箱庭リベレイト 第十話「降臨」
立ち上がったリシェルの目は、何も映していないように見えた。ゆっくりとまばたきをし、両手を開いたり閉じたり、少しだけ足を上げてみたりしている。ただそれだけなのに、辺りの空気はひどく重い。
「第二ラウンドか?」
カルネリアンが黒い矢を生み出し、放つ。矢はリシェルの脳天を貫こうとする――が、髪に触れるか触れないかというところで矢が弾けて消えた。リシェルはぎこちない動きでカルネリアンの方を向き、にたりと笑みを浮かべた。
「違うな。これから始まるのは余の威光を知らしめるための儀式」
胸元に空いた大穴はいつの間にか淡い空色の鉱石で塞がれていた。腕を繋いだ時のように再生するのかと思いきや、塞いだだけで何も起こらない。リシェルはそれを意に介する様子もなく、右手を広げて何もない空間から槍を生み出す。
「貴様の命は礎となる。光栄に思え」
「断る。我輩は王だ。王を礎にして良い道理があるか?」
カルネリアンはマントを羽の形に変えて、リシェルの周りにいくつかの黒い矢を生み出した。
「下賎な王など王にあらず」
リシェルは一瞬で距離を詰め、カルネリアンの心臓めがけて突きを繰り出す。カルネリアンは軸をずらしてそれを避けて、鱗を纏ったままの右手でリシェルに殴りかかる。
目で追いかけるのがやっとの高速のやりとり。私なんかが水を差せるものではないけど、それでも、右脚をなくしたまま戦うカルネリアンを見ていると不安でたまらない。
ギフトは私の隣で二人の戦いをじっと観察している。どちらかを心配しているようには見えなくて、本当にただ「観察」していた。
「……ねえ、ギフト」
「何で御座いましょう」
「私、魔王……カルネリアンと会ったのは初めてなんだけど、それでも、もし死んじゃったらやだな、って思うの」
「つまり助太刀したいと」
ギフトは眉尻を下げた。
「アステル嬢のお優しいお気持ち、このギフトにも伝わりました。ですが……今の貴女にそれは難しいのではないでしょうか」
リシェルの放った光弾の流れ弾が飛んでくるが、ギフトが操る黒い盾がそれを防ぐ。この結界に囚われて二人の戦いに巻き込まれてからはギフトの盾頼りになってしまっている。アメティストも私のすぐ後ろに座り込んで、ギフトの盾に護られながら戦いの行く末を見守っていた。
「小生の盾はこうして流れ弾を防ぐことくらいなら可能で御座います。ですが、それ以外のもの――炎による熱気などは、到底遮断できるものでは御座いません。アステル嬢、今の貴女のコンディションは万全と言えるものですか?」
「……ううん」
ハンター二人の攻撃に先程カルネリアンが放った炎。脚はおろか指先の形を保つことも出来ないくらいに消耗している。腕を武器に擬態させてもロクな強度が得られないだろう。
「アステル嬢の想いを尊重させたいのは山々ですが、貴女という契約候補者を勝つ見込みのない場に送り込む事など出来るはずがありません」
「……でも……!」
ギフトは私の口に指を添えた。
「今の我々には、見守る事しか出来ません。ご理解を」
カルネリアンとリシェルは地上で戦いを繰り広げていた。時に回避の為に軽く飛んだりはするけれど、すぐに地面に降りてしまう。カルネリアンが空中戦を仕掛けようとしても、リシェルにうまく阻止されてしまっていた。空中戦なら右脚を失ったハンデが軽減されるからだろう。カルネリアンの羽は今のところ、右脚を失った分のバランスを補うくらいにしか使われていない。
「なかなかしぶとい」
リシェルは先程と変わらない――いや、ずっと激しくカルネリアンに攻撃を仕掛けていた。槍による鮮やかな連撃、魔法による牽制、時には体術。カルネリアンはそれらの攻撃を上手くいなして、わずかな隙を縫って魔法や殴打で応戦していた。
どちらも体のあちこちに浅い傷が出来ている。不利な状況なのに、カルネリアンはリシェルと互角に渡り合っていて、しかも、不敵な笑みを浮かべてすらいた。
「貴様ほどの実力者は初めてだ。どちらが上を行くか、正々堂々決着を付けたいものだな!」
「――笑止!」
リシェルはカルネリアンの攻撃を槍でいなして、くるりと向きを変えて飛ぶように駆ける。その行先は――
「……え?」
私?
「アステル嬢!」
私に向かって突き出された槍を、ギフトの盾が辛うじて防ぐ。安定して攻撃を塞いできた盾も、槍の一撃にぐらりと揺らぐ。
「小賢しい!」
リシェルが早口に呪文を唱え、ギフトの頭上に光が収束し、光の柱がギフトを貫いた。
「……っ! これは、これは……!」
ギフトの半身は光の柱で消えてしまったのに、残った顔は目を細めて口角を釣り上げていた。それも一瞬の事で、ギフトの身体は黒い霧になって霧散し、見えなくなってしまう。
「貴様、我輩を殺すつもりではないのか!」
「殺すつもりだとも」
カルネリアンが追いすがって殴りかかろうとするけれど、リシェルはそれを光弾で弾き、そして槍を私の喉元に突きつけた。
「貴様がこれ以上抵抗を続けるのなら、何の罪もない魔物が一匹死ぬ」
「なっ……!」
カルネリアンの動きが止まる。ギフトのようにこの場から消えてしまいたいけれど、身体は石になってしまったかのように動かない。
「そのような手法、卑怯とは思わんのかね」
「これ以上あがかれると面倒なのでな」
私に槍の攻撃は効かない。けれどそれはあくまで物理的な攻撃に限った話で、リシェルの槍は何らかの魔法が込められているように感じる。それを防ぐ手立てはない。
「手を下ろせ。その醜い鱗を剥がせ。爪もだ」
「……貴様は正々堂々と我輩の首を取ってくるものだと思っておったのだがな」
カルネリアンはそう呟きながら、リシェルの言う通りに武装を解除していく。羽状になっていたマントも元の形に戻される。
「正々堂々と勝利を収めるのが最も美しい展開ではあった。だが、それに固執するあまり機を逸してしまっては本末転倒というものだろう?」
リシェルの声音はどことなく楽しそうだ。彼女の横顔は今更ながらとても美人で、まるで作り物みたいだった。陶器のように透き通った肌にはうっすらとひびが入っているが、本来であれば傷一つない綺麗な肌だったのだろう。
(……ひび?)
私の視線などまるで気にする様子もなく、リシェルは無防備になったカルネリアンの頭上に先程と同じような光を収束させる。
「まずは右腕」
光の柱がカルネリアンの右腕を貫いた。光の柱は右腕を焼き尽くし、それが収まる頃には彼の右腕は跡形もなく消え失せ、肩口からはだらりと血が垂れた。
「……っ……嬲るのが、趣味か?」
「反撃の可能性を排したまで」
リシェルは槍の穂先を私からカルネリアンへと向ける。そしてそのまま突進し、眉間に向けて一撃を放つ。
「――くッ!」
……が、カルネリアンは直前でわずかに身をよじる。直撃は免れたけれど、リシェルの槍はカルネリアンの右目を深く抉った。そしてカルネリアンは体勢を崩して、その場に仰向けに倒れる。
「カルネリアン!」
「動くな」
リシェルの声で私は金縛りにかけられたかのように動けなくなる。魔法じゃない。威圧感が、恐怖心が、私をその場に縫いとめる。
リシェルはゆっくりとカルネリアンに歩み寄り、彼の胸板を踏み付ける。
「っぐ……」
「抵抗するなと言ったはずだが」
ぐりっ、と踏みにじる足に力が入る。カルネリアンがうめき声を上げる。
「今更抵抗しても形勢が逆転することもあるまい。無駄なあがきをしおって」
「……我輩も生き汚いところがあってな。死を無意識のうちに避けるのは当然だ」
「成程。では、もう少しだけ寿命を延ばしてやろうか?」
リシェルの周囲にいくつもの光の矢が現れる。カルネリアンは深く息を吸って毛を逆立たせる。その顔が黒山羊のように変わっていく――が、完全な変化を遂げる前に元に戻ってしまった。
もう変身する力も残されていないのだ。明らかな抵抗の意思にもかかわらず、リシェルはその様子を見て鼻で笑うだけだった。
光の矢はカルネリアンの頭から生えている二本の角に集中的に注がれる。
「……っぐ……あ、あ……っ!」
カルネリアンの表情が苦悶に歪む。額から脂汗が流れ落ちる。
そして――二本の角は、光の矢によって抉られ、折れた。
「――――っ!」
言葉にならない獣のような叫び声。角の断面は真っ赤で、沢山の血が溢れだした。リシェルの足を払いのけようともがく左腕を、槍が地面に縫いとめる。胸板を踏みつけて呼吸を妨害する。
「右脚、右腕、右目を失い、角まで折られ、獣のような下品な声で鳴き、地に伏す。なんとも惨めなものよのう」
くつくつとリシェルは笑う。
「……ギフト……」
いくら霧になったからと言って、結界から出られるとは思えない。この中に隠れているはず。彼の盾ならば、今からでもカルネリアンを護ることくらいは。しかし、小声で呼びかけても彼は姿を現さない。
「これが魔物を束ねる王の姿か。臣下が見たらどう思うだろうな?」
ふと隣を見るとそこにはアメティストが立っていた。彼の視線はカルネリアンに注がれているけれど、脚が震えていて動く気配はない。動いて邪魔をすればリシェルに殺される。その事実に、リシェルの圧倒的な実力に動きを封じられているのは私も同じだ。
「これが終われば、貴様がいかに無様な死を迎えたか広く伝えてやろう」
法王を見ると彼はただ事の成り行きを静観している。当然のことだろう。法王の傍にいる人達も同じだ。
リシェルはカルネリアンの左腕から槍を引き抜き、穂先を喉元に突きつける。
「言い残したことはないか? 最後の情けだ、一言くらいなら聞いてやろう」
「…………」
カルネリアンはぼそぼそと小声で何かを呟く。
「何だ。はっきり言わんか」
槍を突きつけたまま、リシェルは少しだけ身をかがめる。それでもカルネリアンの呟きは聞こえないのか、怪訝な顔をしながらさらに顔を近づけていく。
そして――
「愚か者め」
カルネリアンの詠唱が終わり、リシェルの頭上に黒い稲光が生まれた。リシェルが反応する間もなく、鋭い雷光はリシェルの身に襲い掛かる。
「がっ……!」
リシェルはたたらを踏み、カルネリアンの胸板から足を離す。長い金髪の毛先がほろりと崩れ、頬に入っていたひびが一層深くなる。
体勢を立て直すチャンスだけど、カルネリアンは倒れたまま笑い声をあげていた。立ち上がる気力もないのだろう。
「……貴様……!」
リシェルは怪しい足取りながらも槍を振り上げ、カルネリアンを睨み付けた。カルネリアンはリシェルに向けて口角を吊り上げた。
「殺すか? 神の威光を知らしめるとか言っていたが、我輩を殺したところで恒久的な平和が得られるわけではない。貴様が得られるのは一時の栄光だけだ」
「減らず口もここまでだ。死ね」
カルネリアンの顔面めがけて槍が振り下ろされる――
「させるか!」
――が、槍の穂先はカルネリアンの顔面ではなく、顔の真横の地面を抉った。
槍の軌跡を反らしたのは一振りの剣。その持ち主は、赤い髪の毛の男の子。
「あの子……」
メタポルタに来た時に出会った子だ。人間のはずなのに、リシェルの攻撃を妨害して、睨みつけている。
「……何のつもりだ」
リシェルが赤毛の子をじろりと睨みつける。赤毛の子はそれに怯まずリシェルを睨み返して、剣を振るう。リシェルは槍を地面から引き抜いてそれを受け止める。
「……なんか、ここで魔王を殺すのは、違う、ような気がして」
「気がする? そんな世迷言で余を止めるか」
リシェルが槍を振るうだけで赤毛の子は簡単に体勢を崩してしまう。それでも彼は剣を構えて間合いを測る。
「世迷言だよ。でも、ここでカルネリアンを見捨てたら一生後悔する」
剣で突きを繰り出すけれど、簡単に軌跡を反らされて腹を蹴り飛ばされる。
「だから余に刃向うと。その行為が何を生むか知ってのことか?」
「……一生後悔するくらいなら、ここで死んだ方がましだ」
「勇者気取りか? 勇気と無謀を履き違えておるぞ」
「気取りじゃない。僕は勇者だ」
赤毛の子は逆袈裟に切り上げ、リシェルは槍で受け止める。二人の力がぎりぎりと拮抗する。リシェルの鎧の隙間から、何かの破片がぱらぱらと落ちる。
「かような勇者がおるとは世も末だな」
「世も末だから勇者になれた」
……リシェルの意識は赤毛の子に集中していた。
だから、彼女の背後に立つもう一つの影に、気付かなかった。
「――後悔は、したくないものだな」
アメティストがカルネリアンの流した血で作った鎌を、振るった。
鎌はリシェルの鎧を砕き、背肉を抉る。リシェルは目を大きく見開き、槍が消える。
「流石は魔王様の血だ。段違いの威力」
アメティストは軽く何度か素振りをし、自分の方を向いたリシェルに真正面から切りつける。刃は彼女の身体を深く裂き、風圧は彼女の身体を軽く吹き飛ばす。
「……誰がミジンコより弱いって?」
赤毛の子は胡乱な眼差しでアメティストを見る。
「魔王様の血だからだ。この元手が無ければ鎌を作ることすらできない。やろうとしたら貧血で倒れて死ぬ」
「出血多量ならともかく、ただの貧血で死ぬかよ」
リシェルは吹き飛ばされてもなお立ちあがる。傷口からは血が流れておらず、体のあちこちから何かの破片がぽろぽろと零れ落ちている。
「……う……」
リシェルの足はがくがくと震えており、白い羽は端からぼろぼろと崩れて行く。
赤毛の子は剣を構えるけれど、アメティストがそれを手で制する。
「……神よ……」
一歩、二歩と歩みを進める度に、羽が、毛先が、淡い空色の鉱石となって剥がれ落ちる。
「……私の体が至らず、申し訳御座いません……」
その目はここではないどこかを見ているようだった。
「はい……はい……どうぞ、我が体は主の為に……」
リシェルは手を宙に差し伸べて、
「……主……」
全身が、崩れ落ちた。
暫くの間、誰も言葉を発さなかった。
「……おやおや。このような結末になるとは」
最初に動いたのはギフトだ。いつの間にか私の隣に姿を現していた。リシェルの魔法を受けたためか、うっすらと体が透けている。
ギフトはその場から動かずにリシェルだったものをじいっと目を細めて見ている。淡い空色の鉱石の山は、それがあの綺麗な天使だったとは思えないくらいにただの「石」だった。
「とんだ誤算ですね」
続いて法王がため息を吐く。
「んっふっふ! ターラー殿にとっては嬉しい誤算、で御座いますか?」
「黙りなさい汚らわしい悪魔が」
法王がぶつぶつと何かを唱え、結界の天井が薄れて空の色が見えるようになる。
結界を解除している。そう理解して大人しく成り行きを見守っていた――が、すぐに法王の詠唱は止まる。その理由は明快で、リシェルだったものがかたかたと震え、そして、その中から光の柱が立ち昇る。
(――初めまして、と言うべきであろうか――)
光の柱から声がする。いや、正確に言うと頭の中に直接声が響く。周りの様子を見てみると、全員が同じ現象に見舞われているようで怪訝な顔をしながらも光の柱に視線をやっていた。
光の柱は私達のそんな態度を意に介さないかのように、続けた。
(――余は唯一神アルマ。この世界を創造せし者なり――)