王城ステイ 第七話「勇者と強襲者」
「今年はね、メーロの実がたくさん採れたよ」
「それは良かった。品種改良の調子はどうだ?」
「いまいち。今年のは甘味が増したけど噛み癖がひどくて」
玉座に座るカルネリアンと雑談に勤しんでいるのは見知らぬ魔物の少女だ。淡い黄色の三角巾を頭に巻き、単純で素朴な柄が刺繍された服装は一般人と判断するに十分で、さらに話の内容と手に持った籠から見えるメーロの実の山から彼女が農婦である事は簡単に予測できる。ついでに言えば農作業に向かず汚れも少ない服は、彼女なりにめかし込んでいるのだろう。
「ほらこれ」
魔物の少女が籠から取り出したのはメーロの実――ではなく、それに酷似した姿を持つが大きく裂けた口をぱくぱくと動かす魔物だ。
「ほほお。鳴かなくなっただけ進歩したじゃないか」
あれはマンドラゴラもかくやというレベルの鳴き声だったな、と言いながらカルネリアンは果物に似た魔物にそっと手を伸ばす。するとそれまで退屈そうに口をぱくぱくしていただけの魔物は、がぶりとその手に食らいついた。
「これはこれで害虫駆除や護身用に使えそうだな」
カルネリアンが軽く手を振るが果物の魔物は食らいついたまま離れようとしない。
「辺り構わず噛み付いちゃうから持ち歩くにはちょっと不便なの。だから皆ジャムにして売るつもり」
「そうか。ジャムが出来たら是非売りに来てくれ」
「私をお嫁さんにしてくれるなら売ってあげる」
突然のプロポーズにリッカはぎょっとしたが、カルネリアンは至って平然とした様子で「ははは」と笑った。
「妻を娶る予定は今もこれからも無いが、もう少し大きく……そうだな、三年後には妻ではなく母としてやろう」
「本当! 約束だからね!」
カルネリアンの言葉の意味を知ってか知らずか、少女は果物に噛まれたままのカルネリアンの手を取って飛び跳ねて喜んだ。
ひとしきり喜んだ少女は「じゃあまた今度ね!」と大きく手を振って謁見の間を後にした。
安息日の次の日は国民の声を聞く日と決められているようで、朝から城の門は開け放たれて平民と思しき魔物が入れ代わり立ち代わりやって来ていた。誰も彼もが砕けた調子でカルネリアンと言葉を交わし、世間話や自分の近況を一通り話し終わると満足して去っていく。カルネリアンは誰に対しても親しげに話し、少し離れた場所に立つシリダリークが小さく切った羊皮紙の束に時折何かを書きとめる。リッカは彼の隣に立ち、カルネリアンとの会話にじっと耳を傾けていた。
「いつもこんな調子なのか?」
「そうだな。大体これぐらいのペースで日が暮れるまで続く」
「……ちなみに、さっきみたいに言い寄られる事は?」
「一人か二人カルネリアンの方から言い寄る事はあるとしても、今日から一週間日替わり定食できる程度には」
「なっ……」
「一晩で複数人を相手取る事も稀によくある」
予想以上にただれた生活ぶりにリッカは言葉を失った。しかもその生活が部下に筒抜けだと言うのに平気な顔をしていられる神経が理解できない。
謁見の間の扉を開け、薄汚れた作業着に身を包んだ中年男が入ってくる。「カル坊久しぶりだなあ!」と辺りに響く大きな声でとりとめもない事を話しながらカルネリアンに近づいていく。シリダリークはその声の大きさに一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに羊皮紙の束の上に視線を戻す。
「謁見のふりをして殺しに来る事は?」
「たまにあるけどそんなチャチな手で死ぬような奴じゃねえよ」
カルネリアンと作業着の男は周囲をはばからない大声で雑談に興じている。娘が反抗期だとか飼っている犬型の魔物が老けてきただとかリッカの故郷のおばさんが井戸端で話しているような内容だ。中年男は石工をしているようで、最近仕事が少ないとも嘆いていた。
「どっか派手にぶっ壊れてくれりゃあ、前以上にいかした感じに直してやんのになあ」
まあ愚痴っても仕方ねえわな、と中年男は話を切り上げた。シリダリークは羊皮紙にメモを取りながら謁見の間の扉の方に目を向ける。
「こういう場であいつに怪我させる事が出来る奴っつったら、一人しか思いつかねえよ」
「一人?」
中年男は大声で別れの言葉を言いながら、謁見の間を後にする。そこからさほど間を空けずに再び扉が開かれた。
扉の向こうに立っていたのはカルネリアンと同い年、もしくは少し年上に見える魔物の男だった。肌や髪はカルネリアンと同じような色で、こめかみから生える螺旋状の角も全く同じ。だが、感情の見えない無愛想な面構えときっちりと着込まれた服は対照的である。
「噂をすれば」
シリダリークは男の姿を認めて小さく肩をすくめた。
男はギロチンのように水平な刃を持つ斧槍(ふそう)を背から抜いて構えた――とリッカが視認した瞬間、男の身体はカルネリアンに向けて弾丸のように飛んだ。その勢いに乗じてカルネリアンの喉元めがけて繰り出された突きはバリアによって阻まれるが、勢いまでは防げず彼の身体は玉座どころか背面の壁をもぶち壊して城の裏庭まで吹き飛ばされる。
壁の一部ががらがらと崩れ、土煙が視界を少し濁らせる中、男は羽織っていたマントをドラゴンの翼のように変形させてカルネリアンの後を追った。
「……え、な、なにあれ」
「謁見のふりをして殺しに来る奴が来た」
呆然とするリッカとは対称的に、シリダリークは慣れた調子で召使を呼び指示を出す。
「ねえ、騒がしいけど何かあったの?」
コルニオラがひょっこりと姿を現し、崩れた壁を見て「やだ、こわーい」とシリダリークの腕に抱きつこうとする。案の定避けられた。
「長兄様の強襲に御座います」
「アインお兄様かあ。なるほどねえ」
コルニオラはしみじみと頷いて「せっかくだし観戦しましょ」と崩れた壁に向けて歩き出す。シリダリークとリッカもその後に続いた。
「……アインお兄様ってのは」
「第十三代目ヤルダバオート一族の長兄。簡単に言えばカルネリアンとコルニオラの兄だ」
「実力的にはお兄様に一番近い人ね」
崩れた壁を何枚か乗り越えて裏庭を覗き込む。広い裏庭の中心で激しい打ち合いの音が響いていた。
「あんまり近付くなよ。周りに気を使う余裕なんざどっちにもねえからな」
そんな事は言われずとも分かっている。リッカは無言で頷き、遠くで繰り広げられている争いに五感を研ぎ澄ませた。
* * *
カルネリアンの腕は全く衰えていない。それどころかますます力強さを増している。アインが力を蓄えれば、その間にカルネリアンも同程度の力をつける。魔王の座に就いても慢心せず精進を続けている事は喜ばしい。
アインが斧槍を振るい、カルネリアンは時に避け、時に受け止める。鉄を叩き割る程度の勢いはつけているのだが、カルネリアンの腕は飛ぶどころか折れもしない。全身に沿うように薄くバリアを張っているのは明らかだ。
カルネリアンの拳を紙一重で避ける。バリアの強度は守りの堅さと同時に攻め手の強さにも直結する。世間一般でよく見られる全身を覆う球状の型ならまだしも動きを阻害しない流動的な型では、一発でもまともに食らえば骨の一本や二本は軽く持っていかれると見ていい。
アインが斧槍を振るい、カルネリアンが体術で応える。例え半分の血を分けた弟が相手であっても手加減はせず、またそれはカルネリアンも同じだろう。手加減は無用である。
「はぁっ!」
カルネリアンの拳を斧槍の腹で受ける。受けた角度が悪く斧槍が震え両手首に痛みが走る。アインは反射的にマントをドラゴンの翼に変化させ空に逃れる。刹那、目も眩むような稲光を纏った蹴りがアインの爪先を掠った。
空中で体制を整えると同時に、カルネリアンもマントをドラゴンの翼に変化させ弾丸のように飛翔する。アインは素早く呪文を唱え、カルネリアンの眼前で爆発を起こした。炎がアインの鼻先を舐める。爆煙が辺りを覆いつくす前に手早く風を起こして煙を追い払う――が、そこにカルネリアンの姿はない。
「背中ががら空きだ、愚か者め」
背後からカルネリアンの声がする。アインは振り向く事無く笑みを浮かべた。
「愚か者はどっちだろうな?」
アインの黒く太い竜の尾が、カルネリアンの腹を捉えた。
一切の手加減もなく尾を振りぬき、カルネリアンの体を遠くへ飛ばす。追撃をすべく大きく翼を羽ばたかせカルネリアンの元へ一直線に翔ける。
斧槍を振りかぶり、カルネリアンの顔がはっきりと視認できる距離にまで近づいた――かと思えば、目の前に巨大な壁状のバリアが現れて接近を阻む。
「……っああー……効いたぞ、今のは」
半透明のバリアの向こう側でカルネリアンが脇腹を押さえて呻く。じわりと血が滲み出しているが、当てた時の手応えから考えると致命的な負傷ではないはずだ。
「殺すつもりで行っているからな。効くのは当たり前だ」
「我輩もそのつもりだ」
カルネリアンの髪がふわりと不自然に揺れ、ドラゴンの翼に変化していたマントが元の姿に戻る。彼の身体は飛ぶのではなく宙に浮かび、氷のような威圧感がアインの頬をびりびりと刺激する。
アインはより高く飛び上がってバリアを超え、斧槍を突き出して空襲を仕掛ける――が、斧槍がカルネリアンの額を捉える寸前、槍の先端が不可思議な虹色の光に食い止められた。光は斧槍を弾き飛ばす事もなく磁石のように吸着しており、アインの膂力をもってしても微動だにしない。
「礼を、させてもらおう」
カルネリアンの瞳が、横長の楕円形に歪む。
ヤルダバオート家は複数の魔族の形質が同時に発現した一族である。グリフォンやケンタウロス、キマイラといった種族が各地に存在する事実からして、それ自体は珍しい事ではない。
彼らが代々魔王の座を獲り続ける一族たりえた理由は、発現した形質のバランスが非常に優れているという点が大きい。ヒト系魔族の柔軟な思考力、山羊系魔族の魔力、そしてドラゴンの膂力。これらがバランスよく組み合わさった結果、ヤルダバオート家の面々は武道・魔道の両面において極めて高い資質を得るに至った。
しかしヤルダバオート家の者達が一様に同じ才を得ているわけではない。それぞれ微妙に得手不得手があり、例えばアインは武道に優れ、コルニオラは魔道に優れていた。カルネリアンは武道を好む性格だが才覚自体はバランスが取れたものだった。
通常であれば、魔王の座を獲る者は武道か魔道、いずれかに傾倒した者である。いずれの道においても己の弱点を殺し長所を活かす者が勝ち続け、尖った所のないバランス型は好成績が残せても最終的な勝者となる事は稀だ。
そんな中、カルネリアンが争いを制し魔王の座を得る事が出来たのは、単なる運ではなく「ある特技」がバランス型の欠点を補ったからである。
斧槍を掴んでいた虹色の光がばちりと弾け、アインの身体は斧槍ごと遠くへ飛ばされる。さらには殴りつけるような風が吹きアインの体勢は大きく崩れた。翼を羽ばたかせてどうにか持ち直し、カルネリアンが浮いている方を見上げる。
そこには黒紫の体毛に覆われた山羊頭の男がいた。彼の周囲では黒い光がちかちかと瞬き、彼が指揮者のように手を振るとそれに合わせて光も踊る。
「行くぞ」
風に乗って聞こえてきたカルネリアンの呟きと共に、黒い稲光の矢が降り注いだ。
「……っ!」
球状のバリアを張るが稲光の猛攻を受けてあっけなく砕け散る。その僅かな時間で唱えた同種の魔法で稲光を相殺するが、いくつかの撃ちもらしがアインの体を貫いた。全身に鋭い痛みが走り指先の力が抜け斧槍を取り落としてしまう。
「やはり魔法は苦手なようだな」
アインよりも遥か高い空に浮かびながら、カルネリアンは山羊面のままにやりと笑った。
これこそがカルネリアンの特技――流転(るてん)。自身の血に眠る形質を強制的に揺り起こし、他者を圧倒する力を引き出す技だ。山羊の血を利用すれば魔法の才が、ドラゴンの血を利用すれば純粋な力が手に入る。発動時間が短く魔力の消費が甚大である事が弱点だが、相手に合わせて好きな力を瞬間的に伸ばせる事は大きなアドバンテージである。
カルネリアンが呪文を唱え、頭上に大量の光の矢を生み出した。たった数秒の詠唱で何十何百もの矢を作れるのだから今のカルネリアンの魔法の才はアインのそれを軽く凌駕している。
だが、アインは怯む事無く呪文を唱える。相殺は狙わない、全く異なる呪文を。
「本気で防がねば死ぬぞ」
「忠告のつもりか?」
アインは翼を大きく広げ、カルネリアンに向かってまっすぐに突っ込んだ。カルネリアンが指を鳴らし光の矢が放たれると同時にアインの呪文も詠唱が終わった。
降り注ぐ光の矢を真正面に捉えながらも、自身の体がめきめきと音を立てて変わっていくのを感じる。全身が鉄よりも硬い鱗で覆われ、翼もマントから作り出したまがい物ではなく本物の翼が背から生える。手足の爪が大きく鋭く伸び、大きく裂けた口には肉を易々と切り裂く牙が生え揃う。
光の矢が突き刺さる寸前、アインの体は黒紫のドラゴンに変化していた。
アインの背丈は、一般的に見て巨漢に分類されるカルネリアンよりも大きい。アインの特技はその巨体を活かした力技であり、単純なパワーで言えば誰よりも優れていた。その為ドラゴンへの変化はとりわけ相性が良く、魔法にやや苦手意識があるアインも竜化魔法だけは完璧に仕上げた。
光の矢はドラゴンに変化したアインの鱗を僅かに傷つけるが破壊するには至らない。とはいえこの弾数が相手では無傷で済むわけもなく、カルネリアンへの接近を果たした時点で体のあちこちから血が流れ出ていた。
「本気で避けてみろ。……出来るものならな」
カルネリアンの顔は山羊面から元に戻りつつある。またとない好機にアインは大口を開けて咆哮した。
しかしカルネリアンは一切怯む事無く不適に笑い、マントを軽くなびかせた。
「ご忠告どうも」
なびいたマントの中から虹色の光が飛び出し、アインの鼻先で弾けた。
アインの斧槍を受け止め弾き飛ばした魔法と全く同じものだ。普段のアインならともかくドラゴンに変身している今は弾き飛ばされることもないだろう――そう、虹色の光がアインの攻撃を受けようとしていたならば。
虹色の光が弾ける瞬間、それに触れていたのはアインの鼻先ではなくカルネリアンの指先だった。吹き飛ばされたのはアインではなくカルネリアンで、間合いを取ると同時にドラゴンへと姿を変えていた。
「小癪な真似を」
「咄嗟の機転と言ってくれたまえよ」
カルネリアンはドラゴンの姿で器用に笑い、弾丸のようなスピードでこちらに突っ込んでくる。その体格や気迫からして流転でドラゴンの力を引き出していると見て良いだろう。
熱光線に似た炎のブレスを紙一重でかわし、その隙を狙って襲い掛かってきたカルネリアンが右腕に食らいつく。予想通りの行動だ。
アインは振り払うこともせず冷静に大きく羽ばたき、そしてカルネリアンを下にして一気に急降下を仕掛けた。アインの体躯は流転を用いたカルネリアンよりも大きく、右腕に食らいついたままでは抜け出す事も難しく地面に叩き付けられてしまう。必然的にカルネリアンは口を離しこの状況から逃れようとする――が、それもアインにとっては織り込み済の事。その瞬間アインはくるりと身を翻し、元の姿の時よりも凶暴性を遥かに増した尻尾でカルネリアンの体を打ち、矢よりも早く地面に叩きつけた。土埃が舞いカルネリアンの姿がぼやける。
それなりにダメージは与えられたのだろうが、カルネリアンはこの程度で死ぬ奴ではない。アインは大きく息を吸い、カルネリアンのそれとは比較にならない規模のブレスを吐いた。光の矢で傷つき右腕を深く噛まれた身で出来る最大級の攻撃だ。流転による消耗と今の打撃からカルネリアンのコンディションを考えると、防ぐことも避けることも不可能と見て良いだろう。
しかし、ブレスがカルネリアンのいる地面を舐める寸前――青白い、凍てつくような寒気を孕んだ波動が大気を走った。その瞬間不可避のブレスが消え失せ、アインの身体はドラゴンから元の姿へ戻った。
「何だ……?」
アインはマントを翼に変形させ、勢いを相殺しながら地面に立つ。偶然にも足元には弾かれた斧槍が落ちており、油断なく辺りを警戒しながら拾い上げた。
「……いやあ、さすがに死ぬかと思った!」
土埃の向こう側、クレーターのように凹んだ地面からカルネリアンがひょっこりと姿を現した。
「……何を、した?」
「なに、一月ほど前にメタポルタを訪れた際耳にした新理論を応用してみただけだ」
頭から血を流し左腕からは骨が突き出しているにもかかわらず、カルネリアンは得意げに笑う。
「魔法とは魔素反応の連鎖であり、連鎖には波がある。ならば、似たような波を持つ魔法を重ねて唱える事で波を早く、もしくは大きくするとどうなるか? というものでな。あちらでは専ら強化の方向で研究が進められておったよ」
「成程。お前がしたのはその真逆だな」
アインが先回りして言うとカルネリアンは「ビンゴ!」と指を鳴らした。
「逆位相の波を重ねると魔法が強化されるどころか消え失せる。ブレスのような攻撃魔法も、変身のような補助魔法もだ。面白い技ではあるが、場に満ちる連鎖の波を読んで適切な位相の波を起こすのがなかなか難しくてな。実践で使えるか不安ではあったがどうやら役立つ技ではあるらしい」
「私は実験台と言うわけか」
アインは棘のある口調で斧槍を構えた。
「我輩が本気を出せるのは兄上くらいだから仕方あるまい」
カルネリアンも半身をずらして構える。
互いの消耗具合を考えると、恐らく次が最後だろう。アインは斧槍を両手でしっかりと握り締め、深く息を吸ってから大地を蹴った。
* * *
「いやー、今回も良い勝負っぷりだったわねー!」
城の裏庭、二人が戦っていた場所から程近い所にある瓦礫の山にカルネリアンとコルニオラは腰掛けていた。カルネリアンの隣には気絶したアインが無造作に寝かされている。
「そうだろうそうだろう、もっと褒めても良いのだぞ?」
あれほどの怪我をしていたにもかかわらず、カルネリアンは元気そうに笑っている。決着がつくとすぐに治療が行われたのだから当然と言えば当然だが、それでも疲労の色がほんの少ししか見えないのはリッカの常識を超えている。
そもそも、リッカの目の前で繰り広げられた戦いからして理解を超えていた。空中戦、黒い稲光、光の矢の雨、ドラゴン、熱光線じみたブレス、魔法の無効化――幼い頃に父が語ってくれた冒険譚よりも荒唐無稽で現実離れした光景の数々だった。
「コルニオラ、手当てが終わったんならさっさとこっち手伝え」
シリダリークは戦いの最中カルネリアンが落ちた場所――小さなクレーターと化した場所の傍に立ち、魔法でざくざくと土を動かして埋め立てている。
「はあい」
コルニオラはひょいと立ち上がって歩き出し、シリダリークの隣で埋め立ての手伝いを始めた。
「……んだよ、これ……」
あの戦いもそうだが、慣れた様子で後始末を始めるシリダリークとコルニオラも理解できない。あれだけの戦いを目にしても一切動じず、まるで恒例行事であるかのように振舞っている。リッカの周りにいる全ての魔物が遠い異世界の住人のように思えた。
「…………」
リッカが黙って踵を返すと、カルネリアンは目敏くそれに気づいた。
「部屋に戻るのか? 今なら我輩を殺せるかもしれんぞ?」
振り向いてカルネリアンの顔をじろりと睨み付け、ため息をつく。
「僕はそんな挑発に乗るほど馬鹿じゃねえよ」
崩れた壁を越えて城内に戻ると、すぐ傍で先程見かけた石工の男が壁の修復について召使と話し合っていた。仕事が出来てよかったな、と素直に祝う気持ちにもなれなかった。
自室に戻ったリッカを出迎えたのは、テーブルの上に置かれた水差しと小さな皿だった。水差しは空で、小さな皿は昨日から嫌と言うほど見ている。
テーブルをベッドサイドまで動かし、ベッドの縁に腰掛けて小さな皿に魔法で火を灯した。
「はあ……」
小さな火を半日間灯し続ける。こんな課題ですら、リッカの見立てではあと一日か二日かかるだろう。
火の揺らめきが安定したのを確認すると、リッカは視線を皿に向けたままベッドに横になった。ふかふかのベッドは目を閉じればすぐに眠ってしまいそうなほどに心地良い。
「これクリアしたところで、かすり傷を負わせられるかどうかってレベルの魔法が使えるようになるだけなんだよな……」
カルネリアンの腕を折り頭から血を流させるレベルとは程遠い。しかもそれだけの戦いを経ても会話をしてリッカを挑発するだけの余裕がある。
昨日のシリダリークの言葉が蘇る。
(人間が魔王を殺す為には、世界有数の実力者を一人残さずかき集めて廃人確定の強化薬を飲ませた上で奇襲を仕掛ける必要がある)
大げさに言い過ぎだろうとその時は半信半疑だったが、今なら分かる。確実に殺そうと思えばそれぐらいはしなければならない。
今の実力で魔王とまともにやり合って勝てるとは思っていない。城に滞在してそれは理解したが、隙を見て奇襲を仕掛ければまだ可能性はあると思っていた。
「……無理だ……」
いくら隙を突いたところで魔王は殺せない。先程の戦いでリッカはそれを嫌と言うほど思い知った。付け焼刃の必殺技が通じるほどリッカとカルネリアンのレベルは近くない。今のリッカに必要なのは、付け焼刃を必殺の刃に変える実力だ。
どれだけの時間がかかるか検討もつかない。ただ間違いなく言えるのは、このままこの城に滞在していても魔王は殺せない。広い世界を見て回り、様々な経験を積み重ねる必要がある。
(その為の第一歩だ)
寝転んだままテーブルの上の小皿を見つめた。小さな火は時折ふらりと揺れるものの、おおむね安定している。
この課題をやり遂げ、シリダリークから魔法を教わる。それを一つの区切りにして城から出て行こう。一旦里帰りをしても良いし、剣と魔法を基礎から固め直しても良いし、タンタルで賭博に興じる……のは程々にしておこう。
寝転んだままとりとめもないことを考えていると、リッカの意識はいつの間にか眠りに落ちていた。
* * *
……昼寝から目が覚めたのは、窓の外がすっかり暗くなった頃合だった。寝すぎてぼんやりと重たい頭を抱えながら厨房に向かい、ありあわせの食材で手早く夕食を作る。そのまま部屋に戻って夕食を済ませてもよかったのだが、なんとなくカルネリアン達の様子が気になったので謁見の間兼食堂の扉を少しだけ開けて中の様子を伺った。
「だーっはっはっは!」
カルネリアンが限りなく全裸に近い格好で酒瓶をラッパ飲みしながらアインの頭をべちべちと叩いていた。
「兄上は相変わらずノリが悪い! そーら酒は飲め飲めどんと飲め!」
「飲んでいる」
アインは惚れ惚れするほどに淡々と酒を飲んでつまみを口にしている。彼らの向かいではコルニオラがべろべろに酔っており、シリダリークにしなを作ってもたれかけ、当のシリダリークはまるでコルニオラなど存在しないかのように淡々とつまみを口に運んでいた。彼ら以外にも数人の召使が席を並べているが、彼らは彼らでつるんで管を巻いている。
何と言うことはない、普段より少し盛り上がっているだけの酒の席だ。リッカはそっと扉を閉めようとした――が、カルネリアンが目ざとくそれに気づいた。
「リッカ、遅かったな! 酒もつまみもまだ残っているからつまんでいくといい! おっと今のは駄洒落じゃないからな我輩が本気で考えた駄洒落は下らなさと聡明さが入り乱れたワンランク上の駄洒落で聞く者全ての腹筋を崩壊せしめることに定評が」
扉を閉めた。