箱庭リベレイト 第四話「二人の天使」
理想と現実は大違いだと思うことがよくある。金を稼いでいる時なんかがそうだ。
勇者という職業は、あちこちで見られる物語の上で羨望を集める花形の職業だ。弱きを助け、強気を挫く正義の味方。多くの子供の心を捉えた勇者になるには特に複雑な手続きの必要もなく、自分は勇者だと言ってしまえば勇者になれる。血筋も才能もいらないザルっぷりはどうかと思うけど、そうでなければ僕は勇者にはなれなかったから良かったのかもしれない。
さて、勇者の仕事と言えば魔王や竜を倒して平和を取り戻すことなんてイメージが強いけれど、平和が脅かされるほどの事件は早々起こらないし、起きたところで何人かの勇者が拍子抜けするほど簡単に解決するだろう。その他大勢の勇者が活躍する機会はない。
では生活費はどうやって稼ぐのかというと、大抵は「何でも屋」をすることになる。そして色んな人の細々とした依頼をこなしているうちに理想と現実の違いを身に染みて感じるのだ。
メタポルタまでやってきたのも依頼のためだ。街に入った時点で辺りを見回してみるが、目当ての姿はない。妙に町が賑やかで、店の看板や呼び込みの声を見聞きしてようやくフェッセルン褒章の授与式があるのだと分かった。なるほどそれならこの賑わいも仕方ない。
通りには数多くの露店が軒を連ねていた。きちんと店を組み立てる者、ござの上に値札つきの商品を丁寧に並べる者、呼び込みで足を止めた客に商品をねじ込もうとする者、店の形態だけ取っても十人十色だ。
大通りに近付くにつれて人は増え、これは探し出すのも一苦労だぞ――と思ったが、よく考えてみれば聞き込みをすればいいのではないか。何しろ相手は棺桶を背負った白髪赤目の優男だ。そんなやつはいくらメタポルタでも二人といない。
「……よっし!」
ひとつ大きく深呼吸をして、人混みに向かって駆けだした。
* * *
「棺桶を背負った男? いや、見てないねえ」
「はあ? 荷物とかじゃなくて、棺桶? 悪戯は間に合ってるよ」
「そんなことよりこの野営調理器具セットとかどうだい」
思った以上に成果は挙がらなかった。野営調理器具セットは良い買い物だったけど。
大通りの建物に背を預けてメーロの実のジュースを一口飲んだ。すっきりとした爽やかな甘みと酸味が口の中に広がって、少し疲れが取れたような気がする。
商人。旅人。勇者。戦士。傭兵。武闘家。踊り子。吟遊詩人。魔術師。錬金術師。医術士。召喚士……目の前を通り過ぎていく人々の職業は千差万別で、勇者などその中の一つにすぎない。僕という個は簡単に埋没してしまう。正義のために働くのが勇者だというのに、目立ちたがりな考えがあることは否定できない。というか、そもそも正義とは何かを考えあぐねてしまっているのだから勇者としてはわりとどうしようもない。
大通りの先、魔道の研究施設が集う区画のあたりからぽんぽんとやる気のない花火が上がる。魔術だか錬金術だか知らないけれど、何かのジャンルでの授賞式が一区切りついたのだろう。大通りの人達はやる気のない花火をちらりと見て、すぐにそれぞれの世界に戻っていく。目の前のお祭り騒ぎで忙しくて、本来の授賞式は魔道の関係者以外にはさして重要視されていない。それもどうかと思うけど、僕も興味はなかった。
研究区画からいかにも魔術師ですといった格好の人がぱらぱらと現れた。箒に乗って低空飛行する目立ちたがり屋もいた。授賞式が一区切りついて休憩時間にでもなったのだろう。
「甘くて美味しいメーロの実のジュースはいかがですか!」
「小腹がすいたらエリモストカゲの串焼き! タンタル伝統の味がここに!」
「実用性とお洒落の両立、魔石アクセサリー!」
露店の呼び込みも自然と彼らに向けたものに変わる。あの露店の串焼きは肉は堅いし味はいまいちというハズレだ。たかがトカゲの串焼きとはいえ、美味しい店は本当に美味しい。
魔術師達は思い思いに露店を物色し、買い物を楽しんでいた――ところ、研究区画の方向でざわりと人々が動揺し始めた。
(何かあったのか?)
爪先で立って動揺の中心を見ようとしたが、正に人がごみのようで皆目見当がつかない。そうこうしているうちに動揺は僕がいる辺りまで伝わり、人ごみは「彼ら」に道を譲るように動いていた。やがて僕の目にも「彼ら」の姿は映る。
人ごみの中心にいたのは一組の男女だ。
男は丁寧な作りの真っ白な法衣を身にまとい、灰色の髪は短く切り揃えられているが、癖が強いのか少し外にはねていた。愛想はよく、道を譲る人々に丁寧に礼を言っていた。
女はこの世のものとは思えないほどの美女だ。プラチナブロンドの長髪は太陽の光を受けてきらきらと輝き、青い瞳は吸い込まれそうなほどの深い色彩を抱いている。白を基調にした鎧には傷一つなく、優美で繊細なラインは鎧というより上等なドレスのように見えた。そして何よりの特徴として、背には一対の白い羽が生えていた。
ここまで揃えば赤子でもわかる。彼らは法王ターラーと天使リシェルだ。異例の若さで法王に就任し、若者ならではの行動力で人気を集める彼も有名だが、最近では唯一神アルマの使いたる天使の方が話題の中心だ。天使という存在はやや疑問視していたけれど、実際に見てみると、なるほど確かに天使としか形容しようがない。
天使は物珍しそうにきょろきょろとあたりを見回し、時々法王と何らかの会話を交わしていた。ここからではその声は聞こえないけれど、それは綺麗な声なのだろう。メーロの実のジュースを買ってその場で飲んで満足げに頷くと、店主は笑っているのか泣いているのかよく分からない表情になってぺこぺこと頭を下げた。エリモストカゲの串焼きも1本買って一口食べていたが、少し顔をしかめて法王に手渡した。
(あれはハズレだからなあ)
串焼きを押し付けられた法王は、苦笑しながらも渡された串焼きを食べ始めた。間接キスだとかそういうためらいを一切感じさせない仕草に、天使と法王の親しさを感じずにはいられなかった。
天使と法王は露店を練り歩きながら、少しずつ歩みを進めていく。人ごみに紛れてついて行って天使の姿をもっと眺めていたかったが、仕事がある。少し残念に思いながらも、プラチナブロンドが人ごみの中に消えて行くのを見送った。
二人の姿が見えなくなると、彼らが買っていった露店の店主たちは「天使様も大満足!」「法王の太鼓判!」「あの法王と天使様も認めた味!」などと新たな宣伝文句を入れ始めた。商魂たくましい。
棺桶を背負った白髪赤目の優男。こんな目立つ男が大通りの露天商たちの目に留まっていない。ということは、彼は人気の少ない路地裏のどこかにいるのだろう。
僕はメタポルタの地理には詳しくない。路地裏の地理を詳細に記した地図でもあればいいのだが、そんな採算の合わないものが存在するのかどうか怪しい。土地勘のある人を探すか、目撃証言から目星をつけて探していくか。どちらにしろ、大通りではなく路地裏に住まう人々から話を聞く必要があるだろう。
手元のジュースはまだ少し残っていた。それを飲み干してから歩き始めようと粗末なコップを持ち上げた――その時、人ごみの中から飛び出してきた影が勢いよく僕にぶつかってきた。
「わっ、あ、あ、ごめんなさいっ!」
僕が取り落としたジュース入りのコップを、影の主は上手くキャッチした。小汚い布をローブのように体に巻きつけ、頭から被っているが、影の主は僕より少し年上の女性のようだった。即席のフードの下から白い長髪が覗き、真っ赤な瞳が忙しなく動いている。
「えっと、怪我はないですよね? それじゃ」
彼女は後ろをちらちらと見ながらその場から駆け去ろうとするが、僕はその手を掴んだ。
「待って」
「ひゃい!」
彼女は情けない声を上げる。ひどく緊張しているのか、手首までもが汗でしっとりとしていた。彼女の様子はあからさまに怪しかったが、悪人とは思えない。聞きたいことだけ簡潔に聞こう。
「僕、人探ししてるんだけど」
「ひひひ人違いです」
「いや、あんたじゃなくて。棺桶を背負った、白い髪で赤い目をした男の人見てない?」
即席のローブの粗末さやこの様子からして、彼女は能天気な観光客ではない。何かしらのわけありだろう。ならば、大通りではなく路地裏を経由してここまで来た可能性がある。
そんな拙い推理で投げかけてみた質問だが、彼女はあっさりと頷いた。
「確か、西門から入ってまっすぐ進んで、牛乳の露店の傍から入った細い道の先で」
「分かった。ありがとな。引き留めて悪ぃ」
僕が手を放すと、彼女は自分の手首と僕の顔を交互に見て、それからぱたぱたと駆けて行った。まるであっさりと解放されたのを不思議に思っているようだった。
彼女はいったい何に追われているのだろう。野次馬根性が鎌首をもたげたが、それを何とか押さえつけて西門に向って歩き出して、そして気付く。
「……あ」
ジュース取られた。
* * *
どこの町にも大なり小なり路地裏は存在する。人が集い、持つ者と持たざる者が現れ、人の流れが出来てくると、自然と発生するものだ。路地裏とは持たざる者が集う影の側面。格好つけて言えば、そんな感じだ。
メタポルタの路地裏は、町の規模の割に荒れていなかった。小さく古い民家が建ち並び、紙屑が落ちていたり壁に得体のしれないシミがついていたりするけれど、物乞いやチンピラの姿はない。集合住宅も多く、それぞれの軒先からは下着やローブが干されていた。やけにカラフルな煙が漏れている部屋もある。路地裏に住まうのは貧困層であることは変わりないけれど、魔法に関する研究職というか、研究が大事すぎてそれ以外のものはどうでもいい。そういった人々が多いように感じられる。
路地裏の狭い通りにも出店というか、大胆に開かれた民家の窓からやる気のない呼び込みが聞こえたりする。一応はお祭り気分ではあるらしい。近付いて見てみると眠気を取り除くだとか集中力百倍だとかトリップ必至だとか怪しいラベルが貼られた瓶がゴロゴロと並んでいた。
「この辺で棺桶を背負った、白い髪で赤い目をした男の人は通った?」
「…………」
試しに尋ねてみると見事に無視された。
「そこの『眠気殺しの七日間』一本」
「その男なら少し前に前を通って先の分かれ道で左に行ったよ」
現金なものだ。
教えてもらった通りに道を進む。路地裏らしく時折分かれ道もあったが、近くの出店で訊ねてみればあっさりと行方は分かる。その度に細々とした商品を買ったり物々交換したりするものだから、いつ使うのか分からない手荷物が増えてしまう。
やがて道の先に、棺桶を背負って立つ男の姿を見つけた。
「いた……!」
自然と足が早まる。こつこつと靴音が響き、男はこちらを振り向き、そして――
「話せばわかる!」
僕が何か言うよりも先に、両手を高く上げて降伏の意を示した。
「……いや、うん、元からそのつもりだったんだけど」
「そうか!」
男はすっと両手を下げてそのまま自然に腕を組んだ。降伏したわりに偉そうな態度だ。
「ええと、一応確認するけど、あんたが吸血鬼アメティスト?」
「いかにも」
アメティストは重々しく頷く。白髪が揺れ、僕を見る目は鮮やかな赤。睫毛は長く女性的な優男。この目で真っ直ぐ見つめられた女性はさぞかしどきりとするのだろう。だが僕は男だ。
「ライヘンバッハ領主でつい最近棺桶を新調した?」
「そうだな」
ライヘンバッハとはここから南に位置する霧雨の森の中にある国だ。魔族の領土であり目の前のこいつが領主ではあるが、お世辞にも自治がなされているとは思えない。僕が彼を探してここまで来たのも彼の不誠実さが原因とも言える。
「単刀直入に言うけど、僕は棺桶の代金の回収に来た」
「なんと」
アメティストは自分の背にある大きな棺桶をちらりと見た。素材が良質なだけでなく、寝たまま移動できるようにと車輪まで付けられている。特注品ゆえにそれなりの値が張るものだが、彼はその代金を未だにちゃんと納めていなかった。だから僕は代金を取り立てるようにと棺桶職人から依頼を受けた。
僕がずいと近付くと、アメティストは一歩退く。
「金」
「……ふっ」
急かすように手を差し出すと、アメティストは肩を震わせてくつくつと笑い出した。
「お前は私を誰だと思っている。霧雨の国ライヘンバッハ領主、アメティストだぞ」
「そう思ってるから取り立てに来てるんだけど」
「いいか。ライヘンバッハはまともな自治体制を持たない自由の地だ。私が領民に何かを施すことはない。ゆえに、領民が私に何かを施すこともない。何の見返りもないのに領主に金を収める者がいるか?」
アメティストは髪をかき上げる。
「今この場で棺桶に払える金があるわけないだろう!」
「偉そうに言うことじゃねえよそれ!」
何だこの男は。いっそ首でも取って適当な所に売り払って金にしてしまおうか。吸血鬼の首だ。安くはないだろう。剣に手が伸びたが、依頼人から言われたことを思い出して抑える。
「あのさ。金が払えないなら棺桶返せって言われてんだけど」
「それは困る」
「じゃあ金」
「それも困る」
「じゃあ何か金目の物」
「あるわけがない」
「……我儘言うな!」
これはもう実力行使しかない。僕はアメティストに掴みかかって棺桶を引きはがしにかかった。そのついでに軽く斬りたいけど難しいだろう。
「やめろ! 日中かつ空腹の私はミジンコより弱いぞ! お前の手にかかれば私なぞ三秒だ!」
「偉そうに言うことかよ!」
何なんだこの男は。疲労を覚えながらも棺桶を奪おうとしていると、その拍子に蓋が外れ、その中から――ひとりの女の子が転がり出てきた。
「…………」
「…………」
棺桶の中から出てきたのは正真正銘、女の子だ。
つまり、この男は女の子を棺桶に閉じ込めて路地裏を歩いていたことになる。
つまり、誘拐犯だ。
「……隙あり!」
僕が事態の把握に努めている隙に、アメティストはミジンコより弱いとは思えない俊敏さで棺桶を背負ったまま逃げ出した。反射的に追いかけそうになるが、転がり出てきた女の子に脚が止まる。
「……あれ、ここ、どこですか?」
どうやら気絶はしていないようで、辺りをきょろきょろと眺めて、そして僕を見て首を傾げた。
「…………ッ!」
時が止まった。
白くてふわふわの長い髪。人形のように華奢な指先。あどけなさの残る細い足。青を基調にした素朴で可憐な衣服。白い睫毛。そして――晴れた日の空よりも青く澄んだ瞳! その瞳が今、僕の姿を映している! 体温が一気に上がって、心臓が早鐘を打ち始めた。
「……え、えっと、あの、大丈夫?」
「大丈夫です! あなたは誰ですか? ……あっ、わたしはラピスって言います」
「り、りり、リッカ」
「リッカ?」
僕の名前を呼ぶ声も鈴を転がすようで何とも心地良い。僕が何度も頷くと、「いいお名前ですねえ」とへにゃりと笑った。
リッカという名前を付けてくれた両親に、生涯最高の感謝を捧げた。