彼が「フシチョーさん」と慕う人物から様々な事を聞いたり、自分でもいろいろと調べてはみたが、たった一年では何も分からないも同然だった。この墓参りを終えた後もすぐに狭間の世界に戻り、研究を再開する予定だ。
そういった事を簡潔にオーロとネーロに説明すると、二人はふんふんと頷きながらもカイゼルの足元に置かれたものをちらちら気にしていた。
「どうしました、そんなにこれが気になりますか」
とカイゼルは足元に置いていた黒塗りの樫の杖を手に取った。丁度いい重さで扱いやすく、グリップ部分に施された銀細工は特に気に入っている。
「……膝はまだ治ってないの?」
ネーロがとても心配そうな声を出したが、カイゼルは首を振った。
「怪我は治っています。まあ、軽い後遺症のようなものが残ったくらいですね」
膝の怪我自体はそれほど深刻なものではなかった。しかし、以前アピーナから受けた毒が抜けきらないうちに体を動かしすぎた結果、傷病の治りが遅くなるという後遺症が残ってしまった。その為に怪我の治りは非常に悪く、完治した今も膝には小さな違和感が残っていた。
「大丈夫なのかよ」
オーロが眉間にしわを寄せたが、カイゼルは「大丈夫じゃなければここまで来ません」と返した。
「長時間歩き続けるのが少し辛いぐらいで、日常生活には全く支障はありません」
「その杖だってお飾りみたいなものだよねー」
「躾のなってない子を打つ時ぐらいしか使いませんね」
そう言いながらカイゼルは杖でネーロの背中を軽く打った。さほど痛くなかったのか、ネーロはカイゼルに対してぶすっと顔を膨らました。
「……僕が躾のなってない子だって言うの?」
「僕が親ならば、供え物を即座に食べたり他者の墓の供え物をくすねたりするような子には絶対に育てません」
「他者の墓の供え物をくすねたり、ってそれは僕じゃなくてジョーカーだよ」
「何でもかんでも俺やネーロのせいにすんなよな」
きいきいとオーロとネーロが騒ぎ出したが、カイゼルは冷静に杖で二人を打って大人しくさせた。
* * *
その後もカイゼル達は墓前で様々な事をだらだらと話し合った。最初は近況報告やこれからの事について話していたが、次第に明日には忘れてしまいそうなどうでもいい話題に移っていった。
久しぶりにこうして集まって話をするのは非常に楽しく、ふと気が付けば空は赤く染まっていた。昼夜が存在しない狭間の世界で暮らしてきたからか、久々に見る夕焼けはひどく美しく見えた。深く息を吸うと、どこからともなくカレーの匂いがした。オーロとネーロもその匂いに気付いたのか、「カレーだ!」と子供のような笑顔を浮かべた。
「家の中からカレーの匂いがするけど……お母さんがカレー作ってるの?」
ジョーカーが鼻をひくひくと動かしながら首を傾げた。その疑問に対して、オーロとネーロははっきりと頷いた。
「今日は久しぶりに皆集まったんだから、一緒に晩御飯食べようって思ってな」
「お母さんに晩御飯は多めに作ってって頼んだけど……カレーかあ! やったあ!」
二人は同時に立ちあがり、手をつないではしゃぎあった。今にも墓地を後にして家に入って行きそうな二人の様子を見ていると、ふと狭間の世界で「不死鳥」と交わした会話を思い出した。
「……オーロ君、ネーロ君」
カイゼルが呟くように問いかけると、二人ははしゃぐのを止めてカイゼルの方を見た。
「狭間の世界に住む「不死鳥」という人物は選択肢から新たな世界を作る力を持っています」
「……はい?」「なにそれ?」
二人はカイゼルの唐突な話に揃って首を傾げたが、カイゼルは構わず続けた。
「それで、この世界によく似た世界があるんですが……その選択肢が、ですね」
カイゼルは一旦言葉を切り、微笑を浮かべた。
「君達の両親が結ばれるか結ばれないか、だったそうですよ」
と言ってもオーロとネーロはその話が意味するところを理解できていないようだった。ジョーカーだけ「えっ、そうだったの」と目を丸くしていた。
「……なんか凄い事だろうな、ってのは分かるけど」
「全然分かんないよ、カイゼルさん」
「つまり、君達の両親が結ばれなかった世界、というものが並行して存在しているんですよ」
カイゼルはジョーカーの案内で実際にその世界を訪れた事もあった。今いるこの世界と何ら相違点は無いように思えるが、長い時間が経つにつれ違いが現れ、やがてまるで違う世界に変化するのだと不死鳥は語っていた。寿命を迎えた世界を食い、若い世界の中から適当な選択肢を選び「分岐」させることで新しい世界を作る事が不死鳥の仕事らしいが、そこまではオーロとネーロに説明しなかった。
二人はカイゼルの説明を納得したようなしていないような微妙な表情で聞き、曖昧に頷いた。
「お父さんとお母さんが何か凄い、ってのは分かった」
「分かったから、そんな事より早くカレーを食べに行こう」
オーロとネーロは改めて手をつなぎ、颯爽と墓地を後にした。それに続くようにジョーカーも立ちあがった。
「僕もカレー食べようっと。カレーは辛えなあ」
「体感温度が十度下がるような発言は止めて下さい」
カイゼルが両腕を抱えて大げさに身震いすると、ジョーカーは「ごめんねー」とぺろりと舌を出して奇怪なステップで墓地を後にした。
「……やれやれ、いつになっても騒がしい人達ですね」
一人残されたカイゼルは改めて墓石と向かい合い、こっそりポケットに残しておいたマカロンを二つ、墓前に手向けた。
「また、皆で遊びに来ますよ……リタ君、ラクリマ君」
カイゼルは墓石に刻まれたリタとラクリマの名をそっと撫でた。墓石のひんやりとした感触が、彼女らはもういない事を、転生を果たして新たな命として生きている事を如実に語っていた。
――記憶は失われていても、またいつかどこかで会える。
ラクリマのその言葉を胸に刻み、カイゼルは立ち上がった。先程からカレーの匂いが執拗なまでにカイゼルの鼻を刺激し、腹がひどく減ってきた。
皆でカレーを食べ、場合によっては皆でこの家に泊まり、その後は狭間の世界に戻って研究を続ける。それ以降の事はまるで見当がつかないが、とにかく精一杯生きようとカイゼルは決意した。またいつかラクリマ達の魂と再会を果たした時胸を張れるように。勿論転生をすればカイゼルの記憶も全て無くなってしまうが、精一杯生きる事は間違ってはいないはずだ。
「……では、また会いましょう」
カイゼルは杖を手に取り、墓地を後にした。
* * *
この夕暮れの空が、狭間の世界に満ちる白い霧が、カイゼルと、転生を果たしたリタとラクリマを繋いでいる。カレーの匂いで肺を満たしながら、二人の魂の行方を想い、祈った。
――どうか、二人が幸せな人生を送れますように。