Rebirth [1]
今あなたがこれを読んでいるということは、私はもうこの世にはいないことでしょう。
あなたは驚くでしょうか。悲しむでしょうか。
もしも悲しんでおられるなら、その必要はありません。
私は死ぬのではありません。本当の私に生まれ変わるだけなのです。
それは私が生まれてからずっと望んできたことなのですが、こうしてその時が近づいてくると少しためらうものがあります。
私は、今こうしてあなたに宛てる手紙を書いている私も好いているのです。
本当の私に生まれ変わり、私という存在が薄れてしまうことが少し惜しいのです。
だからこの手紙に私という存在が辿ってきた道筋を書き記しておこうと思います。
この手紙は、私が存在していた証です。
どうか、どうか、目を通していただけませんか。
* * *
私はこの国の国王の子として生まれました。
しかし私は正式な王子ではなく、むしろ王の子とは呼べない立場にありました。
私が生まれる前、王と王妃は子宝に恵まれませんでした。
何年経ってもその兆候はなく、ある時王は大きな決断を下しました。
王は女中と子を作り、それを王妃との間にできた子として育てるということでした。
反対の声もありましたが、王室の存続のためにやがては王の決断を後押しするようになりました。
そうして王と女中の間に生まれた子が私です。
ところが皮肉なことに、女中が身ごもったのと同時に王妃も身ごもったのです。
これには事情を知る者全員がひどく驚いたと母から聞きました。
王妃が身ごもったとなれば、女中の子……つまり私はもはや不要です。
こうなると王が企てた計画の証である私は王室にとってお荷物でしかありません。
大臣達の中には私を殺してしまおうという意見もありましたが、王がそれを許しませんでした。
どんなに厄介であっても命は命。無下にしてはならない。王はそう言ったそうです。
大臣と王の間でしばらくの間確執がありました。
確執の末に、母も私も殺さないということになりました。
ただし、このことを漏らさないため私達を城の一室に幽閉する。
王は渋々この条件を受け入れたそうです。
偶然にも、私が産まれるのと王子が産まれるのは同じ日でした。
私と王子は実に対照的なものでした。
一方は国の未来を担う光。一方は国にその存在を疎まれる影。
王子は私のことなど知りませんでしたが、私は王子の事を密かに慕っておりました。
そこに恨みや妬みといった感情はありませんでした。
そもそも、私にはそういった悪い感情が欠落しているのです。
二十年間、私は一度も怒ったり恨んだり妬んだりしたことはありません。
人はそれを羨ましいというかもしれません。
しかし、私は一度でいいから怒ったり恨んだり妬んだりしてみたい。
まともに感情がそろっていない私は、人間ではないような気がするのです。
あるべき姿になりきれていない不完全な存在。
私は感情がないことに気付いてからは、毎日のようにあるべき姿になることを望んできました。
話は変わりますが、あなたもご存知でしょう。塔に済む化け物の話を。
国の外にそびえ立つ塔。神話の時代から存在したといわれていますね。
そして塔の中には白い化け物が住んでいる。
白い化け物は百年に一度生贄を求め、生贄を喰らうことで長い時を生きている。
その百年に一度の時が訪れたことをあなたはご存知でしょうか。
白い化け物がどのようにして生贄を選び、選んだ生贄をどのようにして私達に伝えるのかは分かりませんが、その時が来たことは確かです。
私が生贄に選ばれたのですから。
* * *
その事を告げられた時、私は少しも動揺しませんでした。
それどころか、高揚さえしていたのです。
城の一室に幽閉されたままでは私はあるべき姿になれない。
ならば例え生贄としてでもどこか別の世界に行くべきだ、と考えたからです。
白い化け物に喰らわれるとしても、恐怖はいささかもありません。
白い化け物の姿はとても醜いと聞きます。
生贄の時に、生贄と生贄を塔に納めに行く者だけがその姿を見ることが出来ます。
納めた者が言うには、白い化け物は想像できうる最も醜い姿よりも一回りも二回りも醜いそうです。
何人たりともその姿を描くことはできないほどです。
ただ一つ伝えられたことは、真っ白な体をしていたということだけ。
塔に納められる時が近づくにつれて、塔からは獣の遠吠えのようなものが聞こえてくるようになりました。
あなたも聞いたでしょう。あなたはそれをどう感じましたか。
大臣達や国王のように恐怖を感じるでしょうか。
母のように絶望を覚えるでしょうか。
私は決してそう感じませんでした。恐怖も絶望もありません。
遠吠えを聞くたびに、白い化け物を哀れに思い、同時に激しく彼女に惹かれました。
彼女の遠吠えには怒り、恨み、妬み……私が持っていない感情の全てがこめられているのです。
しかし、そういった感情だけで他の感情は一切入っていないのです。
世界に対して負の感情しか持っていない彼女を、私は哀れに思いました。
世界には素晴らしいことも沢山あるのに、彼女はそれを知らないのです。
世界に対して負の感情しか持っていない彼女に、私は激しく惹かれました。
彼女は私があるべき姿になるための鍵なのかもしれないのです。
その時が近づくにつれて、私は彼女を強く求めるようになりました。
彼女もまた私を求めています。
母には申し訳ありませんが、私はその時が楽しみでなりません。
* * *
今、窓の外には太陽が顔を出し始めました。
私が見る最後の太陽です。空を明るく染め上げる太陽のなんと美しいことでしょう。
今日、私はあの塔に行きます。
私達は一つになり、あるべき姿になるでしょう。
彼女と接触したことはありませんが、そうなる確信があります。
今、迎えの馬車の足音が聞こえました。
駆ける馬の足音のなんと軽やかで美しいことでしょう。
私があるべき姿に戻ってからも、この美しい世界はいつまでも続くことでしょう。
どうか、あなたが幸せでいられますように。
どうか、この世界が幸せでいられますように――
* * *
――きっかけは、一人の少女だった。
少女は平凡な農家の一人娘だった。
ふとしたきっかけで少女は王子と知り合い、二人はひと目で恋に落ちた。
少女は農作業の合間を縫い、王子は教育係の監視の目をかいくぐって逢瀬を重ねた。
しかし幼い二人が関係を隠し続けることは不可能だった。
二人の関係が露見するや否や王子は少女との結婚を求めたが、当然ながら王は猛反対した。
それでも少女と王子は退かず、ついには結婚を認めないなら二人で死ぬとまで言い出した。
跡継ぎに死なれては困る。王は最終手段に踏み切った。
遥かな昔からそびえ立つあの塔。
調査で塔にはおびただしい量の書物しかないことが知られていた。
あの塔には化け物が住んでいて、化け物が生贄を求めていることにすればいいのではないか。
そして少女を生贄として、塔で抹殺する。
そうすれば王子を元の正常な道へ戻すことが出来る。
王は秘密裏に計画を進め、そして実行した。
塔で抹殺された少女は死の間際に深い悲しみを覚えた。
その悲しみは塔に染み付き、少女の遺体が塵となって消えた後も消えなかった。
* * *
王の計画は、王室の存続に危機をもたらす存在を消すための最終手段として密かに王室に語り継がれていた。
危機をもたらす存在は百年に一度ぐらいの割合で現れ、その度に王の計画が使われた。
塔で誰かが殺される度、塔に深い感情が染み付いた。
やがて、数多の感情は一つの大きな意思を生み出した。
彼女は最初は単純なことしか考えられなかった。
ただ深い感情を求めることしか。
百年に一度の計画を待つしか出来なかった。
長い時を経て、より多くの感情を食べることでより高い知能を得た。
高い知能を得た結果、彼女は自分がすべきことに気付き始めた。
自分はまだ不完全な存在だ。
自分を完全な存在にしてくれる、もう一つの不完全な存在がやって来るのを待つべきだ。
それまでの間はより完全な存在になるために自分を磨く。
彼女は自分を磨くため、定期的にやってくる生贄の心を喰らった。
「化け物」の存在が王室に感づかれると、より多くの生贄が塔に送られるようになった。
王室にとっては嘘から出た真であり、もう「化け物の話は嘘だ」と糾弾されることを恐れずに済むようになった。
だからちょっと邪魔なだけの存在も塔に送り込むようになった。
百年に一度と呼ばれる生贄の時も、百年も生きる人間はいないのだから、そう頻繁にしないかぎり矛盾を指摘されることもない。
王室にとっても彼女にとってもありがたいことだった。
* * *
ある時彼女は「彼」の存在を感じた。
普通の人間とは違う。何かが欠けている。
彼女はすぐさま彼に会いたくなった。
彼女は塔の中だけの存在のため塔を出て彼に会いに行くことは出来ない。
彼と接触するにはどうすればよいのか、彼女は考えた。
そして彼女は声で彼に呼びかけることを思いついた。
彼女は生まれて始めて声を出してみた。
初めはなかなか慣れなかったが、練習するとそれなりに声が出るようになった。
毎日毎日彼女は呼びかけ続けたが、彼からの返事はなかった。
彼は人間であり、塔に響くまでの大声を出せなかったから当然のことである。
しかし彼女はそれが理解できず、呼びかけるたびに彼女は彼からの返事を心待ちにしていた。
ある日の夕暮れ、彼女は馬車の音を聞いた。
足音から、この塔へまっすぐ向かってきていることが分かる。生贄だ。
普段なら生贄はただの食料としか思えないため、特別な感情を抱くこともなかった。
ところが今回は違った。
何故か激しい胸騒ぎがする。
彼女は注意深く馬車に乗っている者の気配を探った。
普通の人間の気配が数人。そして――彼の気配。
彼がここへ向かっている。彼女の胸騒ぎはいっそう激しいものになった。
ついにこの時が来たのだ。
彼もまた、馬車に揺られながら胸騒ぎを覚えていた。
彼女に会える。自分は完全な存在になれる。
喜びもあるのだが、疑問もあった。
何故自分は不完全な存在として生まれたのだろうか。
しかも、完全な存在となるための鍵が彼女という不可思議で出会い難い存在なのだ。
ここから想像してみると、完全な存在とはかなり特殊な存在ではないのだろうか。
いや、そもそも自分はその「完全な存在」が何らかの理由で分断されて生まれたものではないだろうか。
分断されなければならないほどの存在――。
彼は完全な存在に思いをはせる。
* * *
――やっと来てくれたのね。
「うん、遅くなってごめん」
――私達、これで戻れるのね。
「そうだね……楽しみだよ」
――それにしてもあなた、似てるわ。
「誰に?」
――私が初めて好きになった人に。
「どんな人だったの?」
――この国の王子で、とても真面目で優しい人よ。
「…………」
――どうしたの?
「なんでもないよ。さあ、始めようか」
――完全な存在……どんなヒトなのかしらね。
「うん、楽しみだね――」