四鬼の街 第一話「会うは別れの始め」
国の西端、痩せ衰えた不毛の地に流刑街(るけいがい)と呼ばれる街がある。面積、人口は農耕が主体の田舎町とほぼ同じとされているが、その正確な数値は不明。現在の国王が非常に神経質なタチで、毎年のように自国の人口と面積を人海戦術で調べ上げている中で、これは非常に珍しい事だ。
西の果てに調査の手が入らなかったわけではない。それでも正確な情報がもたらされていないという事実と、流刑街という呼称から察せられる通り――
「死にたくなけりゃ、有り金全部置いていけ」
――非常に、治安が悪い。
* * *
流刑街に赴く事が決定した時点で、危険な目に遭うと覚悟はしていた。していたが、まさか馬車から降りて宿を探すまでの僅かな時間でごろつきに絡まれるとは思ってもいなかった。彼――ササメはなるべく目立たないよう粗末な服を見繕い、新品の手荷物も土埃で汚しておいた。眼鏡も流行りを無視した丸い大きなフレームのものを選び、整髪料を使う事もやめた。とにかく都会の香りを消してみすぼらしい身なりになったつもりだが、小手先の対策では消しきれるものではなかったのだろう。
ササメを捕らえたのはナイフを携えた小柄な男とその後ろに立つ大柄な男だった。絵に描いたような凸凹コンビのごろつきで、ササメが抵抗する前に強引に路地裏へ連れ込んだ。こんな街でも罪を犯す際は人目を避けて路地裏へ連れ込むという様式美があるのだな、と場違いな感想を抱いた。
「金だけじゃねえな。俺達が寒い冬を快適に過ごせるための支援もお願いしたい」
小柄な男がにやにやと笑いながらナイフでササメの服を軽くつつく。二人の服装を見る限り、この粗末な服も住人からすれば十分上等な服だ。ササメは悟られないよう唾を飲んだ。
「……そ、それは困りますので、どうかこれで……」
一か八かだ、と財布にしまっていた金を全額抜き出して差し出す。これが持ち金の半分で、残り半分は荷物の中に隠しているのだが、彼らからすると全額を差し出したかのように見えるだろう。流刑街の平均賃金や貨幣価値など資料にはなかったが、少なくとも冬を越せる程度の額にはなるだろう。
おおー、と彼らの間から歓声が上がる。ササメの手から紙幣と金貨が乱暴に奪われるが、二人が退く気配はない。ササメが逃げる隙も与えてくれない。
「あのさあ、お前今の状況分かってねえだろ」
小柄な男がへらへらと笑いながらササメの左手を掴み、壁に押し付けてナイフを突き立てた。ナイフの冷たさを感じたのは一瞬の事で、猛烈な痛みが傷口から発せられた。
「……あ……うああ……」
突然の痛みに叫ぶ気力も失せ、痛みを口から逃がすようにうめき声が勝手に漏れた。
「金だけじゃなくて、そのいい仕立てのお洋服と旅行用品を置いていかないと、今度はお前の首にこれがブスリ、だぞ」
ササメの血に濡れたナイフを首に突き付ける。何のためらいも無く左手を刺したのだから、小柄な男の言葉も脅しではなく本物だろう。ササメは右手を自身の外套の中に手を伸ばし、一丁の拳銃を引き抜いた。
「おおっ」
小柄な男が思わず後ずさる。戦争の主な武器が銃に移行してきたとはいえ、まだまだ一般には流通しない代物だ。都心部の限られた者しか手にする事の出来ない銃は、その口を小柄な男に向けていた。
引き金を引けば鉛の弾が男の胸を貫く。男は死ぬ。仲間は動揺する。その隙に逃げる。実にシンプルなシナリオが目の前に広がる。
「…………」
しかし、手の震えがそれを妨害する。訓練で人型の的を撃った事はあるが、それとこれとは重みが違う。照準はぶれ、人差し指には力が入らない。左手の負傷を差し引いても安定しない挙動は、ササメ以外の者の目から見ても明らかだ。最初こそ後ずさった小柄な男も、にやにや笑いを浮かべて銃身をナイフでこつこつと叩いた。
「人を殺す覚悟もねえ奴がこんなもん持ってんのかよ」
「宝の持ち腐れだな」
大柄な男がすっとササメに近づき、あっさりと銃を取り上げた。
「俺達が有効活用してやるよ」
取り上げた銃の口をこちらに向け、二人は似たような笑みを浮かべる。
「機嫌が良いから身ぐるみはがすだけで生かしといてやろうと思ったけど、もうめんどくせえな」
撃たれる。ササメはぎゅっと目を瞑り、早とちりした脳は今までの思い出を走馬灯のように流していく。
(ああ、父さん母さん、先立つ不孝をお許しください……)
脳裏に浮かぶ両親の顔や幼い頃の思い出とともに、あろうことか音楽まで流れ始めた。音楽というか歌の一種で、ひどく調子っぱずれででたらめな音程だ。聞いた覚えのない野太い男の声は美しく走っていた走馬灯を滅茶苦茶に引っ掻き回す。
……聞いた覚えのない声?
ササメはそこで薄く眼を開けると、二人の男はササメから目を離して路地裏の奥を凝視していた。ササメもつられてそちらに目をやると、大柄な男がひどく調子っぱずれででたらめな歌を歌っていた。
浅黒い肌に青緑の髪を持つその男は、いよいよ冬が始まるという季節にもかかわらず薄着だった。ぼろぼろのマントを羽織っているが、風が吹くとマントの下から傷だらけの肌が見えた。穿いているズボンも裾がぼろぼろで、あちこちに得体の知れない染みがついている。一言で言えば、薄汚れた男だ。
彼は片手に酒瓶を持っており、頬を上気させながらでたらめな歌を歌っている。歌の調子に合わせて壁をどんどんと殴りながら歩き、間もなくササメ達の存在に気付いた。
「お? お、おー? 何やってんだ、てめえら」
歌をぴたりと止め、彼は上機嫌な様子で歩み寄ってくる。しかし、二人の男は銃口を彼に向けて「失せろ。殺すぞ」と短く言った。
「あー、はあ、なるほど。お取込み中?」
「そうだ」
「ふんふん……」
彼は二人の男とササメの顔を交互に見、そして「こっちの方がマシだな」と酒瓶でササメを指した。
「はあ? 何言ってんだてめえ」
小柄な男がナイフを彼に向けて威嚇するように刃先を揺らすが、彼は動じず「めんどくせ」と呟いて小柄な男の頭を鷲掴みにした。そして、小柄な男がそれを理解するよりも早く、彼は鷲掴みにした頭を壁に思い切り叩きつけた。
「え」
鷲掴みにした指の間から赤い花が散る。彼がぱっと手を放すと、小柄な男はずり落ちて地面に倒れる。へこんだ頭からは絶え間なく血が流れ、赤黒い水溜りを作っている。
目の前の非現実的な光景に目を奪われていると、「ぐぎゃ」と潰れた蛙のような声が耳に入った。声のした方に目をやると、彼の足元に大柄な男が横たわっていた。有り得ない方向に曲がった首には、血の手形がはっきりと残っている。
「……し、死ん、だ……?」
凄惨な死を目にしたら吐くのだろうな、と出発前は予想していたが、あまりに唐突にそれが訪れると吐き気どころか涙も出ない。つい先程までナイフと銃を持って生きていた人達が、単なる精巧な人形のように見える。
「…………」
彼は酒瓶を地面に置き、てきぱきと二つの人形の身ぐるみを剥いでいく。現金や武具には興味は無いらしく、銃や紙幣はぽいぽいと適当に放り投げられた。ササメは震える足をどうにか動かし、左手の痛みに耐えながらそれらを回収して彼の作業を眺めた。
どうやら彼の目当ては衣服だったようで、二人が来ていた服を剥ぎ取ると「よし」と満足げに頷いた。
「金は稼げたし服も手に入った。おまけに酒が美味い! 今日はいい日だ!」
彼は今しがた人を殺したとは思えない笑顔でササメを見た。反射的に「は、はい」と声が出て、彼は満足げに頷いた。
「こんないい日は飲むに限る! 付き合え! つーかそのために残したんだからな!」
「え」
ササメが何かを言う前に、彼はササメの首根っこを掴み、お世辞にも上手いとは言えない歌を歌いながら歩き出した。これは一命を取り留めたのだろうかとか、服が血で汚れるとか、逃げ出すべきだろうかとか、考える余裕はすっかり失われていた。
* * *
彼に連れられてやってきたのは、小ぢんまりとした宿屋だった。三階建ての木造の建物で、一階は食堂、二階と三階は客室として使われているらしい。丁度夕暮れ時だった事もあり、食堂は人で賑わい熱気に満ちていた。
彼の先導でササメは小さなテーブルの前に座らされ、彼はテーブルを挟んで向かい側に座る。状況把握で精一杯のササメを尻目に、彼はカウンターにいる男性に向かって「親父、酒と肉料理! あと傷薬と包帯!」と食堂中に響く大声で注文を投げた。さほど時間を空けず、給仕の男が酒瓶と傷薬と包帯を先に持ってくる。彼は酒瓶からグラスに酒を注ぎ、ササメの目の前にどんと置く。
「ほらさっさと包帯巻いて飲め! 俺の奢りだから金は気にすんな!」
「あ、ありがとうございます」
ササメは左手の傷口に薬を塗り、包帯を巻いた。じわじわと血が染み出しているが、あのままよりはましだろう。彼に押し付けられた酒のグラスを右手で持ち、感謝の言葉を絞り出した。
「……お、お酒だけじゃなくて、助けて頂いたことにも」
一口だけ酒を飲む。辛口だ。
「お名前は? あ、僕はササメと申します」
「ナツギリ」
彼、ナツギリは短く名乗ると一気に酒をあおった。空になったグラスにまた酒を注ぎ、ぐいぐいと飲んでいる。相当に酔っぱらっている事は明らかで、言葉が途切れたと思えば上機嫌に鼻歌を歌っている。やはり、音痴だ。
遅れてやって来た料理をつつきながら、ナツギリは自分の事について話した。どうやら彼は傭兵を稼業としているらしく、つい先ほど報酬を手にこの町へ帰ってきたのだと言う。そういえば国境付近で小規模な戦争が起こっていたな、と頭の片隅に眠っていた知識を引っ張り出す。
「ちっせえ戦争だったから中身は期待してなかったんだけどよ、報酬はそこそこ良かった」
「中身?」
「仕事内容。前線で暴れるのはいつも通りだけど、今回は相手方の戦力が貧弱だった」
「その方が良いんじゃないですか?」
自らの命を危険に晒す傭兵稼業自体、ササメには理解し難いものだ。しかし、敵が弱く報酬もそこそこなら美味しい仕事ではないだろうか?
「良くねーよ。弱い奴ぶっ殺したところで何も面白くねえ。強い奴と殺し合うのがいいんだ」
ナツギリの表情は心底不満げで、ササメには理解できない事でぐちぐちと文句を言っている。死んだら全てが終わるのに、自らの命をわざわざ危険に晒すような行為を良しとするなんて狂っているとしか思えない。
「その点、この街は良いよなあ。さっきのチンピラは大ハズレだけどよ、ちょっと探せばヤバい相手がごろごろ出る」
「そんなにいるんですか」
ササメにとっては先程のチンピラですら十分に脅威だ。なのにナツギリはそれを大ハズレと評し、彼が満足できる相手――つまり、かなりの危険人物がちょっと探せば沢山いる。想像以上に危険な現状にササメは軽くめまいがした。
「何だてめえ、この街に来るの初めてだったのかよ」
「僕みたいな人間がここに住んでると思ってたんですか」
「被害者ヅラして間抜けを誘ってブチ殺すような奴は一杯いるぞ」
「ひ、被害者ヅラ」
確かにササメの顔つきは被害者ヅラと呼ぶにふさわしい。幼い頃から今まで気の強い大将格の暇つぶしに苛められ続けたのは、何よりこの気が弱そうな顔つきが原因だろう。押しの弱い性格や貧相な体格も原因の一つだろうが、理不尽な罵倒の多くは顔つきに関わるものだった。
「てめえがそういうタイプじゃなくて本当に弱っちいヘタレだとしたら、何でこの街に来たんだよ」
弱っちいヘタレという遠慮のない言い草に苦笑しつつ、ササメはため息をひとつついた。
「色々と事情があったんです」
「事情ねえ」
ナツギリは酒を飲みながら呟いた。どう見ても興味のなさそうなその態度にササメは苦笑し、詳しく説明するのはやめて酒を一口飲んだ。辛い。
「親父、酒追加!」
カウンターの奥に立つ中年の男にナツギリが再度注文を投げたが、恐らく彼は「親父」という愛称の宿の主人でナツギリとは何の血縁関係も無いだろう。
「ちょっと待ってろ」
主人はそう返事をしながら注いだ酒をカウンターの客の前に置いた。酒を受け取った客は鎧に紫のマントと現実離れした格好をしていたが、あまり見ていると新たなトラブルを呼びかねない。ササメはそっとテーブルの上に視線を戻した。
「もう最悪です」
ぽつりと不満の言葉が漏れたのは、強い酒を飲んだからだろう。
「最悪?」
「流刑街の悪評はよく知ってました。けれども、尾びれがついた噂話だろう、もう少しいいところがある街だろうと思っていたのに」
流刑街を訪れたわずか数時間の間で身ぐるみを剥がされかけ、左手を負傷し、二件の殺人現場を目撃し、その殺人鬼と酒を飲んでいる。悪評と寸分違わない実情に涙がにじむ。
「もっとマシな街だと思ってたのに」
「てめえからすると、この街は最悪か?」
ナツギリはコップに残っていた酒を一気に飲み干し、実に美味そうにため息をついた。
「最低最悪です。こんな街、さっさと消えてしまえばいい」
ササメは一息に切り捨てた。これほどはっきりと否定の言葉を言えたのも、ナツギリが少し乱暴にコップを置いた事に気付かなかったのも、酔いが回ってきたからだろう。
ナツギリは無言で立ち上がり、
「え」
ササメの頬を平手で打った。
視界がぶれ、体のバランスを崩して椅子から転倒する。がたんと大きな音がするが、周りは誰もササメの事など気にもかけず酒盛りを続けている。自分が倒れたらしい事を理解する頃になって、頬に熱さと麻痺したような感覚がやってきた。
「悪い。手が滑った」
転倒したササメを見下すようにナツギリは立ち、脇腹を軽く蹴ってから宿の主人に声をかけて二階に上がっていった。
訳が分からず呆然とするササメの元に宿の主人がやってきて「運が良かったな」とササメを助け起こす。
「うちは殺し禁止だ。今のが外だったらあんた、首の骨が折れてたぞ」
「そんな」
ご冗談を、と言いかけて口をつぐむ。路傍の石を蹴飛ばすかのように見知らぬチンピラを殺してのけたナツギリなら、有り得る。
「……でも、なんで」
「あんたがナツギリの気に障る事を言ったからだろう。あいつは沸点こそ低いが、理由も無く気まぐれで暴力を振るう奴じゃない」
殴られる直前にササメが言った事といえば、流刑街に対する否定の言葉だ。至極当然の一般論を言ったつもりだが、それがナツギリの癇に障ったのだろうか?
首を捻るササメに対し、宿の主人は「新米に見えるが、泊まるところは決まってるのか?」と尋ねた。
「いいえ」
「なら、うちに泊まっていかないか。どうせこれから他の宿を探したところで、物騒な奴にブチ殺されるのがオチだしな」
宿の中にも物騒な奴がいるじゃないですか、と言いかけたが「殺し禁止」という宿のルールをナツギリが順守しているのを思い出すと、この宿は外よりかはましかもしれない。
「……じゃあ、とりあえず一泊で」
今日の所は早く寝て、明日以降はさっさと作業に移って目的を果たして帰ろう。左手と頬の痛みをじんじんと感じながら、ササメはそう誓った。