箱庭リベレイト 第十一話「宣告」
神はいつも我々を見守っている。人として正しくあれば、祝福が与えられる。
これがアルマース教の基本的な教義で、純粋な信者はこれを信じて健気に日々を過ごしている。
俺は、この教義は扱いやすい奴隷を作る為の方便に過ぎないと考えている。神の祝福なんぞ見たことがない。記録にも残されていない。人として正しくあれど、見返りは何一つない。
神など存在しない。その考えの上で、俺は法王にまで上り詰めた。
(――余は唯一神アルマ。この世界を創造せし者なり――)
天使を名乗り、魔王と伯仲する実力を持っていたリシェルもわけのわからない存在だったが、今俺の頭に直接語りかけているこの光の柱に比べればマシかもしれない。
リシェルが放っていたような殺気は感じられない。しかしこれがリシェルの上位に当たる存在であろうことは推測できる。魔王と戦っている際のリシェルの急変、死ぬ寸前の言葉……これが神を名乗る何かでなければ何だと言うのだ。
(この結界内にいる者が魔王討伐を妨害したと見る)
光の柱はちかちかとまたたく。
「お待ち下さい。魔王討伐を妨害したのはこの中でも数名。私は天使様に協力し、人々を巻き込まぬようこの結界を作り上げただけです」
邪魔をしたのはそこの赤毛と吸血鬼だ。俺は確かにリシェルに良い感情を持っていないが、こんなやつらと一緒にされるのは癪だ。
(すなわち魔王の配下なり)
光の柱は俺の言葉など聞こえないかのように言葉を続ける。
(神に対する謀反には裁きを)
「お待ちください! 私の言葉を……!」
手を伸ばして触れようとするが、光の柱はふっと姿を消した。
それと同時に結界を維持するだけの魔力が尽きる。俺の意思に反して、結界は天井から徐々に薄れて消えていく。
予想通り、結界の外側には無数の野次馬が群れていた。
「法王様!」「あれ、魔王?」「天使様は」「法王様……」「あの石の山は?」
野次馬がざわざわと好き放題にものを言う。
これからの進退に、先程の自称唯一神の言葉。考えることは山ほどある。一旦静かな場所に移りたいが、群衆を振り切って移動するだけの魔力はない。群衆か、結界の内側にいた連中を言い包めるべきか。どちらにしろ面倒だ。頭を働かせるのが面倒臭い。どうしてこの世は俺の思い通りに動かない。
「……法王様、そいつぁ魔王ですか?」
群衆の中から一歩踏み出した男が問う。背が高く薄汚い格好で、三節棍を装備している。その風体からして戦いに身を置いている者だろう。
男の視線の先には地面に横たわるカルネリアンの姿。右目、右腕、右脚、そして両角を喪失し、血だまりの中で意識を失っているその姿は、魔王の威厳など欠片も感じられない。ただの死にかけの魔物だ。
「はい」
「天使様が魔王とやり合っていると町の連中から聞きましたが」
「天使様は魔王と戦い、ここまで追い詰めましたが……」
男も、その後ろで会話を聞いていた群衆も、リシェルがどうなったのか察する。
「……魔王に止めを刺さねぇんですか? じゃねぇと、天使様も浮かばれねぇんじゃ」
それはその通りだ。今この状況で魔王を生かしてもメリットはない。天使という犠牲を払いつつも魔王を討った法王、という物語は多少の助けになるだろう。
「…………」
懐から護身用の銀の短剣を取り出す。護身用で、しかも本来なら祝詞を唱えて聖なる気を纏わせて威力の底上げをするものだ。魔力切れでそんな簡単な作業も叶わない今、短剣は非常に頼りない武器だ。無抵抗の誰かさんの心臓を一突きするので精一杯だろう。
魔王の元に一歩近づく……が、間に赤毛の少年が立ち塞がる。先程も魔王への止めを邪魔していたやつだ。
「……何のつもりですか?」
赤毛の少年は剣こそ構えていないが、その目つきは十分に反抗的だ。
「ここで魔王を殺すのは……なんか、違う」
「正気ですか。我々がいくら精鋭を送っても血を流させることすら難しかった魔王が、天使様の手によってここまで追い詰められているのですよ? 天使様の遺志を継ぎ、今ここで魔王を討つことこそ、我々の為すべきことではないですか?」
「……でも」
「法王様、そんなガキ放っておいてさっさとやりましょう」
なあみんな、と男は群衆を一瞥する。
「……やっちまったもん勝ちですよ。ああ大丈夫、誰が止めを刺したって魔王を殺せたのは天使様と法王様のお蔭ですから」
「そんな、ことは……」
あわよくば名誉と金のおこぼれに預かりたい。そんな男の下心が見え隠れする。清廉潔白で真面目な法王として出来ることは、眉を下げて戸惑って見せるだけだ。
男が片手を挙げ、群衆の中にいた小男がクロスボウを構えて放つ。矢はカルネリアンの頭めがけて真っ直ぐに飛び――そして、黒い盾に弾かれた。
「ここで魔王陛下を殺しても面白くないでしょうに」
ギフトだ。あのクソ悪魔が。リシェルの魔法で体半分を消し飛ばされてもなお生きているしぶとさは賞賛に値する。
「それに今の我々には魔王陛下の処遇より大きな問題があるのでは? 何せ、我らは唯一神アルマ直々に裁かれる運命にあるのですから!」
群衆がざわめく。
「唯一神アルマ……?」「神様が降臨なされた」「裁かれるって言った」「神様が法王様を裁く?」
ギフトはつくづく余計なことを言ってくれる。俺の傍にいる男も明らかに戸惑った様子を見せていた。
「法王様、裁かれるって何のことです? さっき、あの中で何が……?」
「……神も話せば分かって下さいます。誤解であることは、魔王の首を差し出せば良いだけの話です」
ここで魔王を殺すことは間違ってはいない。生かすことが間違いだ。この状況で法王が魔王を生かす道理はない。
「そうか……そう、ですよね」
男は三節棍を組み立て、赤毛の少年の前に立つ。
「――皆、まずは魔王だ! いろいろとわけありみてぇだけどよ、魔王は殺しちまえ! 今がチャンスだ!」
「兄貴ぃ!」
小男が今一度クロスボウを構え、群衆もざわつきながら棍棒や短剣などを手にし始める。
「……まずいな」
リシェルに鎌で追い打ちをかけた吸血鬼がぽつりと呟く。その手に握られていた鎌はいつの間にか消え失せている。
吸血鬼は軽く辺りを見渡し、そしてある一点――同じく結界内にいた緑髪の目つきが悪い女につかつかと歩み寄り、その手を取った。
「お前の血を吸わせてくれないか」
「……はぁ!?」
緑髪の女は素っ頓狂な声を上げる。一触即発とも言える状況下でその発言は、確かに予想外だし変な声も出ようというものだ。現にクロスボウを構える小男は「こんな時にナンパ?」と口に出している。
「ナンパではない! 私にも好みというものが!」
「おうあんたそれだいぶ失礼じゃねーか」
緑髪の女は吸血鬼を軽く小突く。それだけで吸血鬼は大きくふらつき転びかけた。
「いいか。私は見ての通りちょっとしたことで死ぬ。それくらい腹が減っている。さっき鎌を作ったから余計にだ」
「はあ」
「結界の内にいた人物の中で、この状況を脱する術はおそらく私しか持たない。だが私は腹が減っている。後は分かるな」
「……いや、うん、それがマジなら分かるけどよ。なんでアタシ?」
「健康な人間の女性の血が最も美味いからだ。男でも飲めなくはないが不味い」
「……いやー……」
ルチルは渋い顔をしている。その後ろではカルネリアンの首を取るべく三節棍の男やクロスボウの小男、そして何人かの野次馬がそれぞれの武器を振るっている。それに応戦するのは赤毛の少年にギフト、それに白髪のスライム女と吟遊詩人の少女。吟遊詩人は応戦というより楽器を抱えて彼らの間をうろうろしていた。
戦いは静かで小規模なものだ。しかし、この状況下でカルネリアンを守り切るのは困難だろう。いずれ群衆の加勢は増え、捌き切れなくなる。
「……チッ、仕方ねぇ」
緑髪の女もそれを理解したのだろう。吸血鬼に向けて腕を差し出す。
「ちょっとだけにしとけよ。アタシまだ死にたくも吸血鬼になりたくもねえから」
「言っただろう。私にも好みというものがある」
吸血鬼は両手で腕を持ち上げ、その肌に静かに牙を突き立てた。緑髪の女の顔が一瞬だけ歪む。
血を吸っていた時間はわずかなものだ。吸血鬼は緑髪の女の腕から顔を離し、真っ白なハンカチを傷口に当てた。
「ありがとう」
吸血鬼は微笑みを浮かべ、右手を高く掲げた。微笑みを浮かべていた口はわずかに動いて呪文を唱える。
ざわりと大気が騒ぎ出し、吸血鬼の体が少しずつ崩れて黒い霧と化していく。黒い霧は徐々にその体積を増して行き、異変に気付いた人々は手を止める。ある人は黒い霧に触れないよう距離を取り、ある人は警戒したまま黒い霧を見遣る。
黒い霧は辺り一帯を覆い隠し――そして、一瞬で空気が変わった。
* * *
黒い霧が晴れた時、俺はメタポルタの街並みではなく見知らぬ部屋の中にいた。果物とワインの瓶が載った大きなテーブル。その周りに並ぶ幾つもの椅子。天井からは大きなシャンデリアがぶら下がっている。家具はどれも豪奢な装飾が施され、壁際には調度品がいくつも飾られていた。壁の一面はバルコニーに繋がる大きな扉になっており、またその扉は大枠以外はガラス板で出来ているため、外の景色が良く見えた。
「……森?」
外には針葉樹林が広がっており、雲はどんよりと重く霧雨が降っていた。雲の向こう側には白い塔のシルエットがぼんやりと見える。
「私の家だ。落ち着いて話ができることは保障しよう」
吸血鬼はいつの間にか最も豪華な椅子に腰かけて足を組んでいた。家の主だから当然と言えば当然だが、蹴り飛ばしたくなるような顔をしている。
周りを見ると結界内にいた奴らとリシェルだった結晶にカルネリアンの右脚、そして何故か車輪の付いた棺桶があった。
「この人数とこれだけのものを一瞬でここまで運びますか」
「どこからでもこの場所に帰れるよう練習だけは欠かさずにいたからな」
吸血鬼は誇らしげに胸を張り、それと同時に腹が鳴る。
「失敬」
照れる様子を微塵も見せず、吸血鬼は立ち上がりテーブルの上のワインに手を伸ばす。手刀で栓を開け、グラスに注ごうとした――その瞬間、外がまばゆい光に包まれた。
(――人の子ら。我が名は唯一神アルマ。この世界を創造せし者なり)
つい先程聞いたような内容が今一度頭に響く。まばゆい光はすぐに収まったが、白い塔からは光の柱が立ち昇っていた。
「なんだか面倒なことになりそうですねえ」
いつの間にかギフトが隣に立っている。浄化魔法でも叩き込んでやればこのうるさい口を防げるだろうか。
(天使リシェルの命を賭した戦いにより、魔王は瀕死となった)
人の子らと呼びかけた以上、この声は先程より広い範囲に伝わっているのだろう。
(そう。魔王はまだ生きている。天使リシェルが力不足だったわけではない。魔王の眷属が我らの道を阻んだのだ)
塔から立ち昇る光の柱は世界各地からよく見えることだろう。あれを消し去ればこの忌々しい声も消えるのだろうが、魔力切れの今は何もできない。
(法王も眷属の手に落ちた。こうなってしまっては、余が直々に魔王とその眷属を殺し、真の平和を築くしかあるまい)
その言葉に周りの連中が目に見えてざわつく。俺も動揺しなかったわけではないが、予想の範囲内でもあった。法王の地位など、ギフトが契約を暴露した時点で失われることが確定している。
(人の子よ)
光の柱は構わず言葉を続ける。
(祈りを捧げよ。祈りという人として正しき行為あらば、余は朝日と共に祝福で以てそれに応えよう)
光の柱は今一度強い輝きを放ち、そして消えた。
部屋の中も外も静まり返っていた。白い塔は雲の向こう側にそのシルエットを映すばかりで、何の変化も見られない。スクロドフスカの法王の部屋から見れば、いつも通り憎らしいまでの輝きを放っているのだろう。
「……どうする?」
火蓋を切ったのは緑髪の女だ。俺を含めた全員がテーブルの周りに自然と集まっており、互いの顔をちらちらと見ていた。
「えっと、つまり、どういうことですか?」
吟遊詩人の少女が首を傾げる。見た目通り頭が足りていない。
「ふむ。一度状況を整理致しましょうか。ですが、その前にまずお互い名乗り合わねば不便で御座いましょう。何せ我々は運命共同体となってしまったのですから」
ギフトがテーブルの上に浮いて両手を広げる。言っていることはもっともだが、悪魔に会話の主導権を握られるのは腹立たしい。
「悪魔は引っ込んでろ。……俺はターラー。今のところ法王。このクソ悪魔とクソ天使のお蔭で法王としての余命は決まったようなもんだけどな」
ギフトを言葉で押しのけ、赤毛の少年に視線をやる。少年は自分を指差し、そこからぐるっとテーブルを囲む奴らを順に指差していった。この順で名乗ればいいのかとでも言いたいのだろう。
「好きにしろ。こうやってまごまごしてる方がイライラする」
「おーこわ」
緑髪の女が露骨に肩を竦めた。
「えっと、僕はリッカ。勇者やってる」
赤毛の少年は改めて名乗り、隣に立つ緑髪の女を見る。
「ルチル。召喚石とか魔石がメインの商人。魔王の眷属じゃねえけど、ダチではある」
「ラピスです! 歌うのが好きで、特に民謡が得意でルチルと一緒にあちこち旅しながら色んな民謡覚えて歌ってます。好きなものは――」
「もういい、もういい」
ルチルは放っておくとどこまでも喋りそうな吟遊詩人の少女を治め、椅子に座って頬杖をついているみすぼらしい身なりの男に視線をやった。
「タガリ。錬金術師」
みすぼらしい身なりの男はそれだけ言うと大きな欠伸を一つした。緊張感というものが無いのか。
「……あっ、私か。アステルです。えっと……見ての通り、ミミックスライムです」
白髪のスライム女が両手を軽く挙げる。指先は完全に溶けてスライムのそれになっている。顔の造形は人間そのもので、ミミックスライムの擬態技術が垣間見える。
「アメティストだ。ライヘンバッハの領主でこの館の主。この通り、吸血鬼に属している」
吸血鬼の男はそう言ってワイングラスを掲げた。注がれている液体はワインというには少し違和感がある。恐らく血なのだろう。
「そして締めを務めますは小生、悪魔ギフトと申します! 今は天使の一撃を受けやや存在感が薄くなっておりますが、悪魔とは元来裏から人々と契約を交わし生活を支えてきたものですから、これぐらいの方が丁度良いのかもしれません」
じろりと睨みつける。
「……っと。まだまだ語りたい事は山ほど御座いますが、この辺りにしておきましょうか。本題はこちら、小生の契約主でもあらせられるターラー様から」
一言多い。
咳払いを一つして全員をぐるりと見渡す。
「悪魔と契約だとか法王の癖にガラが悪いとか俺にいろいろ言いたいことはあるだろうけどよ、まずはさっき言われたことだ」
改めて見ると、ここまで職も種族もばらばらな面々も珍しい。
「あの神を名乗るクソ野郎は、そこで寝転がってる魔王と、魔王に止め刺すのを邪魔した眷属を明朝になったらブチ殺す。……で、眷属ってのはあの時結界の内側にいた奴ら。つまり俺らだな」
「神を名乗る、って……信じてねえのかよ」
「神が実在したら俺は法王になんざなってねえよ」
リッカのツッコミを一蹴し、「さて」と話を切り出す。
「リシェルは魔王をここまで追いやるくらいに強かった。そのリシェルを生み出したクソ野郎はそれ以上に強い。そんなやつが明朝になったら俺達を殺すつもりだ」
カルネリアンを超える実力の持ち主などこの場にいない。普通に考えれば逃れようのない死刑宣告のようなものだ。
「……どうする?」
全員の顔をじっくりと見まわして、静かに口角を吊り上げた。