空の旅人 第二話「偽り」
「話がある」
思いもよらない来客があったのは、フォルテを占った日の翌日、それも早朝だった。朝食を終えてこの部屋を去った老婆と入れ違いになるように彼――ラウルはやって来た。
「どうしたの? 占いならもう少し待ってて」
椅子に座るよう勧めるとラウルは素直に従ったが、彼のまとう雰囲気はどう考えても占いを求める客ではない。
「お前のその、占いそのものについて聞きたいことがある」
「占いそのもの?」
私はラウルと向かい合うように座り、首を傾げた。
「回りくどい手続きは省いて結論だけ言う」
ラウルは静かに息を吸う。私も呼吸を合わせて息を吸い、彼の言葉を待つ。
「お前は占い師ではないな?」
真っ直ぐに投げられた言葉の矢を、真正面から受け止める。過程を省いた言葉は端的で気持ちが良い。
「どうして、そう思う?」
「昨日の話で腑に落ちない点があった事と、後は俺の勘だ」
「勘か」
腑に落ちない点とは何か。私が尋ねる前にラウルは言葉を続ける。
「大きな疑問点は、お前は本当に旅をしていた頃から占い師だったのかどうか」
占いという極めて胡散臭いものを武器に旅が出来るのか。常に死が隣にあると言っても過言ではない環境下で、娯楽の一種を稼ぎ手とする者は確かに少ない。
「旅する占い師はいるよ。会った事ない?」
「会った事はないが、問題はそこじゃない」
問題は、とラウルは言葉を区切る。
「空の底を目指すという集団の中で、占いを仕事とする事が出来るのか?」
普通に旅をするより遥かに危険な旅路だ。いくら空の底に夢を見ているとはいえ、実際に旅をするとなるとシビアな目が必要になる。空の底を目指す旅というのは、娯楽の為に人や食料を割けるものではない。
ラウルの主張に対し、私は沈黙で答えた。
「仮に、旅をしていた頃は占い師ではなかったとする。その場合、今のお前が旅人であったとは思えない」
「辛辣だ」
からかうような口調の私に対し、ラウルは真面目な口調で答える。
「旅をしていた頃は平凡な人としてそれなりに働けていたが、怪我や病気が元で凡人以下となって船を降ろされた、という事情でもない限りな」
「…………」
あまりにも具体的な言葉に思わず眉をひそめる。
「で、船を降ろされる際、凡人以下の自分が生活を送るためには何らかの特殊技能が必要だと思い、占い師を名乗ることを思いついた」
占いならば、客を観察する力とそれらしい事を言って満足させる弁舌があれば良い。客の望むことを言っておけば、当たる当たらないはどうでもいい。本職の占い師が聞くと怒り出しそうな理屈だが、世の中に娯楽として浸透している占いなどそんなものだ。
ネムは自らの食い扶持を稼ぐために職を占い師と偽り、非科学的な力に頼らず旅人として培った観察力と弁舌を用いて占いの真似事をしている。
これが、ラウルの主張のようだった。何の証拠もない、憶測に憶測を重ねた話だが、ラウルの声には臆病さなど欠片もない。かといって自信に溢れているというわけでもない、冷静で平坦な声だ。
「合っているか?」
念を押すようなラウルの声に、私は降参するように小さく両手を挙げる。
「何から何まで大当たり」
旅人をしていた頃は、若さと体力を活かして雑用に走っていた。何か特技があれば別の仕事が与えられたのだろうが、私は驚くほどに平凡で突出したところの無い人間だった。
いてもいなくてもいい人材だった私は、賊に襲われた時は前線で戦う事が多かった。多くの仲間が目の前で死に、多くの賊を手にかけた。そしてある時、私は刃を受けて光を失った。
光を失い、雑用すらこなせなくなった私を置いておくほどの余裕はない。物資の補給で立ち寄ったこの国が移民も歓迎すると聞いて、彼らは私をここに置こうとし、私もそれを了承した。
ただ一つだけ――私が占い師だと話を合わせてくれ、と条件を付けて。
「盲目の旅人なんて、そりゃ滅多にいないもんね」
盲目の占い師が元は盲目の旅人だったなんて、天文学的な確率だ。ラウルが疑問を持つのも当然と言える。
「で、どうする? ネムは占い師ではなく嘘吐きだって触れ回る?」
占いを通じてこの国の人々とはそれなりの信頼を築いていた。しかし、信頼を築く前提である占いが嘘だとばれたのなら、私の居場所は無くなるだろう。
それならそれで仕方ない、と諦めに似た気持ちはある。嘘はいずれ露見する。その「いずれ」が今来ただけの事だ。
しかし、ラウルの返答は意外なものだった。
「いや、報告はするがいたずらに言いふらす真似はしない」
「報告?」
「この国に来てすぐ、俺とフォルテは一件の依頼を請けた」
訪れた国々で路銀を稼ぐ為に様々な頼み事を引き受ける。頼み事の幅はお使いから法に触れる行為まで幅広いが、金稼ぎのベーシックな手段として多くの旅人がこの「何でも屋」をしている。
この国でラウルたちが請けた依頼もその一種で、内容は「占い師が本当に『占い』をしているのか探る」という非常に簡単なものだった。
「今日、出発する前に依頼主に報告する。それ以外に他言するつもりはない」
「依頼主って?」
答えてもらえないだろうな、と思っていたがラウルはあっさりと「近いうちに分かる」と返した。その一言も依頼主を知る手掛かりになるがいいのだろうか、と心配になる。正体を知られても良しとする依頼主なのだろうか。
「……そういえば、あのフォルテって子も依頼内容は知ってたんだ?」
占いの真偽を確かめるという依頼を受けておきながら、昨日は私の占いにあれ程一喜一憂していた。あれが演技だというのなら、フォルテも大した狸だ。
が、ラウルが私の感嘆を見抜いてそれを打ち砕きにかかる。
「あいつの場合、娯楽として楽しめるものは全力で楽しむ。お前の占いもその一つで、楽しむ事に精一杯で占いが本当かどうかなんて考える余裕もなかったぞ」
宿での合流後、試しに占いの真偽を聞いてみたらしどろもどろに言い訳をして謝り始めたという。狸とはかけ離れた実態に私は思わず椅子からずり落ちそうになる。
「まあ、占いの真偽にあいつの観察眼を当てにするつもりなんてなかったから特に問題はなかった」
「物証もないし直談判して聞き出そう、って思ったわけだ。それにしたって、私が嘘をついて否定したらどうするつもりだったんだ? ごらんの通り、私は嘘吐きだ」
すると、ラウルはしばらく黙った後に不思議そうに呟いた。
「直談判した段階では、俺はお前に依頼の事を漏らしていない。その状態で、お前は俺に嘘をつくメリットがあったのか?」
旅人は一つの国を再び訪れる事は、よほど気に入らない限り有り得ない。また、自らの出生や職を偽る話はとてもありふれた話で、占いが嘘であった事など道中の雑談のネタにすらならない。そんな小さな事で嘘をついても何にもならないという事は、旅人であるネム自身が一番よく分かっているはずだ。
私が元旅人だと知った時から、依頼の事は伏せて直談判して聞き出そうと決めたとラウルは言う。数年前に道半ばで旅を辞めさせられた程度では、旅人の気質はそう変わらない。正にその通りだ。
「旅人って本当に油断ならないね。久々に思い知った」
「いつ頃にこの国から出発するの?」
話がひと段落ついたのを見計らって他愛もない話題を投げる。ラウルもこれ以上私に聞くことはないのだろう、「昼食を摂ったら」とシンプルな答えを返してくる。
「そうそう、純粋な興味で一つ聞きたいことがあるんだ」
「何だ」
「何故フォルテと一緒に旅を?」
この小さな部屋でほんの短い時間しか会っていないにもかかわらず、ラウルは一人で旅が出来るだけの実力を備えていることは私にも分かった。そして、とことん無駄を省いた気質である事も。
だからこそ、フォルテという半人前の旅人を連れている理由が分からない。
私の問いに対してラウルは「ああ」と慣れた様子で呟く。何度も聞かれた事なのだろう。
「あいつは竜を飼っている。俺はそれに乗せてもらう代わりに、あいつに旅人としての知識を教える。そういう契約を結んでいるだけだ」
「契約、ねえ」
竜に乗って移動するとは珍しい。
「フォルテが一人前になったらばらばらになるの?」
「それ以上一緒にいる理由もないだろう」
淡々と答えるラウルの声には温度が無い。
鉄仮面だ、と私は心の中で呟く。彼の心の奥底に潜む喜怒哀楽の感情は、鉄のように冷たいフィルターを通して、無感情で機械的な言葉や動作に変換される。意図的なものなのか生来のものなのか私には判断がつかないが、徹底的に情を排した鉄仮面は、そう簡単に解ける気配を見せない。
「そろそろ宿に帰る」
私の胸中など意にも介さず、ラウルはそう言うなり立ち上がる。なるほど部屋の温度から時刻を推測すると、荷物をまとめて出発の準備を終える頃にはちょうど昼食の時間になりそうだ。
「ラウル」
ぽんと言葉を投げてみると、ラウルの気配は扉の前で止まる。
「昨晩寝る前に占ってみたけど、君とフォルテの旅は随分長く続くみたいだよ」
「……応援にしろ下世話な期待にしろ、お前の占いは信ずるに値しない」
「手厳しい」
私がわざとらしく肩をすくめると、ラウルはそれ以上何も言う事なく部屋を後にした。
* * *
「旅人さんがいらしたみたいですね」
昼食の時間になり、私の前に座る老婆は私にパンを手渡しながら言った。ほんの少し触れた老婆の手は、老人特有の乾いた感触がした。
「色々と話をした」
「あなたが実は占い師じゃない、とか?」
パンを食べようと開いた口が固まる。そのまま老婆の声がした方向に顔を向けると、老婆は「間抜けな顔」とくすくす笑う。年頃の小生意気な少女のような口ぶりに私はため息をつき、パンを一口かじった。美味い。
「……どうして依頼を?」
「前々から疑ってましたから、この際はっきりさせようと」
「疑っていたのか」
私がこの国に来た頃から老婆は私の世話をしてくれている。一日三回の食事を共に過ごし、他愛もない雑談も山ほどこなしてきた。なのに、私は老婆の疑いに気づかなかった。
「演技派でしょう?」
得意げに鼻を鳴らす老婆が少し憎らしい。適当に見当をつけて小突いてみると、老婆は「鬼さんこちら」とからかってくる。問題なく生活をこなせるようになったとはいえ、やはり盲目は不利だ。
「どうして、嘘をついたんです」
ふいに訪ねてくるその声は、糾弾とは程遠い色を帯びていた。親が子の失態を責める、というより子が失態を隠していた事に対して深く悲しんでいるような色だ。
嘘をついてはいけない、と私は直感した。
「何の取り柄もない盲目の旅人が移住したところで、受け入れてくれないと思って」
「あなたが住もうと決めた国は、そんな冷たい国ですか?」
「初めて来た時から、ここは温かくて良い国だと思ったよ。でも、ほんの少し滞在しただけでその国の普段の姿は見えない」
第一印象は最高の国であっても、しばらく滞在するうちに醜い面があらわになってきて最低の国になる事もある。それほど極端な国は珍しいが、滞在日数が伸びるほど、国に対する評価は大なり小なり、良かれ悪かれ、変わっていく。第三者の為に設けられた顔が徐々に剥がれ落ちて、その国の本質が見えてくる。
だから、この国に移住すると決まった時も「本質」を恐れて私は占い師という予防線を張った。結果的に私の恐れは杞憂に終わったが、今になって「嘘でした」と予防線を取り外すわけにもいかない。
「……で、ずうっと嘘の占いをしてきて今に至る、ですか」
「そうだね」
私の説明に対する老婆の理解は早い。本当に老人なのだろうか。
「嘘をつくのは疲れるでしょう。ばれた事だし、そろそろ止めたらどうです」
「はいそうですかと止められるほど、私は強くない」
自慢ではないが、私はかなりの臆病者だ。
「じゃあ、私の前では素の自分でいなさい。その方が楽でしょう」
「ものすごい断定だ」
有無を言わさぬ老婆の物言いに私は苦笑する。同時に、その提案に従おうとしている自分に気づく。
「それに、あなたは決して無能ではありませんよ。多くの人の悩みを聞いて、その人が望む答えを返してあげられる。それは、誰もが出来る事じゃない」
「…………」
「あなたのおかげで気持ちが楽になった人は沢山います。占いが嘘っぱちでも、あなたが人を救ったのは事実です」
救うなんて大げさな。私の戸惑いを余所に、老婆は「ですから」と悪戯っぽく笑う。
「あなたが首相をやってみたら、案外良い線行くんじゃないかしらと思っているんだけど」
「……ええっ?」
唐突に出てきた「首相」の言葉にパンを取り落しそうになる。私の動揺を体現するかのように跳ねたパンは、どうにか床に落とさず手の中で落ち着く。
「と、突然すぎないか」
「あなたには素質があると私はずうっと思っていたんですけどねえ」
「それに、次を探す必要があるほど切羽詰まっているとは思えないんだけど」
慌てる私の手を老婆がそっと握る。先程触れた時よりも、遥かにリアルな生命を感じた。今にも枯れ果てそうな、弱弱しい生命を。
「あなたは見えないから分からないんでしょうけど、私はあなたが思っているよりも、ずっと、死にかけですよ」
だからあなたを次期首相として育てようとするのです。
老婆の声には切実な響きがある。私はろくな言葉が思いつかず「死ぬなんて、そんな」と途切れ途切れの単語しか紡げない。
「それに、私は数年前にここに来ただけの余所者だ」
「数年もここで過ごしたなら、立派な国民ですよ」
その後も足掻くように言い訳を並べたが、老婆は一つ一つ丁寧に言い訳を粉砕した。
「……分かった、もう気が済むようにしてくれ」
私が白旗を揚げると、老婆は「やったあ」と年頃の乙女のようにはしゃいだ声を出した。この老婆、やはり当分死なないのではないか?
「……そろそろ、旅人さんが出発する頃ですね」
昼食の片づけを終えた老婆がしみじみと呟く。
「あの子達には本当、感謝しなくちゃ。おかげで上手く話がまとまったし」
「まとまった、というか、強引にまとめた」
まあまあ、と老婆は私をなだめるように手に小さな固形物を握らせる。ふわりと鼻孔に届いた匂いから、それがチーズだと分かる。
私がチーズの触感を確かめている間に、老婆は空いた手にグラスを握らせる。つるりとした丸みと細い脚から、それがワイングラスであると分かる。
「旅人さんたちの前途を祈って」
ちん、と高い音がしてワイングラスに何かがぶつかる。それはきっと、老婆が持っているワイングラスなのだろう。
「私達の前途を祈って」
当てずっぽうにワイングラスを突き出し、老婆のグラスとぶつかって高い音が鳴る。
「「乾杯」」