箱庭リベレイト 第五話「遠い平穏」
見世物小屋という商売がある。珍しい生物や身体に何かしらの異常がある人を集め、金を取って見世物にする。そういういささか後ろ暗い職業だ。
実際に商売をしている所を見たことはない。見世物小屋のものと思われる馬車が森の中で横転しているのを見かけたくらいだ。当然中に人はおらず、壊れた檻やテントを張る為の大きな布、それに首輪や鎖があちこちに散乱しているだけだった。
「気を付けないと、悪い人に捕まってこういう所に閉じ込められるよ」
そう言って私の頭を撫でた母は、もういない。
私が見世物になりうる存在ということは、物心ついた頃から教え込まれた。数が少なく、珍しい特性を持ち、躾も容易。彼らからすると格好の獲物だ。
だからこそ霧雨の森の奥深く、誰も来ないような場所でひっそりと暮らしていた。木の実を集め、魚を釣り、木のうろや主を失った馬車で眠る。たまに落ちている死体はご馳走だ。
そんな風に誰にも迷惑を掛けない生活を送っていたのに、彼らはやって来た。
「兄貴ぃ、こんなところに女がいますよ。迷子ッスかね?」
「馬鹿野郎、そいつが例のミミックスライムだ! ひっとらえ……ああもう逃げやがった! 追え! 追えーッ!」
逃げて、隠れて、また逃げて。気が付けば霧雨の森を抜けてメタポルタに逃げ込んでいた。
* * *
メタポルタという町の存在は知っていたけれど、訪れるのは初めてだった。沢山の人間が暮らしていて、魔法の研究が盛んな町。レンガ造りの建物が並ぶ大通りはにぎやかな雰囲気で、沢山の出店が並んでいた。祭りでもあるのだろうか。
手足や服を点検して自分の姿が崩れていないか確認する。綺麗に切りそろえられた爪。汚れ一つない服。白くて長い髪。大丈夫、ちゃんと形は保てている。
大通りの人ごみに紛れるか、路地裏に逃げ込むか。いや大通りは駄目だ。誰かと接触すればばれてしまう。大通りに行くにしても「ちゃんとした服」を調達しなければならない。
辺りを見渡すと牛乳売りの露店の傍に細い道があった。ちらりと背後を確認する。森の出口辺りに二人の姿があった。こちらの姿が見えているのかどうか分からないけれど、とにかく逃げなければならない。
路地裏は二人並んで歩けるかどうか、というくらいに狭い道が伸びていた。しかも入ってすぐに棺桶を背負った白い髪の男の人がいる。彼の隣には白い髪の女の子がいて、会話をしていた。
「そもそもこういう所に立派な宿屋はない。金の鱗亭? とやらは大通りのどこかではないか?」
「うーん、でも大通りを歩いてみても見つからなくって」
「そうか……なら、私が探してやろう。お前はただこの棺桶の中で眠っていれば良い」
「わあ、中はとってもふかふかですねえ」
「そうだろうそうだろう。居心地も抜群だ。私が金の鱗亭を探すから、代わりにお前の血を少し貰いたい」
棺桶を背負った男の人には見覚えがあった。いそいそと話を進めているけれど、そうしている間に二人がここまで追いついてくるかもしれない。
「あのっ領主さん、ごめんなさい!」
私は体を元の姿に戻して、彼らの背後を通り抜けた。ただの大きなスライムであれば、柔軟に体を動かせる。ぶつかることは避けられたけど、領主さんの服に少しだけ粘液がついてしまった。
「スライム……!?」
領主さんは誰の目から見ても分かるくらいに体をびくっと震わせた。妙に繊細で驚きやすいという噂は本当だったようだ。
「洗えば簡単に取れます。急いでるので、それじゃ!」
体を白い髪の女の人に変えて、再び路地裏を駆けだした。
ミミックスライムは捕食したものとそっくり同じ姿に「擬態」することができる。変えられるのは見た目だけで、触るとスライム特有の粘性があるのだから完璧とは言えないけれど、他の生物にはない特徴だ。この能力を持っているから人に警戒されて、殺されて、時には見世物として捕まって、私の仲間は皆いなくなってしまった。
あの二人組はおそらく「見世物」の方だろう。何しろ私は誰にも危害を加えず平和に過ごしてきたのだ。狩られる謂れはない。だから二人に捕まった所で死ぬわけではない。けれども、一切の自由が認められず、命じられたままに姿を変えて人間の好奇の視線を浴びるだけの生になってしまう。果たしてそれは生きていると言えるのだろうか。
路地裏をさらに奥へと進んでいると、大きな布が路上に落ちていた。見上げると物干し用のロープが風に揺れていて、あそこから落ちてきたのだろうと推測できた。
少し良心が咎めるけれど、渡りに船だ。私は布を拾い上げて、ローブのように体に巻き付けて即席のフードを被った。これなら人とぶつかってもスライムだとばれることもない。
喧騒を頼りに路地裏から大通りへ飛び出した。
* * *
大通りは町の入り口とは比較にならない程の人で溢れていた。沢山の露店が並んでいて、色々な人が買い物を楽しんでいる。フードを深く被ってその中へと飛び込んだ。
こんなに沢山の人間を間近で見るのは初めてだ。誰も彼もが生き生きとしていて、彼らは彼らなりの生を歩んでいるのだと今更ながら思い知らされる。彼らは「厄介だが栄養豊富な食糧」ではない。人間だ。
ふと後ろを振り返ると、人混みの中にあの二人の姿があった。即席のローブのおかげだろうか、まだこちらには気付いていない。私は怪しまれない程度に足を速めて人混みをかき分けた。
人混みにも波があり、とりわけ人混みが激しい波を抜けるとその分自然と足が早まった――が、その瞬間、勢い余って人にぶつかってしまう。
「わっ、あ、あ、ごめんなさいっ!」
その人が取り落としたコップを慌てて掴み、反射的に謝った。大丈夫。直接触れてはいない。まだばれていない。
赤い髪の毛の男の子だった。黒い鉢巻の下の目つきは少し悪いけれど、なんとなく、悪い人ではなさそうに思える。少し驚いた様子で私の顔をじろじろと眺めていた。思わずフードを引っ張って顔を隠したくなる。
「えっと、怪我はないですよね? それじゃ」
立ち止まっていてはあの二人に追いつかれる。その場から一歩踏み出したが、彼が不意に私の手を掴んだ。
「待って」
「ひゃい!」
手首を――粘液の部分を触られた! スライムだとばれてしまう!
こんな場所で、人間ではなく魔族だとばれれば、間違いなく殺されてしまう。人間に擬態している時は正体を隠さなくてはならない。それは母からの厳しい言いつけだ。どうしよう、何か言い訳の言葉は――そう考えていた私とは裏腹に、彼は少し顔をしかめただけだった。
「僕、人探ししてるんだけど」
「ひひひ人違いです」
「いや、あんたじゃなくて。棺桶を背負った、白い髪で赤い目をした男の人見てない?」
そんな格好をした、というか棺桶を背負うような人は、一人しかいない。領主さんだ。
彼が何の為に領主さんを探しているのか分からない。人間と吸血鬼と考えれば吸血鬼を狩るために探しているのだろうか?
そんな可能性もある中で、正直に見たことを話してしまうのは気が引ける。しかし、いつまでも彼に引き留められていては二人に追いつかれてしまう。領主さんなら大丈夫。強い吸血鬼だ。自分の身は自分で守れるだろう。我ながら身勝手な理屈で良心をねじ伏せて、頷いた。
「確か、西門から入ってまっすぐ進んで、牛乳の露店の傍から入った細い道の先で」
「分かった。ありがとな。引き留めて悪ぃ」
彼はあっさりと手を離す。
人間に捕まったら体の一部を切り離してでも逃げなさい。彼らは決して私達を逃がそうとしない。
母の教えとは反する行動に少しの間、動きが止まる。私が魔族だとばれていないから当たり前なのかもしれないが、それでも。
彼の訝しげな視線を感じ、私は思考を切り替えて逃亡を再開した。人混みを更にかき分け、奥へ……進もうとしたが、ここから先は露店も無く人通りも少ない。祭りの区画はここまでなのだろう。私は左右を見渡して、手近な細い道に入った。そして気付く。
「……あ」
ジュースを持ったままだ。
* * *
再び戻ってきた路地裏はやはり人の姿が見えなかった。所狭しと立ち並ぶ粗末な家からは人の気配がするから、誰もいないというわけではない。
路地裏をさらに奥へと進む。あてはない。ただ二人を撒いて、それからこの町を抜け出して、霧雨の森に帰りたい。平和な生活を送りたい。それだけだ。それだけなのに、何故こんな苦労をしなければならないのだろう。
少し喉が渇いた。手に持ったままのジュースを見て、少し迷ったけれどわずかに残ったジュースを飲み干す。私にとって水分は何よりも重要な生命線だ。補給できそうな時に補給しておいた方がいい。
空になったコップを体の中に押し込む。人の形をしているとはいえ粘液の塊であることには違いがない。こうして飲みこんでしまえばゆっくりと時間をかけて吸収できる。
「見つけたぞコラァ!」
背後から刺すような大声が響く。体がびくりと震え、背後を伺うと、少し距離はあるが二人の男の姿があった。
「…………!」
考えるより先に足が動く。逃げなければ。
「逃がすかよォ!」
ひゅんと風を切る音がする。足がもつれ、転ぶ。足元を見るとクロスボウの矢がローブと地面を縫い付けていた。
「兄貴ぃ、やりましたよぉ!」
「いいぞブラザー! たまにゃあできるじゃねェか!」
長身の男が三節棍をじゃらじゃらと鳴らしながら駆け寄ってくる。スライムの姿に戻ってローブを脱ごうとするが、周りを見てそれを止める。路地裏を構成する家々の窓から幾つもの目がこの事態を眺めている。ならば。
「た、助けて下さい! 誰か、お願いします!」
大声を出した。幾つもの目がざわめく。長身の男は構わず三節棍を振るう。私は避けずに……いや、避けることも出来ないのだけれど、それを甘んじて受けた。鈍い音が響くが粘液の塊に物理的な暴力は効かない。だから――と考えていると、長身の男はにやりと笑った。
「燃えなァ!」
三節棍が途端に熱を帯びて発火する。ローブが燃える。
「…………ッ!?」
ローブを脱ぎ捨てて地面を転がった。わずかな時間とはいえ、炎は水分を奪い擬態の精度を大きく下げる。おまけに三節棍には塩もまぶされていたようで、この僅かなやりとりで水分が多少奪われてしまった。
「お願い……誰か、誰か助けて……!」
立ち上がることはせず、そのままじりじりと後退して二人との間合いを計った。見上げると見知らぬ住人と目が合った。
「観念しな。なに、殺しやしねェよ。むしろたっぷり可愛がってやる」
長身の男は三節棍を油断なく構えながら笑みを浮かべる。このままでは――と覚悟を決めた瞬間、頭上から毒々しい色合いの液体が長身の男に降りかかった。
「ぶわ!?」
長身の男の反応から見るに、酸や毒の類ではないらしい。ただひどい臭いが辺りに漂う。そしてそれを契機にしてか、あちこちの窓から汚れた水やごみが二人に投げつけられる。何も知らない第三者が見れば、大の男が二人がかりで女性を手荒な手段で捕らえようとしているのだ。助けを求めれば応えてくれる可能性はあった。
二人が怯んでいる間に這ってこの場を脱しようと試みる。走りたいのは山々だけど、さっきの炎の影響で足がうまく作れない。
「……っざっけんなァ!」「兄貴ぃ、こいつら撃っていいスか?」
長身の男が吠え、背の低い男がクロスボウを窓に向けて構えた。それだけで妨害はぴたりと止み、外界と隔絶するようにカーテンが引かれる。
辺りはしんと静まり返り、長身の男が三節棍を構えて歩み寄ってくる。
「さぁて、邪魔者もいなくなったし、大人しくついてきな。じゃなきゃァ……分かるな?」
「……いやです。私はただ、平和に暮らしたいだけなんです」
「見世物小屋だって身の安全は保障されてる。平和な暮らしだと思うぜ?」
「それじゃあ、あなたがそこに行けばいいじゃないですか。譲りますよ」
「バカか」
長身の男が三節棍を振り下ろす。私の頭に向けて適切に振り下ろされたそれは、寸前で一振りのハンマーによって防がれた。
「……誰も、見てないなら……!」
私は肘から先を硬質のハンマーに変えていた。硬いものを作るにはそれなりに粘液の密度を高める必要があって、その分白く長い髪は短くなっていた。ハンマーを振るい、三節棍を払う。
「へぇ、部分変化もお手の物ってか」
「あ、兄貴ぃ」
「慌てんじゃねェ。炎は効いてるし、芸が増えて買取値段倍増だ」
長身の男は三節棍の連撃を振るう。私はそれをハンマーで防ぐが、その度に三節棍からぱらぱらと塩が舞う。水分が奪われて行く。
(このままじゃ……!)
ハンマーの硬度が徐々に落ちて行く。長身の男は笑みを浮かべた。ハンマーの柄がどろりと溶けて折れ、三節棍が振り下ろされる。
「チェックメイトォ!」
長身の男が高らかに宣言した瞬間、黒い霧が私と長身の男の間に渡り、黒い霧の中から現れた鳥のような手が三節棍を掴んだ。黒い霧はみるみるうちに人の……いや、角と鷲の翼を持つ灰色の肌の悪魔の姿になった。
「全く、危機一髪で御座いますな」
私も二人の男も、闖入者に動きを止めていた。その中で当の悪魔だけが口を動かす。
「貴女がかのミミックスライムで御座いますね。小生、ギフトと申します。世間的には悪魔と呼ばれておりますが、今この場において貴女の味方である事は約束致しましょう」
「……ギ、ギフト……?」
「貴女にお得な話もお伝えしたいのですが……如何せん場所が悪い。かような下賎の男が二人もいる前ではとてもとても。故に」
ギフトと名乗る悪魔は私をその両手で抱え上げ、黒い霧を辺りに広げた。それにつれて輪郭がボロボロと崩れて行く。
「……おっと、無理して動くと黒い霧を吸ってしまいますよ? 小生の霧は体に良いとは決して言えぬ代物。お気を付け下さいませ」
そう言って、ギフトは私を抱え上げたまま二人の男の前から去った。
* * *
「――さて、この辺りなら大丈夫で御座いましょう」
ギフトは黒い霧を収束させて体を作り、私を地面に下ろした。
辺りは路地裏ではあるが、先程の場所からは遠く離れた場所だろう。大通りに近い場所らしく、少し目を凝らせば人混みが見えた。私はほっと息を吐いて、なかなか形を作れない脚に神経を集中させた。
「お体に問題は?」
「えっと……水が、足りないかな……」
ハンマーから元の腕に戻しても白い髪は短いままだ。この状態で同じような硬度のハンマーを作ろうと思うと、体のどこかをハンマーに費やさなければならない。胸の辺りにも水は貯めこんでいるけれど、おそらく足りないだろう。炎による影響はすぐに消えるから問題ない。
「ふうむ。それではどこかの露店から水を失敬して参りましょう」
「駄目。泥棒になっちゃう」
「正義感の強いお方なのですね?」
ギフトが首を傾げて笑う。その背後、大通りがにわかに沸く。なんだろうと目を凝らして見ると、白い法衣を纏った男の人と、白い鎧を身に着けたプラチナブロンドの長髪の女の人の姿があった。
二人は辺りを見回しながらゆっくりと歩を進めており、そして――私と女の人の視線が交錯した。
その瞬間、彼女の体から、鋭い殺気が発せられた。