王城ステイ 第五話「勇者と魔法青年」

「休みが欲しい」
 カルネリアンがそうぽつりと呟いたのは朝食の席での事だった。
「はあ、そうですか」
 シリダリークが気の無い返事を返すとカルネリアンは「有休だ!」と一際大きな声を張り上げた。
「いいか、我輩は今日だけ魔王を休む。貴様らは好きにしておれ」
 魔王を休むとは何なのだ。リッカは生野菜をかじりながら怪訝な顔で彼らの様子を眺めていたが、どうという事はない様子で話が進んでいた。
「体調不良……じゃあねえし、あれか、遊びに行くのか」
「うむ。タンタルのトカゲの串焼きが恋しくなった。ちょっくら食べてくるついでに観光してくる」
「……魔王が人間の町を観光? 正気か?」
 そんな事をすれば間違いなくパニックになる。
「バレないようにするさ。そんなに心配なら一緒に来るか?」
「別に心配ってわけじゃ……」
 一応そこは否定するが、一緒にタンタルを観光と言うのは正直に言って魅力的だ。魔王の城と言う敵だらけの環境下では隙を狙うにしても難しいものがあり、攻撃の手を一旦止めて気が緩むのを待つしか手の打ちようがない。
 しかし商業都市タンタルとなれば話は別だ。いくらバレないようにしても周りは人間ばかりでカルネリアンにとって敵地の真っ只中である事には変わりない。人ごみにまぎれ、あるいは人を上手く焚きつけて、カルネリアンに大きな隙を作らせる事が出来るかもしれない。
「……行くけどさ」
 ぼそっとぶっきらぼうに一言吐き捨てるとカルネリアンは「よっしゃ!」とぎざぎざの歯を見せる豪快な笑顔を浮かべた。
「シリダリークとコルニオラはどうする?」
「俺は野暮用があるからパス」
「じゃあ私もパス」
 二人は立て続けにそっけない返事を返すが、カルネリアンは「そうか、分かった」と大して傷ついた様子もなく返した。

「よし、行くか」
 朝食を終えてすぐにカルネリアンに引きずられ、リッカは城の裏手にある空き地に立っていた。雪は既に溶けており、味気ない茶の景色が広がっている。
 てっきり魔物らしい乱暴な造りの乗り物でも用意しているのかと思ったが、辺りは瓦礫やしょぼくれた木ばかりでそれらしいものは無い。
「どうやって行くんだよ」
「まあ少し待ってろ」
 カルネリアンはリッカから少し離れて空き地の中央に向かい、両脚を肩幅まで広げて立つ。赤紫の長髪が風に揺れ、マントが緩やかにはためいた。朝方特有の澄んだ空気とどこからともなく聞こえる鳥のさえずり。ありふれた朝の景色の中でカルネリアンは静かに右手を高く挙げた。
 その瞬間、鳥のさえずりは止まり、空気はかすかにピリピリと辛味を帯び、髪の揺らぎもマントのはためきもぴたりと止まった。ほんの少し息苦しく、心なしか空も暗い。カルネリアンの手からびりびりと痛い程のプレッシャーを感じる。リッカからは背を向けている状態でこれなのだから、真正面から向き合えば並の戦士なら闘志をくじかれているかもしれない。
「――、――」
 カルネリアンが何かを呟いているが、内容までは聞き取れない。だが、呟きと共に右手には紫色の光が集い始め、見る見るうちに手の平から溢れんばかりの光の玉が形成される。
 あれで何をするつもりだ――リッカが固唾を呑んで見守る中、呟きが途切れると同時にカルネリアンは一瞬だけ身をかがめ、そして紫色の光の玉を空高く放り投げた。
「マジカルサタンパワー……メーイク、アーップ!」
 紫色の光の玉が弾け、リッカの視界は白に染まる。

 強い光は一瞬だけのもので、リッカの視界はすぐに元通りに戻っていった。
 瓦礫も木々も茶の大地も、変化はなかった。カルネリアンが右手を挙げる前とまったく同じ、平和な風景だ――カルネリアンがいた場所に、巨大なドラゴンが現れている事以外は。
「なっ……な、な、な……」
 リッカの身長の倍程度はゆうにあるドラゴンは、唸る事もなく落ち着いた様子でリッカの方をじっと見つめていた。黒い鱗は日光を浴びて鈍く輝き、黒に近い赤紫のたてがみが風に揺られている。その色と鮮やかな黄の瞳、そしてねじれた形の角は、見覚えがあった。
「……ま、魔王?」
 リッカが恐る恐る問いかけると、ドラゴンは嬉しそうに目を細めてぶふうと鼻息を荒くした。
「その通り! 召喚だとかペットだとか言う輩が多いというのに、リッカは鋭いな」
「……まさか、移動手段って」
 リッカが瞬時に感じ取った嫌な予感に応えるかのように、カルネリアンは身を屈めて乗りやすいようにと腕をリッカに向けて差し出した。
「馬車や船より遥かに早い。日が高く昇る頃にはタンタルに着くぞ」
「……あのさ、僕、勇者なんだけど。魔王を殺す、あの」
「勇者はドラゴンに乗ってはいけないと言う戒律でもあるのかね?」
「魔王の背に乗って移動するとか勇者がする事じゃねえよ!」
「じゃあ何だ、転移魔法でも使うか? 我輩アレは不得手でな、運が悪ければ上半身だけ目的地に着く事になるかもしれんが」
 それでもよければと呪文の詠唱を始めるカルネリアンを「待て待て待て待て!」とリッカは慌てて引き止めた。こんな所でそんな悲惨な最期を迎えたくない。
 魔王の背に乗るのは屈辱だ。しかし、それを耐えれば商業都市タンタルに辿り着く。大衆を味方にさえつければこちらの優位は絶対であり、カルネリアンの首を獲るまたとないチャンスだ。
「……仕方ねえなあ」
 リッカは渋い顔をしながらカルネリアンの腕をよじ登り、たてがみの中に埋もれる。
 すべすべとしていて頑丈な鱗に、ややごわごわしたたてがみ。直に触れてみるとまやかしでもなんでもなく、ドラゴンに変身した魔王が存在する事がよく分かった。
「安全飛行は心がけるが、しっかり掴まっておけよ」
 カルネリアンは大きく翼を広げ、少し身を屈めた――と思った瞬間、強く押さえつけられるような衝撃と共に彼の巨体は宙に舞った。

 * * *

「よし、到着だ」
 カルネリアンが降り立ったのは、タンタルの北部に広がる砂漠地帯だ。辺りには人の気配どころか動物の気配もなく、しんと静まり返った砂の大地に太陽がぎらぎらと照りつける。冬本番の今でさえこの暑さなのだから、夏の盛りはどれだけ凶悪になるのだろうか。リッカは考えるだけで眩暈がした。
 いや、眩暈の原因は暑さだけではあるまい。
「……気持ち悪ぃい……」
 短時間とはいえあれだけ激しい上下運動を繰り返されると吐き気を覚えて当然だ。シリダリークとコルニオラが同行を拒否した理由が今になって分かった。
「大丈夫か?」
「誰かさんのお陰で最悪だ」
「……それは褒めているのかね?」
 お前は耳が腐ってんのか。そんな突込みを返す余力は日光に奪われ、リッカはため息をついた。
 カルネリアンはぶつぶつと呪文を唱え、その巨体が淡い光に包まれる。涼やかな風がリッカの頬を撫でてカルネリアンの周りを駆け巡る。
「マジカルサタンパワー……メーイク、アーップ!」
 風と共に砂が舞い上がり、まばゆい閃光がリッカの視界を奪った。
「う……」
 ゆっくりと視界を取り戻したリッカの目に映ったのは、日光を浴びてきらきらと輝く砂の大地と青い空、そして一人の人間の姿だった。
 赤紫の髪や顔、体格そのものはカルネリアンと変わらない。ただし肌の色が紫ではなく健康的な人間のそれであり、服装も露出狂じみたものではなく清潔で好感の持てる衣服に変わっていた。
「さ、行くぞ」
 人間に化けたカルネリアンはリッカの手を強引に取り、タンタルに向けて颯爽と歩き出した。
 ……魔法は、知識と実力、そして十分な量の魔法の構成要素――魔素さえあれば不可能な事など何もないと言われている。ドラゴンに化ける事が出来たのだから人間に化ける事も楽勝なのだろう。
「……あのさあ」
 カルネリアンがどれだけとんでもない事をやらかそうとも彼ならば仕方ないと思うようになってきた。ただ、これだけは一言言っておかなければならない。
「マジカルサタンパワーはねえよ」

 魔法少女をはじめとした「変身」を軸とする物語、きらびやかで格好いい衣装、個性溢れる呪文の数々、それらの素晴らしさを熱く語るカルネリアンの言葉を受け流しているうちにタンタルへ辿り着いた。
 カルネリアンの意見は大の男が言うこととはとても思えないが、大筋で合意は出来た。リッカが勇者を目指したのも、元を正せばかつて勇者であった父が幼い頃のリッカに語ってくれた冒険譚に魅せられたからだ。魔法少女の物語に魅力を感じる心と違いは無い。
 しかし魔物の意見に同意できるはずも無く、リッカは「だからってあの呪文はねえよ」と同じ文句を再三繰り返した。
「リッカはあの呪文が気に入らんようだが、ではどんな呪文が良いと言うのだ」
「知るかよ。ただ、あの呪文は格好悪すぎる」
 タンタルの町を囲む壁に沿ってぐるりと回り、東西南北に設けられた門のひとつを通って中へ入る。魔物の侵入を防ぐ為にどこの町でもこういった構造は採られているが、砂を固めたレンガで造られたタンタルの壁は他の町よりも分厚く、門は広く大きい。
「タンタルに来るのも久しぶりだ」
 カルネリアンは臆する気配も見せずに門番に軽く手を挙げて挨拶する。門番は人の一人や二人は殺せそうな目つきでカルネリアンをじろりと見、間近で観察しなければ分からないような会釈を返してきた。

 門を抜けた二人は中央市場に向けて歩を進める。町の外郭に近いこの区域は富裕層向けの店が立ち並び、大きなガラス窓の向こう側に並ぶ高級品の数々は真昼間にも関わらず照明で柔らかに照らされている。
 自分とは縁の無い世界だ。不必要なまでに華美な服飾品や宝石の数々を横目に見ながらリッカは足早に歩く。カルネリアンもそれに合わせて歩くが、きょろきょろとせわしなく商品の数々を眺めていた。
「暫く見ない間に変わったものだな」
「そうか?」
 どれだけ長い間タンタルを訪ねていなかったのだ。訝しげに目を細めるリッカに対し、カルネリアンは「ほれ」と一軒の宝石屋を指差した。
「例えばあの店。宝石の研磨技術、それを引き立てる装飾部の造形の細やかさ、着る者の美を引き立てる繊細で控えめなデザイン。装飾品だけを見ても相当にこだわって作られている事が分かる」
 それに加えて、とカルネリアンは人差し指を立てる。
「店にある商品をただ並べるのではなく、客の目を引くに効果的な品に絞込み、余ったスペースには余分な装飾を施さず商品が映えるレイアウトにする。我輩も初めて見る、一切の無駄を排除したシンプルで美しい空間だ」
「……そんなにすげえか、これ?」
 言われてみれば珍しい陳列の仕方だとは思うが、美しい空間と賞する程でも無いように思える。
「少なくとも魔族には思いつきそうにない発想だ」
 カルネリアンはじろじろと宝石を眺めてから歩き出す。
「新しく何かを創造するという事において、人間は魔族より遥かに優れている。我々はいつも貴様らの後を追って生きている」
「そうかあ? 有給休暇とかこっちじゃ聞いた事もねえぞ」
「あれは安息日を模して作ってみた『堂々と休める口実』だ」
 安息日とはアルマース教で定められた「働いてはいけない日」の事だ。週に一日設けられたその日は誰も彼もが仕事もせずにのんびりと過ごしている。リッカが生まれるずっと前から存在する習慣で、安息日は父と近場で冒険ごっこをしていた事はよく覚えている。
 リッカの記憶に間違いがなければ、有給休暇という制度はまだ城の中で試験的に運用している段階のはずだ。それが安息日のアレンジ版と言う事は、今まで似たような制度は存在しなかった事になる。
「城では安息日を始めとした人間の習慣を積極的に取り入れておるが、城の外はまだまだで、安息日も無く働きたい時に働き休みたい時に休んでおる。それ故に、公私のバランスの取り方が下手な奴――そう、働き詰めの真面目君に『疲れたら休んでも良い』という意識を根付かせる必要があるのだよ」
 カルネリアンの表情がかすかに険しくなる。
「上手く動いてくれればいいんだがな」
 ふう、とため息を一つついたと思えば「よし!」と顔を上げて白い歯を見せた。
「今日は思いっきり散財するぞ! リッカ、金は持っているな?」
 リッカは無言で頷いた。コルニオラから貰った一万二千エーデルは散財には十分な金額だ。
 いつの間にか富裕層向けの区画は終わりを迎え、がやがやとした人々の喧騒がリッカの耳にも届いてきた。

 一般層向けの区画は富裕層向けのそれと同じく店がずらりと並んでいるが、服飾品や貴金属だけでなく日用品や雑貨に食料品、挙句の果てには愛玩用の動物まで店頭に出されている。
 この世のあらゆる品が揃うと謳われているだけの事はあるが、富裕層向けとは違い庶民的でリッカにとっては居心地のいい、心躍る空間だった。
 あちこちから聞こえる呼び込みの声を拾いながらどこに行こうかと思いを巡らせた瞬間、リッカとカルネリアンの腹が同時に鳴った。
「……まずは飯だな。青空市場に美味い店があるからそこで食うか」
 カルネリアンは一人で勝手に歩き出し、リッカは仕方なく後に続く。いつの間にか気分の悪さは綺麗に消え去っており、空腹感だけがそこにあった。
 あれほどひどい乗り物酔いがこの短時間で自然に収まるはずがない。誰かがリッカに回復魔法を唱えたのだ。ただでさえ難易度が高い回復魔法で「ドラゴンによる乗り物酔い」なんて珍しいにも程がある症状をリッカが気付かないうちに治してみせる。そんな器用な真似が出来る人物は一人しか思い当たらなかった。
(……何か裏があるのか、それとも単なるお人よしバカなのか)
 前方で揺れる赤紫の髪を見ながら、リッカは首を捻った。

 タンタルは大まかに分けて三つの区画がある。一つ目は富裕層向けの高級店が並ぶ区画。これは町の外周をぐるりと囲むように整備されており、最も広い面積を持ちながら最も店の数が少なく、ゆったりとして落ち着いた佇まいを見せている。
 二つ目は一般層向けの店が並ぶ区画。富裕層向け区画の内側、円形の土地の南半分がここにあたる。ほんの少し入り組んだ道の中で先程リッカが見たような古今東西あらゆる品々が個性豊かな店の数々で売られている。最も多くの人々が訪れる区画であり、安息日でも無い限りどこの道にも常に人の姿があった。
 そして三つ目の区画は、円形の土地の北半分を占める青空市場である。その名の通り行商人が露店を開く区画で、行商人達の場所取り合戦が行われる度に道も品揃えもがらりと変わる混沌さが特徴だ。宝探しをしているようで楽しい場所ではあるが、法に触れるのではないかと思うような品もたまに売られているのが恐ろしい所でもある。
「こっちだ」
 その青空市場の混沌の中をカルネリアンは迷わず進んでいく。もはや騒音にも近い呼び込みを無視し、商品を蹴飛ばす事もなくすいすいと進む姿から、リッカよりも余程この町に慣れている事が感じられた。
 リッカは必死の思いでカルネリアンについて歩き、「着いたぞ」と唐突に立ち止まる彼の背に顔をぶつけてしまった。
「立ち止まるならもっと早く言えよ」
 リッカは露骨に顔をしかめながら辿り着いた店を確認する。
 小さな屋台を用いた出店だ。実に質素な出で立ちで、飾りと言えば「串焼き 一本三十E」と書かれた紙が軒先にぶら下がっているくらいだ。屋台の向こう側ではしかめっ面の中年男性が黙々と円筒形の鍋をかき混ぜている。鍋の中には限りなく黒に近い茶色の液体に満ちており、そこから何本もの串が規則正しく突き出していた。
「ナベさん、久しぶり。挨拶代わりに二本くれ」
 カルネリアンは親しげな笑顔で話しかけるが、ナベさんと呼ばれた中年男性はじろりとこちらを一瞥するだけで何の挨拶もせず、無言で鍋から二本の串を取り出して焼き始めた。茶色に染まった丸い輪切りの肉を見ただけでリッカにはそれが何の肉であるか分かった。
「何だ、ただのトカゲの串焼きかよ」
 タレに漬け込んだトカゲの輪切りを串に刺して焼く。その豪快な料理はタンタルでは非常に有名なものであり、青空市場ともなるとあちこちに似たような出店が存在するしリッカも何度か口にしたことがある。
 この料理、味は悪くないが食感がリッカの好みでは無い。ゴムでも噛んでいるのではないかと思えるほどに硬く弾力性に富んだ肉は飲み込むのも一苦労だった。
 こんなものを食べるくらいなら近くの屋台で売っている生野菜に塩を振って食べた方がましだ。
「まあ一口だけでもいいから食ってみろ」
 焼きあがった串をカルネリアンから受け取る。焼き上げられた肉は太陽の光を浴びてきらきらと輝き、食欲をそそる甘辛い香りがリッカの鼻孔をくすぐる。
 カルネリアンはもう一本の串にかぶりついて「やはりナベさんの串焼きは最高だ」と満足げに頷いた。リッカも恐る恐る串焼きの端をかじり、そして思わず呟いた。
「……美味い……」
 食欲をそそる甘辛いタレ。表面がかりっと焼き上げられた肉にはたっぷりと肉汁が閉じ込められており、ひと噛みする度に口の中に野性的なうまみが広がる。食感はやや硬いが、今まで食べてきた串焼きと比べると天地の差だ。
 あっという間に一本食べ尽くしてしまい、カルネリアンと一緒に二本目を注文した。
「いい店だろう?」
 カルネリアンは得意げに鼻を鳴らすが、凄いのはこの店でありカルネリアンではない。
「この味を知ってしまうと定期的に食べたくて仕方がなくなる。シリダリークは好みじゃないようで同意してくれんのだが、リッカはどうだ?」
 定期的に食べたくなる気持ちは分かるが、魔物と嗜好が同じだなんて簡単に同意はしたくない。カルネリアンから目を逸らし「まあ」と言葉を濁す。
「確かに、美味いよ」
「だろう! 他にもいい店が山のようにあるが、一緒に来るか?」
 カルネリアンの提案にリッカは頷いた。タンタルを訪れたのは観光ではなくカルネリアンを殺すチャンスを得る為だ。別行動を取るメリットは何一つない。
 焼きあがった串を受け取り、リッカとカルネリアンは代金を支払う。その間も店主は仏頂面で黙ったままだ。これほど味が良いのにあまり流行っていないのは店主の愛想の悪さも大いに関係しているのだろう。
「日暮れ頃に持ち帰り用で十本ほど買って帰るから、それぐらいは残しておいてくれ」
 カルネリアンが笑顔で言っても店主は無言で頷くだけだ。毎度ありの一言もなく黙々とトカゲを解体して肉塊に変えていた。

 * * *

 カルネリアンはタンタルに非常に詳しいようで、行動には一切の迷いがなかった。青空市場の混沌の中を縫うように歩き、食料品や衣服、生活道具に使途不明の怪しい道具まで見せられた。一般層向けの区画にある店も何件か紹介されたが青空市場にいる方が心なしか生き生きとして見えた。
 どの店の店主とも親しげに話し、お勧めの品や興味が引かれたものを何点か買っていっていた。リッカも旅に使えそうな道具や日持ちする食糧、その他なんとなく気になったものを買っていった。カルネリアンの親友ならと値引きされたりオマケを付けられる事も何度かあり、日が傾き始めた頃にはリッカの両手は荷物で埋まった。
 殺す機会がないか常に目を光らせていた。しかし誰も彼もがカルネリアンと親しげに話しており、第三者から見るとただの買い物好きな青年にしか見えないほど完璧に溶け込んでいた。
 疑い深そうな店主に「こいつの正体は魔王だ」と言ってみても「あまり面白い冗談じゃないな」と一蹴される始末だった。

「あのさあ、その辺で吟遊詩人の女の子見なかったか?」
 最後に立ち寄った露店で商品を物色していると、店主が声をかけてきた。
「見てないな」
 カルネリアンとリッカは揃って首を横に振った。この人ごみの中でどういう人物を見たか覚えていろというのは無理な話だ。店主もそれは予想していたのだろう、「だよなあ」と深くため息をついた。
「知り合いなのか?」
「つうか、アタシの連れだな。露店巡りしてくるって言ったきり帰ってこねえ」
 胡坐をかき大きく舌打ちをする様子は魔法石――砕く事でその中に封じ込められた魔法が発動する特殊な石を売る露天商とは思えないし、女性らしさは欠片もない。しかし、吟遊詩人の女の子を気にかけているのはひしひしと感じられた。
「分かった、我輩が探してこよう」
 カルネリアンは自身の胸をどんと叩き、店主の返事も待たずに歩き出そうとした――が、店主が「待った」と声をかける。
「心配じゃねえっつったら嘘になるけど、別にいいよ。そのうち帰ってくるから」
「そうか?」
 訝しげな様子のカルネリアンに対し、店主はにかっと歯を見せて笑った。
「あいつの運はすげえいいから、放っておいても何事もないどころか、何かしらいいもん持って帰ってくる。それに魔王様のお手を煩わせるわけにはいかねえだろ?」
「貴様がそう言うならそれでいいが……」
 カルネリアンは渋々と言った様子で引き下がり、商品の魔法石をいくつか買った。
 ……魔王様?
「……あんた、こいつの正体が魔王って知ってんのか?」
「ああ。いつ見ても化けるの上手いよなあ」
 店主はカルネリアンの容貌を見ながらしみじみと呟く。そこに警戒心は欠片もない。
「魔王だぞ? 何でそんな冷静でいられるんだよ」
「こいつがなんか悪さしたって話は聞かねえし、魔王だからって理由だけで邪険に扱う事もねえだろ」
 それにウチのいいお客様だしな、と続ける店主は本心からそう言っているように見えた。
「つうか魔王が嫌いなら何で仲良く一緒に行動してんだよ」
「殺す機会をうかがう為に仕方なく」
 言いながらリッカはため息をついた。何日も魔王城に滞在しているが、カルネリアンを殺すどころか傷一つつけられない。今回の外出も決定的なチャンスは一切なく、結局彼の観光に同行しただけの結果に終わりそうだ。
「何だ、タンタルを観光したくて付いてきたわけではなかったのか」
「仮にそうだとしても、あんたと観光とか絶対嫌だ」
「なんと!」
 カルネリアンはふうむ、と顎に手を当てて何かを思案していたが、すぐにリッカに向けて人差し指を立てた。
「一分だ」
「は?」
「城に帰って晩飯を済ませた後で、今日一日付き合ってくれた礼に一分間くれてやろう。その間我輩は貴様に一切手出しはせんし貴様の攻撃も避けん」
「……そりゃ、願ってもねえ条件だけど、何でまた」
「望んでもいない観光につき合わせた詫びだ」
 さて行くか、とカルネリアンはリッカの背中を強く叩く。リッカも慌てて魔法石を一つだけ買い、店主の「ま、せいぜい頑張れよ」という声を背に受けながら歩き出した。

 * * *

「……気持ち悪ぃい……」
 当たり前と言えば当たり前だが、帰りもまたドラゴンに変身したカルネリアンに乗っての移動だった。城に帰る頃には日が暮れており、中に入ると芳醇な香りが漂ってくる。
「晩飯はどうする?」
 カルネリアンがリッカの頭をわしゃわしゃと撫でると気分の悪さが嘘のように消え失せる。また魔法で治療された事に舌打ちしつつもリッカは自分の土産を軽く掲げた。
「買っといた」
「用意が良いな」
 野菜の盛り合わせとトカゲの串焼きを数本。観光が目当てではなかったし、カルネリアンのお勧めと言うのが癪だが、この串焼きを知れたのは良かったと思う。
 だからと言ってカルネリアンを殺したい気持ちに変わりはない。今晩の「一分間」も手抜きなしの全力で殺しにかかる。そうそう訪れない貴重なチャンスだ。
 自分の持てる剣技と魔法を全て費やして魔王を討たなければ――

「――と思ったのによおおおお!」
 リッカは怒鳴りながら剣を折る勢いで振り回した。
「はっはっは、嘘はついてないだろう?」
 そう笑うカルネリアンはその場から微動だにせず、自分の体を覆うように球状のバリアを発生させていた。リッカの剣も魔法もそのバリアにことごとく弾かれ、貴重な一分はじりじりと消費されていく。
「危害は加えんし攻撃も避けん。だが、防がないとは言ってない」
 ふふん、と得意げに鼻を鳴らすカルネリアンはまるで子供のようで実に腹立たしい。
「くっそ! いい大人が揚げ足取りやがって! 死ね! 頼むから死ねっ!」
 刀身に浄化魔法を纏わせた一撃を繰り出すがあっさりと弾かれる。リッカが知る限りの魔法を次々と纏わせて剣を振るうが結果は同じ。
「いい大人ってのは童心も持ち合わせているものだぞ!」
 一分だ、とカルネリアンはぱちんと指を鳴らしてバリアを解除し、勢いに任せて振るったリッカの剣を片手であっさりと受け止めた。
「まだ続けるかね?」
「……今日はもういい」
 リッカは剣を鞘に納め、憮然とした表情でその場を後にした。
 一分かけてもバリアを壊す事すら出来ない自分と、余裕綽々で子供のように笑うカルネリアンに腹が立って仕方がなかった。

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