箱庭リベレイト 第三話「愚鈍な男の物語」
はるか上空から見下ろすメタポルタの街は実に美しいもので御座います。四角い塀に囲まれた町並みは繁栄を祈る文様を正確に描き、豆粒ほどの大きさの人間がまるで血潮のように文様の中を流れております。耳を澄ませば彼らが織りなす喧騒が聞こえてきそうな程に、街は活き活きとしておりました。
嗚呼、小生が愛してやまない人間がこれほど多く集っている! ちっぽけな一粒一粒がそれぞれの思惑を、疑念を、嫉妬を、殺意を、諦観を持っている! 考えるだけで頭がくらくらするというものです!
ひとりひとりに眠る全ての混沌を芽吹かせれば、どれほど美しい光景になるのでしょう。いつか見てみたい光景ではありますが、嗚呼、悲しいかな。今の小生には荷が重すぎる。
小生がこの街を訪ねたのは、フェッセルン褒章の授与式が行われるからで御座いました。
式典あるところに人だかりあり。人だかりあるところに悲劇の芽あり。悲劇の芽あるところに契約の機会あり。実に単純な理屈で御座います。
偶然にもメタポルタには今、二名の契約者が訪れている状態で御座いました。一名は街の中心部から動く気配はなく、もう一名は街の外へ向けて駆けておりました。彼が駆けるなどとても珍しい事。きっと何か楽しい事があったので御座いましょう。小生は一対の羽を羽ばたかせ、彼の元へ馳せ参じました。
* * *
「お久しゅう御座います! 貴殿が駆けるとは珍しい、何かお困り事でも?」
彼は街の外に出て、そのまま霧雨の森に入りかねない勢いで御座いました。霧雨の森は多様な魔物が徘徊する危険な場所。小生が彼の前に立ちふさがるのも当然の道理と言えましょう。
彼は小生の出現に足を止め、ぜいぜいと荒れた息を整える事もなさらずに目を見開いて口をぱくぱくと動かされました。
「おまっ……お前、お前がっ!」
「はて、小生が何か? いえ、仰りたい事は多々あるので御座いましょうが、まずは息を整えて落ち着いてくださいまし」
「お前の……お前のせいで! 俺の! 俺の人生は!」
「どうどう」
この様子ではさぞかし楽しい体験をしてきたので御座いましょう。はやる気持ちを抑えつつ、小生は彼をなだめすかして落ち着かせました。彼はとても単純な御仁。小生に言われるがままに深呼吸を繰り返し、多少は頭が回るようになって参りました。
「……さて、何があったのかお聞かせ願えますかな? 小生に非がある事柄ならば、然るべき償いを致しましょう」
「お前の……せいだ……」
彼がぽつりぽつりと話し始めた内容は、契約を交わした当時から小生が思い描いていた内容とほぼ同じもので御座いました。
彼は才なき錬金術師。錬金術師として生き、血のにじむような努力を注いだ末に得られるものは、ごくごく平凡な中流の暮らし。どう考えても努力量と釣り合いの取れないもので御座います。
他に適職を見つければ、もっと少ない労力でより良い収入を得る事も出来たのでしょう。しかし悲しいかな、彼は錬金術を心の底から愛し、錬金術師以外の生きる道は彼の中には存在し得ませんでした。
「成程、成程。貴殿の置かれた状況、よおく理解致しました」
そんな彼が全てを注ぎこんだ研究成果が、フェッセルン褒章を射止める事なく無下に終わった。失意の中ふと目に入った露天商が驚異的な錬金術の才を持っていた。そして彼は、露天商の言葉に逆上して刺殺してしまう。
授与式が行われている最中での殺人事件ともなると、警備隊も黙ってはいない。間もなく彼の身柄は拘束され、極刑が下される事になるのでしょう。
……嗚呼、それはなんという悲劇! なんという甘美な蜜の味!
小生は心の奥底からふつふつと湧き出る愉悦を非常に苦心して抑え、彼に向けて穏やかに微笑みかけました。
「非常に残念な事で御座いました。しかしそれは、小生の責任では御座いません」
ぽかんと口を開ける彼に対し、小生は指を一本、立てました。
「小生が貴殿に施したのは『味覚と引き換えに錬金術の才を与える』。これ一点で御座います。それ以降は貴殿に関わらないと契約の際に明言したではありませんか」
彼に才を与えてから、小生は彼「には」一切お声掛けをしなかった。これは確固たる事実。
「賞を逃し、人を殺めた事。小生も我が事のように胸が痛みます。しかしそれは、味覚を犠牲にして得られる才では賞を得るに足りなかった事に気付けなかった貴殿の判断ミスではないでしょうか?」
「っ……! なら、気付いた時点でお前が俺に言えば……!」
「『儀式の後は貴殿に関わらない』という条件で契約しておりましたので、申し伝えたくとも叶わずに……嗚呼、契約の際に小生がもう少し機転を働かせていればこんな事にはならなかったのに!」
小生が言葉を重ねるたびに、彼の顔が絶望に沈んでゆく。嗚呼、何と素晴らしい表情なのでしょうか。
「俺は……俺は、こんなところで……死ぬのか?」
「このままでは、おそらく……しかし!」
小生は胸に手を当て、彼の目をまっすぐに見つめました。
「小生に非がないとは言え、このような悲劇は心が痛みます。そこで貴殿に一つ、提案が御座います」
「提案?」
「もう一度、小生と契約を結ぼうではありませんか」
にこりと微笑む小生とは対照的に、彼は怪訝な眼差しをしておりました。まあ、愚鈍な彼ならば無理もない事。
「新たに契約を結び、現在の錬金術の才にさらに上乗せをするのです。今度こそ、確実に賞をとる為に。栄誉ある豊かな暮らしを得る為に。小生の見立てでは二つほど犠牲にすればそれは十分に可能で御座いましょう」
「……それはそうかもしれないが、その前に……」
「殺人についても重々承知しております。白昼堂々の犯行とはいえ、現在の貴殿は憔悴しきったみすぼらしい姿。英気を養い、きちんとした身なりをすれば今回の件が露呈する事はありますまい。……そう、今この瞬間を逃げ切れば良いのです!」
絶望に沈んでいた彼の顔が、ほんの少しだけ浮かび上がりました。彼の単純さには愛おしさすら覚えましょう。
「小生に魔法の才は御座いません。転移魔法など夢のまた夢。……ですが! 小生の羽は広く大空を駆け、小生の体は人の目をくらます霧となる! 貴殿が契約に同意し錬金術の才を得るというのなら、このギフト、いくらでも貴殿の力となりましょう!」
「……ギフト……」
彼は街の入り口と小生の顔を交互に見、小生の名をぽつりと呟きました。それだけで、揺れている事が分かる。
「契約さえ結び、儀式を執り行えば小生は貴殿の逃亡をお助け致しましょう。貴殿が指し示す方角へ逃げ、貴殿が目にし、欲するものを捧げましょうぞ!」
「……しかし、また悪魔と契約するというのは……」
「……畏れながら申し上げます。最初、貴殿が小生と契約を結んだ理由は何で御座いましょう? 貴殿が生来持ち合わせていた錬金術の才では望む結果が得られない事、好きな事を仕事にしているはずなのに周囲の才能ある錬金術師達に嫉妬してしまい人生を楽しめないからでは御座いませんか?」
「それは……」
「好きな事と才能がある事が一致するのは極めて稀で御座います。だからこそ、その稀な存在は『天才』として名を轟かせる。それ以外の数多の人々は多かれ少なかれ夢を諦め、妥協して生きているのです。人生を目一杯謳歌出来るのは一握りの天才だけが持つ特権。非常に悲しい事で御座いますが、それがこの世界の真理」
彼は反論する事なく小生の言葉に耳を傾けておりました。良い傾向です。
「貴殿が小生と契約を結んだのは、世界の真理を認める聡明さ、そして天才として人生を謳歌する為に悪魔である小生の言葉にも耳を傾ける公正さが生んだ結論で御座いましょう? 既存の価値観に囚われない英断ではないですか。ただ一つ失敗したのが、契約で得た才能の多寡のみ。その失敗も、今ここで契約と儀式を執り行えば十分に取り返せるもので御座います。逆に言うと、この機を逸すれば殺人の罪で貴殿の人生は無駄で無益なものとして終わりを迎えてしまうでしょう」
「違う……俺の人生は、無駄で無益なんかじゃ、ない……」
「ええ、ええ! 小生もそう信じておりますとも! ですが、貴殿の武器はこの非情な現実に立ち向かうにはあまりにも頼りない。より強力な武器が必要で御座います!」
さあ、ご決断を!
小生は胸に手を当て、身を屈めて彼の顔を見上げました。
「……分かった」
そして、彼はゆっくりと頷くに至る訳です。
* * *
小生には魔法の才が御座いません。炎を起こせば頼りない明り程度、風を吹かせば服がはためく程度。元々は鷲と人間の血を引く魔族である為魔力自体はそれなりに備えております。ただただ、魔力の扱いが下手だった。悲しくも単純な事実で御座います。
しかし今、悪魔として生きる小生には新たな能力が二つ、備わっておりました。
ひとつは毒ガスの身体。これは正確に言えば、能力と言うより小生の身体そのものが変わってしまったと申すべきで御座いましょうか。現在の小生の身体は毒ガスの塊であり、極めて曖昧な存在です。皆々様と語らう為に魔族であった頃の姿をかたどっておりますが、その気になれば小生の身体はただの毒ガスとなり、視界から消える事も可能で御座います。
そしてもうひとつは「感覚と才能の等価交換」。悪魔には魔法とは異なる固有の能力がそれぞれ備わっております。小生に与えられたのはヒトの魂を削り、その分だけ他の個所を伸ばす術。一例を挙げれば「視覚を失う代わりに音楽の才を伸ばす」といったもので御座いましょうか。
悪魔の中には好きなように能力を振るい傍若無人に振る舞う者もおります。しかし小生はあくまで紳士的に、誠実に、小生の能力について説明し、御同意を頂いた方にだけ能力を使用しております。一方的な蹂躙は悲しみを生み出すだけ。迷い、決断し、後悔する。そのプロセスを歩む事で生まれる悲劇の妙味は「契約」なくして有り得ないのです。
「新規の御契約という事で、改めて確認させて頂きます」
「……早くしろ」
彼は街の方をちらちらと見ておりました。無理もない事ですが、ここで焦るとロクな結果になりません。悪手でしかありませんが、それも愚鈍な彼なればこそ。
「御希望の才能は『錬金術』。褒章を確実に狙える程となると、お支払い頂く感覚はお二つほどで御座いましょう」
「それはさっき聞いた」
「どの感覚で支払うかは契約主様の意向に沿いましょう。ただし、支払うものが少なければお渡しできるものもそれなりになります。今回の御契約内容であれば視覚、聴覚、嗅覚、触覚のうちお二つが必要となりましょう。それで比類なき才能が得られますが、失うものもそれなりに御座います。後悔のないよう、十分にお考えいただいた上で……」
「考える時間はないんだ! なんでも好きなもの二つ、持って行けよ!」
「……それは、契約内容を小生の一存で決めても良い、という事ですかな?」
「……そうだ! 好きにしろ!」
「かしこまりました」
焦りとはかくも人の判断力を狂わせるものか。ここまで思惑通りに動かれると同情すら覚えましょう。
契約、儀式と大仰な言葉を使ってまいりましたが、小生が欲するは「ギフトが魂に触れる事に対する許可」という一点のみ。小生の能力は魂というヒトの最もデリケートな部分に触れるもので御座いますから、同意を頂けるかどうかで難易度はぐんと変わります。力技で能力を行使したところで、得られる悲劇は理不尽なものばかり。少々の手間をかけても同意を得る価値は御座います。
「では、失礼して」
小生は彼の胸にそっと手を当て、鈍い琥珀色の炎――彼の魂を取り出しました。決して熱くなく、風もないのにゆらゆらと揺れ、彼の体と炎を繋ぐか細い線は非常に頼りない。魂の脆弱さと美しさはいつ見ても飽きないものです。
つうっと炎を指でなぞり、爪の先に乗った炎を別の場所に盛り付ける。たったそれだけで彼は感覚を二つ失い、大きな才を一つ得る。魂が秘める力というものは、実に恐ろしゅうございます。
魂を彼の体に戻し入れると、変化はすぐに表れました。
「あ……?」
彼の目は虚ろになり、ふらふらとバランスを崩して地面に倒れ伏しました。
「ギフト、お前、何を」
「貴殿の命に従い儀式を行っただけで御座いますが?」
んふふ、と思わず笑みが漏れる。
「世界一の錬金術の才を与えただけで御座いますよ。……視覚と触覚を引き換えに、ですがね!」
「……な、なんで、その二つにした……!」
「契約内容を小生の一存で決めても良い、と仰ったではないですか」
「…………っ!」
彼はのたのたとミミズのようにのたうち回っておりました。土の臭いやわずかな物音から自分が倒れている事は察せられるのでしょうが、視覚も触覚もなければ確信は得られません。自分がどんな体勢でいるかも分からないとは、なんと哀れな事でしょう!
「何やらご不満のようですが、小生に非は一切御座いませんよ? 『ギフトに判断を任せる』と決めたのは貴殿でしょうに……それに、お忘れですか?」
彼は声のする方を見上げ、小生はにっこりと微笑みました。
「小生は、悪魔で御座いますよ」
「……っあ……あああ……!」
彼の両目からぼろぼろと涙が零れ落ちました。名誉を逃し、人を殺し、視覚と触覚を失った。この短時間で彼にもたらされた悲劇を想うと実に心が震えます。
「しかし、貴殿が得た才は紛れもなく世界一のもの。今の貴殿ならば屑鉄を金に変える方法も手に取るように分かるでしょう。それは素晴らしい事ではありませんか」
「分かる……分かるよ……でも、どうしろと!」
「お友達に手伝って貰えば良いではありませんか。もっとも、錬金術が成功したかを律儀に報告し、貴殿の才覚に嫉妬せず支えてくれる御仁がいれば、の話ですが」
彼はしばらく子供のように泣きじゃくっておりましたが、それが収まるとともに彼の顔からは徐々に表情という表情が消え失せて行きました。目は虚ろになり、口はぶつぶつと意味のない言葉を垂れ流す。
望む才は得られたのにそれを世に知らしめる手段がない。
それは、追い詰められた彼を突き落すには十分すぎるものでした。
* * *
「……おや?」
ふと視界の端で何かが動き、小生は反射的に体を毒の霧に変えて人の目には映らない程度に拡散致しました。
「……ったく、面倒な事になってきやがった」
「兄貴ぃ、どうしましょう」
視界の端、森の茂みから現れたのは身長差が激しい二人組の男でした。二人ともひどく薄汚れた格好をしており、背が高い方は三節根を、背の低い方はクロスボウをそれぞれ担いでおりました。何らかの荒事に携わる職である事は明らかでしょう。
彼らは小生に気づく事もなくメタポルタに向かってずんずんと進んで行きます。三節根の方が「兄貴」で格上にあたるらしく、クロスボウの方はしきりにどうしようどうしようとうろたえておりました。
「あれが街に逃げ込んだのは間違いねぇ。ここまで手間かけたんだ、なんとしてもとっ捕まえてやる」
「そ、そッスね。なんせミミックスライムッスからね」
「人ごみとなるとちょいと手間だが、あれはそんなに『食って』ねぇ。大丈夫、まだ俺らの射程範囲内だ」
二人は物騒な会話を続けながら歩いて行きました。
「……ふむ」
ミミックスライムと言えば、近年はめっきり姿を見なくなった貴重な魔族。霧雨の森に住まい、その特異な生態はそれなりに有名なものです。
彼らの格好と会話から、どういった状況に置かれているかは簡単に想像がつきました。そしてそれは、契約の好機でもあるのです。
小生は地面に転がる錬金術師の元に寄り、
「錬金術を夢見た愚鈍な男の物語、それなりに面白いもので御座いましたよ」
と感想を添え、メタポルタへと向かいました。
いざ、新たな物語を紡ぎに行かん!