空の旅人 第五話「代償」
ラウルと旅を始めて数か月が経つ。当初は主人の元に帰ろうとしないか気が気でなかったが、どうやら俺を新たな主人と見ているらしく、大人しくついてきている。
「金を使わない手段で俺を手に入れた奴はあんた以外にもいたから」
話しやすい口調で話せばいいと伝えたが、ラウルには話しやすい口調というものが無いらしく、仕方なく俺と同じような口調で話させている。
数か月を共に過ごしてきたが、ラウルには驚くほどに自主性が無かった。全ての決断は「主人が望むかどうか」で判断し、自分の意見を言うよう促しても俺とほぼ同じ意見を言った。その洞察力は大したものだが、このまま他人に依存する生活を続けても決して良い事は無い。
「あのな、ラウル。世の中全部ギブアンドテイクで成り立ってる」
「ギブアンドテイク?」
ある日の野営中に話を切り出すと、ラウルは首を捻った。
「取引とか、代償とか、そう言い換えてもいい。何かをする為には、それと同等の価値を持つ何かを失う。例えば、その保存食を買う為には、同等の価値を持つ貨幣……百アトラを失う」
貨幣というものは便利だ。大抵の物事は貨幣を通じてその価値を可視化できる。それが元で起こる災難を避ける為に貨幣を廃した国も時折見かけるが、俺はこの貨幣制度というものは分かりやすくて好きだった。
「人間関係にしても同じだ。相手の情報や相手と過ごす楽しい時間が欲しいから、自分の情報を与えたり自分の時間を割く。感情や打算が働いているから物のやり取りほど単純じゃねえけど、基本は同じだ」
ここまでは分かるな、と念を押すとラウルはこくりと頷いた。
「お前は今まで『商品』として客を満足させるために自分の意思を殺してきた。それは誰でも真似できるわけじゃないすげえ事だと思う。でも、俺はラウルを『商品』として手に入れた覚えはない」
「…………?」
「俺はラウルを『商品』から『人間』に戻したくてあの屋敷から連れ出した。もう商品のふりはしなくていい。人間に戻れ」
ラウルは戸惑ったような表情を見せて、小さく首を振った。
「……こうする以外に、どう生きればいいか分からない」
「生き方も俺が教えてやる。だから、もう人に奉仕ばかりするな。少しずつでいいから自分の意思を出していって、ギブアンドテイクの関係が作れるようになれ」
ゆっくりと諭すように言うと、ラウルは暫く黙った後に「わかった」と眉尻を下げて笑った。今まで命令しない限り笑わなかったことを考えると、これが今できるラウルなりの「人間」なのだなと理解できた。
「ラウルって誰だ?」
唐突にそんな質問が飛んできたのは、とある無人島で戦闘訓練を終えた後の事だった。木製のナイフやゴム弾の銃を使った戦闘は命の危険こそないが、やはり痛いものは痛い。知識にしても技術にしてもラウルは飲み込みが早く、戦闘訓練もあっという間に気が抜けないものになった。
「誰って、お前の事だろうが」
実弾であれば致命傷を負っていたであろう額を撫でる。二、三日は赤みが引かないと思っておいた方が良い。
「違う。俺の前に『ラウル』だった人。ただの名前じゃない事は、俺と話す時の眼を見れば分かる」
「故郷で暮らす恋人の名前」
「嘘だな」
ラウルは即座に切り捨てる。長年の「商品」生活の上で他人を観察する力が身に付き、嘘を見抜く事も自然と出来るようになったのだろう。俺は観念して肩をすくめた。
「……弟の名前だ」
「死んだのか」
何の飾り気もない直球の言葉に思わず苦笑する。旅を重ねて商品体質はいくらか抜けてきたが、その代わりこういった無神経さが出てくるようになった。「商品である事」と「人として気を遣う事」の使い分けがまだ出来ないのだろう。
「死んだよ。俺と一緒に旅をしてたけど、俺の不注意から、空に溶けた」
いわゆる転落死。よくある死の一つだ。
「お前は俺の弟と目が似てたんだ」
目の形も瞳の色もまるで違う。けれども、言葉では説明できない何かが似ている。ただの直観に過ぎない頼りないものだ。
「……弟は、どんな奴だった?」
「一言で言えば夢見るバカ」
俺と二歳しか変わらないはずなのに、弟は絵空事のような話を好んだ。児童文学や空想小説をよく読み、美しい花や鳥の写真を飽きもせずに眺めつづけていた。とりわけ弟が好んだのは「青い鳥」だ。
「青い鳥?」
ラウルが怪訝な顔をしたため、簡単な説明を加える。
大抵の島には鳥が生息している。姿かたちは様々で、手の平に乗るほど小さなものから人の背丈をゆうに超える巨大なもの、人間に従順なものや逆に人間を捕食するもの。一晩で語りつくせない程の多様な種が確認されている。
しかし、その中に青い羽毛を持つ鳥はいない。鮮やかな赤や柔らかな黄、木陰に紛れる緑の羽毛を持つ鳥は頻繁に見かけるわけではないが、いる。一口に青色と言っても晴天の空のような薄い青から宵闇のような深い青まで多種多様だが、どの「青」も鳥は持たなかった。
青い鳥など存在しない。それが世間の常識であり、青い鳥はしばしば不可能の象徴とされていた。中には不可能から転じて無限の可能性として崇める者もおり、鳥の羽を青く染めて作ったお守りはしばしば見かけられる。
弟はそんな青い鳥に魅せられていた。いつか旅に出て見つけてやる、不可能を可能に変えてやるんだと幼い頃から言い続けていた。
「だから弟は成人した日に旅に出て、俺もそれについて行ったわけだ」
結局弟は青い鳥を見つける事が出来ず、実に呆気ない死を迎えた。そう説明を終えると、ラウルはかすかに首を傾げた。
「弟について行くのが旅の理由なら、どうしてまだ旅を続けているんだ?」
弟が死んだ時点でわざわざ危険を冒して旅をする理由は無くなる。故郷に帰るなり手近な国に移住するなりすればいいじゃないか。ラウルの言う事はもっともだ。
だが、答えは実に単純。
「弟のバカが俺にうつったからだよ」
* * *
「ご同行願いたい」
いかめしい面構えと装備に身を包んだ男達が俺に向かってそう言ったのは、やっとの思いでとある国に到着して宿をとってさあゆっくり休もうと思った矢先の事だった。
「何の用だ?」
ラウルがそう言って俺と男達の間に割り込むが、男達はひょいとそれを押しのけて俺に一枚の紙切れを突き付ける。こまごまとした文字と大きな写真が一枚印刷されており、写真に写っている少年の顔は紛れもなくラウルだ。文字をざっと目で追うと、この少年を連れている者を誘拐犯として捕らえろと言う旨が書かれている。
「お連れの方は写真の少年と同一人物だとお見受けします。詳しい話をお聞かせ下さい」
口調こそ丁寧だが、拒否権がこちらに無い事はありありと分かる。俺は観念して両手を挙げた。
油断していなかったと言えば嘘になる。
ラウルの行方不明を受けて、剥製公が私財を投じて各地に指名手配を出す可能性は大いにあった。だから、ラウルを連れて間もない頃はそれを警戒して国の訪問は必要最小限にとどめ、顔写真を撮られないような小さな国を選んだ。
指名手配を出し続けると言うのはかなりの出費になる。剥製公はかなりの金持ちだが、あらゆる国に一年以上も指名手配を出し続ける事は不可能だ。時が経つにつれ、警戒心は確かに薄れていた。
「その紙、ちょっと古いけど指名手配としてまだ生きてるのか?」
男達に連れられて街中を歩いている最中、そう問いかけてみる。手錠をかけられて歩く俺の姿は街中では目立ち、通行人の視線が痛いほど突き刺さる。
「指名手配自体は半年前に取り下げられました。しかし、だからと言って悪を野放しにする訳には参りません」
その回答を聞いて成程、と腑に落ちる。ここに来る前に会った旅人が「むやみやたらと正義感が強い国」と評していた事は正しかった。期限切れの指名手配と言えば膨大な量になるのだろうが、それを保管して入国する旅人全てをチェックしているのかと思うと、狂気じみた正義を感じる。
そして、その旅人が「下手に犯罪を犯したら罪の大小にかかわらず死刑だ。あの国では何かする前に必ず法律を確かめておけ」と言っていた事を思い出す。
「俺はこの国のルールで裁かれるのか? それと、ラウルはどうなる?」
「指名手配が生きていればかの国へ移送する所でしたが、今回の場合は我が国の法に従い、明日には然るべき刑罰が下されます。また、被害者は故郷に戻るかこの国に住むか選択して頂きます」
「…………」
ラウルは押し黙ってその言葉を聞いていた。相変わらず表情に乏しいが、ラウルが動揺している事は俺には分かった。旅人の話を思い出して考えれば、俺が明日死刑に処せられることはすぐに分かったのだろう。
「了解。留置所だか牢屋だかに着いた後で、ラウルと話す時間を少しだけくれ。何も変な事は吹き込まねえし、その後は抵抗せず罪を受け入れる」
だから頼む、と頭を下げると男達は小声でぼそぼそと話し合った後「少しだけだぞ」とため息をついた。
俺が叩き込まれたのは一人用の小さな牢屋だ。三面は石造りの壁で覆われ、残る一面は頑丈な鉄格子が静かに口を閉ざしている。天井からぶら下がった裸電球の情けない明りが、藁を敷いただけのベッドとも言えない物体を静かに照らす。
「一晩だけとはいえ、ひっでえ場所だ」
鉄格子を隔てた向こう側にラウルの姿があった。ここからは見えないが、恐らく近くに監視役もいるだろう。
「というわけで、俺はここで終わりだ。ラウルは俺の事を忘れて生きてくれ」
「随分、あっさりと言うな」
ラウルは眉尻を下げて苦笑した。笑うと眉尻が下がるのは癖なのだろうが、普段の無表情がやけに大人びているだけに、その笑顔は年相応の幼さを感じさせた。
「故郷に帰るのもいいし、ここに住んでもいい。俺と縁を切るつもりで名前を変えてもいい。好きなように、幸せに、人として生きてくれ」
人として、をほんの少しだけ強調する。
「…………」
一人で旅が出来るだけの知識と技術は叩き込んだ。監視の目がある中で「それが嫌なら旅に出ろ」と言う訳にもいかないが、その選択肢がある事ぐらいはラウルにも分かるだろう。とにかくラウルが望むように、商品ではなく人間として生きるようになればいい。
「……これは、俺が今、自分の意思で決めた事だけど」
しばらくの沈黙の後、ラウルがぽつりと呟いた。
「兄貴のバカが俺にもうつった」
「……は?」
バカがうつる、という言葉の意味も唐突に言われると理解できなかったが、何よりラウルが俺の事を兄貴と呼んだ事に驚いた。
「『ラウル』の兄はあんただろ。同じ名前の弟が二人いたらややこしいだろうけど、あんたは俺の兄貴だ」
何か文句でもあるのか、と言いたげな眼差しに押されて俺はこくりと頷いた。同時に、目頭がつんと熱くなる。こんなギリギリの瀬戸際で、ラウルに身近な者として認められるとは思わなかった。
「……バカばっかの兄弟だな」
俺の言葉にふふ、とラウルが笑う。
面会時間の終わりが近づいたのか、監視役の足音がこつこつと聞こえた。ラウルは静かにため息をつき、鉄格子から背を向けた。
「じゃあな、兄貴。バカな弟はあんたの分まで生きてやる」
「じゃあな、ラウル。せいぜい死に物狂いで長生きしろよ」
二人揃って声が震えていたが、互いにそれ以上の事は何も言わず、ラウルは監視役の案内で牢屋を後にした。
それが、俺が見たラウルの最後の姿だった。
* * *
「ラウルさんはどうして旅をしているんですか?」
前々からほんの少し気になっていた疑問を、目の前に座るラウルにぶつけてみた。とある国のとある宿、眠る前の退屈しのぎにはちょうどいい質問だろう。
「……何故、そんな事が気になる」
そう問い返してくるラウルの髪はしっとりと濡れている。先程シャワーを浴びてきたのだから当然の事だが、湿った髪が額に張り付いている様を見ているとどきりとしてしまう。
もう少し技術が発達した国であれば温風で髪を乾かす機器があるものだが、生憎あと一歩及ばずこの国にはそんな便利なものはない。自分の髪をつまんでみるが、まだ生乾きと言ったところだ。
「寝る前の退屈しのぎになるかと思いまして。あとは、純粋な興味です」
「純粋な興味か」
ラウルは暫く黙った後、ふうとため息をついた。
「……青い鳥は知っているか」
「青い鳥、ですか」
現実には存在しない鳥。不可能、あるいは無限の可能性の象徴。世間一般でよく言われることを挙げていくとラウルは「それだ」と頷いた。
「お前は、青い鳥はいると思うか?」
それがラウルの旅の目的と何の関係があるのだろう。私はそんな疑問を胸に抱えながらも首を振った。
「いるのならとっくの昔に写真が出回っていたり愛玩用に乱獲されているでしょう。世界広しといえども、誰の目にも触れていないとは考えづらいですね」
「真っ当な考えだ」
ラウルがふと目を伏せる。私はその様子にかすかな違和感を覚えて、慌てて言葉を付け加える。
「あ、でも、青い鳥を信じてる人をバカにする気持ちはありませんよ! 存在するかしないかはさておき、誰かの心を支えてる青い鳥は好きです! ガチガチに否定するわけじゃないし、もし青い鳥が実在したら素敵だなあって思いますし! あとどんな味か気になります!」
「食う気か」
ラウルの突っ込みに勢いで「あわよくば!」と返してしまう。珍しいもの、美味しいものを食べる為に旅をしているとはいえこれは失言だったか――と頭を必死に回転させている中、ラウルに感じた違和感が消えている事に気付く。
「フォルテの考えはよく分かった」
ラウルは静かに立ち上がり、部屋を後にした。恐らく用を足しに行ったのだろう。
「…………」
しんと静まり返った部屋で回転していた頭が落ち着きつつある中、私は自分のベッドに潜り込んでぽつりと呟いた。
「……はぐらかされた!」
青い鳥の話をしただけで、結局旅の理由は教えてもらってないではないか! 私は布団を頭から被り、いつか旅の理由を聞きだしてやると決意を胸に秘めた。
……翌日、生乾きの頭で眠った為に髪型がものすごい事になったのは言うまでもない。