英雄/side-K [3]
「すみません、夜分に失礼します」
と町長が迎賓館を訪れたのは日が暮れて少し経つころのことだった。以前からこまめに様子を伺いに来ていたが、僕が化物退治を引き受けてから町長が訪れてくるのは初めてだった。
いつも通りに適当にもてなし、適当に世間話を交わした。でも、世間話は町長にとっても僕にとっても気にかけてられないことだから、妙なぎこちなさがそこにはあった。
世間話が一段落着いて、町長は深刻な面持ちで指を組んだ。
「……そうだ、例の件ですがね」
「化物退治、ですか」
一番話したくないこと、でも話さなくてはならないこと。僕は悟られないように身を引き締めた。
「あなた一人でやる、と仰っていますが、本当に出来ますか?」
「出来ます」
「私どもとしても、その言葉を信じたいのですが……できることなら、次の新月の日までにはしていただきたいところです」
「次の新月の日まで、ですか」
この星の月の周期はどれぐらいなのだろう。あまり月を見ていなかったから分からない。でも、あまり時間はないと考えておいたほうがいいだろう。
「もしもしていただけなかった場合、当初の予定通り私どもで退治させていただきますので、ご理解を」
「……はい」
次の新月の日が、タイムリミット。
* * *
……と頭では理解しているのに、僕はそれをトートに言い出せずにいた。トートが僕に黒い手を見せてくれたあの日から、僕とトートの仲は少し深まった。寝転がって空を見たり、洋館の中を見せてもらったり、していることは以前と同じなのだけれど、何気ない言葉や沈黙の空気がより良くなっている、ような気がする。
古びた書斎の中で、トートはずらりと並ぶ本の中から一冊を抜き取った。それだけの動作で埃がもうもうと舞い、トートと僕は軽く咳をした。
「これ」
とトートはその本を僕に手渡し、頭に積もった埃を軽く払った。
本を開いてみると、そこには細かい文字で何やらややこしいことが書いてあった。ところどころに図があるが、それも何を意味しているのか全く分からない。
「……これ、なに?」
「記憶に関する魔法を記した本です」
「そんなのがあるの?」
「あるんです。魔法は、努力さえすれば本から学ぶことも出来るのですよ」
「へえ……」
魔法とは師から直接に教わるもので、本で学んだり会得するのは不可能なものだと思っていた。
「トートも、本で魔法が使えるようになったの?」
「……ええ、まあ」
ふっとトートの表情が曇った。僕は慌てて話題を変える。
「で、でさ、記憶に関する魔法って……」
「あなたの記憶を取り戻す手がかりになるかと思って、探してみたんです」
「……でもこれ、全然意味わかんないんだけど」
最初の一文から僕には理解不可能だった。言語が違うから読めない、というわけではなく、書いてある内容が全く理解できない。難解すぎる。
「まあ、記憶の魔法は難しい魔法ですからね」
「……じゃあ、これ僕に見せても意味無いんじゃない? 分かんないよ」
トートは苦笑した。
「だろうなあとは思ったんですけど、一か八かで見せてみました」
「残念、さっぱり分かりません」
「記憶喪失になってから、長いんですか?」
本を元の場所にしまいながら、トートは問いかけてきた。
「……まあ、長いですね」
何百年かになります。
「その間、思い出す気配すらありませんでしたか?」
今までのことを思い出してみる。いろいろなところを見てきたけれど、そういう気配は全くなかったような気がする。それをトートに伝えると、トートは考え込むかのように少しうつむいた。
「……ならば、何らかの魔法で記憶が封印されている可能性はありますね」
「そうなの?」
「魔法での記憶の封印は、普通の記憶喪失よりもはるかに強力ですからね。滅多に解けるものではありません」
「ふうん……」
頭に手をやって、記憶を封印した誰かのことを考えてみる。その人は、どういう理由で僕の記憶を封印したのだろう。僕がその人に何をしたのだろう。
「……うん、教えてくれてありがとう」
素直にお礼を言うと、トートはほんの少し目を見開いて、それからふっと小さく笑った。
「なに? 僕、何かおかしいこと言った?」
「いえ、ありがとうなんて言われたの、久しぶりでちょっと驚いただけです」
恥ずかしそうに苦笑するトートはとても人間くさくて、やはり僕はトートが退治されなければならない化物だとは到底思えなかった。
「……ねえ、トート。町の人たちのことどう思う?」
自分のことを化け物だと言って忌み嫌っている人たちのことを、どう思う?
「そう、ですね……」
トートは少し考えていたが、すぐに答えた。
「私がここにいることを許してくださっている、優しい方々ですね」
トートのその言葉に、僕は何も言えなくなった。
町の人達はトートがここにいることを許しているのではなく、恐ろしいから出て行けと言い出せずにいた。優しいどころか、近々トートを殺すつもりでいる。そんな人達を、トートは優しい人だと信頼している。
「……ごめん」
僕は、そのたった一言しか言えなかった。化物を殺す計画なんて、僕には言えなかった。
怪訝な顔をしているトートを放って、僕は書斎を後にした。逃げるように足早に歩きながら、僕はありったけの言葉で自分自身を罵った。
どうして、何も言えないんだ。どうして――僕はこんなに優しくないんだ。
* * *
それから数日、僕はトートに会いに行かなかった。トートを見たら自分が情けなく思えそうで、会うのが少し怖かった。
化物退治のことを伝えなければならないのは分かっていた。それでも、ひょっとしたら彼らが言う化物はトートではなくて違う人のことではないかという都合のいい妄想に囚われて決心がつかずにいた。そんな甘いことがあるはずないと頭では分かっていたが、心はその甘い妄想に頼り切っていた。
ある日の夜更け、うとうとと眠っていた僕は外の妙なざわめきに気付いて目を開けた。カーテンの隙間から外を覗くと、何人かの人がランタンを手にある方向――森がある方角をじっと見ていた。
嫌な予感に眠気が吹っ飛んだ。外套を羽織ることなく外に出て、森を見た。
――森の中の一部分が、燃えていた。
不安げな顔をしながら森を見ている人々を横目に見ながら、僕は森に向かって走った。頭の中はたった一人の友達のことで一杯だった。
燃えていたのは、トートが住む洋館だった。洋館を取り囲むように自警団と思しき人たちが無言で立っている。その手には剣や斧、棍棒などの何かしらの凶器があって僕は寒気がした。
洋館の真正面に町長が立っていて、僕は町長の肩を叩いた。
「どうしてこんなことをしているんですか!」
町長は燃える洋館から目を離すことなく答えた。
「あなたが信用できないからです」
「新月の日まで、待ってくれるんじゃなかったんですか……!」
「それは、まるであなたは化物の味方のような言い草ですね」
化物の味方、という言葉に反応してか自警団の面々が一斉に僕を見た。誰も彼もが炎がもたらした高揚に目をらんらんと輝かせていた。人を殺すことすら厭わない高揚に、僕は一瞬だけ怯んだけれど、すぐに町長の前に立ち、洋館を守るように両手を広げた。
「僕はこの洋館に住むのは化物ではなく、心優しい人間だと思います」
町長の顔が引きつり、自警団がざわめく。これでもうこの町に入られないことが確定したけど、友達を守るためなのだから、後悔はない。
「……ほんの数日間で化物が人間だと分かるのなら、とうの昔にあの規律はなくなっていたでしょう? 何故あなたに化物が化物でないと分かるのですか?」
「毎日食べるものにも常に感謝しているあの人のほうが、こうして無意味な殺しをしようとしているあなた方よりもよっぽど人間らしいと思いますけど」
どこからか石が飛んできた。額に当たって血がたらりと垂れるが、何も言えずにいた臆病な自分を罵った時の心の痛みと比べたら軽いものだった。
町長が僕の胸倉を掴む。その手は震えていた。
「貴様、我々よりもあれのほうが人間らしいと言うか!」
「言いますよ」
「この若造が、何も知らない若造が」
「すいません、僕かれこれ何百年って生きてるんですけど、あなた僕より長生きなんですか?」
町長の手が一瞬緩むが、すぐに元の強さを取り戻した。
「下らない嘘をつくな! ……もういい、お前もここで一緒に死ぬか?」
どん、と僕を突き飛ばした。尻餅をついた僕を、町長は上から見下すような目で見ていた。
「町の人達には化物退治の際の尊い犠牲だと伝えておくから、安心しろ」
「……そりゃ、どうも」
心は恐怖で一杯だったけれど、無理に笑った。町長が片手を挙げると自警団の人達がじりじりと距離を詰めてきた。彼らの顔に迷いはなく、僕のようなちっぽけな存在なんて簡単に殺してしまいそうだ。
正直言って、死ぬのは嫌だ。ワープスターに乗ってこの場から逃げ出して、生きながらえたいという気持ちもある。
けれども、そんなことをすれば友達を守れなかったと一生後悔し続けることは目に見えている。それぐらいなら、友達を守って死んだほうがましだ。
自警団の人達が迫り、彼らが各々の武器を振り上げた瞬間――洋館の天井がばきん、と壊れた。
僕の目の前に、見覚えのある金の髪の後姿が現れた。服のところどころが焼け焦げていて、黒い両手と黒い足がむきだしになっていた。
自警団の人達が息を呑む中、黒い右手がゆっくりと水平に弧をかいた。右手から火花が走り、僕を取り囲んでいた自警団の人達がそれを浴びて一斉に倒れた。目がきょろきょろと動いたり体がぴくぴくと動いたりしているから、死んではいない。
たった一人残された町長は「化物」が近づいてくるその前に泡を食って逃げ出した。先程までの余裕は、化物を殺そうという気概は完璧になくなっていた。
僕が何か言う前に、彼は高く跳んだ――一瞬の間に、僕の体を抱えて。
* * *
僕という重荷を抱えているにもかかわらず、トートはとても身軽に、人間離れした脚力で木々の間を縫うように跳んでいた。がさがさと葉っぱが体中に当たるけれど、不快ではなかった。
ほんの数分でトートは唐突に立ち止まり、近くの大きな幹の傍に僕を降ろした。
「トート」
数日振りにトートの顔を見た。少しこげた髪や服以外に変わったところは見られず、いつも通りの優しいトートがそこにいた。
トートはお久しぶりです、と短く挨拶をしてから尋ねてきた。
「どうしてあんなところに?」
「運命の神様のお導きで」
「……まさかあなたが神様を信じているとは、嘘でしょう」
「嘘だってやっぱり分かる?」
僕は手短に今まであった事を全て話した。皮肉なことに、あれだけ出てこなかった言葉が「退治」が終わった後ならばいくらでも出てきた。
「……そう、だったんですか……」
「ごめん、今まで言い出せなくて」
気が遠くなるほど長かった数日間、言いたくても言えなかった言葉がするりと出てきた。つっかえていたものがどんどん消えていって、何故だか泣きそうになった。
「何を謝る必要があるのですか」
「だって、僕が早く知らせていたら、家を燃やされることはなかったかもしれない」
「いいんですよ、家ぐらい」
にこりと笑うトートには本当に家などどうでもいいという雰囲気があって、やっぱり泣きそうになった。けど友達の前で泣くのは何となく恥ずかしいのでこらえた。
「……トート、これからどうするの?」
「どうしましょうかねえ?」
腕を組んでそう答えるトートの顔はどことなく楽しそうだった。家を燃やされ、化物として殺されるところだったと知ったにもかかわらず、だ。
「あなたとの約束も果たすのが難しくなっちゃいましたね」
「あ」
いつかまたここに帰ってきて、会って話そう。そう約束したのが遠い昔のことのように思えた。確かに、家という重要な目印がなくなったら会うのは困難だ。
「この体で定住は難しいですからね、放浪するしかないです」
「……じゃあ、僕も一緒に放浪するよ」
トートには星を移動する術がないから、ずっとこの星を放浪し続けることになるのだろうけど、トートと一緒なら退屈どころかとても楽しいことのように思えた。
ところが、トートは首を横に振った。
「駄目です。あなたはあなたの旅をしたほうが良いです」
「え? な、なんで?」
「私は、生き延びるためだけに放浪します。けれど、あなたは記憶を取り戻すという目的があるでしょう? 私と一緒にいたらその目的は一生果たせません」
記憶。たしかにそれは僕が求めているもので、「ただ生きる」為に放浪すると決めたトートについていけば手がかりすら手に入らないだろう。
「……でも、トートと会えなくなるのは嫌だ!」
「わがままを言ってはいけませんよ」
トートの声には迷いというものが全く無くて、僕と別れることはトートの中では決して覆ることのない決定事項のようだった。
「それに、この星だけを回っていても手がかりなんて得られないでしょう? いろんな星を見て回ったほうが記憶が戻る確率ははるかに高いですよ」
「え、なんでそれを」
僕が他の星から来たことは誰にも言っていなかったのに、と驚いているとトートはくすくすと笑った。
「本当に他の星から来たんですか」
「……か、鎌をかけたの?」
「だって、あなたはあまりにもこの星の人らしくない」
脱力した。
「さあ、もうこの星からは離れたほうがいいですよ。噂というのはかなりの勢いで広まるものですから、あっというまにあなたも化物扱いされます」
「……あのさ、トートも僕と一緒に行こうよ。一緒にいたら、とても心強いんだ」
悪あがきにそんな提案をしてみたけど、トートは即座に首を横に振った。
「駄目です。私は、生まれ育ったこの星が好きなんです。離れることは出来ません」
「化物扱いされても?」
「ええ」
微笑むトートの顔を見て、ああもう会えないんだなと思うと寂しさがこみ上げた。けれど、僕は敢えて笑った。
「トートらしいよ」
ポケットからワープスターを出し、自分一人が乗れるほどまで大きくした。大きさの調節は自由なのだから、二人乗れるぐらいまで大きくすることも出来たけど、そうしたところでトートは乗らないだろう。
ワープスターに乗り、ふわりと浮かんだ。トートを見下ろして、手を振った。トートは手を振る代わりに一言小さく呟いた。
「カービィ」
「え?」
「とても古い書物に記されていた、英雄の名前です」
何故今ここで昔の英雄の話をするのか、僕にはトートの意図が分からなかった。
「彼はとても強く、平和のためならどんな強大な敵相手にも怯むことなく立ち向かったそうです」
「凄い人だね」
そんな話をされても反応に困るから流そうとしたけれど、トートは驚くべき言葉を発した。
「あなたはこれから「カービィ」と名乗ればいいんですよ」
沈黙。
「……ええ?」
あまりにも唐突過ぎる提案に僕はろくな言葉が出そうに無かった。
「先程、私の家の前で町長さん達と話をしていたでしょう? その時の姿を見てその英雄の名前を思い出したんですよ」
「でも、僕はそんなに凄い人じゃないよ。名前負けだ」
大切なことからは逃げるし、町長さんと話していたときも怖くて仕方なかった。決して怯まない英雄とはかけ離れている。
「これから、名前に勝てるようになっていけばいいじゃないですか」
「……そんなんでいいの?」
「いいんですよ、カービィ」
トートが親しみをこめてそう言うと、自分の名前が本当に「カービィ」なように思えた。
「……僕、は、カービィ?」
初めて発したカービィという単語がすんなりと心に染みた。トートは頷いた。
ワープスターの高度が増す。まだトートと一緒にいたい、この星に残りたいという気はあるけれど、英雄はうじうじと駄々をこねたりはしない。
トートに見えるように、大きく手を振った。高度を増すワープスターの上からでは、トートの姿は豆粒のようだったけど手を振っているのは分かった。
「ありがとう!」
悲しくなってしまうから、別れの言葉は言わない。その代わりに感謝の言葉を叫ぶ。どんな言葉をどれだけ言っても表せきれない感謝の気持ちでいっぱいだった。
* * *
眼下に、たくさんの人だかりがあるのが見えた。何か問題でもあったのだろうか、その空気は明るく楽しい空気ではなかった。
昔の僕なら化物と言われて追い出されることを恐れて、一旦遠くに着陸してから話に混ざろうとしていただろう。けれども、今は違う。
「おやおや、お困りのようだね?」
そこにいた全員が僕を見上げる。恐れることは何も無かった。僕は化物ではない、英雄なのだ。人前に姿を晒すことに何を恐れる必要がある?
「あんた、誰ッスか?」
気が弱そうな赤い髪の少年がおずおずと尋ねてきた。僕はワープスターから降り、にこりと笑った。そして、名乗る。
「僕はカービィ。お礼次第で悩みを解決してあげるよ」