箱庭リベレイト 第九話「別次元の戦い」
「今宵はお祭り 諸人こぞりて お山に登る♪」
ラピスの歌声を聴きながら、僕達は街を練り歩く。リュートの伴奏もないただの「歌」だけど、聴いていてとても心地が良い。
「お山のてっぺん 月の下 祈りを我らが 主に捧ぐ♪」
ラピスやルチルの好意に甘えて一緒にアメティストを探しているものの、なかなか見つからない。隠れるのが上手いのか僕の運が悪いのか。なんとなく後者のような気がする。相手は棺桶背負ってるようなやつだし。
「捧げてしまえば こっちのもんだ 飲めや歌えや 大騒ぎ♪」
ただの借金回収なのに人に甘えるのは少し良心が傷む。僕がもっと立派な勇者だったら、借金回収じゃなくて吸血鬼退治とかもっと華々しい仕事だっただろうし、こういう微妙な肩身の狭さを感じずに済んだのだろう。
いくら魔王に傷を負わせたことがあるとはいえ、僕はまだまだ実力不足の未熟者だ。簡単な仕事をしながら経験を積んで、出来ることを増やしていくしかない。
「太鼓が響く どんがらどん 笛の音響く ぴいひゃら――」
調子よく歌を歌っていたラピスがふと口を噤み、きょろきょろと辺りを見渡した。
「ん、どうしたラピス」
「あっちの方、なにか」
ルチルが声をかけても、ラピスは不思議そうな顔で通りの先の方に視線を移して呟くだけだ。
「何か不思議な感じがします」
そう言ってラピスはぱたぱたと道を駆けだす。
「あっ、ちょっと待て待て! こっちはでかい幼児連れてるんだからゆっくり! ……って言っても聞くやつじゃねぇよなあ……」
ルチルも慌ててラピスの後を追う。その右手はタガリの腕をしっかり掴んで離さない。
「誰がでかい幼児ですか」
「分かってんじゃん。ほらリッカも行こうぜ。見失ったらまた探すのがめんどくせえ」
「ああ」
ラピスは大通りから少し外れた、それでも人通りはそれなりにある道を髪を弾ませながら走っていた。真っ白で長い髪は陽の光をきらきらと反射して綺麗だった。
「……なんだありゃ」
ルチルの視線は通りの少し先、空中に向けられていた。釣られてそちらを見てみると、そこには周りの建物より少し高い位置まで昇る光の円柱があった。ラピスはおそらくあれに向かっているのだろう。
「随分高度な結界ですね」
タガリが円柱を一瞥して呟く。ここまで渋々と言った様子でついてきたタガリだが、今は円柱に興味を引かれているようでルチルの先導なく歩いている。僕とルチルも円柱の傍まで向かう。
光の円柱は通りの幅いっぱいに広がっていた。繊細でどこか神々しさを覚える模様が浮かび上がっているけれど、中の様子は見えないし聞こえない。円柱の周りには沢山の人がいて、その中にラピスの姿もあった。
「ラピス、いきなりどっか行くのは危ないよ」
そう声をかけると、ラピスはこっちを向いてへにゃりと笑った。
「不思議な音がしたから気になって。ごめんなさい」
「許す」
「なんであんたが許すんだよ。――おっ、あいつらも来たな」
ルチルの視線の先を見ると、二匹の精霊がこちらに向かって真っすぐにやって来ていた。
「お疲れさん。何かわかったことはあるか?」
実体のない鳥と犬を器用に撫でながら、ルチルは彼らの話をふんふんと聞いていた。僕には彼らの言葉は分からないが、ルチルには分かるのだろう。
「なるほど。サンキュな」
ルチルがにかっと笑って礼を言うと、二匹の精霊は僕達の周りをくるりと一周してから光の粒子になって消えた。
「リッカ、めんどくせえことになってるぞ」
「えっ?」
「あいつら曰く、強烈な魔族の匂いはこの中からしかしない。つまり、そのアメティストとやらはこの中にいる。ところが精霊のあいつらでさえこの中には入れねえ。中で何が起こってるのかもよく分かんねえ」
「なんだそりゃ」
確かに面倒くさい。円柱に触れてみると、冷たく無機質な感触がする。
「中、どうなってるんでしょうね」
僕の隣にラピスが立ち、円柱に手を伸ばす――と、その手がするりと円柱をすり抜けた。
「え?」
ラピスもまさかすり抜けると思っていなかったのだろう。体のバランスを崩して転び、円柱の中へするりと入りこんでしまった。
「は? え、ラピス? ちょ、待て」
ルチルもその瞬間は見ていた。後を追おうとするけれど、ルチルの体も僕と同じように円柱に阻まれてしまう。
「なんだこれ? え、何でラピスだけ」
どんどんと強く叩いてみるがびくともしない。それまでしげしげと円柱を観察していたタガリも、軽く叩いたり指で表面をなぞったりしている。
「なるほどただの強固な結界ではないようですね。強さに加えてフィルターまで加えている」
「フィルター?」
「特定の条件を満たす者のみ通す仕掛けです。これほどの術を即座に編み上げる者がいるとなるともしかしたらもしかするかもしれません」
タガリは背負っていた荷物袋の中身を漁り、一本のガラス瓶を取り出した。その中には透明の液体が詰まっている。
「ワタシを殺しうる者が」
ガラス瓶の蓋を開け、中身を円柱にかける。
すると、液体が欠けられた部分は飴細工のようにどろりと溶け、やがて屈んで入れそうなほどの穴が空いた。タガリは一切の躊躇なくその中へ身体をするりと滑り込ませて行く。
「……タガリ、すげぇな」
ルチルは一言呟いて、タガリの後に続いた。僕もそれに倣う。何があるのか分からないけれど、ラピスを放ってここで待ちぼうけるわけにはいかない。
* * *
結界の中は意外と広かった。この通りの横幅を直径とした正円の形をしていて、壁や天井は白く輝いていて外の様子は見えない。
僕達が入ったすぐ傍にラピスはいて、僕達の姿を認めると「なんだかすごいですよ」と身を寄せてきた。
見上げるとそこでは天使リシェルと魔王カルネリアンが空中戦を繰り広げていた。壁際には法王の姿があり、そこから少し離れてアメティストと少し前に見かけた白髪の女性の姿、そして黒髪に翼を生やした見慣れない男の姿がある。
「……結界を破ってきたのですか?」
法王はこちらをちらりと見てかすかに眉間に皺を寄せる。
「仕方ないですね、皆さんこちらに来てください。巻き込まれてはいけない」
言われるがままに法王の傍まで歩み寄る。タガリは壁の精度や上空で繰り広げられる戦いをしげしげと眺め、法王に対して薄い笑みを浮かべた。
「この結界はアナタが?」
「ええ。まさか侵入者が現れるとは思いもしませんでした」
「素晴らしい。アナタならワタシの願いを叶えられるかもしれない」
「願い? ……すみませんが、お話は後で。結界の維持に集中力を使いますので」
話半分に聞き流して、法王はぶつぶつと呪文を唱えた。するとタガリが開けた穴がたちどころに補修され、結界は美しい円柱の姿を取り戻す。
「私から離れないように。さもなくば天使と魔王の争いの流れ弾に当たってしまうかもしれません」
法王は上空を指差した。争う姿から見て、二人は互角に見える。
(マジかよ)
カルネリアンの本気は凄まじいものだ。カルネリアンが彼の兄と本気で戦う所は遠くから見たことがあるけれど、あれはまさに別次元の戦いだった。
それがまた繰り広げられている。それも相手は兄ではなく天使だ。あの化け物じみた実力の持ち主が彼らの他にもいるなんて、眩暈がしそうだ。流れ弾が危ないのも頷ける。ルチルはタガリの腕を、僕はラピスの服の裾を掴んで法王の傍に留まった。
リシェルの武器は槍で、カルネリアンは徒手空拳。リシェルは己の羽で、カルネリアンはマントを羽に変化させて空を舞っている。槍と素手ではカルネリアンが随分不利に思えるが、実際のところは互角の争いだ。思えば斧槍(ふそう)を振るうアインに勝利しているのだから、素手が不利とは限らないのだろう。
槍の一突きを紙一重でかわし、懐に潜りこんで殴打を加えようとするが、リシェルは高く飛んでそれを回避。目で追うのがやっとの速度で、一撃一撃が致命傷になりうるやりとりを繰り返している。
「――なかなか、やるな」
リシェルがカルネリアンと距離を取り、ちらりと僕達がいる方を見た。
「観客も増えた。この辺りで観念したらどうだ?」
「観客の多寡で我輩の首を値踏みするか」
リシェルが放つ光弾を軽く手で払いのけ、追撃も急降下でかわす。
「それにしても、貴様はなかなかの実力者だな。このまま続けると命の保証はせんぞ」
「結構。元より私はこの瞬間の為生まれてきた」
「それはそれは。魔王冥利に尽きる、と言えばいいのかね?」
カルネリアンは羽をマントの形に戻した瞬間、辺りの空気がぴりぴりと緊張を帯びる。さらに追撃を加えようとしたリシェルも、その手を止めて空中に留まった。
「身内以外にこれを使うのは初めてだな」
カルネリアンの髪の毛がぶわっと逆立ち、その顔が黒山羊のそれに変わる。
山羊頭の男と化したカルネリアンの周りに黒く瞬く光が無数に生み出される。ぱちんと指を鳴らした瞬間カルネリアンの姿は消え、無数の輝きは無数の矢となってリシェルに降り注ぐ。
リシェルも瞬時に無数の光弾を放ち矢を相殺する。その度にまばゆい光が視界を奪う。
視界が安定しない。そんな中でもリシェルは的確に矢を相殺していく――が、その背後に、カルネリアンがゆらりと姿を現す。
リシェルが振り向くより先に、カルネリアンが腕を振るい……リシェルの右腕が宙に舞う。
「……っく……!」
切断面から血が噴き出す。リシェルは空中で右腕を拾い、その手が握っている槍を一旦収めた。
「身体を半分にするつもりだったのだがな。なかなか速い反応だ。褒めて遣わす」
「魔王に褒められても嬉しくないものだな」
リシェルは右腕と肩口の切断面をくっつけて短く呪文を唱える。すると接合部にぱきぱきと透明の石が現れ、そしてそれが崩れ落ちると、右腕は元に戻っていた。右手を開いたり閉じたりし、改めて槍を取り出して構える。
「再開と行こうか」
「大した治療術だ。魔力もさぞかし使うだろうに」
「魔力の節制など無意味」
その言葉を証明するかのように、リシェルは無数の光弾をカルネリアンの周囲に発生させる。
「意趣返しか?」
「どうだか」
無数の光弾が一斉にカルネリアンに襲い掛かる。カルネリアンのマントが大きく翻り、次の瞬間には山羊頭の男ではなく黒紫の鱗を持つ竜に姿を変えていた。
黒紫の鱗は光弾をものともせず、カルネリアンはリシェルに向けて彼女の身の丈の倍以上はある炎を吹いた。リシェルは自身を覆う球形のバリアを張りそれを防ぐが、炎は勢いを失わず結界に阻まれ、上空に留まらず結界内全体を炎が舐める。
「やれやれ」
法王がため息をつき、僕達を護るようにバリアを張る。少し離れたところでは、翼を生やした黒髪の男が黒い盾のようなものでアメティストや白髪の女性に襲い掛かろうとする炎を器用に防いでいた。
「天使様、結界を張りながら身を護るのも大変なんですよ。もう少し周りに配慮した戦い方をお願いします」
「そのお願いは魔王にしろ」
カルネリアンの巨大な牙は球形のバリアに食いこんでおり、みるみるうちにひび割れが広がっていく。そんな中でもリシェルは動揺した様子を見せず、槍に光を纏わせる。
リシェルが槍を突き出し、纏った光は槍の射程を数倍に伸ばす。自身を護っていたバリアを打ち破り、自身を喰らおうとしていたカルネリアンの喉奥から延髄を破壊する必殺の一撃――のはずだが、それがカルネリアンに届く前に、彼の姿は竜から元に戻る。纏った光は髪をかすめるだけだ。
「まだまだ」
槍に光を纏わせたまま、リシェルは流れるような動きで薙ぎ払い、突く。カルネリアンはそれを先程と同じようにかわし、反撃を試みる。しかしその動きは、リッカから見ても明らかに鈍っていた。
「どうした魔王。もうスタミナ切れか?」
対するリシェルは、右腕を一度は喪失したことなんて忘れてしまいそうなくらい気力に満ち溢れていた。
「魔力の節制など無意味、と言っただけのことはあるな」
「また山羊か竜に変身するか? ――いや、その余力もないか」
「どうだろうな?」
カルネリアンは手の平を上に向けて挑発するように手招きをする。リシェルは一度だけ羽を大きく羽ばたかせ、連撃を再開する。攻撃を加えながらもカルネリアンの周囲に光弾を作り出し、カルネリアンの集中力を削いで行く。
対するカルネリアンも攻撃の隙に間合いを詰めて掌底や回し蹴りを繰り出し、時に魔法を織り交ぜて柔軟な立ち回りを見せている。
(……けれど)
どちらかというと、カルネリアンが押されている。このままでは魔王は天使に殺されるだろう。それは恐らく、喜ばしいことなのだろう。けれども、そんな結末はなんとなく引っかかるものがある。
僕が何となく思いを巡らせている間に、カルネリアンは右脚でリシェルの側頭部を狙った回し蹴りを放つ――が、その脚をリシェルは左手で掴んだ。
「ぬるい攻撃だな」
槍がカルネリアンの右脚を貫き、引き千切る。
「……っぐ……!」
カルネリアンの顔は苦渋に歪み、リシェルは切断したばかりの右脚を無造作に投げ捨てる。僕の目の前にカルネリアンの右脚がぼとりと落ちる。
「実力差は分かっただろう。観念して――」
リシェルの言葉を遮るように、カルネリアンは左手で彼女の首元のスカーフを掴み、右手の爪は一瞬で鋭く伸び、右腕全体が硬質の鱗で覆われる。
「そうだな」
カルネリアンの右腕が、リシェルの胸部を貫いた。
「……な……っ?」
リシェルの手から槍が消え、羽からも力が抜ける。二人は半ば墜落するように地面に落ち、カルネリアンは左足だけで器用に立ち、リシェルはその場で膝を折ってへたりこむ。
「……ま、まだ、だ……」
リシェルは右手を震わせ何度も呪文を唱える。しかし槍が彼女の右手に現れることはなかった。
「まだ息があるか。流石、我輩の右脚を奪っただけのことはある」
カルネリアンはぴりぴりとした雰囲気を漂わせたまま、リシェルをじっと見下ろす。
「……私は、まだ……!」
「心臓を抉り取ったつもりだったのだがな。天使は我々のような生物とは勝手が違う、ということか」
「……魔王を、殺すことこそ、私の……私の、使命……ッ」
「貴様の希望を叶えてやりたいのは山々だが、我輩には我輩の使命がある。すまない」
カルネリアンは黒い輝きを一つ、作り出した。
「私が……使命を、遂行しな、ければ……神の、神の御意志を……人々に……!」
「……魔王殺し以外に、手段はなかったのか?」
黒い輝きは矢の形を取る。
「……神よ……」
カルネリアンは指を鳴らそうとし――その動きを止めた。
リシェルの体がぼんやりとした光に包まれる。そしてその温かさとは裏腹の、カルネリアンが放つそれ以上のぴりぴりとした空気が辺りを覆う。
胸元から流れていた血は止まり、黒い矢が弾けて消えた。そして――リシェルは、ゆらりと立ち上がった。