雲が願うもの 前

「あーもう、どうやったら三日でここまで部屋を汚せるの!」
 部屋の真ん中で、ワドルドゥはゴミ袋を片手に憤慨していた。部屋はありとあらゆる種類のゴミが散乱し、ゴミの博覧会と言っても不思議ではないほどの惨状だった。
「これもゴミ、あれもゴミ、それもゴミ……っ!」
 目に留まったものを片っ端からゴミ袋に放り込み、ゴミ袋が満杯になれば部屋の隅にひとまずゴミ袋を追いやる。そして新しいゴミ袋を開けて作業に戻る。この工程を何度繰り返したか、などという下らないことはワドルドゥは考えないでいた。
「なんで、何回言っても治んないのよっ!」
 別室に追いやったクラッコ達の顔を思い浮かべ、怒りに頭が熱くなるのを感じた。初めてクラッコの家を訪れ、あまりの汚さにワドルドゥが掃除をしたのは随分昔のことだ。それから小まめにクラッコの家を訪れ、訪れるたびに部屋の惨状に愕然として掃除をしている。
 掃除をする度に注意はしている。しているのだが、彼らはワドルドゥの言葉を右から左へ受け流し、ワドルドゥが掃除をする端から部屋の汚染にせっせと力を注いでいる。
「……もうっ、今回で終わり! もう来ない!」
 この台詞も何回言ったことだろう。心の底からそう思っていることは確かなのだが、家に帰って数日が経つと妙に気になってしまい、結局クラッコの家を訪れ、掃除をする羽目になっている。
 部屋の隅に積み重なったゴミ袋を女性らしからぬたくましさで纏めてつかみ、家の外にあるゴミ捨て場に放り込んだ。
「はあ……」
 ワドルドゥはため息をついて空を仰いだ。クラッコの家はグレープガーデンと呼ばれる、雲の上に広がる地域に存在する。雲の上だから天気はすこぶる良く、憎らしいほど真っ青な空が浮かんでいる。
「……ん?」
 その真っ青な空に、ぽつんと一つの影が浮かんでいることに気づいた。人のような、鳥のような、よく分からないものだ。ワドルドゥが目を細めて見ると、
「……バードン?」
 鳥の翼をもつ青年が、こちらに向かって飛んでいた。

「いやー、久しぶりにグレープガーデン来たけど、やっぱ空気がうめぇな」
 バードンはワドルドゥの目の前に降り立ち、先ほどまで鳥の翼だった両腕を人間のそれに変化させた。いつ見ても変な体質だ、とワドルドゥはしみじみ思った。バードンは自分には鳥の血が混じっていると言い、彼の口からそう聞くと限りなく怪しく思えるものだが、腕の特異な能力や鳥の足と似た形の両足を見ると、それも真実味がある様に思える。
「どしたの? あんたがこんなとこまで来るなんて」
「ん、ちょっと郵便頼まれててさ」
 バードンは鞄から一通の手紙を取りだし、ワドルドゥに手渡した。
「クラッコに渡しといてくれ」
「ん、まあそれぐらい良いけど……あんた、郵便局員だっけ?」
 ワドルドゥの問いに対し、バードンは物凄い剣幕で「俺はジャーナリストだ!」と大声を出した。
「そりゃさ、俺はあちこち飛ぶから郵便にはうってつけかもしんねえけどさ、俺はとびきり新鮮でショッキングでハラショーなニュースを探して飛んでるわけよ! だから郵便なんてもんはクーとかピッチとかダイナブレイドとかに頼めよっつう話だよな! マジで!」
「……でも、郵便受け付けちゃってるじゃない」
 ジャーナリストならはっきりそう言って断れば良いのに、と言うとバードンは言葉に詰まった。
「だ……だって……届けたらシュークリームくれるっていうんだもん……不可抗力だよそれ……いや、マジで」
 バードンはそれ以上言葉を続けず、見るからに動揺した様子で「じゃ、じゃあ俺ニュース探してくっから」とあっという間に遠くへ飛んでいった。
「……シュークリームのどこが不可抗力なんだか……」
 呆れながら、ワドルドゥは手紙を片手にクラッコの家に戻った。

 * * *

 クラッコは、居間のいやに贅沢なソファに寝転がってテレビを眺めていた。普段ならシャインとブライトがクラッコにくっついてテレビを見ているのだが、今は昼寝の時間だからか辺りに彼らの姿は見当たらない。
「クラッコ、郵便」
「えー、誰から?」
 テレビからは目を離さない態度に少しむっとするが、ワドルドゥは封筒の裏面に書かれていた差出人の名前を読み上げた。
 すると、クラッコはテレビから目を離してワドルドゥを見たが、それも一瞬のことですぐにテレビに目を戻した。
「捨てといて」
 テレビを見ながら、クラッコは一言だけ、そう漏らした。
「捨てといてって……わざわざ書いてくれたんだから、読まなきゃ悪いでしょ」
「いいの」
「読まないと出した人が悲しむわよ」
 ワドルドゥの言葉に、クラッコはソファから立ち上がってワドルドゥの元に歩み寄り、その腕を掴んだ。
「悲しんだっていいんだよ」
「……え?」
 普段の和やかで度が過ぎた能天気とはかけ離れた、無感情で冷たい声の響きに、ワドルドゥは言葉を失った。クラッコはそんなワドルドゥの手から封筒を取りあげ、びりびりと破いて床に捨てた。
「それはねえ、アンチ・雲の統治者って感じの人からの嫌がらせのお手紙なんだよね」
 再びソファに寝転んでそう説明するクラッコの声は、普段ののんびりとしたものに戻っており、ワドルドゥは戸惑いを隠せないまま「そ、そう」と頷いていた。
「だからね、今度またその人から手紙が来たら勝手に破いてくれちゃって構わないから」
「……う、うん」
 砂を噛むような気持ち悪さを感じながら、ワドルドゥは破り捨てた手紙を拾い集めてゴミ袋代わりにポケットにしまった。

 * * *

 クラッコの家からの帰り道、ワドルドゥはクラッコの言葉を思い出していた。
――アンチ・雲の統治者って感じの人からの嫌がらせのお手紙なんだよね。
 なんとなく、本当になんとなくの直感なのだが、これは嘘ではないかとワドルドゥは感じた。
(嘘だとしたら……何でそんな嘘をついたんだろう)
 クラッコは嘘はつかない人間だ。仮についたとしてもおやつのプリンを3人分食べた食べないのレベルで、話したくない事は嘘でごまかさず笑顔ではぐらかす。笑顔ではぐらかすのもどうかと思うが、とにかく彼が嘘をつくのをワドルドゥは見たことが無かった。
 何故だろう。頭に疑問符を浮かべながら、ポケットに手を突っ込んだ。ポケットに入っていた紙がかさかさと音を立て、ワドルドゥは反射的にその紙を取りだした。
 クラッコが破いた手紙で、破いたと言っても裂け目は荒く、修復は容易に思えた。
(……勝手に人の手紙読むのって、まずいわよねえ)
 良心が痛むのが分かったが、それでもワドルドゥは手紙を修復して読んでみようと決めた。

(クラッコの秘密とか、ちょっと気になるし)
 良心の呵責よりも、好奇心、そしてクラッコについて知りたいという欲求が、勝っていた。

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