空の旅人 第三話「仕事」
「そこの旅の女! 動くな!」
感情のタガが外れた甲高い声が響いたのは、町の一角、屋外に席が設けられた喫茶店での事だった。昼下がりの暖かで牧歌的な空気と、通りに立つ声の主の様子は面白いほどに対照的だ。というか声の主が放つ雰囲気は、明らかに精神を病んだ者のそれだった。
「フォルテ、ご指名だぞ」
テーブルを挟んで向かいに座るラウルは、慣れた様子で声の主である男を親指で指す。私は男の方をちらりと見てから、テーブルの上に目を戻す。私の前にはオレンジの香りを放つ紅茶と、アイスクリームが載ったワッフルが置いてある。十分に香りを堪能し、さあこれから頂こうという時にこれだから、私は少し、気分を害されていた。
「何の御用ですか?」
紅茶とワッフルに後ろ髪をひかれる思いで立ち上がり、通りに立つ男に目を向ける。右手はホルスターに添え、いつでも撃てるように息を整える。足を撃って動きを封じ、警備兵に連れて行ってもらうのが一番早く済むだろう。紅茶とワッフルが一刻も早い私の帰りを待っている。
そんな私の願いをあざ笑うかのように、男はポケットから折り畳み式のナイフを取り出す。小さいながらも突く所を突けば死に至る凶器の出現に、私の気分はより一層悪くなる。
「神がお前を贄に選んだ。さあ、銃を捨ててこっちに来い。さもなければ神罰が下る」
ぎょろりとした目、震える刃先、不自然な発音。全てが男の異常性を声高に主張している。私はホルスターから素早く銃を抜き、撃った。脛のあたりを狙った――はずが、銃弾は男の足元、路上に突っ込んだ。
「な、な、な、貴様、贄となる名誉を何だと思っている! 不届き者! 不届き者! 不届き者!」
男は狂ったように「不届き者」と叫び、ナイフを両手に持って私に向かって突進を始める。私は銃をホルスターに戻し、つかつかと歩いて男との距離を詰める。小さなナイフがぐんぐんと距離を詰めてくるが、怖くはない。木製のナイフを用いた模擬戦闘でラウルが振るう一撃の方が、ずっと怖い。
男が間合いに入った瞬間、足払いをかける。あっけなく男は地面に転がり、ナイフを取り落す。男はナイフを拾おうと手を伸ばすが、その手を掴んで後ろ手に回す。うつぶせに倒れながらも必死にもがく男を尻目に、ラウルに教えてもらった通りに男の動きを制限する。
間もなく警備兵の一団が現れて、男の手に手錠をかける。どこかへ連行される間も男は何事かをわめき続けていた。
幸いにも目撃者が多数いる事と、男が前科を持つ異常者であった事から、根掘り葉掘り事情を聞かれる事もなかった。自身が旅人である事と、止まっている宿の名前を教えるだけで警備兵は満足して去って行った。
「災難だったな」
席に戻った私をラウルは淡々と出迎える。彼の前にあったコーヒーとガトーショコラはきれいさっぱり消えており、空になったカップと皿だけが残されていた。
「本当、災難ですよ」
私の紅茶とワッフルには一切手が付けられていない。既に紅茶は生ぬるく、ワッフルに乗せられたアイスクリームも半分以上が溶けていた。
「紅茶……ワッフル……」
香りを堪能していた時の幸せな気分ががらがらと崩れていく。あの男さえ現れなければ、淹れたての温かな紅茶と、冷たいアイスクリームとワッフルのハーモニーを楽しめたはずだ。冷酷な現実に、視界が少し暗くなる。
「足を撃って迅速に動きを封じられていれば、もう少しましな状態で食べられただろうな」
「……アイスクリーム……」
見かねた店主が新しい紅茶とワッフルを持ってくるまでの間、私はうわごとのように同じ言葉を呟き続けた。不審者だと通報されなかったのは、奇跡だと思う。
* * *
「あの紅茶……美味しかったなあ……」
夕食を終えて宿の一室に戻ってからも、私は思い出す度に呟いた。オレンジが香る紅茶はフォルテの思った通り、いや、思った以上に美味しかった。持ち帰り用の茶葉も売られていたが、買い出しで痩せ細った私の財布で抱えない金額だった。明日の出発前に一杯飲めば財布は空になってしまうだろう。旅人というものは、こんな時、つらい。
「……ラウルさん」
「断る」
「うぐう」
取りつく島もない言い方にうめき声が漏れる。ラウルは練習や教養の為に必要なものは買い与えてくれるが、紅茶やチーズのような嗜好品は一切奢らない。前者は「取引」の為の必要物資で、後者は単なる私個人の希望だから仕方ない。とはいえ、こうもきっぱりと断られると不満を感じないわけではない。
「けち」
「けちで結構」
駄々をこねても仕方ない。私は断腸の思いで茶葉を諦め、床に座って銃の手入れを始めた。明日の早朝にはこの国を出発する予定だ。温かな食事やふかふかのベッドから遠ざかるのは惜しい気もするが、次の国ではもっと美味しいものが食べられるかもしれないと思うと、遠足前の子供のように心が高揚する。
こんこん、と扉が叩かれたのは、銃の手入れも終わったのでシャワーを浴びて寝ようかと思った頃だった。ラウルは剣を研ぐ手を止めて「誰だ」と扉の向こうに問いかけた。
「隣室の者です。君達に頼みたい事があって参りました」
若い男の声だった。しかし初対面の人間に対して「君達」とは馴れ馴れしい。私は少しむっとしつつ、扉を開けた。
扉の向こうには、眼鏡をかけた銀髪の男が立っていた。敵意が無い事を示すためか、両手を小さく挙げている。
「この通り、丸腰ですのでご安心を」
男の格好は軽装で、ナイフや銃は一見すると持っていない。どこかに巧妙に隠されている可能性もあるが、それならば取り出すまでの間に十分対処出来る。私は銀髪の男を部屋に入れた。
「いやあ、夜分遅くにすみません」
木製の椅子に腰かけて、銀髪の男は微笑んだ。ラウルは研磨こそ中断しているが、剣は出したまま「で、何の用だ」と雑談には応じない姿勢を見せた。
「少々物騒な事を、旅人である君達に頼みたいなと思いまして」
「依頼、ですか」
私の問いに銀髪の男は頷く。
「この国の近くに居を構える空賊を捕らえて頂きたいのです」
「捕らえる」
ラウルが確認するように呟く。空賊に関する依頼は今までも請けた事がある。その多くは旅人に任せやすい汚れ仕事――殺害だ。殺さず捕える、というのは少し珍しい。
「全員、ですか?」
「出来れば全員。最低でも一人。彼らから得たい情報もありますので」
銀髪の男は空賊の情報について話す。人数は男六人で、全員が銃やナイフを装備。機動性に優れた船を駆り、この国を訪れる旅人を襲って荒稼ぎをしている。非常にスタンダードな空賊の姿だ。
「僕は彼らに大事な物を奪われています。そして、それを返す代わりに多額の金銭を要求されています」
「金を渡したところで返してもらえるとは思えないな」
「ええ。ですので、僕が彼らと交渉している隙に君達は気づかれないよう裏手から上陸し、仕事をして頂きたいのです」
「お前が相手方と接触した瞬間、仕事を頼んだ事に気づかれる可能性は?」
「無いでしょう。見た限り、彼らは経験の浅い空賊で、僕はただの『世間知らずの貧弱な新米旅人』ですから」
「世間知らず、ねえ」
ラウルは銀髪の男の顔をじっと見てからゆっくりと瞬きをした。そういう仕草を見る度に、彼の目元に吸い寄せられてぼうっとしてしまう。私は意識してラウルから目を離し、カイゼルの方を見る。
「最低一人の捕獲を条件として、基本報酬は一万アトラ。以降、一人捕縛する毎に追加報酬二千アトラ。つまり、六人全員の捕縛に成功した場合は合計二万アトラお渡しします」
「捕縛の際はどの程度相手を傷つけていい? もし、誤って全員殺害した場合は?」
「意識を持ち、口が利ければどんな状態でも構いません。全員殺害した場合は、報酬を五千アトラに減額します」
「なるほど」
どう思う、とラウルは私に問いかける。彼が本気で私に意見を求めるとは思えないので、試しているのだろう。
相手は六人の新米空賊。意識を持ち、口が利ければいいという条件での捕縛。失敗すれば五千アトラ、完全成功で二万アトラ。私の実力を考えると完全成功の目は薄いが、ラウルの力で一人は確実に捕縛できると考えると一万アトラは堅い。殺害、捕縛の報酬としては相場通りだが、相手が経験が浅く法を犯すリスクもない新米空賊である事を考えると、うま味のある条件だ。
「受けても良いと思います」
ラウルは静かに頷き、銀髪の男に向けて「分かった。その依頼、請けよう」と告げた。
「ありがとうございます。では早速ですが、君達はいつごろ出国する予定ですか?」
「明日の朝に」
「それは都合が良い。では、明日の朝に最終確認をして、実行に移しましょう」
宜しくお願いします、と銀髪の男は頭を下げて席を立つ。
「……あの、どうして私達に依頼をしようと決めたんですか?」
「昼過ぎに君達が精神異常者を捕える様子を偶然目撃しまして。的確に相手の動きを封じる動きの良さから、君達は僕が依頼するに足る人材だと確信しました」
しかも宿で隣室ときた。偶然の巡り会わせに感謝し、扉を叩いた次第だと言う。
「そういえば、まだ名乗ってもいませんでしたね。僕はカイゼルと申します」
銀髪の男、カイゼルが目線で名乗りを促すので「ラウルだ」「フォルテです」と答える。
「ラウル君と、フォルテ君ですね。明日は、宜しくお願いします」
カイゼルはにっこりと笑い、部屋を後にした。
改めて二人きりになった部屋で、ラウルは何事もなかったかのように剣の手入れを再開した。私は荷物を再確認し、鞄の奥に潜んでいた木製のナイフを取り出した。捕縛という条件を考えると、携帯しておいた方がいいかもしれない。普通のナイフで殺さず動きを奪う術も教えてもらってはいたが、実戦となると少し自信がない。
「欲に駆られて無茶はするなよ」
ラウルが独り言のように呟き、私は無言で頷いた。二人の間で交わした取り決めにより、基本報酬一万アトラは等分される為、私に入る基本的な金額は五千アトラ。そして追加報酬はそれぞれの懐に入る為、私自身の手で一人捕縛するたびに二千アトラの収入となる。
茶葉も買えないほど困窮した状況の私にとって、天が与えてくれたチャンスと言ってもいい。無人島で薬草や動物の皮を調達して日銭を稼ごうと考えていただけに、五千アトラ以上の収入は大きい。
しかし、命を危険に晒してはいけない。いくら稼いだところで、死んでしまっては意味が無い。新米空賊だからといって油断してはならないし、危険が迫れば報酬を捨てて命を奪わなければならない。
荷物の確認を終えるとシャワーを浴び、さっさとベッドに潜り込んで眠りに落ちた。
* * *
翌朝、宿の食堂でカイゼルと共に朝食を食べながら最終確認をした。この後すぐに出国し、カイゼルは真っ直ぐ目的地へ向かい、私達は空賊に見つからないよう高度を下げて大きく迂回する。そしてカイゼルが空賊達と交渉している隙に上陸し、仕事を行う。
「その間、カイゼルさんは大丈夫なんですか?」
侵入者に気づいた空賊が、依頼をされたと察してカイゼルに危害を加えないとも限らない。
「自分の身を守る術はありますので、ご安心を。というか、お人好しですねえ」
「はい?」
「僕個人の依頼で、しかも実行場所は国外の無法地帯。そこで僕が死んだとしても、何も困ることはないじゃないですか。むしろ、僕を殺して身ぐるみを剥いでしまった方が得です」
カイゼルはくつくつと笑い、紅茶に口をつける。フォルテも同じ紅茶を飲んでいたが、あの喫茶店で飲んだ紅茶の方が何倍も美味しかった。
「まあ、そんな事はしないだろうと考えて君達に依頼をしたんですけどね」
ああ不味い紅茶だ、とカイゼルは呟く。
「特に、ラウル君の価値観はとても『良い』と感じています。僕の取引相手としては理想に近い」
「昨日会ったばかりだというのに、随分な評価だな」
「人を見る目には自信があるんですよ」
カイゼルは空になった紅茶のカップを置き、立ち上がった。傍らにあった杖を手に取り、押して運ぶ事が出来る車輪付きの四角い鞄を軽く動かした。私達も席を立ち、めいめいの荷物を背負う。
「では、行きましょうか」
「ああ」「はい」
一人乗りの小さな飛行船に乗ったカイゼルは、国を出て真っ直ぐ北へ向かった。続いてガルバートに乗って国を出た私達は、東の空を低く低く飛んで北に向けて大きな円を描いていく。
「カイゼルさんって、本当に新米の旅人なんですかね?」
落ち着いた物腰や、相場より少し優良で食らいつきやすい条件設定。その他全ての言動が、どうも新米旅人とは言い難い。
「違うだろうな。大体、新米なら知り合ったばかりの旅人に最大二万アトラも出せるはずがない」
ラウルはあっさり答える。
「恐らく、旅人ですらない。あれは机上にかじりついて自論の正しさを極めるタイプの人間の目だ」
「つまり学者さんですか」
「どうだろうな。どうもあいつは浮世離れした感じがする」
カイゼルの姿を思い起こして私は首をひねる。確かに旅人や一般国民とはどこか違う雰囲気がしたが、浮世離れしているとまでは思えない。
「学者や研究者にも当てはまらない……おとぎ話じみた例えで言えば、異世界の住人のように思える」
「異世界の住人」
復唱してみるがまるで現実感がない。おとぎ話じみたと前置きをしたとはいえ、ラウルがそんな絵空事を言うのは珍しい。それほどまでにカイゼルを形容する言葉が見つからないのだろうか。
「もしそうだとしたら、遥々こんな所までやって来たのに、空賊に大事な物を奪われてお金を要求されたのは災難ですね」
どんな目的でここに来たのかは分からないが、彼が私達に依頼をするに至った心情は十分に想像できる。
「……人の話を真に受けてありもしない事を想像するな」
「分かってますって」
「いや、分かってない」
どうしてそんなに信用してくれないのだ。私はぶうぶうと抗議をしたが、ラウルは沈黙で受け流す。おとぎ話を信じるような夢見る乙女ではないし、理解力や判断力もそれなりについてきた。
もう少し信じてくれてもいいのではないか――と思ったが、数々の小さな失敗を思い出してみると、仕方がないかもしれないと納得する自分もいた。
「あいつは恐らく旅人ではない。それ以外にも、隠している事は沢山あるだろう」
ラウルが私に言い聞かせるように話す。ちゃんと話を聞かないといつまで経っても認めてもらえないぞ、と私は大人しく耳を傾ける。
「だが、それに何の問題がある?」
「問題が……というか、正体不明ってなんだか気持ち悪いじゃないですか」
「旅人も同じようなものだろう。俺達は言われた通りの仕事をして、あいつはそれに見合った金を払う。それさえ守ってくれればそれで十分だ」
その通りなのだが、なんとなく腑に落ちないのは私がまだ未熟だからだろうか。
「一万アトラ、プラスアルファに見合わない仕事量なら交渉するし、決裂すれば然るべき額を奪うさ」
ここは無法地帯だからな、と呟くラウルの声はいつも通りだ。平然と「奪う」と言ってのける精神は私には無いもので、ああやはり私はお人好しなんだなと再確認した。
「あれですね」
見上げるとこじんまりとした島の下部が見える。六人程度の空賊の拠点としておあつらえ向きの大きさだ。
「行きますよ、ガルちゃん!」
私は手綱を思いっきり引っ張り、ガルバートは「ぷええ」と鳴いて一気に高度を上げて島に近づいて行った。