箱庭リベレイト 第十二話「休息の時」

 アタシはただの商人だ。メタポルタに来たのも祭りに合わせて商売に来ただけで、他意は全くない。罪を犯したこともないし、あくどい商売をやっているわけでもない。自分で言うのも何だけど、善良な一般人だと思う。
 それなのに天使だとか神だとかわけのわからない争いに巻き込まれて、明日の朝には殺すとまで言われている。これを不運と言わずに何と言う。
「俺はこんなところで死ぬのは御免だ」
 そう言い放ったのは法王ターラー。丁寧で穏やかな物腰の法王というのが世間の評だけど、今アタシの前にいるのはそれとは真逆の存在だ。多分こっちが素なのだろう。
「……とは言ってもよ、どうすんだよ。そいつ、天使より強いんだろ」
 リッカが眉間に皺を寄せ、ターラーは「恐らくは」と頷く。
「でも、俺は神を名乗るクソ野郎なんざに殺されるつもりはねえ。どうするかはこれから考える」
 ターラーはアメティストの顔をじろりと見る。瓶詰の血を飲んで人心地ついたのか、彼の表情は心なしか晴れやかだ。
「この館に魔法薬はあるか。あるなら寄越せ」
「あるにはあるが、それが人にものをねだる態度か」
「殺すぞ」
「すぐに持ってこよう」
 アメティストは背筋を伸ばし堂々とした足取りで部屋を後にする。
「……混乱した頭じゃ何も考えられねえ。どうせ晩飯もあいつが用意するだろうし、それまで一旦休憩だ」
 どこまでアメティストをこき使うつもりなのか。ともかく小休止が入るのはありがたい。他の面々もぱらぱらと席を立ち、思い思いの行動を始めた。

 * * *

 アメティストの屋敷は広いが、構造は単純だ。居間、客室、台所、風呂場、書斎、寝室……あるべき部屋があるべき場所に配置されている。また、部屋や廊下のつくりはしっかりとしており、柱や欄干に施された装飾は繊細で高級感があった。
 前衛的な部分は何もない、昔ながらのお高いお屋敷と言ったところだ。惜しむらくは掃除が行き届いておらず、あちこちに埃がたまっていることだろう。アメティスト一人で暮らしているのなら、隅々まで掃除を行き届かせろというのも酷な話だけど。
 屋敷をうろつきまわっているうちに、少しずつ頭は落ち着いてきた。厄介な状況にあることは変わりないけど、召喚石で大儲けもできてないうちに死にたくない。あがけるだけあがいてみたい。

「リッカ、怪我は大丈夫です?」
 曲がり角の先からラピスの声がして、足を止める。
「あ、うん。怪我はしてねえ」
 それと一緒に、リッカの少し緊張した様子の声。分かりやすすぎるにも程があるけど、これに気付かないのがラピスだ。
「よかったあ。わたしのせいで巻き込まれたから、怪我してたら謝らなきゃって思ってたんです」
「わたしのせいで……? ああ、結界の中に入っちゃったやつ?」
 そういえばアタシ達があの結界に押し入ったのは、ラピスが思いがけず結界を通り抜けてしまったからだ。あれがなければ確かにアタシ達は巻き込まれずに済んだかもしれない。
「法王様に聞いてみたんです。そしたら魔族しか通さないようにしてるって」
「なるほどなー……って、魔族?」
「あ、わたし、半分こなんです。お父さんが人間で、お母さんがうさぎさん」
「えっ」
 リッカが言葉を失うのも無理はない。衣服で上手く隠しているが、ラピスは正真正銘の人間と魔族のハーフだ。耳は垂れた兎のそれだし、腕や腹にはうっすらとだが白い毛並みが生え揃っている。
 なまじ人間に似た外見だから誤解されることも多くて、魔族として普通に生きるより人の怒りを買う機会が多い。しかし本人はそういう警戒心が皆無で、見ているだけでひやひやする。何度背筋が冷える思いをしたかは数えたくない。
「でっ、でもっ、全然魔族に見えなっ」
「耳とか触ってみます?」
「……マジだ……」
「まじまじ」
「えー……いや、でも、えええー……」
 リッカは明らかに戸惑った様子を見せながらも耳を触り続けているのか、ラピスはくすぐったそうに笑っていた。ラピスがこうして耳を触らせるのは、相手にそれなりの信頼を寄せている証だ。それを教えた時のリッカの反応は面白そうだ。ラピスは誰にでもわりとすぐに信頼を寄せることをついでに伝えた時の反応も含めて。
 二人の話はまだまだ続きそうだ。踵を返して別のルートを探してみることにする。わざわざ声をかけて水を差すこともあるまい。

 カルネリアンは無事だろうか。それらしい部屋をいくつか当たってみると、彼は客室のベッドで寝かされていた。その傍には薄緑の肌で白い長髪の男と、何故か大きな洗濯たらいに入っているアステルの姿。
「……巻き込まれた奴か」
 男はアタシの姿を一瞥して、カルネリアンの方に視線を戻す。アステルも「そう、ルチルって言うの。商人さん」と補足する。
「カルネリアンは無事か? つーか、あんた誰」
「俺はこの馬鹿の執事。こいつの状態は……とりあえず繋ぎとめた、ってくらいだな。全快ってわけにはいかねえよ」
 布団がかけられているため手足の状態は分からないけど、右目には眼帯、両角には包帯が巻かれていて出血は止まっているようだ。
「……主人の危機を察知して駆けつけたってわけ?」
「まさか」
 男は肩をすくめる。
「アメティストの使いが助けを求めに来たから仕方なくな」
 指差した先、天井の隅には一匹の蝙蝠がぶら下がっていた。よく見ると足には小さな筒状の小物入れが付けられており、伝書鳩ならぬ伝書蝙蝠なのだろうと察せられる。
「それですぐにここまですっ飛んできたって訳か。結局主人想いのいい執事じゃねーか」
「いきなり死なれると事務処理が面倒なんだよ」
「ふふ。でも、助かったよ。わたしも皆も、医術なんてからきしだもん」
 アステルはそう言って洗濯たらいの中で笑う。上半身こそ人の姿を保っているが、下半身は完全にスライムと化している。
「……アステルはなんでそんなたらいの中に」
「水分補給。ほんとは外で水浴びした方がいいんだけど、カルネリアンが気になってこうなったの」
 アステルの視線に釣られて再びカルネリアンの方を見る。彼も普通に傷つくし場合によっては死ぬのだと、当たり前のことに気付かされる。馬鹿面で大きな声で笑う元気な姿しか見たことが無かった。
「右目とか角とか、戻らねえの?」
「無理」
 見事なまでの一蹴。
「医術が出来るのは自己治癒能力の促進だけだ。取れた足をくっつけるとか目を作り直すとか、そういうことはできねえ。角は毎年生え変わるようなタイプならどうにかなったかもしれねえけど、こいつの角は一点ものだ」
「……わたしのせいだ。わたしがあんな所にいたから、カルネリアンは……」
 アステルはぎゅっと自分を抱いて目を閉じる。男はその様子を一瞥してアステルの頭を軽く撫でた。
「その辺の経緯はよく分かんねえけど、気にすんな……っつー方が難しいか」
 男はアステルを撫でた手で自分の頭をぼりぼりと掻く。スライムの粘液が髪につくのもお構いなしだ。
「カルネリアンはさ、自分の手で守れるものは守りたいとか、そう思うタイプだ。自分がどうなろうとあんたに死なれる方がよっぽど嫌なんだよ。だからカルネリアンについてぐじぐじ後悔するより、あんたが今直面してる危機をどう回避するか考えとけ。俺もあの声は聞いたけどよ、大ピンチじゃねーかあんたら」
「…………」
 アステルは無言でうつむいた。確かに今は自分達がどう生き残るか考えるべき時だ。
「使えるもんは全部使え。このまま何もせず全員死んじまうのはこいつも望んでねえよ」
「……うん……」
「お前は……別に、諦めてはないみてえだな」
 男はアタシを真っ直ぐに見る。
「おう。あがけるだけあがいてみる。……とはいえ、どうすりゃいいかは全然思いつかねえけど」
「だろうなあ」
「ま、もうちょいその辺うろうろしてアイデア降ってくるのを待つよ」
「おう、じゃあな。馬鹿魔王の世話は任せろ」
「アステルもしっかり水分とって休んどけよ」
 アステルの頭を軽くぽんぽんと叩いてから、部屋を後にした。カルネリアンの怪我の状態が心配だったけど、あれならどうにかなりそうだ。
……明日の朝を乗り切ることさえできればの話だけど。

「ルチル」
 廊下の窓から中庭の様子をぼーっと眺めていると、不意に背後から声がかかった。振り向くとそこにはターラーの姿がある。手には魔法薬の小瓶があり、中身はまだ半分以上残っていた。
「あんたの話を聞きに来た」
「アタシの?」
 ターラーは魔法薬をちびりと飲み、わずかに顔をしかめた。
「召喚石とか魔石がメインの商人って言ってたけど、召喚石について詳しく聞きたいのと、それであんたは何ができるのか」
「インタビューみてえだな」
 からかうように言ってみると、ターラーは「そんなところだ」とあっさり肯定する。
「判断材料は多いに越したことはない」
「さいですか。じゃあまず召喚石についてだな」
 ほんの数時間前にタガリにした説明と同じような説明をする。数時間前は普通に商売をしていたのに、何でこんなことになったんだろう。
 召喚石には二種類ある。一つは精霊を呼び出す呪文を魔石に封じ込めたもの。もう一つは精霊そのものを魔石に閉じ込めたもの。呼び出す方は精霊が来るまでのタイムラグはあるけど、力の劣化は少なくて強力。閉じ込める方はすぐに精霊が現れるけど、封印されて土地との繋がりが切れたぶん力が劣化してしまう。
 アタシが得意なのは前者の呼び出す方だ。色々な土地を巡って、土着信仰を調べて精霊と話をして、呪文が唱えられた時はそこに向かって行って手伝ってもらうように頼む。精霊の性格にもよるけれど、仲良くなれば大体は快諾してくれるものだ。
「……つーことは、あんたはその、閉じ込める方はできねえのか」
「ああいや、そっちも一応できるぜ。精霊を閉じ込めるってのがあんま好きじゃねえからやんないだけで」
「なるほど。大体わかった」
 ターラーは魔法薬を一口飲んで頷いた。
「逆にさ、あんたは何ができんの。お祈り?」
 逆に問い返してみると、苦虫を噛み潰したかのような顔をした。
「今この状況でお祈りして命乞いする程落ちぶれちゃいねえよ」
 ターラーは踵を返して歩き出す。アタシもそれについて行く。
「法王としての業務に必要なことは一通り。あとは剣と魔法全般」
「すげえざっくりとした言い方」
「何ができるか事細かに説明するのもめんどくせえ。それぐらい色々できて、今この屋敷内で一番強いのは俺だ」
 ものすごい自信だ。そういえば彼は神に愛された法王として祭り上げられていたのを思い出す。
「悪魔と契約して、その力を得たってわけ?」
「そうなるな」
「あっさり認めるねえ」
「もう公表されたも同然だからな。まだ隠せる範囲ならばあなた相手でも猫を被ってましたよ?」
 ターラーはにっこりと爽やかな微笑みを浮かべる。見事な変わりように口笛を吹いた。

 ターラーの向かった先は居間だった。外を見ると日が暮れかけており、少し腹が減ってきた。もうすぐ夕飯の時間だ。
 居間の隅にはアタシ達と一緒に持ってきたもの――カルネリアンの右脚や角、車輪付きの棺桶、リシェルだった鉱石の山が寄せ集められている。タガリは鉱石の山の前に座っていた。
「何やってんだ」
 アタシがひょいと覗きこんでみると、タガリは鉱石の山の中から一つの石を選び出してしげしげと眺めていた。リシェルだった鉱石はどれも綺麗な空色をしているが、タガリが選んだそれは内側から輝きを放っており、他の石とは一線を画した美しさがあった。
「面白い石です」
 こんこんと爪の先で叩いてみると、それに合わせて輝きが強くなる。
「魔石の一種と思われますがあまりにもその性質が違う」
「どんな性質だ」
 ターラーがすっと話に混ざり込む。タガリはそれについて何も気にする様子を見せず、「ええとですね」と言葉を選び始めた。
「極めて優秀な魔素変換装置です」
「なんだそれ」
「我々は食事や呼吸を通じて大気中の魔素を摂取し醸成し魔力に変換します。そうして作った魔力と大気中の魔素を掛け合わせて発現するのが魔法です」
 タガリはアタシの顔をちらりと見るけれど、アタシが頷くより先に話を続ける。
「魔力への変換は時間がかかるものです。一旦魔力を使い果たすと万全のコンディションに戻るまでに一晩ゆっくり眠る程度の休息が必要になるくらいに。高純度の魔法薬を飲めば話は別ですけど」
 ターラーがちびちびと飲んでいるのがそれだ。見るとあと少しで飲み干せそうなくらいにまで減っている。
「ところがこの石は魔力への変換プロセスを一瞬とも言える速度でこなします。大気中の魔素を一瞬で魔力に変換し所有者に受け渡す。これの示すところは」
「……無尽蔵の魔力、か?」
 ターラーの回答にタガリは「その通り」と指を鳴らした。
「天使の魔力が尽きる気配がないのはおかしいと思ったらこれですよ。さしずめ天使の核といったところでしょうかね。しかもこれは可逆性もある。魔素と魔力の相互変換が誰でも手軽にできる。これほどまでに便利な魔石はワタシも見たことがありません」
「……なるほど」
 ターラーはぐいと魔法薬を飲み干し、真剣な表情のままタガリの元から立ち去って行った。

 * * *

 夕食時になると、あちこちに散っていた面々が居間まで戻ってきた。
「口に合うといいのだが」
 アメティストが用意した夕食は干し肉や根菜、チーズに硬めのパンなど日持ちする食材が主だった。野宿する時の晩飯と大して変わらない内容と味だけど、温かいご飯を食べるとやはりほっとする。
 ラピスも美味しそうに夕食を食べ、リッカと雑談を交わしている。この数時間の間に随分と打ちとけたようで、リッカの緊張の度合いも少しましになっていた。
 アステルとタガリはどこか作業的に食べ物を口に運んでいた。アステルは水分を補給してすっかり回復したのか、全身がきちんと人間の形をしている。しかしその表情はどことなく暗い。
 ギフトは相変わらずよく分からない能弁を垂らしまくっている。この家の近くには毒の沼もあって素晴らしい、体力を回復することができた、この美味しそうな食事を食べられないのが惜しい、我が身が憎い、など簡潔にすればすぐ伝えられるようなことを長々とした言い回しで伝えようとしている。
「食いながらでいい。聞け」
 そんな食事の席の中、ターラーが話を切り出した。
「この状況を切り抜ける活路が少し見えた」
「マジかよ」
 思わず漏らした言葉にもターラーは頷いて見せる。
「仮定にすぎない部分もあるし細かいところはまだ決まってねえ。それでも、このクソッタレな事態をどうにかできる可能性はある」
 ターラーは全員の顔をゆっくりと見まわして、好戦的な笑みを見せた。
「あんたら全員、協力しろ。拒否権はねえぞ」
 ……こいつは本当に法王なのだろうか。

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