王城ステイ 第四話「勇者と恋愛指南」
「リッカちゃん、ちょっとお願いしたい事があるんだけど」
「断る」
「まだ何も言ってないのに! ひどい!」
何と言うこともない平穏な昼下がり。ぼうっと城内を散歩していた所で目の前に現れたコルニオラの願いを、リッカは反射的に断った。
「ろくな願いじゃねえだろ、どうせ」
「リッカちゃんの中での私はいつの間にそんなに評価が低くなったの」
「最初から」
リッカはわざとらしくふくれっ面を作り、コルニオラの横を通り抜けて先へと進もうとするが、リッカの腕をコルニオラが掴んだ。
「どうせ暇なんでしょ? 何も変な事はしないし、おやつの果物も用意してるから私の部屋で話だけでも聞いていかない?」
どうせ暇、と言われるとその通りなのだが少し腹が立つ。コルニオラの手を振り払って逃げようとしたが、コルニオラの手は案外がっちりとリッカの腕を掴んでいた。彼女の様子を見る限り、簡単に離してくれそうもない。
「ねえ、お願い?」
首を傾げて愛らしく見える微笑を浮かべているが、お願いと言うのならまずはその手を離すべきではないだろうか。
文句を言おうとするリッカの腕を「ちょっとだけだから」と強引に引き、コルニオラはすたすたと迷いのない足取りで歩き出した。
コルニオラの部屋はリッカが寝泊りしている部屋の広さと大まかなレイアウトは同じだった。違う点といえば家具のひとつひとつが凝った意匠が施され丁寧に磨かれた高級品である事や、ベッドは非常に細かなレースが垂れ下がった天蓋つきのものである事、そして何よりも鼻孔をくすぐる甘い蠱惑的な香りに満ちている事だ。
「ほら、遠慮しないで座って」
コルニオラは丸テーブルの傍にある椅子を一脚引いてリッカに座るよう促してきた。腕を掴まれていない今なら逃げ出す事も出来たが、そうした所で余計に面倒になるのは目に見えた。渋々ながらも椅子に座り、肘掛けのすべすべした感触と座面と背もたれに張られたクッションの心地よさからやはりこの椅子も一級品なのだと実感した。
丸テーブルの上には籠いっぱいに盛られた新鮮な果物とナイフがあり、テーブルを挟んだ向かい側の椅子にコルニオラがしとやかに腰掛けた。
「食べながら聞いてくれたらいいんだけど、お願いって言うのはね」
コルニオラは一呼吸置いてからリッカの瞳をまっすぐに見据え、言った。
「シーちゃんを落とすお手伝いをして欲しいの」
「……はあ?」
シーちゃんとは間違いなくカルネリアンの世話役、蛇男シリダリークの事だ。予想以上に下らないお願いにリッカは眉間にしわを寄せた。からかっているのかと思ったが、彼女の表情は真剣そのもので嘘をついている気配はない。
透き通った赤の果実を手に取り一口かじる。皮をむいて上品に食べるより、そのまま丸かじりする方が好みだ。
「知ってると思うけど、私、シーちゃんの事が好きなのよ。本気で」
「本気とは知らなかったな」
彼女のシリダリークに対する押しの強さは、冗談やからかいの一種と捉えていた。あまりにも軽々しい口ぶりで好きだと言い、相手の意思を無視してスキンシップに励んでいれば誰でもそう思うだろう。
「それでね、いい加減シーちゃんを落としてイチャイチャラブラブしたいわけ。でも全然脈がないから、男側の意見を聞きたいなーって」
「そういうアドバイスならカルネリアンの方が適任じゃねえか?」
生物学上は確かに同じ雄ではあるが、人間と魔物だ。価値観や考え方は大きく異なる。そんなリッカの意見よりも、長年彼と過ごしてきたカルネリアンの意見の方がためになるのではないか。
しかし、コルニオラは「お兄様は駄目よ」と首を横に振った。
「どんなに興味がなさそうでも、男はみんな狼だからエロい格好で迫れば一発だって言うのよ」
「それでそんな格好をしてんのか」
「あ、これは私の趣味」
「悪趣味だ」
「そうかしら? ……でね、何年間かセクシーな格好でシーちゃんに迫っても全然効果はなかったわけ。だからお兄様の意見はあてにならない」
お願い、と両手を合わせて頭を下げるコルニオラに対し、リッカは果実を一口かじってため息をついた。
「別に手伝ってもいいけどよ、報酬は?」
この世はギブアンドテイクだろ? と手の平を上に向けて親指と人差し指で円を作る。金を示すハンドシグナルも人間相手なら浅ましすぎてためらわれるが、魔物相手なら分かりやすくていいだろう。
「うーん……そうねえ、私と一晩過ごせる権利とか」
「いらねえ!」
脊髄反射に近い勢いで即答した。
「あら。この間のは卒業記念サービスだったけどね、実際のところ、私を一晩独占しようと思ったら何万エーデルものお金が動くわよ」
タンタルのその界隈だと滅多に現れない幻の女として有名なんだから、とコルニオラは胸を張る。果たしてそれは自慢できる事なのだろうか。というか魔物だけどいいのか。
様々な疑問が渦巻く中、コルニオラは「それじゃあ」と席を立って箪笥の横に引っ掛けられていた鞄の中身を漁る。
「これでどう?」
そう言ってコルニオラがリッカの目の前にぶら下げたのは、日光を浴びて輝く塔の姿が描かれた淡い灰色の紙切れ――一万エーデル紙幣だ。
「シーちゃんを落とせても落とせなくても、今日一日私と一緒に行動してくれたらあげるわ」
「い」
一万エーデル?
法外な報酬額に思わず声が裏返る。荒事でもない単なる相談事、しかも成否に関わらず支払われる。魔王の妹という立場で金銭感覚が常人離れしているのか、そこまでしてリッカの意見を聞きたいのか。
「どうかしら」
コルニオラの挑発的な微笑みに対し、リッカは無言で彼女の手から紙幣を取った。
「……勘違いすんなよ。魔王を殺す為の情報収集の一環であって、金に釣られたわけじゃねえからな」
「はいはい。リッカちゃんは可愛いわねぇ」
コルニオラが頭を撫でようとしてきたが、撫でられてたまるかと素早く振り払った。
「……で、詳しい話を聞く前にひとつ確認しときたいんだけどよ」
「なあに?」
リッカは果物をしゃくしゃくと食べながら合間合間に言葉を投げる。
「本気でシリダリークが好きなら、何で他の男とああいう事をするんだ?」
「何でって……」
コルニオラはきょとんとした顔をする。
「リッカちゃんは、好きな人としかしちゃいけないって言うの?」
「それが普通だろ」
あれは恋人同士がするものであり、好きでもない相手と一時の快楽の為に交わるなど言語道断だ。
賭博で所持金を失い、可愛い女の子に微笑みかけられれば舞い上がり、酒池肉林の甘言に喜んで踊らされるリッカでも、いわゆる「花売り」はまるで理解できなかった。
「そりゃあ好きな人としたほうがずっと気持ちいいんだろうなって思うけど、だからって好きな人とだけしろって制限するのは窮屈じゃない?」
「窮屈って」
「誰としたってそれなりに気持ちいいものなんだからさ、楽しめるうちは楽しんでおいたほうがいいんじゃない?」
コルニオラの言葉には一片の迷いもない。
リッカに狼藉を働いたのも「楽しめるうちは楽しむ」の一環なのだろう。カルネリアンも複数の女性と関係を持ち子供までこしらえているから似たもの兄妹と言った所だ。まるで理解できない価値観で、シリダリークが振り向かないのも納得できる。
「……大体分かった。それじゃ、貰った分だけ働かせてもらうぜ」
カルネリアンもコルニオラも持たない視点からのアプローチ。その程度の事ならば、恋愛において決して百戦錬磨ではないリッカでも出来る気がしてきた。
* * *
シリダリークはカルネリアン直属の執事長だ。主な仕事はカルネリアンの仕事の補佐、意見の取り次ぎ、召使達への指示など事務的なものだ。
仕事の補佐はカルネリアンが思いつきで語る政策、というか個人的にやりたい事にツッコミを入れる事。意見の取り次ぎはカルネリアンの人柄のせいか誰もがシリダリークを介さず直接言いに行く為、仕事として定められていても実際は何もしていない。召使達への指示は彼らが有能で何も言わずとも気を利かせてよく働いてくれる為、やはり何もしない。
つまり、乱暴にまとめるとシリダリークの仕事はカルネリアンのツッコミ役である。
「……って事だな」
「間違ってはないけど本当に乱暴なまとめ方ね」
リッカとコルニオラは城の廊下、曲がり角に立っていた。
曲がり角の向こう側にはシリダリークの個室があり、コルニオラの読みが当たっていれば彼はそこにいるはずだ。
「……じゃあ、僕が言った事だけやってこいよ」
だけ、を強調して言うとコルニオラは不服そうに頬を膨らませる。
「もっと強気に行かないと落ちるものも落ちないわよ」
「強気に押し過ぎなんだよ。たまには引かねえと相手側がリアクション返せねえだろ」
そういうものかしらねえ、とコルニオラは納得していない表情のままシリダリークの個室の前へと向かった。
こんこん、と部屋の扉を軽くノックすると意外なほどにあっさりと扉は開き、中からシリダリークが姿を現した。どこか気だるげな様子でコルニオラの全身を無遠慮にじろじろと観察し、むすっとした声で「何の用だよ」と言う。
「最近寒いからおやつに生姜とメーロの実のパイでも食べようかなと思ったんだけど、ちょっと作りすぎちゃって」
そう言ってコルニオラはピクニックに使うような可愛らしい籠を軽く持ち上げ、蓋代わりの布を軽くめくって焼きたてのパイをシリダリークに見せた。
「お前に寒いって概念がある事に驚きだよ」
シリダリークは訝しげに睨みながらも籠を受け取る。
「……で、一緒に食べようと俺の部屋に上がりこんで眠り薬入りのパイでも食わせて寝てる隙に既成事実でも作るつもりか?」
「残念、今日はちょっと忙しいから渡すだけ。変な薬も入ってないわ。何ならリッカちゃんを実験台にしてもいいわよ」
「仮にも客人相手に何たる暴言」
仮にもとは何だ。
曲がり角に隠れて様子を伺うリッカの心中など知る由もなく、シリダリークは「それより、その格好は何なんだ」とコルニオラの服装を指摘した。
「似合う?」
コルニオラの格好はいつもの様な限りなく下着に近いものではなく、要所要所にレースがあしらわれた大人っぽい黒のドレスだ。普段の格好と比べると露出は少なくコルニオラは「色気が足りない」と不満げだったが、リッカは大人っぽく上品な雰囲気が出せているのではないだろうかと感じている。
「普段の格好より品はあるけど、中身が上品とは真逆だからなあ」
「ひどい! 私だってやろうと思えば上品に振舞えるわよ!」
「バカ魔王の妹って時点で絶望的だ」
シリダリークはくすくすと笑う。リッカが見た事も無いくらいリラックスした様子で、これは脈があるんじゃないかと思ったがコルニオラの方は平然としている。
「私だってね、シーちゃんが望めばいくらでも上品になるし、いくらでもシーちゃん好みの女になるわよ」
「はいはいどーも。で、ちょっと忙しいなら立ち話もこの辺にしたらどうだ?」
うっかり話し込めばパイが冷めちまうしな、とシリダリークは籠を軽く掲げた。コルニオラも「そうね」と頷き、あっさりと踵を返す。
コルニオラが角を曲がってリッカと合流すると同時に、シリダリークの部屋の扉が閉じる音がした。
「……本当にこれでいいの?」
リッカと共に一旦部屋に戻ったコルニオラは解せないと言った様子で首を捻っていた。
「これぐらいでいいんだよ」
「でも、こんなの全然刺激的じゃないっていうか、面白くないわ。シーちゃんの反応もつまんなかったし」
反応が面白いかどうかが基準なのか、こいつは。リッカはため息をつき、果物を一口かじってから「あのな」と話を切り出した。
「誘惑に弱いタイプなら肌出してべたべたすりゃ落ちるかもしれねえけど、シリダリークはそれでどうにかなるタイプじゃねえと思うぞ」
「どういう事よ」
コルニオラは眉間にしわを寄せて考え込む。
「……まさか、シーちゃんはゲイでお兄様に想いを寄せているけどお兄様は若い女を追い掛け回している不毛な片思い状態とでも言いたいの?」
「やめろそんなおぞましい妄想はすぐに捨てちまえ!」
想像もしたくない!
このままコルニオラの結論を待っても話が脱線するだけだ。「焦らしが足りねえんだ」とリッカは手早く話を切り出した。
「好意をゴリ押しされると押された分だけ引いちまう。好意をそれとなくほのめかされた方が『こいつは俺に気があるのか? どうなんだ?』って気になるもんだ。そこから両想いに発展するケースは多い、と思う」
というかリッカ自身、そんな経験がある。
タンタルの宿屋で働く給仕の女の子がそうだった。甲斐甲斐しく働き、たまに話をすれば鈴を転がすような声で笑った。言葉の端々に見える好意にリッカはすっかり虜になってしまい、笑顔が見たいが為にチップを気前よく渡し、そして出発する日に告白して振られた。
「思わせぶりな態度ってのはな……魔性の武器なんだよ……どんだけチップ渡したと……!」
「やたらと実感のこもった言葉ね。つい最近まで童貞だったくせに」
「童貞って言うな!」
リッカは思わず食べかけの果物を投げつけたが、コルニオラはあっさりとキャッチする。
「つまりリッカちゃんはシーちゃんには焦らしプレイの方が効果的と見てるわけね」
これもその一環なわけ? とコルニオラは己の服装を指差す。
「欲を言えばもう少し着込んで欲しかったんだけどな」
「勘弁してよ」
下着同然の姿と比べると露出は減ったとはいえ、胸元は大きく開いているし二の腕も丸出しだ。ドレス姿は正直に言って似合っているが、もっと露出を抑えた方が多少は貞淑な雰囲気を出せただろう。
「今日はこれからもこの格好で、シリダリークに会っても控えめに。理想を言えばそれを長く続けてもらいたいところだけど……」
コルニオラの表情はそれは嫌だと言っている。
「……今日寝る前に『貴方の為ならこんな格好も出来る』とかそんな感じでシリダリークに改めて告白してみて、それで終わりにすっか」
「オッケー! 今日一日くらいならおしとやかなお嬢様ごっこが出来るわ!」
一日だけ猫を被っても効果はない気がするが、どれだけうるさく言っても焼け石に水だろう。こういう手もあると示しただけで十分だ。いくら一万エーデル貰ったからとはいえ、明日以降も魔物の恋愛事情に首を突っ込むほどリッカはお人よしではない。
* * *
夕食の時もコルニオラは大人しい振る舞いを見せていた。一口大の肉を野菜の葉で巻いてじっくりと焼き上げた料理もフォークとナイフを使って上品に平らげ、甘い香りを放つ果実酒も一気に飲み干さずちびちびと舐めていた。
「どうしたコルニオラ、腹でも痛いのか」
その異変にカルネリアンが気付かない筈がなく、肉の包み焼きをひょいひょいと口にしながら問いかけた。
「お兄様ったらデリカシーがないわね。私だって静かにしていたい時があるのよ」
ふう、とため息をつくコルニオラの表情は憂いを帯びている。
「なるほど、お嬢様ごっこか」
カルネリアンは食事の手を一瞬だけ止めて「ふむ」と呟きフォークとナイフを持ち直す。そして何事もなかったように食事を再開するが、先程までの下劣極まる食べ方が嘘のような丁寧で上品な食べっぷりだ。
「…………」
それまで無言で食事を進めていたシリダリークも、カルネリアンの様子をちらりと見てからフォークとナイフを持ち直し、これまた丁寧に食べ始めた。
「……何やってんだよ」
リッカは呆れながらも自分の夕食――鶏肉の塩焼きを口に運ぶ。我ながら見事な焼き加減で、ぱりぱりの皮と柔らかな肉が食欲をそそる。
「コルニオラが淑女ならば我輩も紳士らしく振舞わねばなるまい」
「主人が紳士ならば私もそれらしく振舞うべきでしょう」
いやに丁寧な口ぶりで話す二人はどこか楽しそうだ。二人の妙なノリの良さをリッカは「はあ、そうですか」と適当に流し、冷ややかな目で見守った。
「シーちゃん、あのね」
食事を進めながら、コルニオラはそっとシリダリークに話しかけた。
「『あーん』ならお断りだ」
「違うわよ。ちょっと大切な話がしたいから、晩御飯の後で私の部屋に来てくれない?」
「断る」
間髪を入れずに断るシリダリークに対し、コルニオラは「ひどーい!」と怒ることなく、ただ真剣な表情で「お願い」と彼の目を見つめた。普段のコルニオラとは明らかに違う事は、ほんの数日の付き合いしかないリッカにも明らかだ。シリダリークも暫くの沈黙の後、はっきりと頷いた。
「……分かった。妙な真似をしやがったら速攻でぶっとばすからな」
「ありがと」
コルニオラは柔らかに微笑む。リッカは食事を終え、食器はそのままにして席を立った。
「なんだ、もう部屋に戻るのか」
「ああ」
カルネリアンの言葉を軽く受け流し、「おやすみなさい」というコルニオラの言葉を背に受けて謁見の間を後にした。
(……さて)
部屋に戻る前にもう一仕事ある。リッカはコルニオラの部屋に向かい、クローゼットの中に身を隠す。彼らの皿に残っていた食事の量からして、さほど間を開けずにこの部屋にやって来るに違いない。
(出歯亀みたいだ)
何が楽しくて魔物の部屋のクローゼットに潜まなければならないのだ。自分がどんどん流されている事を感じてため息をついていると、かちゃりと控えめな音と共に部屋の扉が開かれた。
「……で、話って何だよ」
コルニオラと共に部屋に入って早々に、シリダリークは話を切り出した。
「せっかちね。食後の果実酒でも飲んでゆっくりしましょうよ」
「遠慮しとく」
クローゼットの隙間からでは視界がすこぶる悪いが、シリダリークの声だけで風向きが良くない事は簡単に把握できた。
(……僕もお人よしが過ぎるな……)
普段とは違う、ここまで頑張った末の告白だから部屋のどこかに隠れて見守っていて欲しい。
リッカと同じ年頃の初心な乙女かお前はと言いたくなるような頼みだが、結局引き受けた。いくら相手が魔物とはいえ乗りかかった船だ。最後まで見届けなければならないだろう。二千エーデルを追加で渡されたからとか、そんな理由では、決してない。
「正直に言って欲しいんだけど……今日の私、どうだった?」
「どう、って」
暫しの沈黙の後、シリダリークは大きくため息をついた。
「また妙な方向から攻めてきたなって思った。何だよその格好に大人しい態度は」
「今までの私と今日の私、どっちが良かった?」
コルニオラの声にはいつものようなおどけた調子はない。シリダリークはまた暫く沈黙し、「……じゃあ、正直に言わせて貰うけどよ」とゆっくりと口を開いた。
「上辺の態度だけ変えたところで別に何とも思わねえな。どっちが良かったと言われても困る」
「……これから、中身も変わるとしたら?」
「はあ?」
「これから、シーちゃんが好きになってくれるような女に変わるから、その時まで待ってて欲しいって言ったら?」
コルニオラはシリダリークに一歩だけ歩み寄る。シリダリークは微動だにしない。
「シーちゃんが好きなの」
「……何回目の台詞だろうな、それ」
シリダリークが肩をすくめて口角を吊り上げるが、コルニオラはいつものような笑顔を浮かべない。ただならぬ様子にシリダリークはすぐに笑みを引っ込め、大きくため息をついた。
「今まで冗談か本気か分からなかったから適当にあしらってたけどよ、少なくともからかい半分じゃねえって事はよーく分かった」
シリダリークはコルニオラを……いや、正確にはコルニオラの衣服を指差す。
「お前がそんな格好をしておしとやかに振舞うなんて、生半可な覚悟じゃ出来ねえだろ」
「……それ、微妙に馬鹿にしてない?」
「馬鹿にしてねえよ。ガキの頃から一緒にいてりゃ兄妹揃ってやりたくない事はやらない主義だって嫌でも分かるし、おしとやかなお嬢様なんて好みの対極だろ。俺が雪山登って頂上でかき氷食うのと同じレベルの覚悟がいるってのは察する事は出来る」
「聞くだけで寒気がする例えね、それ」
リッカでさえ身にこたえそうな例えだが、それと今日一日のコルニオラの行動が釣り合うとはとても思えない。ただ普段より露出を抑えて普段より真面目に大人しく振舞っただけではないか。
リッカのそんな疑問をよそに、コルニオラは「……で、返事は?」と続きを促した。
「お前を恋人として見れるかどうかって問いなら、今すぐ答える事は出来ねえな」
「……そう」
コルニオラの声があからさまに沈む。
「ただな、無理はしなくていい。俺は別におしとやかなお嬢様がタイプってわけじゃねえし、お前が無理してキャラ変えてるのは気持ち悪い」
「人の努力を『気持ち悪い』だなんて!」
「気持ち悪いもんは気持ち悪いんだ。大体な、お前の性格とか好みとか分かりきってるし、今更お前を俺好みにしようだなんて考えちゃいねえよ」
話が逸れたな、とシリダリークは呟いた。
「俺は、ありのままのお前は嫌いじゃねえ。だからと言って、異性として好きかどうかも把握出来てないうちから付き合うのは俺には無理だ」
「お試し期間、って事で付き合ってみたらいいのに。恋人っぽくしてるうちに本当に惚れちゃうかもよ?」
「お前が良くても俺が駄目だ。分かってんだろ」
「……まあ、それはそうだけど……」
コルニオラは不満げに頬を膨らませるが、本気で不満に感じているわけではない事はリッカでも分かった。
「お前を恋人として見れるかどうかが分かったら言ってやる。だからもう変なキャラ作りとかしなくていいからな」
「……つまり、好きに振舞ってもいい?」
「いつも通り露出狂まがいの格好をするなり適当な男引っ掛けるなりお好きにどうぞ」
シリダリークは小さくため息をつき、コルニオラはコルニオラの顔は見る見るうちに喜色に溢れ、
「よっしゃあああ!」
天に向けて大きくガッツポーズを作った。
「恋人云々以前の現状維持だってのに大袈裟だな」
「全然違うわよ! 私の真剣さが伝わって後はシーちゃんの返事待ち! 後はもう色仕掛けでどうにでもなる域よ! ありのままの姿を愛し合うシーちゃんと私……なんて素敵なの……っ」
「……やっぱりさっきの返事、無かった事にし「話は聞かせてもらったぞ!」
シリダリークの言葉を遮るようによく通る声が部屋に響き、誰もいない空間からカルネリアンが突然姿を現した。
「……は?」
あまりにも唐突な登場に誰もが言葉を失う中、カルネリアン一人だけが嬉しそうにシリダリークの肩をばしばしと叩いていた。
「いやあ、よくぞ言ってくれた。コルニオラが長年募らせていた思慕がついに蕾となった! 後は恋と言う名の花が華麗に咲くのを待つばかり!」
「いや、ちょっと待て……透過魔法で隠れてたとして、お前、いつからそこにいた?」
「ちょいと姿を消しながら貴様らと一緒に部屋に入らせてもらっただけだが?」
カルネリアンはしれっと言うが、その時から今まで透過魔法を自分にかけ続けるとはどういう事だ。周囲の景色と同化して姿を消す透過魔法はそれなりに練習が必要な代物で、しかもカルネリアンの場合は姿だけでなく匂いや気配も完璧に消していた。それだけハイレベルな魔法を暫くの間使い続けたにもかかわらずカルネリアンの顔には疲労の色が一切なく、リッカの理解を完全に超えていた。
「盗み聞きとは趣味が悪ぃな。それに恋の花がどうとか先走りすぎだろ」
「今日のコルニオラの様子を鑑みれば二人きりの話など誰もが気になる事だろう。兄である我輩が見に行かん道理はない。なあ、リッカ?」
カルネリアンはリッカの方を真っ直ぐに向き、にかっと笑った。
完全にばれている。リッカは小さく舌打ちをしてからクローゼットの扉を開けた。
「……お前までいたのかよ……」
「リッカちゃんは私が頼んだのよ。ここにいて成り行きを見守っていて欲しいって」
シリダリークはリッカをじろじろと睨んでから「なるほど」と呟く。
「今日の一連の奇行はこいつの差し金か」
「私がリッカちゃんに恋のアドバイスをお願いしたから、大元は私ね」
「ああそうですか。……ったく、二人きりの話のはずだったのにプライバシーもクソもねえな」
「それじゃあリッカちゃんもお兄様も追い出して、これから二人っきりでお話しする?」
「断る」
コルニオラが小首を傾げた誘いもシリダリークは間髪を置かずに断った。
シリダリークの認識がほんの少し変わっただけで、結果だけ見ると現状維持だ。値段に見合った仕事が出来たかは疑問だが、コルニオラが満足そうにしているから良しとしよう。
「リッカちゃん、ありがとうね。お金だけじゃ物足りないだろうから今晩相手してあげよっか?」
「断る!」
魔物とはいえ、シリダリークとコルニオラの前途がやや心配になった。