空の旅人 挿話「青い鳥」

 空賊と言う商売は簡単なように見えて案外難しい。旅人や行商人を襲い積み荷を奪う、とやる事自体は非常にシンプルだ。法の制約が無い国外では罪に問われる事も無い。しかし、空中で積み荷を奪う事など出来るはずもなく、獲物が手頃な無人島へ逃げるよう誘導する必要が必然的に生まれる。その誘導が難しいもので、空賊が狩りに成功する確率は意外と低い。それ故に空賊は小規模で常に飢えている事が多く、大規模な組織として成立している空賊は非常に稀な存在だ。
 そんな無意味な事をつらつらと思い返していたのは、私達がちょうどその非常に稀な存在に襲われている真っ最中だからだ。

 私達の周りを数隻の飛行船がハエのように飛び回っている。機動性を重視した一人乗りの機体からは、投降を命じる言葉が何度も拡声器で発せられている。背後をちらりと確認すると、巨大な飛行船がゆったりと、しかし確実に私達を追ってきている。
「しつこいですね」
 私はガルバートの手綱から片手を放し、手鏡で太陽光を反射して信号を送る。光を反射する長さを組み合わせて単語を作る事は、一般的な通信手段として用いられている。空賊が知らないはずがないだろう。
 拡声器の言葉を聞く度に断りの文句を伝えているのだが、空賊達が諦める気配は一向にない。これが一般的な小規模の空賊であれば、ガルバートの体力を活かして相手が燃料切れになるまで逃げきれるものだが、今回はそうもいかない。ハエのように飛び交う小型の飛行船は、燃料が尽きてくると背後の巨大な飛行船に帰還し、代わりの飛行船が新たにやって来る。私達に対する監視の目を絶やさない鮮やかな交代は、彼らが立派な組織として成り立っている事を感じさせる。
「武力行使に及ぼうとしても、この人数ではな」
 私の背後でラウルが呟く。彼の手には私の銃が握られており、近づいてきた飛行船に対して威嚇射撃を行っていた。運転手やエンジン部分を撃つ事が出来ればそこを突破口にして逃げられるかもしれないが、生憎彼らが乗っている飛行船は運転手を頑丈な防弾ガラスで守り、エンジンは剥き出しではなく船の内部に隠されていた。ただの拳銃で落とせる代物ではない。
「ガルバートはあとどれぐらい飛べる」
「風に乗って体力の消費を抑えたとしても……空が赤くなり始める頃まで、ですね」
 今は昼を過ぎて間食の時間帯だ。朝からずっと逃げ続けている事を考えると、ガルバートの限界は日の暮れ始めだ。そして、空賊はそれまでに退散する様子はない。
「身を隠せる場所が多い島を探しておいた方が良いな」
「はい」
 空賊から逃げおおせるための条件ではない事は分かっている。こんな大集団を相手にする際は、まともに正面からぶつかっても勝ち目はない。死角から攻撃を重ねるゲリラ戦法しか私達が生き残る術はない。
 空賊に悟られないよう素早く辺りを観察するが、手頃な島は見当たらない。そもそもこの辺りには島が少なく、着陸できる島と言えば遠く真正面に見える、まばらに木が生えた平地の島しかない。ゲリラ戦法とは無縁の寂しい島だが、ガルバートの体力を考えると着陸できる島と言えばあそこしかない。
 気付かないうちに上手く誘導されてしまったものだ。
「まずいな」
 ラウルも選択肢が狭められている事に気付いたのだろう。
「一か八か、あの島に上陸して迎え撃ちますか?」
「蜂の巣にして下さいと言っているようなものだぞ」
 あんな場所に着陸してしまえば、飛行船に備え付けられた機銃で粉微塵にされてしまうのは目に見える。財産である荷物を抱えていれば粉微塵は避けられるかもしれないが、それは窃盗に失敗した泥棒が住人を人質に籠城するようなものだ。無駄なあがき以外の何物でもない。
「それじゃあ、限界まで飛んで落ちて死にますか。少なくともあいつらのこの一日の努力はパーになりますけど」
「リスクに対してリターンが少なすぎる」
「ですよねえ」
 どう考えても八方ふさがりの事態なのだが、とりあえず着陸は考えずにガルバートを飛ばし、拒否信号を発し続けた。

「これが最後の警告である」
 日が低くなり、空の色が変わり始めた頃、真横を飛ぶ飛行船からそう呼びかけられた。警告の内容は依然変わらず、投降して荷物を明け渡せと言っている。最後通牒だからか「大人しく従えば殺しはしない。拒否、あるいは無視を確認次第、手荒な手段を取らせてもらう」と付け加えられている。
「……ですって」
 そうラウルに意見を求めると、ラウルは銃弾を装填しながらため息をついた。元々はラウルの持ち物だったとはいえ、久々に触れる拳銃を問題なく扱っている。
「自給自足も望めないあの島で荷物を明け渡せば、あいつらに殺されずともいずれ飢え死ぬ」
 旅人や行商人が通りすがれば助けを求める事も出来るだろうが、生憎この辺りは人の往来が頻繁にあるような有名なルートではない。仮に荷物を明け渡して助けを待つとしても、私達が生きている間に助けられる可能性はゼロに等しい。
「撃たれて死ぬか飢えて死ぬか、どっちにします?」
「どっちもお断りだ」
 ラウルは私の手から鏡を奪い、飛行船に向けて信号を送る。拒否の意を伝えている事は見なくともわかる。
「垂直落下で距離を稼げ」
「はい――えっ?」
 短い指示に短く返すが、その内容に思わす聞き返してしまう。垂直に落ちるように飛べば確かに彼らとの距離は容易に稼げる。飛行船は量産性や取り回しのやりやすさで見ると優れているが、その機動性は竜には遠く及ばない。いくら体力が尽きかけているとはいえ、唐突に垂直落下をすれば簡単に引き離せるだろう。
 だが、垂直落下は荷物も載せずフォルテ一人がガルバートを駆っている状態でも難しい。故郷で何度か練習したがまともに舵を取れたためしは無く、旅に出てからは試したことすらない。今垂直落下をしたとして、荷物の安全もラウルの安全も保障できない。その事はラウルにも説明をしたはずだが、忘れているのだろうか? いや、ラウルに限ってそれは無い。
「この際荷物は捨てるつもりで行け。命あっての物種だ」
 そう言いながらラウルは私の腰に手を回す。振り落とされないようしがみつくだけだと分かっていても、間近に感じるラウルの体温に心臓が勝手に早鐘を打つ。
「わ、わわ、わかりまし」
 分かりました、と答える事を妨害するかのようにパンと乾いた破裂音が鳴った。

 銃声の主は今しがた警告を発していた船だとすぐに分かった。防弾ガラスの窓を少しずらして開け、そこから大型拳銃が顔を覗かせている。銃口はガルバートや荷物ではなく、私に真っ直ぐ向けられている。
「……成程、手荒だ」
 ラウルが威嚇射撃を行うが、防弾ガラスの飛行船相手ではやはり無理がある。
 運転手である私を射殺し、舵を失い疲れ果てたガルバートがあの島に上陸するよう誘導するつもりなのだろう。飛行船の運転手であればそんな事は出来ないが、乗っているのが生物である竜だからこそ出来る力技だ。銃口から覗く死の気配に悪寒が走り、手綱を強く握りしめた。
 荷物がどうとか言っていられない。ガルバートに垂直落下の指示を出そうとした瞬間――
「伏せろ!」
 背から乱暴に突き倒され、乾いた破裂音が何発か重なる。私を突き倒した腕が一瞬だけ強張ったが、すぐに力が抜ける。私がすぐさま起き上がって体を捻って後ろを見ると、そこには肩と脇腹から血を流すラウルの姿があった。
「え」
 ラウルが血を流す? 信じがたい光景に目を丸くしていると、当のラウルと一瞬だけ目が合った。ラウルは何か言おうと口を動かすが、口が言葉を紡ぐ前に、ラウルの身体がぐらりと傾いて私の視界から姿を消した。
「ラウルさん!」
 かっと頭が熱くなる。手綱を思い切り引き、ガルバートに理解できる言葉で垂直落下を指示する。ガルバートは泣きそうな声で返事をし、体を下へと傾けた。彼女の声が怯えきったものなのは、銃と言う危険に晒されたからか、それとも普段と違う私の声に恐怖を感じたからか、私には分からない。

 ろくに舵も取らず真っ直ぐ下へ落ちて行く。飛行と言うより自由落下に近く、背に載せた荷物の事など全く気にもかけなかった。全ての意識は前方に集中し、私の眼は身一つで宙を落ちるラウルだけを捉えている。
 あの瞬間、私達は周りを飛んでいた飛行船から集中砲火を受けた。集中砲火と言っても隻数はたかが知れているが、馬鹿にはできない。本来であれば私が銃弾の洗礼を受けていたのだろうが、集中砲火を察したラウルが私を突き倒して代わりに洗礼を受けた。
 揺れの激しい飛行船に乗りながら、拳銃で竜に乗る人間の頭や心臓を狙い撃つのは難しい。肩と脇腹と言う即死には至らない箇所への被弾は当然と言えば当然だが、それでも不安定な竜の上では致命傷となり得る。というか、こうして竜から落ちたのだから十分に致命傷だ。
 空賊が追って来ているかどうかを気にかける余裕はない。このスピードで垂直落下をしていれば恐らく撒けただろう、と希望的観測だけ投げて目の前に集中する。
 出来るだけ空気抵抗を減らすようガルバートに体をぴったりと付け、巨大な桜色の弾丸のようにラウルを追う。じりじりと焦らすように、ラウルとの距離は狭まっていく。
「ラウルさんっ!」
 ほぼ横一列に並び、私はガルバートから身を乗り出して片手を伸ばした。落ちるように飛ぶガルバートの上でギリギリのバランスを保ちながら手を伸ばし、何度も何度もラウルの名を呼ぶ。すると、ラウルはうっすらと目を開けて私の存在に気付いた。
「……フォルテか」
 風の音に阻まれたので、実際にそう言ったのかは分からない。口の動きからの類推だ。ラウルは私の手を掴み、私は力まかせにラウルを傍に引き寄せる。
「体に力は入りますか? 酷な事を言って申し訳ないのですが、これから垂直落下から水平飛行に移ります。しっかり私に掴まって下さい。それと、タイミングを見てガルちゃんの背中に乗って下さい」
 ラウルが頷いて私の腰に手を伸ばしたことを確認し、ガルバートに水平飛行に移るよう大声で指示を出した。ガルバートは「ぷええ」と鳴いて風の抵抗に負けず羽を動かし始める。
 元々低い層を飛んでいて、さらにこの落下だ。今現在、私達はかつて訪れた事も無い低層区にいる事は間違いないだろう。治安の悪さを考えると不安は尽きないが、とりあえずは手近な島を見つけて体勢を立て直すことが急務だ。
 などと考えながら手綱を握りガルバートにしがみついていると、ふいに風がやんだ。
「……えっ?」
 虚を突かれたのも一瞬の事。次の瞬間には、殴りつけるような暴風が吹き荒れた。
「ぷええええ!」
 ガルバートが悲痛な声をあげ、水平飛行に移ろうとしていた体は暴風に煽られてコントロールを失った。
「ガルちゃん!」
 手綱を引くがガルバートの身体は自由に動かない。体力があれば暴風に負けず羽を動かすことも出来たのだろうが、もはやガルバートの体力は限界で、暴風に抗う力はない。暴風に流されながら尚も下へ落ちて行く。
「ガルバートは飛べないか」
 間近からラウルの声がする。私は手綱を引きながら何度も頷いた。近くに着陸に適した島があれば怪我を覚悟で乱暴に乗り上げる事が出来るかもしれない。しかし、目の前に広がるのは暴風に流される雲の集団ばかりで、島があったとしても雲に阻まれてここからは見えない。
「分かった」
 ラウルはそう言うと、怪我人とは思えない力強さで私の身体を背後から抱きしめた。そして、自身の体を落下方向に持っていく――そう、まるで落下の衝撃から私を守るかのように。
「ラウルさ」
 どうして、と問うてその腕を振り払う前に、桜色の弾丸は雲の中に突っ込んでいった。

 * * *

 雲の中を落ちて行き、永遠に続くかと思われた真っ白な世界は唐突に開けた。落ちるにつれて雲の集団の全容が見え、その隙間には抜けるような青空がわずかに見える。
 ああ、こんな旅の途中で私はどこかの無人島に叩きつけられて死ぬのだな――と思っているとガルバートがふいに「ぷ」と鳴き、ばさりと羽を広げる音がした。飛べるほどの体力はないのにどういうつもりなのだろう。と思った瞬間、ざぶんと大きな水音が鳴って私の視界は水泡に遮られる。
(湖?)
 着水の衝撃で朦朧とする意識を懸命に繋ぎとめながら、目を開けて手綱を握り締める。あれだけの高度を落ちてきて意識を保てているのは、ガルバートとラウルが着水の衝撃から守ってくれたおかげだろう。
 湖は相当に深いらしく、私達の落下エネルギーを使い果たしてもなお底に着く気配はない。浮き上がらないと、と思った矢先にガルバートがぐんと私達の体を引っ張り上げる。私はラウルとはぐれないよう彼の腕をしっかりと掴み、余った手で改めて手綱をしっかりと握り締めた。

「――ぶはあっ!」
 水面から顔を出し、大きく息を吸う。澄みきった空気が肺を満たし、湖から岸に這い上がる。すぐ傍にはガルバートがぐったりと横たわっており、静かに目を閉じている。長時間の飛行と落下、そして泳ぎとなるといくら頑強な竜でも休まなければならない。私はガルバートの鼻面を撫で、隣にラウルを寝かせる。
 ラウルの意識はとうに失われていた。銃創からはどくどくと血が流れ、落下の衝撃の為か左足が奇妙な方向に曲がっている。恐らく全身にひどい打撲も負っているだろう。
 ガルバートの背を確認するが、そこに私達の旅荷物は無い。当然と言えば当然だが、応急手当ても出来ないとなると焦りが生まれる。ある程度進んだ文明を持つ住民がこの島にいればいいが――と思った矢先、背後から砂利を踏みしめる音がした。
「おや、ここまで墜落してきて生き残るとは珍しい」
 振り向くとそこには人のよさそうな顔をした男性が立っていた。大きな籠を背負い、籠の中には沢山の草や木の枝が詰め込まれている。旅人ではなく住民だな、と頭は冷静に判断する一方で、私の眼はただ一点……男の肩にとまる鳥を捉えていた。
「あお」
 夏の青空のように美しい青い鳥だ。スズメのように小さい体で短い尾羽をひょこひょこと動かしながら、青い鳥はこちらを見てぴいと鳴いた。
「お連れさんの怪我の手当てをしないとな。僕が住む集落がこの近くにあるから来るといい」
 呆気にとられている私を尻目に、男はにこりと微笑んで話を進めていく。
「ようこそ、空の底へ」

 男が住む集落は本当にすぐ近くにあった。石造りの防壁ではなく杭を刺しただけの簡素な柵がぐるりと集落を取り囲み、集落には木造の家屋がまばらに建っている。集落の周りには桜の木が大量に立ち並んでおり、穏やかな風に吹かれてひらひらと花弁が舞っている。
「手前から二番目が先生の家だ。さっきの騒ぎは先生も知ってるだろうから、すぐに話はつくよ」
 男はそう言いながら気絶したラウルを背負って集落を歩く。大きな籠は先ほどの湖のほとりに置いて来ていた。随分と不用心だが、大人しく男の厚意に甘えた。
「先生、急患、急患! 大急患!」
 先生の家に着くなり男は大声を出しながら扉を開けた。鍵も閉めていない家主の防犯意識も問題だが、何の躊躇もなく他人の家の扉を開ける男もどういう神経をしているのだろう。泥棒と間違われて射殺されてもおかしくないのではないか。
「どうしたどうした、もしやさっきの騒ぎの張本人か」
 机に向かって書き物をしていた老人が立ち上がって慌ただしく医療道具を用意し始める。どこかお祭り騒ぎのような彼らの調子に合わせられず、私は壁にもたれかけて床に座り込む。
「おお、おお。こっちの兄さんは大変だ。すぐに手当てをせんとならん。そっちのお嬢さんも具合が悪そうだけどしばし待っとくれ」
「私は単なる軽い打撲と疲労だと思うのでお気になさらず。それより、ラウルさんをお願いします。あと、竜にあげる為の食糧をなんでもいいので分けて頂けるとありがたいです」
 竜に詳しい医者がいれば万々歳なのだが、流石にこの狭い集落でそれは無いだろう。幸いにもガルバートに目立った外傷は無いため、食糧を与えて経過を見るだけでも十分だろう。竜と言う生き物の強さに感謝する。
「よしわかった、今余ってるのは野菜ぐらいしかないけどそれで良いか?」
「お願いします」
 男はにこりと笑って頷き、慌ただしく家を後にした。その後姿を眺めながら、私は長い溜息をついた。
「……助かった……」
 どっと痛みと疲労が押し寄せる。ごろりと床に寝転がり、まぶたを閉じるとすぐに意識が遠のいた。

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