空の旅人 第四話「変装」
頼りないが、叩けば伸びる。
俺がガルバートという雌の若い竜に抱いた第一印象は、その一言に尽きる。性格は臆病で人見知り。やる気がないとしか思えない鳴き声は俺の士気を大いに削いだ。
非好戦的でおっとりとした性格は、飼い主であるフォルテの影響を受けたのだろう。無法地帯を潜り抜けて各地を放浪する旅人とは思えないほど、フォルテは無邪気に観光を楽しんでいた。
いかにも旅人らしい佇まいをしているのは、フォルテの同行人、というかフォルテの指南役を務めているらしいラウルという青年だ。愛想が悪いどころか感情の殆どが見えない鉄仮面ぶりは、俺が想像する旅人像に近い。
「シルバさん、そんなにガルちゃんが気になりますか」
ガルバートを見ながらぼうっと思索に耽っていると、フォルテが声をかけてきた。
「いい竜だな、と思って」
「いい子ですよー。初対面の人になかなか慣れないのが玉に瑕ですけど」
体格も悪くなく、鍛えれば立派な軍用竜になるだろうと思っていたのだが、口に出さないでおく事にした。
「……この国では、竜を飼う風習があるのか?」
「あると言えば、ある」
だからこそ俺はガルバートの素質が分かる。
「今は大体の竜は出払っちまってるけど」
そのうち何体の竜が飯を食える状態で戻ってくるだろうかと考えると、少し胸が痛む。
俺が住む国は、戦争で成り立っている国だ。四六時中あちこちの国と戦争をし、全ての戦で勝利もしくは休戦協定を結んできた。一度でも負ければ植民地とされるため、連戦連勝は当たり前の事ではある。
国内の全ての産業は戦争の為に発展し、中でも工学系の技術は他国を圧倒すると自負している。多くの敵を殺すための兵器は勿論の事、人体の欠損した部分を補う為の義手や義足も製造している。
戦における最大の特徴は、竜を駆って空中戦を繰り広げる竜騎兵の存在だろう。それぞれ性格の異なる竜を従順になるよう厳しくしつけ、自由に空を翔る為に過酷な訓練をクリアしなければならないという手間があるが、飛行船より自由な挙動で飛び回り、羽ばたきはエンジン音より遥かに静かであることを考えると、竜騎兵は空中戦において優位に立てる。
わずかな休戦期間中は国内でも竜が見かけられるが、戦争中の今は大半の竜が戦地にいる。竜を連れていても問題が無いようにとあちこちに竜を待機させる為の広いスペースが設けられているが、竜の待機用というより負傷兵がリハビリの為に運動するスペースと化している。
「……軍用竜、ですか……」
説明を聞いたフォルテは暗い顔でため息をつく。
「この国では竜は貴重な戦力だ。ガルバートが盗まれないよう気をつけろよ」
特に今回の戦況は厳しい。戦の為なら竜の誘拐も行われかねない。
「何だか、嫌な国ですね」
「俺という国民、しかもリハビリ中の竜騎兵を前にしてそれを言うか」
「今はただの案内役でしょう。戦争云々も嫌な感じですが、ご飯が不味いのが何より気に入りません。何ですかこの国の『栄養さえあれば良い』がひしひしと伝わる無愛想な料理は! 携帯食料といい勝負ですよ! 美味しい食べ物が人を幸せにするんですから、戦争する暇があったら料理の勉強をして下さいよ!」
「落ち着け」
それまで黙って話を聞いていたラウルが、フォルテの頭を実に容赦なく叩いた。
「義手か?」
その後、ぶらぶらと辺りを案内していた所、ラウルが唐突に訊ねてきた。俺は苦笑して頭を掻いた。
「動かすのにだいぶ慣れたけど、やっぱまだ動きが不自然か」
「え、え、義手?」
フォルテは突然の話に呆気にとられ、彼女の横にぴったりとついていたガルバートも「ぷう」と鳴いて首を傾げた。
俺は一人と一頭の為に右腕の袖をまくって人工の皮膚を少しずらして真っ黒な機械の肌を見せる。驚くフォルテの顔に少し得意げになりつつ、左腕も同様に機械であることを見せる。
「つい先日、両腕を無くしてな。義手に慣れるまでは国で過ごす予定だったけど、お前らが来たから俺が案内役に充てられたってわけだ」
「……すごい技術ですね……」
フォルテはしげしげと俺の腕を眺めている。この国では義手や義足は珍しくないものだが、こうもじろじろと見られると国際的な観点ではやはり珍しいものなのだなと再確認できる。
「両腕を無くしたのは、戦地での事か?」
そう無感情に問いかけるラウルの視線も、やはり義手に注がれている。
「んー……戦地で負った怪我が元で死にかけたからやむなく、ってとこかな」
「戦地で負った怪我、って……乗っていた竜は無事だったんですか?」
「殺されたよ」
「殺された? 怪我して死んだんじゃなくて?」
怪訝そうな顔のフォルテに対し、俺は手短に説明する。
「怪我が膿んでやばい事になりそうだったから、俺は竜に命令して両腕を食いちぎってもらった」
一旦国に帰れば義手がある。両腕を失う事にそれほど抵抗は無かった。
「で、何とか国に戻って事情を説明したところ、俺が乗っていた竜は『主人に牙をむいた凶暴な竜』と判断された」
そして、処分。
「……そんな……」
その子はあなたの命令を聞いただけで何も悪い事をしていないじゃないですか、とフォルテは呟く。その意見には俺も同感で、上官に対して何度もそう主張した。しかし上官の意志は固く、結局俺は、長年共に戦地を駆けてきた相棒を実に呆気なく失った。
「シルバさんはそれで平気なんですか? 私はそんなの、おかしいと思います」
「……おかしいと思ったところで、俺にはどうする事も出来ねえんだよ。どれだけあがいても、結局は上の言う事を聞くしかない」
当事者の主張を無視して独断で相棒を処分する組織に身を置く意味はあるのか?
その疑問は、ずっと持ち続けている。自分が生まれ育ったこの国は嫌いではないが、あらゆる命を軽視する「戦争」という行為にこのまま加担し続けていいのだろうか?
しかし、仮にもう戦争に参加しないと決めたところで、逃げる事は許されない。戦争を放棄して逃げだした者に与えられる罰は重く、今のような真っ当な生活は送れなくなる。
「……典型的な奴隷思考だな」
俺の様子をじっと見ていたラウルがポツリと呟いた。
「奴隷思考?」
俺の苦悩をそんな一言で片づけられると、流石にむっとする。俺が今まで抱いてきた竜騎兵としての誇りもその一言に押し込められた気がした。
当のラウルは俺の不快さを意にも介さぬ様子で辺りをぐるりと見渡している。
「お国の為にと戦争に明け暮れているうちに、随分視界が狭まったんじゃないか?」
宿に帰るぞ、とラウルはフォルテに告げた。戦争ばかりでろくな文化もない国では、見るものもそれほど無いのだろう。
俺は二人に宿への近道を教え、宿に帰った後は朝まで外出しない事、朝になればまた迎えに行く事を告げた。これでは案内役と言うより監視役だなと俺も思うが、旅人が敵国の者である可能性も捨てきれない為、監視役としての面を持つのも仕方ない。宿ではきっと主人や従業員が俺の役目を引き継ぐのだろう。
「不要なものを捨てれば、それだけ視界も広がるぞ」
別れ際、ラウルはそれだけ言ってさっさと歩きだした。フォルテとガルバートもその後に続き、俺は二人と一頭が道路の角を曲がるまで見送った。
* * *
兵舎の食堂で簡単な夕食を済ませ、部屋に戻るとそこには既にルトアの姿があった。二つ並んだベッドのうちの自分の分に腰かけて左の義手を黙々と解体している。垂れた黒い長髪が視界の邪魔になりそうなものだが、彼女は髪など見えないといった様子で作業に集中している。
「調子悪ぃのか?」
俺がそう声をかけると、ルトアは顔を上げて「ええ」と短く答えて視線を左腕に戻した。
「本日の戦闘中、左腕の機銃の反応がやや悪かったので、その修理を」
ルトアの両腕には銃が仕組まれている。いや、腕どころか全身の至る所に銃を初めとした武器が隠されている。身体の大半を機械に置き換え、圧倒的な火力で相手を殺すルトアの姿は竜騎兵の中でも有名だ。
ルトアの事を実力者として褒める者が大半だが、その無感情さを揶揄して「ヒトから兵器に堕ちた奴」と蔑む者もいる。ルトアを取り巻く称賛や蔑みは、幼馴染である俺の方がルトアよりも把握できているのではないかと思う事もある。
「治るのか?」
「直りました」
作業をよく見ると、左腕の解体ではなく組み立てにかかっていたようだ。俺は自分のベッドに腰かけて「お疲れさん」とルトアを労った。
「シルバは今日もリハビリでしたか」
「いや、朝方ここに来た旅人の案内をしてた」
「敵国のスパイである可能性は?」
「なさそうだ」
「そうですか」
ルトアの声は淡々として冷たい。感情豊かでよく笑っていた頃の姿を知っているだけに、今のルトアの声を聞くと時々辛くなる。
俺とルトアが物心つく頃から、この国は戦争ばかりしていた。
大きくなったら兵士になって国に貢献するのだと夢を見て、二人で体術の訓練や戦争にまつわる本を読みあったりした。というか、それ以外にする事は与えられなかった。
ルトアは感情豊かでいきいきとした少女だった。よく笑い、よく泣き、二人で遊ぶときは大抵ルトアが俺を引っ張り回した。
十五歳になって一緒に竜騎兵の見習いとなった時もルトアは飛び跳ねて喜んだ。記念にプレゼントを贈りあおうという事になり、俺が最新型の拳銃をプレゼントするとにこにこと嬉しそうにその拳銃を振り回した。彼女が俺にくれたプレゼントも全く同じ拳銃だった事は、流石幼馴染と言うべきか。
それから三年後、俺達が十八歳の時に初めて竜騎兵として戦場へ向かう事になった。お互い良い戦績を上げようと約束して出陣し、そして、ルトアは敵の凶弾の雨に倒れた。
「……どうしました」
ぼうっと過去に思いを巡らせていると、ルトアがこちらを覗きこんできた。機械仕掛けのその瞳には、かつての無邪気さは欠片もない。
「ルトアが全身機械になった時の事を思い出してた」
「二年前ですね」
ひどい怪我だった。四肢は使い物にならなくなり、今ある義肢類を全種類導入してどうにか生命を繋げられる。そんな状態だった。
手術はかなりの長期間に及び、ルトアが意識を取り戻した頃には既に戦争は終わっていた。
「……何で、感情が無くなっちまったんだよ」
意識を取り戻したルトアは、俺が知るルトアではなくなっていた。無表情に淡々と話し、感情の一切が消えていた。
「脳に何らかの障害が残ったのではないかと思われますが、詳しい事は分かりかねます」
幼馴染である俺にすら丁寧な口調で接し、眉一つ動かさず与えられた命令を遂行する。かつてのルトアの姿を知らない者なら、彼女が人間に似せて作られた機械だと思っても仕方がない。
「……治らないのか……?」
「その質問は八十九回目です」
分かっている。答えはノーだ。使えなくなった箇所は機械に置き換える。それが医療の基本だから、メスや薬を用いた生身の医療術に関する情報は驚く程に少ない。
「シルバに一つ、お伝えする事があります」
左腕を治し終えたルトアが、こちらに体を向けて俺の顔を真っ直ぐに見据えた。耳を澄ませば義眼がピントを合わせる音が聞こえてきそうだ。
「私達を含む二十名の竜騎兵に対し、弾丸船への搭乗令が発令されました」
「……弾丸船」
ルトアは日常会話と変わらない調子で話しているが、その言葉の意味は重い。
弾丸船とは、文字通り弾丸のような形状をした一人乗りの船だ。小さな機体にわずかな燃料と多数の爆薬が詰め込まれており、操縦席のスイッチを押すか機体に穴が開くほどの損傷が与えられた瞬間、爆薬は牙を剥く。上手く敵船の傍で爆発できれば、確実に致命的な損傷を与えて墜落させる事が出来る。
――操縦士一命の命と引き換えに。
「出発は、いつだ……?」
「三日後の早朝です。それまでは、各自自由に行動するようにと」
最期の時を悔いが無いよう自由に過ごせという事だろう。
「……三日後……」
唐突に訪れた死刑宣告に、息が詰まった。竜騎兵としての日々の大半は戦地で過ごし、死はいつも隣にあった。出発前に下らない冗談を飛ばしあった友人が、その日のうちに細切れの肉片になる事もあった。竜騎兵になった時点である程度の覚悟はできていたが、それでもやはり、死ぬ事は怖い。
弾丸船に乗り役目を果たすと、名誉の戦死として階級が一つ上がる。死亡する本人にとって階級など無意味なものだが、残されたものに対してそれなりの恩恵があることを考えると、ただ戦死するよりも意味はある。
だが――
「……なあ、ルトア」
「はい」
「この命令を聞いた時、どう思った?」
「戦況が芳しくない為、動かせる竜騎兵を使い敵国の主力部隊を殲滅させるのだと理解しました」
「そういう客観的な事実じゃなくて、ルトアの気持ちはどうなんだよ」
「上官の命令なら従うまで。それ以上の思いは私にはありません」
私に人間的な感情を求めないで下さい。
ルトアは言外にそう主張した。予想された答えに俺は静かにため息をつく。
「……俺は、俺の相棒を簡単に殺すような奴らの為に死ぬべきなのか?」
「私に聞かれても返答はできかねます。そういった悩みはご自身で解決して下さい」
「分かってる。こういう事はルトアに頼らねえよ」
感情論をルトアにぶつけてものれんに腕押しだ。それは俺が一番よく分かっている。
ルトアに訊ねるべきは、実際に行動に移す事により発生するリスクのような、現実的な問題だ。倫理や感情が重視される問題には分からないの一点張りだが、実務的な問題に対してはかなりの精度で問題点を洗い出す。戦争においてルトアのその能力は非常に有効であり、戦術を練る際は意見係としてしばしば召集されていた。
「……もしも、の話だ」
「はい」
「俺がルトアを連れてこの国から逃走する事になったら、どんな事に気をつければいい?」
「逃走兵に与えられる措置はシルバもよくご存じでしょう」
戦地から逃走した兵は有害な存在だ。いくら本人に戦う意思がないとはいえ、戦闘訓練を積み一般人より高い実力を持つものだ。万が一他国で問題を起こせばたちまち国の評判は落ち、新たな敵を作る可能性がある。
しかし、これは一般的な国が抱えるリスクであり、この国にとってはリスクでもなんでもない。戦争しか知らないこの国は、敵が増えても困らない。この国が逃走兵に見る一番の問題は、敵国に情報が漏れる可能性がある事だろう。戦争に関する技術や知識が抜きん出ているだけに、それらが漏れる事は、戦争に代わるものが無いこの国にとって致命傷になりかねない。
その為、逃走兵は専門の部隊が全力を挙げて捜索する。手段を問わず調査を行う姿は、シルバも何度か目にした事がある。そして、捕らえられた逃走兵が辿る道は一つ。
「……死刑だ」
「ちなみに、逃走兵が死刑に処せられる確率は九十九パーセントです」
つまり、逃げ出したところで九十九パーセントの確率で捕まり、死ぬ。
「…………」
弾丸船に搭乗する場合は、感情的に許しがたい組織に貢献する事になるが、まず間違いなく一瞬で楽に死ねる。
戦地から逃走する場合は、一パーセントの確率を勝ち取れば組織から抜け出せることになるが、負ければ何度も拷問を受けて苦しみ抜いた末に死ぬ。
ラウルの言葉を聞いて少しだけ視野が広がったように思えたが、それでも選べる選択肢は狭い。
「……ルトア、明日は暇か」
「三日後の朝までは何の予定も入っておりません」
今、俺にどれだけの貯金があるか頭の中で大まかに勘定する。戦争と訓練ばかりで余暇が無い生活を送っていたから、かなりの額が手つかずで残っているはずだ。
「明日は……いや、少なくとも三日間、俺に付き合え」
「了解しました」
旅人という人種は、金次第でどんな仕事もするらしい。貯めてきた金を使えば今以上の活路を見いだせるかもしれない。
それは淡い希望に過ぎないが、国の為に命を捨てる覚悟が持てない俺にとって、縋る事が出来る唯一の道だった。