空の旅人 第五話「代償」

 あの旅人夫婦を見ていると、人の絆とは脆いものだと改めて思う。
 正確に言えば彼らは既に旅人ではなく、私が取り扱う商品の一つと化している。旅の生活で鍛えられた肉体は価値が高く、他の商品より良い値が付くことが多い。旅人が持つ資質は魅力的だが、同時に警戒心が強く捕まえる事は難しい。しかし彼らは油断していたのか単なる阿呆なのか、あっさりと睡眠薬入りの薬を飲んだ。
 立派な商品になるよう教育を始めて数日間は、互いの絆を信じあう美しい愛情を見せてくれた。しかしそれが崩壊するのはあっという間で、今や彼らは顔を合わせる度に商品となってしまった非を醜くなすりつけ合っている。
 夫婦には子供がいた。十にも満たないその子供は、両親の喧嘩を見る度泣き出しそうな顔をしていた。普段は私の命令をよく聞く従順な子供だが、両親の喧嘩を見、時に罵声の矛先が自身に向けられるとその日一日は作業効率が大きく落ちた。子供は上手く躾けて育てれば、従順で若い肉体を持つ優良商品に化ける。男であるから肉体労働用になるのだろうが、それでも育てる為に金と時間をかけても釣りがくる。
 この金の卵を育てるに当たり、旅人夫婦の罵声は非常に邪魔だ。あの二人の資産価値は年齢的にこれから目減りしていく事を考えると、早めに売り払っても問題はない。

 ある日、とある大国の使いと面会して商談を行う。その大国が資源採集の為の労働力を大規模に募集している事は同業者の間で噂になっており、たまたま近辺を訪れる機会があった為商談を持ちかけた。自由に動かせる商品の数と値段を提示すると、大国の使いは二つ返事でその条件を呑んで代金を手渡してきた。少し吹っ掛けたにもかかわらずこれだから、同業者間で噂になるのも頷ける。
 ともかく、あの旅人夫婦を含む、労働力として期待できる商品の何割かを大国の使いに引き渡して商談を終えた。久々の高額収入で気分がよく、倉庫で寝かせていた酒を一瓶飲み干した。
 酒のおかげで高揚した気分のまま、他の商品の様子を観察しに行く。肉体労働用の商品が減った分だけ檻の中は広く見え、今まで奥の方にこそこそと隠れていた雌の商品の姿もいくらか見えやすくなった。雌の商品も劣化が早い。つい先日入荷したものだが、次に訪れる国でさっさと売り払ってしまった方が良い。
 いくつかの檻を見て回るが特に問題はない。そろそろ部屋に戻って眠ろうかという時になって、檻の中の金の卵と偶然目が合った。私に対して嫌悪感を抱いていないその眼を見て、改めて気付く。

 薄汚れていて分かりづらいが、この少年の顔はよく整っている。肉体労働用として売るより、三大欲求の一つを満たす為に金を出せる人種に売る方が利益を出せるのではないのだろうか?
 雌の商品をこの用途で売ってきた経験上、顔立ちや体つきが整っている程価格は凄まじい勢いで上昇する事は分かっている。今まで男をこの用途で売った事はないが、少年の顔立ちと従順な性格を考えると、平均的な雌の商品以上の値が付いてもおかしくない。
 こういう事に金を出せる人間のあてはあり、しかも今はこの近辺を移動しているはずだ。少年を多少なりとも着飾らせて吹っ掛けてみるか――と、酔った頭でぼんやりと思った。まだ躾は済んでいないが、高値が付けばそれでよし。美しい子供という商品にどれほどの値が付くか、見極めてやろう。

 * * *

 とっておきの商品がある、と馴染みの商人から持ちかけられた時、また吹っ掛けようとしているのかと私は呆れた。彼は優良商品を多数扱う、その界隈ではそれなりに名を馳せた商人だが、隙あらば高値で売り付けようとするから油断ならない。見るだけならと注意深く返事をすると、彼はにやりと笑ってぱんぱんと手を叩いた。
 扉を開けて部屋に入ってきたのは、十にも満たない少年だった。安いシャツとズボンに身を包んでいるが体はきれいに洗われており、茶色の髪も切り揃えられている。少年は彼が扱う商品とは一線を画する事がそれだけでよく分かり、こちらをじっと見据える緑の瞳にどきりとした。
「つい最近たまたま手に入った。上物だろ」
 私は少年をじっと見たまま頷いた。必要最低限の清潔感を得る為だけの粗末な身なりでこれなのだから、きちんと着飾ればどうなるだろう――そう思うと同時に、財布の紐が緩んでいる自分に気付く。
「それほどきちんと躾はできてねえけど、命令に逆らう事はない。余計な知識も俺は教え込んでない」
 つまり、従順な少年を自分好みに教育できる。彼が言いたいのはそういう事だろう。
「……いくらだ?」
「そうだなあ……お得意さん価格ってことで、五十万アトラ」
「ごっ……」
 法外な値段に思わず目を丸くする。吹っ掛けるにも程がある。
「ふざけるな! それだけあれば何人の奴隷が買えると思ってるんだ!」
「よーく知ってる。でも、ただの奴隷のかき集めよりこいつ一人の方が色々な用途で価値があると思うけど?」
「それにしても、一級品の雌の奴隷より高いじゃないか!」
「見目が整ってて性格は従順、そして子供ときたら男である点を差し引いても勝つな」
 まあいいや、と彼はため息をついて首を振った。
「俺はこいつに少なくとも五十万アトラの価値があると思う。お前がそれで不満ってのなら、他の買い手を探すとするよ」
 彼は少年に手振りで指示し、少年は頷いて踵を返す。部屋の扉を開ける直前、少年がこちらを向いて一瞬だけ目が合った。その眼が少しだけ悲しそうに歪んでいる事に気づいた瞬間、私は「ちょっと待ってくれ!」と大声を出していた。
「……今日買った分はすべてキャンセル。その分の金と追加でいくらか出す。合計五十万アトラでいいんだよな?」
「イエス。ただし今日買った分とはいえ、商談成立後だからキャンセル料は貰うぞ」
「金の亡者め」
 私は忌々しげに舌打ちをする。商談成立後にこの少年を出したのは、間違いなくこのキャンセル料目当てだろう。彼の強欲さには腹が立つ。
 不足分を追加で彼に渡し、彼は札束を丁寧に数えた後に「確かに」と笑顔を浮かべた。そして傍らに立つ少年に小声で指示を出すと、少年はこくりと頷いて私の隣に歩み寄った。
「今日から、僕の主人はあなたです」
 まだ声変わりもしていない幼い声に、私の背筋はぞくりと震える。彼にとって五十万アトラは手頃なカモに吹っ掛ける為の無茶な高値なのかもしれないが、私にとってこの少年は確かに五十万アトラ……いや、それ以上の価値があるかもしれない。

 彼との取引を終えて故郷に帰る道すがら、私は祖国にどう釈明しようか頭を悩ませた。ただ手ぶらで帰るだけなら「良い奴隷が見つからなかった」と言えば怒られる程度で済むが、五十万アトラもの大金を無くし少年一人を連れ帰れば「この少年を五十万アトラで買った」と自ずと分かるだろう。金を無くした理由として空賊の存在をでっち上げた所で、私が五体満足でこの場にいるのは怪しい。
 そんな事を考えながら、私は少年に日常生活を送る上で必要な知識を教え込んだ。少年は驚くほど飲み込みが早く、一度教えた事は決して忘れなかった。敬語ではなく普通の少年のように話してほしいと命令すると、即座に口調を切り替えた。
 私の命令に素直に従い、私の教える事は全て覚えていく。日を追うごとに少年が私好みの受け答えをし、私好みの表情を浮かべていく様は得も言われぬ快感があった。
 従順な少年が私好みに変化した事により、祖国へ帰る旅路は心身ともに充実したものとなった。しかし、名前を持たず、私に気づいていない時は全ての表情が消え失せる少年の心中は、私には分からない。

 祖国に帰って間もなく、私の愚かなミスは露見した。上司の怒りようから職を失う事も覚悟したが、今回の損失……五十万アトラを一ヶ月以内に工面すれば半年間の減給処分で済ませるという意外な処置が出た。もし五十万アトラを用意できなければ、その時はクビだ。
 職を失わずに済むのは有難いが、その前提条件に私は目の前が暗くなった。五十万アトラと言えば、私の年収に匹敵する。それだけの大金を貯金もしていなければ一月で集める手段もない。遠回しなクビ宣告ではないか――とため息をつく私の眼に少年の姿が留まり、一つだけ残されていた手段に気づいた。
 この少年を上手く富裕層に売れば五十万アトラは簡単に工面できる。私を癒してくれる少年を失うのは手痛いが、この窮地を脱するにはそうするしかない。富裕層と接触するための手続きの煩雑さを考えると、悩む時間は残されていない。私は少年を呼び、少年をこの国の富裕層に売ることを告げた。
「分かりました」
 少年は事務的な口調で返し「今までお世話になりました」と丁寧に頭を下げた。
「金持ちの変態連中に君を渡したくなんかない。……けれど、こうしないと私は君を養う事も出来なくなる。だから、少しだけ待ってて欲しい」
「待ってて欲しい?」
 少年は眉間にしわを寄せて首を傾げる。ああそんな仕草も魅力的だな、と場違いな事を思う。
「働いて金を貯めて、いつかまた君を買い戻す。それまで我慢していてくれ」
 少年はしばらく無言で険しい顔をしていたが、やがて無表情に戻って「分かりました」と返事をした。

 少年がとある金持ちに引き取られたのはそれから数週間後――一か月の期限ぎりぎりの時だった。少年は五十万アトラをゆうに超える額で買い取られ、その利益は半年間の減給分に充てても十分にお釣りがくる。結果的に大儲けをしたのだが、私は気を引き締めて職務に励み金を貯めた。
 その間もこまめに富裕層と接触を図り、少年の動向を探り続けた。美しく従順な少年は富裕層の間で話題になっており、売買が繰り返され転々と家を変えているらしい。売買を重ねるうちに少年の値はどんどん釣り上がり、いつしか私が一生働いても買えない額にまで高まっていた。
 それでもいつか買える日が来るはず――と信じて働き続けて数年が経ち、ある時少年が「剥製公」に買い取られたという話を聞いた。
 剥製公とは富裕層の中でも有名な資産家だ。資産額よりも、気に入った人間を剥製にして愛でるという特異な趣味で名が知られている。実際に会った事が無い為、剥製公の人となりは分からない。しかし、彼に買い取られたという事は、少年も近いうちに剥製にされるのだろう。
 剥製公から少年を買い戻すだけの資金は無く、つまりそれは、少年との約束を果たせず少年が死ぬ事を暗示していた。
「……くそっ、剥製公か!」
 あれほどまでに私を満足させた最高の商品が、ものも言わず瞬きもしない剥製に成り下がってしまう。剥製公は何と勿体ない事をしてくれる! 私は悔しさのあまりテーブルをばんと叩いた。

 * * *

 剥製公の話を聞いた時から、この国での俺の仕事場はここだと決まっていた。「気に入ったから」という理由だけで罪もない人間を殺し剥製とする行為。それは実に分かりやすい悪の形で、そんな悪に対しては多少の罪を犯しても構わない。
 仕事の決行日深夜、あらかじめ決めていたルートで剥製公の屋敷に侵入する。何日もかけた入念な下調べの賜物だが、こうもあっさり成功すると拍子抜けする。警備員の巡回ルートも変わっている様子はなく、鍵も旧式のもので簡単に開ける。剥製公という物々しい名前に反して、警備はかなりお粗末だ。
「金目のものは、っと……」
 見取り図は手に入れられなかったが、特に問題はない。これだけの金持ちの家だとどの部屋にもそれなりに金目のものはあり、わざわざ金庫を探すまでもない。なので、警備の薄い地下へ向かう階段を静かに駆け下りた。

 地下は主に食料や資材の置き場として使われているようだ。食料庫からは珍しい保存食や年代物のワインを失敬し、資材置き場からは船の修理に使えそうな木の板を……と思ったが、流石にかさばるので諦めた。
 地下を一回りしてめぼしい物が無ければ、食料庫からもっと沢山頂いて帰ろう。そう決めて警備員に気付かれないよう廊下を歩いて他の部屋の様子を探って回る。何の用もなしていない空き部屋が大半で、これは食料庫コースかなと思い始めた矢先に、その部屋は現れた。
 一目で他とは違うと分かる堅牢な鉄の扉だった。訪問者を威嚇するような巨大な南京錠がぶら下がっており、俺は足を止めて南京錠を観察する。物々しい外見に反して単純な構造であり、警備員がここに来るまでに部屋の中を物色する事は出来るだろう。俺はさほど迷わず解錠をし、重い扉を押し開けて部屋に滑り込んだ。

「うおっ」
 数本の松明が灯されているだけの薄暗い部屋の中に、数え切れないほどの人間がいた。全員が十台前半から半ばほどの年齢で、美しい衣装に身を包んで瞬きもせずにその場に立っている。松明の光に照らされた眼球には生気が無く、よくよく観察すると彼らが例の剥製である事が分かった。
「……なんとまあ、いい趣味をお持ちで……」
 顔立ちが整っている子供がずらりと並んでいる様は流石に初めて見る。彼らが元々は生きた人間であった事を考えると怨念のようなものを感じなくもないが、その一方でこの服を剥いで売ればかなりの金になるのではないかという打算も働いた。
 服の触感を確かめようと手近な剥製に手を伸ばした瞬間、背後に人の気配を感じた。
「……どなたですか?」
 自分以外の誰かの声が聞こえ、俺は反射的に銃を抜いて振り返り、背後にいる人間に銃口を突き付けた。その後で、銃ではなくナイフの方が警備員に気付かれないのではないかと小さく後悔した。
 銃口の先に立っていたのは、十台前半から半ばほどの少年だった。清潔な身なりと整った顔立ちから、剥製が生きて動き出したと錯覚しかけたがそんな事は有り得ない。元からこの部屋にいた「人間」なのだろう。ともかく気配の主が騒ごうとする気配を持たない為、俺は警戒を少し緩めた。
「お前こそ誰だ。こんなとこで何してんだよ」
「私は、ご主人様の命令でここで一晩過ごすように言われました」
 変声期を過ぎたらしい少年の声は落ち着いていて、銃を突き付けられた人間の反応とはとても思えない。ご主人様とはおそらく、剥製公だろう。
「お前のその恰好……近いうちに剥製にされんじゃねえか?」
「そのようです。今日ここで一夜を過ごすのも『友達への顔見せ』だと仰っていましたから」
 少年は淡々と語るが、俺はその内容に顔をしかめた。この少年がこの部屋で一夜を過ごすという事は、近い将来の自分の姿――剥製となってこの部屋を飾る一部となる事を認識させるという事だ。その悪趣味さに反吐が出そうになる。
「……お前、名前は?」
「名前は無いので、お好きなようにお呼び下さい」
「名前が無い? 両親に付けてもらった名前とかは?」
「記憶にありません。それに、私はご主人様の望むままに性格も表情も変えてご主人様を満足させる商品です。名前も、ご主人様が望む名であればそれで十分です」
 商品。
 少年のその言葉が胸に引っかかる。
「自分が商品だって言うなら、いくらするのか言ってみろ」
「今のご主人様に買われた際の値段でいいですか」
 俺が頷くと、少年は絵空事としか思えない金額を言った。死すら恐れない従順な人間というのは、そこまで値が張るものなのか。俺にはまるで分らない世界だが、人間の命に値をつけて商品のように扱うという行為にはひどく虫唾が走る。
 剥製にされて死ぬ事を「ご主人様が望む事だから」と受け入れている少年を助ける術はないものか――と考えているうちに、タイムリミットは近づいてくる。少年の性格を考えると無理に連れ出そうとすると抵抗するだろう。俺は仕方なく少年の腹を殴り、大人しくなった少年を抱えて部屋を後にした。

 まずは少年をこの異常な環境の外に連れて行かなければならない。少年がどのような経緯を経てこんな性格になってしまったのかは分からないが、主人が死ねと言えばはいと頷いて死ぬのは絶対に間違っている。
 主人が望むからという理由で変えられる事のない、本当の「名前」も与えよう。名付けの感性に乏しい俺が思いつく名前はただ一つ――かつて失った弟の名だけだ。
「……ラウル」
 少年の意向を無視し、勝手に連れ出して名前を与えようとしている点では俺も剥製公も大差ない。しかし、俺はこの少年を商品ではなく人間として接するつもりだ。
 俺のようなしがない旅の泥棒が一人の人間を真っ当な道に戻す事が出来るのか。不安は大きいが、やるしかない。俺は少年の身体を抱えて真っ直ぐに宿へ向かった。

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