空の旅人 第四話「変装」
宵闇が支配する世界の中で、薪がぱちぱちと爆ぜて辺りをほんの少しだけ照らしている。たき火の周りをぐるりと取り囲むように大勢の人間が座り、誰も彼もが期待に高揚していた。彼らに合わせて俺も笑顔を浮かべているつもりだが、きちんと笑えているか自信はない。俺の左隣に座るルトアは、相変わらずの仏頂面だ。
「いよいよ明日だ! 明日、俺は奴らに一泡吹かせてやる! いい気味だ!」
右隣に座っていた同僚がわははと笑う。彼の手には木製のコップがあり、そこに注がれていた酒は半分ほどに減っている。自分の手元にあるコップに視線を落としてみると、やはり半分ほどに減っている。
「あいつら、驚くだろうな」
同僚と話を合わせながら、たき火を挟んで向かい側に座る上官の顔をちらりと見た。ニ十隻の弾丸船を搭載した戦艦を操縦し、戦果を報告する任務を負っている彼の顔は、他の竜騎兵と変わらない笑顔を浮かべている。
敵国に見つからないギリギリのラインにあるこの島で最期の夜を過ごすのは当然の事だと思っていたが、寝る前に酒盛りを提案してきたときは驚いた。聞けばこの上官はこの指令を受ける度にこっそりと酒を持ち込み、明日の勇者に対して密かに振る舞い続けているらしい。今まで飲んだ事もないような上質な酒は、俺にとって死を意識させるのに十分な威力を持っていた。
ルトアは酒に弱く、注がれた酒を何口か飲んだだけで杯を他の竜騎兵に譲った。それだけでも彼女の頬は赤みがさしており、彼女は人間なのだと改めて認識できる。
「……ルトア、大丈夫か」
「酒量は抑えました。明日に響くことはありません」
ルトアは辺りをゆっくりと見まわし、小さく頷いた。俺は体がわずかに緊張するのを感じながら、杯を地面に置く。
「……あのさあ、俺、今、すっげえ嬉しいの。今までも何隻か落としてきたけどさ、でかい船はやっぱ弾丸船じゃねえと落とせねえだろ。俺がそれに乗って大物を落とせるって、本当、嬉しい。ルトアはどうだ?」
普段ならどうも思わない、と一蹴されて終わる質問だ。しかし今は状況が違う。ルトアは少し考える素振りを見せた後で、静かに頷いた。
「嬉しいです。弾丸船に乗る事は、敵兵の命を奪うという命題において私の命を最大限活用できる方法ですから」
嬉しい。
その言葉が意味する所を頭の中で再確認し、俺は静かに頷いた。
「……すみません、小用を」
ルトアは俺や上司にそう断りを入れて立ち上がり、たき火から離れて宵闇の深い森の中へ入っていった。
――これから数分後、俺とルトアは、死ぬ。
* * *
生き残るためには死ぬしかない。
現状の説明を終えた矢先にラウルが出した提案は、矛盾したものだった。
「わけ分かんねえこと言うなよ」
わずかな希望をかけ、周囲から不審に思われないよう働きかけて得られた相談の場だ。そんなふざけた提案を聞くために動いたわけではない。
「このまま従っていれば確実に死ぬ。逆らって逃げ出しても寿命が数週間から数か月延びるだけ。ならば、そうなる前に死んでおけばいい」
「だから、死んだら意味ねえだろ」
苛立ちを隠さず机を乱暴に叩く。それに対してびくりと反応したのはフォルテだけで、ラウルとルトアは素知らぬ顔をしている。
「……この国では、戦死者をどう数えている?」
「そりゃ、出発前と帰還後の人数差で」
「補足すると、逃走の疑いがある者は人数差を数える際に氏名と所属が申告されます」
「……つまり、戦地で行方不明になり、かつ逃走の疑いが無い者が『戦死』と見られるわけだ」
どこの国もそういう認識だ、とラウルは付け足す。
地上戦ならともかく、空中戦での戦死者の特定は容易ではない。近くの島へ墜落していれば死体の確認も出来るが、たいていは空の底へ落ちて行く。そうなると前人未到の空の底まで追いかけて死体を探すことになり、多大な労力を割くことになる。
あまりにも当たり前の事で忘れていたが、確かに戦死の定義はラウルの言う通りだ。同時に彼の言いたい事が分かってきて、思わず生唾を飲み込んでしまう。
「戦地、あるいはそれに近い場所で、逃亡とは思われ難い状況で死ぬ。今までの職や名を捨てる事になるが、生き残る可能性は最も高い」
「成程。確かにリスクはありますが、何も考えず逃げ出すよりずっと生存確率は高いですね」
ルトアが納得した様子で頷く。俺も「だな」と追従して頷いた。
「それで、だ。具体的な死に方を考えるにあたって、戦地の具体的な情報を教えてもらいたい」
「そういう事なら、ルトアの方が詳しいな」
こなした戦争の数は俺もルトアも大差ないが、客観的に物事を見て解析するという点において、ルトア以上の適任はない。
「了解しました」
ルトアは頭の中の情報を探し出すようにゆっくりと瞬きをし、ラウルとフォルテに説明を始めた。
「……なるほど、大体分かった」
ルトアの丁寧な説明を聞き終えたラウルは、軽く片手を挙げた。ラウルの追及を受けてかなり細かな説明になったが、彼はメモをする様子もなく、本当に理解できたのかやや疑問に思ってしまう。フォルテの方はぼろぼろの紙束に熱心にメモを取っていたが、あまりのもごちゃごちゃとしていてフォルテにしかその内容は理解できない様相を呈している。
「フォルテ、お前ならどうする」
「ええと、そうですねえ……」
フォルテは専用のメモをぱらぱらとめくって少し考えた後、「こんなのはどうでしょう」と一つの死に様を提案した。
* * *
ルトアが森の奥に消えてから少しして、俺も立ち上がり上官に小用に行く旨を告げた。
「なんだなんだ、森の奥でデートか」
それを聞いた同僚が下世話な笑みを浮かべて囃し立ててきた。俺は「さあな」と曖昧に笑って誤魔化す。
「しかしお前、あんな機械女のどこがいいんだ」
別の同僚が笑いながら首を傾げる。別に彼女に異性としての好意は持っていない、と説明を重ねる時間も惜しい為「人の趣味にケチつけんな」とむっとした顔を作って森の奥へ小走りで向かって行った。
森に入って間もなく、一発の銃声が響いた。俺は足を止め、辺りの気配を探る。酒盛りの和やかな空気は消え、緊張した空気がこちらを探るようにまとわりついてくる。
「敵襲です!」
少し離れた所からルトアの大声が聞こえた。同僚達がいる辺りの空気がにわかに騒然となり、慌ただしく武器を準備する様子が感じられる。
「俺はルトアと合流して敵勢力を探ってきます!」
彼らに向かって大声で呼びかけ、上官の返事が返ってくる。俺はそれを聞き取る前に森の奥に向かって駆け出した。
敵勢力は一名。斥候の為にこの島まで来た一般兵で、旅人を装っている為に戦争用の強力な兵器は持ち合わせていない。確かそんな設定だったなと頭の中で再確認する。
「シルバ、こちらです」
闇の中からルトアがぬっと姿を現し、茂みの深い方へと手招きをした。その右手は外され、手首から銃口が姿を現しているから、先程の銃声はルトアのものだろう。
ルトアの先導で森の中を進む。ランプは無く月明かりも木々に阻まれて届かない森の中では、俺の視界は無いに等しい。暗視機能も備えたルトアの義眼に任せて道なき道を進んでいく。
「……フォルテはどこだ?」
そろそろ合流しておかないとまずいのではないか? 俺の疑問を余所にルトアは歩きながら上空に向けて何発か発砲する。俺も懐から拳銃を取り出し、何発か発砲する。こうしている間にも武装を終えた同僚達が追い付いてくるのではないか、とじりじりと焦りが生まれてくる。
「おい、ルトア」
「もう少しお待ちを」
「早くフォルテを見つけねえとバレるぞ」
敵兵を装ったフォルテと戦い、不注意から「事故死」する。その手筈だったのに、このままではフォルテを見つける前に同僚に見つかってしまう。
そうなると脱走を企てた罪に問われてひどい死に方を迎えるか、フォルテを敵兵として本当に殺してしまうしかない。俺の焦りを余所にルトアはぐるりと辺りを見回し、腕まくりをして銃弾を再装填していた。
「ゆっくりしている場合じゃ――」
「来ました」
俺の文句を遮るように鋭く言い、ルトアは左手で俺の腕を掴んで駆け出した。ルトアの左手はじんわりと温かいが、それは体温ではなく機械の発熱によるものだという事はよく知っている。
背後からがさがさと何かが茂みをかき分ける音がした。その音から遠ざかるように駆けるルトアの様子から、音の主はフォルテではなく同僚の誰かだ。
「やばいぞ」
「いえ、大丈夫です」
「何を根拠に」
どう見てもいい状況ではない。ルトアの頭がおかしくなったのか?
――という疑問を抱いた瞬間、ルトアの足音が唐突に消え、彼女の左手が俺の身体を下にぐいと引っ張り込んだ。
「う、うわああああああああ!」
地面が無い。辺りは暗く狭い。体のあちこちを壁にぶつけながら、俺とルトアの身体はぐんぐん下へと落ちて行く。覚悟を作る前に落ちる恐怖や混乱で、俺はただ悲鳴をあげる事しか出来なかった。
唐突に狭い空間を抜け、月明かりと島の影が視界に入った。今しがた落ちてきた、島を貫く天然の落とし穴も影に紛れて全く見えない。
ひゅう、と風が吹いて自分の体が何もない空中に放り出されていると知る。重力は容赦なく俺の体を下へと引っ張り、俺は目を閉じてそれに身を任せた。
空中戦で死亡し、行方知れずとなった者は「空に溶けた」とよく言われる。こうして空をひたすら落ちていると、確かにこのまま溶けて消えてしまいそうな気分になる。空中戦での戦死と不注意からの転落死では格好よさは随分と違うが、このまま上手くいけば俺とルトアも「空に溶けた」事になるのだろう。
などと下らない事を考えている間に島の影は見る見るうちに小さくなる。このまま空の底まで落ちて行けそうな気もするが、それを阻むようにひゅん、と風を切る音がして俺の身体は竜の背に乱暴に打ちつけられた。
「いっ……!」
予想以上の痛みに言葉を失う。隣にはルトアの姿もあったが、痛みに顔をしかめている様子もなく無表情のまま竜の背に体を預けている。
「大丈夫ですか?」
前方に座っていたフォルテがこちらを向いて声をかける。俺はこくこくと頷き、呼吸を整えてガルバートの背に座る。ルトアも同じように座り、振り落とされないよう鞍の端をしっかりと握りしめている。
「上手くいきましたね!」
フォルテは視線を前に戻したが、その声は明るい。俺達を乗せたガルバートはさらに低く空を飛び、いつしか同僚達がいる島は影も形も見えなくなった。
「……上手く、って……どこがだ! 予定と全然違うぞ!」
予定では島の上でフォルテと合流し、何発か発砲して目撃者を待った後落とし穴から転落して「戦闘中の事故死」を演出するはずだった。しかし島にフォルテの姿はなく、俺とルトアが探し回っているうちに落とし穴に偶然転落した。一応発砲はしておいたものの、フォルテの足跡もない状態では疑われる可能性もある。
「いえ、予定通りです」
ルトアはそう呟き、「ね」とフォルテはそれに同調する。
「私達が森に入る直前、フォルテさんは森の中で足跡をつけてあの落とし穴から実際に落ちました。数分の誤差があるだけなので、検分したところでばれる事はないでしょう」
「数分の誤差? なんでまた、そんな真似を」
予定と違う行動をとってまでそうする意味が分からない。
「ルトアさんと相談して、打ち合わせの時に決めた計画から少し変更したんです」
「それをシルバにお伝えしなかっただけです」
「な」
何故それを伝えなかったのか。俺が非難の言葉を投げる前に、ルトアが話を続ける。
「不注意で落とし穴に落ちた。それを印象付ける何よりの証拠は、シルバの悲鳴だったからです。演技ではない本物の悲鳴を引き出すために、敢えて計画を変更してお伝えしませんでした」
「な」
確かにあの悲鳴は本物だった。あれを引き出すために、予定を変更したのか。
「シルバを騙すようで気が引けましたが、私よりシルバの悲鳴の方がより自然だと判断したためその策を採りました。驚かせてしまい、申し訳ありません」
ルトアが体をこちらに向けて頭を下げた。言葉こそ丁寧だが、無表情の棒読みで言われると誠意は欠片も感じられない。しかしルトアだから仕方ない、と俺はこれ以上の追及を諦めてため息をついた。
俺達を乗せたガルバートはやがて小さな無人島に着陸した。生活するには狭いが素泊まりするには十分な広さを持っており、島の中央には小さなたき火が焚かれている。
「早かったな」
たき火の傍で座っていたラウルはそう呟いて出迎えた。彼の背後には二人乗りの新品の飛行船があり、荷台にはこれまた新品の旅荷物が積まれている。
「上手くいきました」
「そうか。……それで、シルバとルトア、だったな」
ラウルは懐から三つの封筒を取り出し、そのうち二つを俺とルトアに手渡した。
「預かった資金から船と荷物一式の代金、それと依頼料を差し引いた差額だ。明細を一緒に入れておいたから、日が昇った時にでも確認してくれ」
俺とルトアが頷いたのを確認してから、ラウルは最後の封筒をフォルテに手渡す。
「今回の依頼はお前が案を出し、実行した。俺は買い出ししかしていないから、依頼料の九割を受け取る権利はお前にある」
「えっ」
フォルテはきょとんとしながらも、しっかりとその封筒を受け取る。
「最初はどうなるかと思ったが、一人で依頼をこなせるようにはなったな」
「いっ、いえ! そんな、まだまだです! ラウルさんの指導が無いとダメダメです!」
フォルテは顔を真っ赤にして首をぶんぶんと横に振った。嬉しさや恥ずかしさが大部分と言ったところだが、「まだ自立できない」と頑なに主張しているようにも見える。
よく分からない関係だな、と思いつつ地面に横になり、目を閉じた。
* * *
目を開けると辺りは既に明るくなっていた。重い体を無理やり起こして伸びをすると、体のあちこちがずきりと痛んだ。落とし穴から落ちた時の打ち身もあるだろうが、寝袋も用意せず硬い地面の上で寝た事も大きいだろう。
辺りを見回すと、ルトアが船の操縦桿の辺りを熱心に調べていた。二人の旅人と一匹の竜の姿は、どこにも見当たらない。
「おはようございます」
俺の視線に気づいたルトアは軽く頭を下げ、「ラウルさんとフォルテさんなら既に出発されました。明細は適正でしたのでご安心を」と端的に説明する。
「俺達もだらだらしてねえで早めに出発するか」
「そうですね。ひとまずあの国から出来るだけ離れて、その後はその時決めましょう」
それと、と言いながらルトアは船から降りて左手の甲に仕組まれていたナイフの刃を出す。
「私達は昨晩戦死しました。なので、今日からは全く別の一個人として生きるべきかと思います」
「全く別の、って……名前を変えるとかか?」
「口調も変えたほうが良いと思います。別人に変装するつもりで口調や名を変えれば、比較的受け入れやすいのでは」
「……いきなり言われてもな」
俺は頭を掻いた。今日から旅を始めるというのに、さらに別人になりきる必要もあるとは忙しい。
「思いつかないのならば、シルバはこれから『銀』と名乗り、私の口調を真似てみてください」
「え」
「私は『ルート』と名乗り、口調も変更します……いや、変更するよ」
本名をもじった偽名で、俺はルトアの口調を真似、ルトアの口調は彼女がまだ感情豊かだった頃のものに戻る。単純な変装候補だ。
俺の混乱を余所にルトアは自身の長髪を軽く掴み、左手のナイフでその髪をあっさり切った。ルトアが右手を放すと、切られた髪束は風に吹かれて飛んでいった。短髪になったルトアは、まるで別人のように見える。
「食料も十分あるし、一日おきに交代して船の操縦になれながらゆっくり行こう。口調もその間に慣れたほうが良い。僕はすぐに切り替えられるけど、銀はそうもいかないでしょ?」
「え、あ、ああ」
「口調」
「……はい、分かりました」
俺のたどたどしい返事を聞いてルトア……もとい、ルートはこくりと頷き、船の運転席にさっさと乗り込んだ。釣られて俺も船の助手席に乗り込む。
「僕はしばらく操縦に集中するから、銀は口調の練習なり説明書を読むなりしておいて」
ぽんと渡された説明書の重みを感じながら、俺は言うべき言葉を探す。口調も名前も変えるとなると、言葉を選ぶのにも時間がかかる。
「……俺はルートほど上手く切り替えられません。おかしい点があれば、すぐに、指摘してください」
「一人称は俺じゃなくて私」
「……そこまでやんのかよ……」
「別人に変装するんだから徹底的にしないとね。銀からシルバに戻ったら、すぐに言うから」
「……厳しい、ですね……」
俺――私は苦笑して頭を掻き、ルートは感情の無い眼差しで前方を見据え、船のエンジンをかけた。