王城ステイ 第六話「勇者と執事」

 神は六日間で世界を造り、その後一日休息を取った。
 アルマース教の聖書に記された一般常識レベルの話で、七日間のうち一日が働いてはならない安息日となっているのはこの話が由来だ。
 人間社会の慣習であり魔物とは一切関係が無いと思っていたが、昨日タンタルで聞いた話ではこの城も同じように安息日を設けているようだ。
「ぬわああああああっ!」
 リッカがその叫び声を聞いたのは、そんな週に一度の安息日、朝食を終えて城を散策している最中の事だった。
「……カルネリアン?」
 間抜けな叫び声は紛れもなくカルネリアンのもので、窓の向こう――裏庭から聞こえてきた。窓を少しだけ開けて様子を窺ってみると、そこにはシリダリークと大きな穴があった。
「マジで引っかかるバカがいやがった!」
 シリダリークは穴を指差してげらげらと笑い、
「おのれ、無駄に巧妙な罠を仕掛けおって!」
 穴からカルネリアンが飛び出してきた。羽織ったマントが竜のような羽に変化し、ばさばさと羽ばたいている。
「どこが巧妙だよ。ただの落とし穴だぜ?」
「いや、隠し方といい誘導法といい無駄に洗練された無駄のない無駄な智略であったと言えよう」
「というか、魔王様が油断していらっしゃっただけの事では御座いませんか? そんな事ではその辺の賊にあっさり殺されてしまいますよ?」
 シリダリークはわざとらしい笑みを浮かべながら一言二言呪文を唱え、近くの盛り土を動かして落とし穴を埋めていく。
「とにかく、これで今日の晩飯は決まりな」
「うぬぬ……次回は我輩が勝つからな! 首を洗って待ってろ!」
「上等。返り討ちにしてやらぁ!」
 程なくして落とし穴は完全に埋まり、視界の外から「親父ー!」と聞き覚えのある声がした。
「今日は暇だよな? 何して遊ぶ? つーか何で全身泥まみれなんだ?」
「……落とし穴?」
 カルネリアンの傍に駆け寄ったのはまだ幼い少年と少女だ。カルネリアンの息子と娘で、名前は確かグルナとサーヤ。
「そこのクソヘビに嵌められてな」
「うわだっせー。親父も堕ちたもんだなあ」
「小童が何を言うか! 今回はちょっと油断しただけで我輩が本気を出せばこんな奴ちょちょいのちょいだぞ!」
「だとしても落とし穴はだせえよ」
 シリダリークはそう言ってくつくつと笑い、「じゃあな」と手を振ってリッカが覗き見ていた窓のある方向へ歩き出した。
 リッカは身を隠す事もせず、控えめに手を振って「シリダリーク」と呼びかける。
「おう、リッカじゃねえか」
 どうした、と言いながらシリダリークはちらりとカルネリアンの方を見る。彼は子供達と大人げない争いをしているようで、こちらの様子には一切気付いていない。
 リッカはカルネリアンに気付かれないよう声を潜め、そっと耳打ちした。
「……あんたにちょっと、頼みたい事があるんだ」

 * * *

 リッカは討つべき敵である魔王と何日も生活を共にし、隙あらば襲い掛かり、時には無害なふりをして油断を誘いもした。しかしどんな刃もどんな魔法も軽く避けられ、かすり傷はおろか彼を動揺させる事も出来なかった。
 圧倒的に有利な立場であるにもかかわらずこれだ。リッカは否が応にも無力感を味わうしかなかった。
 自分では決して手を下さず無力感を煽り心を折る。いやらしい手だ。
――しかし、ここで諦めるつもりはない。

「……つまり、魔法をレクチャーしてほしいと」
 シリダリークの部屋の中、ベッドに腰掛けた状態で部屋の主は口角を吊り上げた。
「魔物に教わるなんて最低最悪なんだけど、魔王を殺す為仕方なくな」
 そう、今はどんな手を使ってでも自分の実力を押し上げる必要がある。
 そして教わる相手はシリダリークのような、カルネリアンの不意を打てる奴がふさわしい。しかし彼は魔王直属の部下だ。簡単に首を縦に振るとは思えず、長期戦は覚悟していたし自分が出せる交換条件もありったけ考えてきた。
「お前なあ、俺があのバカ直属の執事だって分かってんのか? ま、別にいいけどよ」
「いいのかよ!」
 思わず椅子から転げ落ちそうになった。
「あのバカは最近腑抜けてるからな、お前がちょっとでも強くなりゃあ多少はマシになるだろ」
 俺の作った落とし穴にはまるぐらいだ、とため息をつきながらベッドの淵から立ち上がり、燭台から皿を取ってリッカの目の前、テーブルの上に置いて自身はリッカと向かい合うように座った。

「まずは半日間、この皿の上に火を灯し続ける事」
「は?」
「それが最低条件、最初の課題だ」
 シリダリークはリッカに差し出すように皿を押すが、リッカはそれを押し返す。
「僕はそんな事じゃなくて、もっと実践的な事が知りたいんだけど?」
「分かんねえ奴だなあ」
 シリダリークはもう一度皿を押し、リッカの顔を強く指差した。
「お前の地力の貧弱さは、実践的な事を教える以前の問題だ」
「なっ……!」
「あのバカの不意をついてかすり傷を負わせるだけでもそれなりに高度な魔法が必要になる。高度な魔法にはそれなりに上手く魔素を操る技術が要る。最低ラインは今言った課題がこなせるかどうかだ。出来るか?」
 リッカは黙って皿の上をじっと見つめる。
 魔法とは魔素と呼ばれる物質を反応させる事で起こる現象全般を指す。もっと詳しく言えば、大気中の魔素と食事や呼吸を経て体内に取り込んだ魔素をぶつけて反応を起こす。ぶつけ方によって起こる反応は様々であり、その中で最も簡単なのは局地的に気温を上昇させ、目に見えないほどの小さなチリを燃やす――いわゆる炎属性の魔法だ。
「火ぐらい簡単だ」
 呪文を唱えるまでも無いとリッカは視線だけで魔素を繰り、皿の上に小さな火を灯した。
「この状態を半日キープすれば」
 いいんだな、と言いかけて口をつぐんだ。
 魔法とは基本的に瞬間的な現象だ。リッカが先程繰り出した魔法はチリが燃えるまでの一瞬で終わり、皿の上の火は見る見るうちに小さくなっていく。改めて魔素を繰ると何事も無かったかのように火は落ち着きを取り戻すが、やはりそれも一瞬の事。
「難しさが分かったか?」
 シリダリークはにやにやと嫌らしい笑みを浮かべ、リッカは顎を引いてじろりと睨み付けてから皿の上に視線を戻した。
「……難しいっつうか、ただの魔力勝負じゃねえか。僕が知りたいのは魔王を殺せる必殺技で、こういう地道な作業じゃねえよ」
「でも一応やろうとはしてんだな」
 吹けば消えてしまいそうな小さな火は変わらず燃え続けている。今はまだ呪文も唱えず他の事に注意を向けながら出来ているが、時が経つにつれて加速度的に余裕がなくなる事は目に見えていた。
 だから、聞きたい事は今のうちに聞いておく必要がある。
「納得できるだけの理由はあるんだろうな?これも単なる悪戯の一環なら、こんな馬鹿らしい作業すぐ止めてやる」
「あるぜ。見守ってるだけってのも暇だし、じっくり納得できるまで語ってやるよ」
 シリダリークは椅子に深く腰掛けて足を組み、腹の前で両手の指を絡め合わせた。執事にあるまじき横柄で偉そうな態度だが、リッカは何も言わずに小さな火を見つめた。

「……さて、お前はさっきこれを『ただの魔力勝負』と言った。そこで問題一。お前が思う『魔力』って何だ?」
「はあ? そんなのどんだけ魔素を貯め込めるかどうかに決まってんだろ」
 呼吸や食事を通して大気中の魔素を体内に取り込んで貯めていく。そして体内で熟成された魔素は魔法を放つためのキーとなる。その「熟成された魔素」を魔力と呼ぶ事は魔法使いでなくても知っている。
 シリダリークも「正解」と満足げに頷いた。
「それじゃあ問題二。魔力の多寡は何によって決められる?」
「体内に貯め込める魔素の量が多いか少ないかって今言っただろ」
「半分正解。一般的な動植物と比べて外見に影響を及ぼすレベルで多くの魔素を溜め込める奴が『魔族』に分類される事から、その事実は明らかだ」
 魔族、の部分を強調して言うのは、頑なに魔物呼ばわりを続けるリッカへの嫌味だろうか。
「残り半分。人間の魔導師が人型の魔族より高い魔力を持つことがある事から、単純な多寡以外にも何か要因があると予測されるが、さてその要因とは何か?」
 言葉に詰まった。
 確かにそういうケースはよく耳にするが、理由なんて考えた事も無かった。苦し紛れに「……個人差?」と言ってみるがシリダリークは即座に「大外れ」と蛇のような舌をちろりと出した。
「正解は魔力の操り方が上手いかどうか」
「操り方?」
「同種の生物でも貯め込める魔素の量に差はあるが、それはせいぜい誤差レベル。もっと大きな要因は、より効率的に、より少ない消費で魔法を発現するノウハウがあるかどうかだ」
 リッカは目の前の火をじっと見つめた。機械的に魔法を唱え続けているが、もっと効率的に唱えられれば半日持たせる事も十分に可能なのだろう。
「リッカが今やってるそれも、魔力量を測る為と言うより増やすためのトレーニングに近いな」
「トレーニングは嫌いなんだけどなあ。地味だし退屈だし。もっとこう、パーッと簡単にレベルアップしたい」
「んなもん無理に決まってんだろ」
 シリダリークはきっぱりと言い放った。
「よっぽどの天才じゃない限り、地道な練習と試行錯誤を積み重ねてしっかりした土台を築かねえと十分な魔力は得られねえ。ドーピングで一瞬にして莫大な魔力を得る事も出来るっちゃあ出来るけどよ、廃人にはなりたくねえだろ」
 その言葉にリッカは静かに頷いた。

「……これが出来るようになったら、必殺技を教えてくれんのか?」
「必殺技っつうか、俺の持ち技の一つだな。これが出来る位の魔力を全投入すりゃ使える程度のもんだ」
「な」
 それ程消費が激しい魔法となるとかなり高度で威力も信頼できるものではないか。リッカの動揺を受けて小さな火も大きく揺れ、
「奇襲に特化した魔法で、リッカならそうだな……上手くいけば、かすり傷を負わせる程度の事は出来るかもな」
「か」
 予想を下回る内容に小さな火はしょぼしょぼと縮んで消えてしまった。
「おっと残念」
「い、いや、んな事より、そんだけ全力でかかってかすり傷って」
「そりゃそうだろ。あの馬鹿にまともな怪我をさせようとしたら、世界最高峰の魔法をぶっ放せる程度じゃねえと無理だ。剣とか物理系で攻めるにしても近接戦には特に慣れてるし、仮に槍が二、三本腹に刺さっても平然としてるからなあ」
「なにその化け物」
 何でもありかあの馬鹿は。
「仮にも魔王だからな。本気で殺そうと思うならあの馬鹿の兄弟をまとめて洗脳するとか、世界最高峰の戦士やら魔導師やらかき集めて廃人覚悟のドーピングキメて奇襲を仕掛けるか、神様が降臨して怨敵たる魔王をブチ殺すのを待つかぐらいしかねえと思うぜ」
 なんと言う無茶な提案の連鎖。タチの悪い冗談かと思ったが、シリダリークの顔は嘘をついている風ではない。
 言葉を失うリッカの頭を、シリダリークはぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。
「ま、そうがっかりすんなよ。今んとこ馬鹿は馬鹿なりによくやってるし、もしも悪い方向に転んだらあいつの兄弟どころか魔族総出でブチ殺して阻止するからな」
「ブチ殺すって、仮にもあんたの主人だろ」
「主人っつうか幼馴染だな。長い付き合いだし、殺したくねえって気持ちはある」
 なら何で、と言う前にシリダリークは何の迷いもなく言葉を続けた。
「ただな、魔王ってのは人間にとっては教義上の悪の親玉で、魔族にとっては今の政治の象徴。間違った方向へ進めば人間は当然として、魔族全体からも命を狙われる職業だ。あいつはそれでも魔王の座に就いたし、俺も直属の執事に就いた。お前が心配するような事は全部承知の上で、覚悟を決めて毎日を過ごしてる」
「だ、誰が心配なんか」
「ああはいはい、リッカちゃんは魔物が大嫌いな勇者サマでちたねー」
「この……っ!」
 がたんと乱暴に立ち上がったリッカに対し、シリダリークは小さな皿を突きつける。
「効率を意識しながら、毎日魔力がすっからかんになるまでやってみな。そうすりゃこれぐらいの課題はあっという間にこなせる。もし出来るようになったらさっき言ってた技を教えてやるから、いつでも言いに来な」
「……本当に、教えるんだな?」
「当たり前だろ」
 シリダリークは口角を吊り上げ、リッカは小皿を手に彼の部屋を跡にした。

 * * *

「ああ……何と色気のない食卓か……」
 夕食の席、テーブルの上に並ぶ料理の数々を見てカルネリアンはため息をついた。
 鶏の白焼きとゆで卵、それと茹でた野菜が申し訳程度に添えられた質素な食卓だ。今までリッカが目にしてきた料理は香草をふんだんに使い、濃い味付けがされたものばかりだっただけに新鮮に映る。
「やっぱこういうのがいいよなあ」
 どことなく不満げなカルネリアンとは対称的に、シリダリークは嬉々として料理を口に運ぶ。
「もっとこう……甘辛いタレを絡めて香草をふんだんにまぶした存在感のある料理の方が美味くないか……?」
「お前のお子様味覚と違って俺は素材の味を楽しみたい本格派なんですー」
「童心を忘れてしまった事を正当化する為に本格派などという言葉に逃げるとは我輩は悲しいぞ、シリダリーク」
 カルネリアンはわざとらしいため息をつきながら鶏肉を口に運び、塩が欲しいソースが欲しいせめて照り焼きにしてくれとぐちぐちと文句を言った。そのうち駄々をこね始めるのではないかとすら考えられるカルネリアンを横目に、リッカは自分で用意した料理……とも言い切れない生野菜と果物の盛り合わせをちまちまと口に運んだ。
 スープのような温かい料理も欲しかったが、シリダリークから課された課題に取り組んで魔力が空になり疲弊した身体では手作業で火をおこして料理をする気も起きなかった。
(照り焼きだなんだと不満げだけど、肉があるだけマシだろ)
 野菜と果物だけではいまいち食べた気持ちにはならない。今日は早めに休んで明日の朝食は肉を使った贅沢なものを作ろう。
「ああ、今宵はグルナかサーヤの家に世話になっておけばよかった」
 リッカの胸中も知らず、カルネリアンはゆで卵の殻を剥きながらため息をつく。細かな殻が食卓に落ち、つるつるとは程遠いいびつな形の中身が徐々に姿を現していった。もう少し綺麗に剥けないものか。
「今からでも遅くないし行って来たら?」
 それまで黙々と鶏肉を食べていたコルニオラが小さく肩をすくめる。「どっちも家は城下町にあるんでしょ?」
「そうなんだけどなあ、今日の鬼ごっこで二人とも怒らせてしまったからなあ」
「何をやったんだよ」
「魔法で足止めしたりドラゴンに変身して追い掛け回したりバリア張ってタッチできないようにしたりその他諸々」
 辺りが一瞬静まり返った。
「……お、大人げねぇー……」
 シリダリークが力の抜けた声を出すが、カルネリアンは眉間にしわを寄せる。
「グルナが『全力で来い!』と言ったから全力で迎え撃ったまで。それのどこが大人げないというのだ!」
「お兄様は子供を楽しませる遊び方を覚えた方がいいわよ」
 そこまでされたら子供は当然怒るだろう。
「我輩が子供の頃はそれくらいの事はしたんだがなあ」
 恐ろしい事に、カルネリアンは真顔で首を捻っていた。

「子供と言えば、そろそろだっけ」
 シリダリークがぽつりと漏らした言葉にカルネリアンは長い耳をぴくりと動かして満面の笑みを浮かべた。
「恐らくは今月中だな!」
「今月中?」
 リッカが思わず問いかけると、カルネリアンは指を三本立てて「三人目」と言った。
「……ああ、なるほど」
「男か女か、我輩似か母親似か、今から待ち遠しい」
 カルネリアンの高揚した様子とは裏腹に、リッカは渋い顔をした。
 忌まわしい魔王の子が増える事も不快だが、それ以前に彼の王としての態度がいまいち納得がいかない。
「……そんな無計画にガキ作っていいのか?」
「どういう意味かね?」
 リッカが漏らした言葉に、カルネリアンは笑顔のまま首を傾げる。
「違う女とぽんぽんガキ作ってたらさ、次の代の魔王を決める時にややこしい事になるんじゃねえのか?」
「ややこしい事?」
 カルネリアンはぱちぱちと瞬きをした。リッカを試しているのではなく、純粋に意味が分からないと言っている。
「腹違いの兄妹で継承権争いとかありふれた話じゃねえか」
 同じ両親から生まれた兄弟でも継承権を巡って争う事はままある。腹違いの兄弟となると尚更だ。そういった争いを避けるためにも、王は王妃との間に一人だけ子を設け、丁寧に、大切に育てるべき。中には万が一の時の「スペア」として二人目を作る事もあるが、常識的に考えてそこまでだ。王が複数の女性と関係を持ち無計画に子供を作るなど言語道断。
 リッカの主張に耳を傾けていたカルネリアンは「ふうむ」と小さく唸る。
「それは世襲制における王位継承権の話であろう」
「第十三代目と言うからには、あんたの所もそうだろ?」
「何やら少し誤解があるようだな」
 カルネリアンは咳払いをしてリッカの方へと体を向ける。
「まず、魔王は世襲制で決められるものではない。魔王が死ぬと、立候補者を募って戦い、最終的に勝ち抜いたただ一人が次代の魔王となる。魔族を総べる者は誰よりも強くなくてはならん。故に純粋に強い者が魔王となり、魔王である限り強さは求められ続ける」
「でも歴代の魔王は全員あんたの家系だ」
「ヤルダバオート家が実力で魔王の座を勝ち取り続けただけの事。それに、ほんの一時期だが他の家の者――エスパーダ家が魔王を務めた事もある。あれはシリダリークの爺さんだったか?」
「ああ。ほんの一月でお前の爺さんがリベンジして終わったけどな」
 爺さんは今でもその話題に触れるとキレるんだ、と言いながらシリダリークは目を細めた。
「ま、そういう訳で魔王を継ぐのは立候補者の中で最も強い者であって、ヤルダバオート家が継ぐと決められたものではない。人間の社会とはややズレた習慣かもしれんが、そういうものだ」
「……だからって、無計画にガキ作っていいわけじゃねえだろ」
 魔王が世襲制ではないとしても、ヤルダバオート家という「家」があるならば複数の女性と関係を持ちいたずらに家系図を複雑化させても良い事は無い。
 とはいえこれ以上騒いだところで帰ってくる答えは予想できるし彼らの考えが変わるとは思えない。リッカはため息をついて小さく両手を挙げた。
「もういい。あんたらの考え方と僕の考え方が違う事はよく分かった」
「まだ何か納得出来ていないようだが、実際に魔王になってみるかね? 我輩を倒し他の立候補者にも打ち勝つ必要があるがね」
「誰がなるか!」
 反射的に投げたフォークは事もなげに受け止められる。
「まあそれが正解だな。魔族の内で最強であり続けなければならず、名誉や権力を求めてやって来る挑戦者や暗殺者に打ち勝ち続け、民の意を汲む事に失敗すれば数の暴力に押し潰される。軽い気持ちでなる事はお勧めしないな」
 カルネリアンは受け止めたフォークで夕食の続きを食べ始める。間接キスのようで気分が悪い。リッカは仕方なく素手で野菜をつまんで食べる。手を伸ばせば届く距離にカルネリアンが先程まで使っていたフォークがこれ見よがしに置かれているが、当然無視した。
「……そんじゃあんたは、軽い気持ちじゃなくて、真剣に思う所があって魔王になったって言うのか?」
 カルネリアンの手がぴたりと止まる。
「そうだな、魔王ってのは世の美女とお近づきになるには絶好のネタだ」
 カルネリアンは悪戯っぽく笑うが明らかに嘘くさい。この馬鹿魔王は隠し事が致命的に下手だ。さらに追及しようとするが、その前にカルネリアンがリッカの食事をフォークで指差した。
「そんな事よりもだ、貴様はそんな粗食で満足しているのか? 肉のにの字も無い貧相な食卓ではないか! 信じられん!」
「話の逸らし方が下手過ぎねえか」
「ええい肉を食え肉を! ほれ、この辺の肉が余ってるから食え!」
 カルネリアンは立ち上がり、シリダリークの皿からリッカの皿へと乱暴に肉を移す。
「俺の皿から取ってんじゃねえよ待てこの野郎」
「よいではないかよいではないか」
「お止め下さいましクソ野郎!」
 シリダリークも立ち上がり、カルネリアンの皿から肉を多めに奪い取った。
「ああっ我輩のお肉ちゃんが!」
「ちゃん付けすんな気持ち悪い!」
 ぎゃあぎゃあと不毛な言い争いを始めた二人から視線を落とし、サラダの上に乗せられたいくつかの肉を見る。何のソースも香辛料もかかっていないシンプルな料理は、リッカでも作れそうなものだ。誰にでも作れる素朴な料理にリッカの喉は鳴り、そろそろと手が伸びる。
 見る限り怪しい点はない。魔物が作った料理とはいえ、これに悪意ある細工を施すのは不可能だ――そう考えて、リッカは肉を口にした。
 一口サイズに切り分けられた鶏肉は噛む度に肉汁が溢れ出し、ほのかな塩味と肉本来の味が口いっぱいに広がった。よく火が通った肉は噛みごたえがあり、肉を食べていると言う充足感を感じるには十分だった。
「あらリッカちゃん、食べてくれたのね」
 それに目敏く気付いたのはコルニオラで、彼女の言葉を聞いて二人の言い争いもピタリと止まった。
「なんと! リッカが我輩らと同じ料理を食ってくれたか!」
「初日の宴会以来じゃねーか!」
「いや、ただの白焼きだから問題ないと判断しただけで、これからもあんたらと同じ飯を食うってわけじゃ」
「食った! 食った! リッカが食った!」
「明日の晩飯はポトフだな! 具には鶏肉の白焼きも入れようぜ!」
「私は色んな意味でシーちゃんが食べたいわ!」
「話を聞けよ!」
 テーブルを強く叩いてから剣を抜く。
「キレた! キレた! リッカがキレた!」
「カリカリすんなよ牛乳飲んで小魚食えよ!」
「背も伸びるしモテるわよ!」
「あんたらガキかあああッ!」
 リッカは本気で三人に向けて剣を振るった。

←Back →Next