箱庭リベレイト 第十三話「利用するは全て」
「……ねえ、ギフトは鳥目とか、大丈夫なの?」
時刻は深夜。月も無く星明りだけが夜空を彩るこの空を、小生とアステル嬢は翔けておりました。アステル嬢は鳥に擬態して飛ぶのはまだ慣れていないのか、ややもたつくところも御座いますが、それもまた愛らしいものです。
「ふふふ。小生は確かに鷲の血が入っておりますが、悪魔で御座いますから。それにこれほどまでに分かりやすい目印であれば、夜間の飛行であれど一切の問題は御座いません」
小生の視線の先には、環状の大陸の内海、その中心に存在する小島に建つ白い塔がありました。白い塔は夜闇に紛れることなく独自の存在感を放っております。
「さて、アステル嬢。まずは第一関門の突破と参りましょう」
「うん」
アステル嬢は小生の背に移って人の姿に戻り、そしてその腕を巨大な槍に変えてゆきます。
第一関門。それは塔を取り巻く結界の破壊で御座います。近付く者の記憶を奪いランダムな場所に飛ばす。白い塔がその神聖性を保ち続けられたのは、この厄介極まる結界のお蔭と言っても過言ではないでしょう。
「タガリ殿には感謝してもしきれませんね」
懐から薬瓶を取り出し、封を開けて中身をアステル嬢の槍に振りかけてやりました。
「行こう」
「御意に」
アステル嬢は薬瓶の中身がしたたり落ちてしまう前に槍と化した右腕を構えます。小生は翼を大きく伸ばし、白い塔に向けて加速して行きました。
白い塔が建つ小島に差し掛かった――その瞬間、アステル嬢の槍は何もない空間を捉えます。槍の穂先を中心に空間にひび割れが広がって行き、実にあっけなく「それ」は崩れ去ってしまいました。
「……思ったよりもあっさりいけたね」
「苦労するより良いではありませんか。本番はこれからですよ」
「うん」
アステル嬢は槍と化した右腕を元に戻し、白い塔の天辺を真っ直ぐに見据えます。小生も同じ場所を見据え、彼女を背に乗せて大きく翼を羽ばたかせました。
そうして外から辿り着いた塔の最上階は、ガラス窓など存在しない実に開放的な窓がいくつか設置されておりました。力技で侵入するしかないと考えていただけに、この心優しい設計には感動すら覚えます。
「参りましょう」
この物語はどのように帰結するのか。ほんの少し心を躍らせながらも、我々は窓の向こうへその身を滑り込ませました。
* * *
最上階は何もない、広々とした円形の空間でした。壁面だけでなく床や壁も白い材質で出来ており、実に繊細な幾何学模様が薄く刻まれている。夜だというのに部屋の中は明るく、その光源を辿ると――そこには、輝きを放つ巨大な「何か」が鎮座しておりました。
それは小生の倍ほどの背丈があり、天井に届かんばかりの巨体は決まった形を取っておらず、ゆったりとその身をうねらせています。生物とも言い難いそれは、目を向けざるを得ない不思議な存在感がありました。
『――ここまで来おったか』
その声が「何か」から発せられたのだと気付くのにそう時間はかかりません。声帯を使わずに発せられた「声」は小生の頭にするりと入り込みます。
「……あなたが、神様?」
アステル嬢はしっかりと地面に立ち、それを睨みつけます。強気に出るのは結構ですが、脚がやや震えてしまっていては台無しというものです。
『いかにも。余こそ唯一神アルマである』
「ほうほう。どれほど神々しい姿かと思いきや、まさかの光の塊で御座いましたか! まあ、これはこれで神々しいと言えば神々しいのですが」
『貴様らは……そうか。焦らずとも朝になれば相手してやったものを』
「朝まで虐殺を待つばかりというのも暇で御座いますから。それにこの方が神様のお手間も省けてよろしいでしょう? 我々は飛んで火にいる夏の虫、というわけです」
『余を気遣ってのことというなら、余計と言うほかあるまい。気を高めておったのに妨害されては一瞬で済ますことも出来なくなってしもうたではないか』
「おやおやおや。一瞬で小生らの息の根を止めるつもりだったと。何と言う慈悲! このギフトが神の計らいを妨害してしまったこと、謝罪せねばなりませんね」
小生が頭を垂れて見せると、神様はくぐもった笑い声をあげました。
『かような形だけの謝罪など不要。その命で以て償いに代えよ』
「おやまあ。それは困りましたね。小生、まだまだ死にたくないので御座いますよ。アステル嬢との契約もまだですし」
ねえ? とアステル嬢に目を向けると、彼女も小さく頷きました。
「……私も、まだ死にたくない。あなたなんかに、殺されたくない」
『…………』
神様はその身をうねらせ、数本の触手をその身に生やします。その先端は刃物のように鋭く研ぎ澄まされており、一流の鍛冶師が鍛えた刃に勝るとも劣らない切れ味を持つことは容易に予測できました。
『哀れなる魔物と悪魔の子に救済を』
神様が少しその身を縮めた次の瞬間、刃を備えた触手はバネに弾かれたかのようにアステル嬢にまっすぐ襲い掛かりました。弱そうな相手から潰していく。実に合理的な判断でしょう。
とはいえ小生もアステル嬢が攻撃を受けるのを黙って見過ごすわけには参りません。黒い盾を即座に顕現させ、触手の攻撃を防ぎます。
「アステル嬢!」
「うん」
アステル嬢はしっかりと頷き、右手に鋭い爪を生やし、手の甲から腕に至るまで黒紫の鱗をびっしりと生やします。こめかみからは捻れた角、ついでに竜の尾もその身に生やして行きました。
とん、とひと跳びでアステル嬢は神様に肉薄し、その右腕を振るいました。鋭い爪は神の身を二つに切り裂きますが、即座にくっつき元通り。ですが同じ不定形生物としてアステル嬢もそれは予測できていたのでしょう。復元の隙に触手の何本かを切り落とし、魔法で生成した黒い矢で以て切り落とした触手の動きを封殺してしまいます。
『その力……なるほど、魔王の肉を食ろうたか』
神様は切り落とされた触手には目もくれず、新たな触手を生やしアステル嬢を打ちのめそうと振るいます。勿論それは小生の盾が防ぎ、アステル嬢は神様にさらなる追撃を加えます。
爪で抉り、矢で封じる。シンプルな攻撃手段ですが、小生のサポートとアステル嬢の身体能力であれば不可能ではなく、またシンプルであるがゆえに防ぎ難いもので御座います。
『なるほど。なかなかやりおる』
神様の姿が大きく蠢き、その頂上部――頭部と思しき場所に、大きな目が一つ、ぎょろりと姿を現します。殺意を孕んだ強風が吹き、小生とアステル嬢は一旦距離を取りました。
「アステル嬢、時間は」
「……まだ、大丈夫」
神様から発せられる殺気は、天使様と魔王様の戦いを彷彿とさせるものでした。あの時は小生は傍観者で御座いましたが、この場では当事者。殺意を向けられる者。そう思うと実に恐ろしい!
そんな殺意に晒されているのはアステル嬢も同じ。しかし彼女は目尻に涙を滲ませつつも、再び跳躍し神様にその爪を向けました。
『スライムの娘よ。魔王の肉を食うてまでして何故無駄なあがきを続ける』
「無駄じゃない! それに、カルネリアンの足と角を貰ったんだもん、私が頑張らないと、皆の期待に応えないと……!」
次々と襲いくる触手を切り落とし、神様の身すら削り取って行く。
「あがく理由なんて、死にたくないからに決まってるではありませんか。そして、その為ならば利用できるものは全て利用する。小生もアステル嬢も同じ思想の元、協力して神様を倒そうとしているので御座いますよ?」
勿論攻撃に専念するアステル嬢は隙だらけで、神様の攻撃を避ける余裕など御座いません。ですがそこは、小生が防御に専念する事でバランスを取っております。嗚呼、これこそ素晴らしき共同作業かな。アステル嬢が力の為に小生と契約を交わして下されば最良で御座いましたが、魔王の足と角を食らって魔王の魔力を一時的に得ると言われたら諦めるしかありません。
魔王の魔力は限られたもの。速攻で勝負を付けなければ魔力は付き、アステル嬢本来の実力で神様に挑まざるを得なくなります。それはまさに自殺行為と言えるものでしょう。
「まだまだぁ……っ!」
右腕を覆う黒紫の鱗がぼろりと欠け、アステル嬢は触手ではなく神様に再生の隙を与えない速度で切り裂いてゆきます。鋭い爪に抉り取られ、神様の体がぐらりと傾ぎます。
『貴様……! 余が神であると知って尚、余に逆らうか……!』
「私は、あなたより、皆の言葉を信じているから!」
アステル嬢の爪が神様の胴を深く貫き……そして、神様はふっとその姿を消しました。
「…………」
アステル嬢は静かに手を下ろします。黒紫の鱗はぽろぽろと崩れ、ねじれた角と竜の尾も、どろりとスライム状になって溶けて消えてしまいます。
「……ギフト。終わったの?」
「アステル嬢……」
小生がアステル嬢に寄り添い、言葉をかけようとしたその瞬間。
我々の背後から、凄まじい熱気が巻き起こりました。
『その程度で余に打ち勝ったつもりか』
強烈な光。小生が振り向くと、先程と変わらない姿で、神様がそこに立っておりました。ぎょろりと向いた眼は小生とアステル嬢を真っ直ぐに見据えており、先程と変わらぬ殺意が発せられております。
凄まじい熱風に辺りの温度はみるみるうちに上昇し、じりじりと空気が乾燥してゆきました。
「……あ、や、やだ……!」
アステル嬢の足や指先が溶けてゆく。水分を失い、人間としての姿を留めることすら難しくなっているようでした。盾でアステル嬢を護るものの、水分の蒸発は止まる気配を見せません。
『いくら外法の盾と言えど、環境の変化までは防げまい』
「……水筒でも持っていれば良かったのですが」
「や……やだ……私は、まだ……!」
それでもアステル嬢は人の姿を留めようとその身を蠢かせておりました。しかし水分を失い元の姿を維持するだけの体積が無くなった今、彼女の姿は次第に幼いものへと変わってゆきます。
『あがきおる』
神様はくつくつと笑い、熱風は不意に止みました。
『その無様なまでの抵抗に免じて、余が直接手を下してやろう』
神様は音も無くこちらに少しずつ寄って参りました。触手を一本だけ生やし、まるで準備運動と言わんばかりにひゅんひゅんと空を切っております。
アステル嬢は最早幼児並の外見になり、足元は人間のものをとどめること叶わずスライム状になってしまっておりました。その腕を一振りの剣に変えておりますが、剣先から粘液が滴っているようでは刃物としても鈍器としても扱える代物ではないでしょう。
小生はアステル嬢の前に立ち、神様を真っ直ぐに見上げました。その絶対的な存在感を目の当たりにすると、自然と笑みがこぼれるというものです。
『あくまでもスライムの娘を護るか』
「契約候補者ですので」
『外法の盾でも護りきれないことは先程証明した。魔王の魔力を使った猛攻が貴様らの全力であるならば、それで余を打ち倒すなど片腹痛いわ』
「……確かに。ですが、小生はアステル嬢を護ると決めたのです。いかに絶望的な状況であろうと、それを諦めるわけには参りません」
『殊勝な心がけだな』
神様が触手を軽く振るい、それに応じるように無数の光が小生の周りに現れます。天使様が小生の身体を半分吹き飛ばしたものと同種と見受けられます。
『貴様から死んでもらおうか』
無数の光の柱が小生に向けて降り注ぎ、それを受け止める黒い盾がびりびりと震えます。辺りは光の柱で照らされ、視界を確保することすら困難になりました。
(……今です!)
小生が心の中で送った合図に呼応して――というわけではないのでしょうが、神様の背後で小さな足音が響きました。
『なっ……!』
光の柱はふいに消え、ちかちかする目をなんとか働かせると、そこには――
「いっ……けえええええええ!」
神様の腹に刃を突き立てるリッカ殿の姿がありました。彼の獲物である剣は黒い光を纏っており、その間合いを本来の数倍に引き伸ばしておりました。
黒い光は神様の身を逆袈裟に切り上げ、返す刀で上下に別れた身体のうち、下半身の方に刃を突き立てます。黒い光は神様の身を侵食し、やがては打ち消し合って消えてしまいました。
『貴様……不意打ちとは随分卑怯な真似を……!』
上半身の方はすぐに体勢を整え、消滅させられた半身もすぐに再生してしまいます。リッカ殿は再生した半身を見てもいささかも動揺した様子を見せず、深く息を吸いました。
「卑怯上等。僕もこんなとこで死にたくねえし」
『スライムの娘と悪魔は囮か』
「ほほう。流石は神様。察しが良くて助かります」
いくら魔王の魔力を得たとはいえ小生とアステル嬢のたった二人で神様を討つなど無謀もいい所。我々の役目は結界の破壊と、神様の注意を集めて隙を作らせることにありました。そして高度な透過魔法で以て身を隠した暗殺者が隙を見て一撃を加える。大まかな計画はそんなところでした。
『それで放った必殺の一撃が……これか?』
神様は触手で再生したばかりの半身を指し示します。まるで効いていないのは一目瞭然に御座います。
「一撃じゃない」
リッカ殿はぶつぶつと呪文を唱え、剣に再び黒い光を纏わせます。首から提げた空色の石がそれに合わせて鮮やかな輝きを放ち、リッカ殿の顔をも照らします。やや顔色が悪く見えるのも無理はありません。
「あんたが倒れるまで、いくらでも切ってやる」
『その石は……ほう、なるほど』
神様の目がじいっと細められます。
『リシェルの核を流用したか。小賢しい真似を』
「言ったでしょう。利用できるものは全て利用すると」
小生が口に手を当てて笑うと、神様はちらりとこちらを睨みます。神様にあるまじき憎悪の眼差し。ああ何と恐ろしいことか!
「魔素から魔力への変換を一瞬で行い、所有者は無尽蔵の魔力を得たも同然。あらゆる魔法の行使を可能にする夢のような一品……名付けるならば『賢者の石』と言ったところでしょうかね?」
そんな便利なものを我々の手元に残すとは、神様も下手を打ったものです。もっとも、こんなとんでもない石を我々が扱えるよう加工するタガリという錬金術師がいればこその話ですが。つくづく彼の錬金術に関する造詣の深さには感服するばかりです。
『賢者の石か……だが、それがどうした? 無限の魔力で余を切り続けるか? 魔法と言う人の子が生み出した技が余を殺す刃になるとでも?』
「やってみなきゃわかんねえだろ」
『どこまでも余の意に反する奴らよ。腹立たしい。ああ、実に腹立たしい』
「……いくぞ!」
リッカ殿は剣を構え、神様に向かって駆け出します。
その胸元では、まるで彼を励ますかのように、空色の光が踊っておりました。