箱庭リベレイト 第六話「穿たれる足元」

 フェッセルン褒章の授与式はつつがなく進行し、予定通りに休憩時間に入った。出席者はぞろぞろと大通りへと繰り出し、俺とリシェルも本来の目的を果たすべく動き出した。
「すごい人だな」
 大通りは規律の取れた静謐な授与式とはまるで異なる雰囲気を持っている。大した功績を挙げることも出来ない無数の凡人が、授与式というイベントに便乗して馬鹿騒ぎをしているのだ。
 俺とリシェルが歩くと人ごみはさっと開けて道を譲る。人々の驚きと羨望の眼差しが降り注ぐ。小気味良い。
「あれは何だ?」
 リシェルは出店に並ぶ品々を興味深そうに眺めていた。魔王討伐という使命を背負っているわりに緊張感がない。こんな場所で臨戦態勢に入られても困るのだが。メーロの実のジュースを飲み、エリモストカゲの串焼きを口に運ぶ……が、少し食べただけで俺の方に寄越してきた。
「貴様も腹が減っただろう」
「自分の面倒は自分で見ますよ」
 やんわりと抵抗するが押し付けられる。一口食べてみるが、案の定味が濃くて肉は硬い。下品な料理であまり好きではなかった。

「魔物の臭いがする」
 大通りを練り歩きながら、リシェルはぽつりと呟いた。
「臭い、ですか?」
「ああ。近くに魔物がいる。魔王にしては弱弱しい感じがする」
 この祭りに魔物が紛れ込んでいる。これだけの規模であればあり得る話だ。
「今日の目的をお忘れにならないよう」
「ああ。分かっている」
 リシェルはきょろきょろと辺りを見渡し、ある一点――路地裏へ続く細い道に目を留めた。
「いた」
 途端、リシェルは臨戦態勢に入り手元に槍を生み出して構えた。
「待っ――」
 俺が止めるよりも先に、リシェルは翼を畳んで弾丸のように飛ぶ。こんな所で乱闘騒ぎを起こせば大衆が沸く。魔王が様子を見に来る可能性もなくはないが、増えた大衆を守らなければならないのは俺だ。あいつが考えなしに行動してそのツケは俺が払う。理不尽だ。
 俺はひとつため息をついて、あいつの後を追った。

 * * *

 リシェルと相対しているのは一人の女だった。白い髪に赤い瞳。その表情は怯えていて、見た目だけはいかにも無害だ。
「悪しき魔物め。観念しろ」
 返事を聞く前に、リシェルは槍を繰り出した。大抵の装甲は貫く聖別された槍だ。敵の身体を貫くだけでなく浄化魔法も流し込む。故に魔物相手には滅法強く、今回も一瞬で片が付くのだろう――と思いきや。魔物の身体を貫くはずだった槍は、どこからともなく沸いて出た黒い盾に阻まれていた。
「ほう」
 リシェルの声に苛立ちの色はない。流れるような連続突きを繰り出すが、黒い盾は全ての攻撃を的確に弾く。
 決して手を抜いているわけではない。リシェルの突きは目で捉えるのがやっとで、一撃一撃が重い。そもそも伊達や酔狂ではなく本気で魔王を殺すべく神から使わされた存在だ。実力は折り紙つきであの程度の魔物なら簡単に殺せるはずだ。
 だが、魔物は黒い盾でリシェルの攻撃をしのいでいる。あの攻撃に耐えるだけで相当なものだが、何よりも魔物本人は目を閉じて怯えていた。なのに黒い盾は意志を持つかのように動き、魔物を守っている。
(自動で主人を守る魔法か?)
 生物の従属、あるいは下僕の創造は魔法の中でも広く使われている。一般的に「使い魔」と呼ばれる彼らは雑用や戦闘、話し相手として非常に便利だ。あの盾もその一種で、主人を自動で守る仕掛けでも施されているのだろうか。
 ともかく、厄介なのはあの盾。早く事を済ませなければどんどん野次馬が集まってきてしまう。
「天使様。三秒お待ちください」
 周囲に魔法を使っている気配はなく、波長は読みやすい。魔法にはそれぞれ「波」があり、「波」を大きくすることで魔法の効果を高められる。逆に言えば、「波」を小さくすれば魔法を解除できる。およそ一年前に「波」とその影響について書かれた論文を目にして試行錯誤を重ね、最近になってようやく理解が追いついた理屈だ。
 手早く詠唱を終え、凍てつくような波動を放つ。波動は「波」を打ち消し、あらゆる魔法の効果を無に帰す――はずが、黒い盾は変わらずそこにあった。
 波長の読みを誤ったか?
 俺がもう一度精神を集中させようとする前に、リシェルはそれを手で制した。
「なるほどな」
 リシェルは魔物を睨み、それから魔物の少し上――何もない空間に目を向けた。
「外法使いか。神からその存在は聞いている」
「……外法?」
「魔法とは異なる原理で働く奇妙な術だ。そこの、上手く隠れているつもりの奴が使っているのだろう」
 出てこい。 
 リシェルが静かにそう言うと、魔物の周りに黒い霧が漂い、収束し始める。それは次第に人の形をとり――
「やれやれ。見破られてしまいましたか」
 角と鷲の翼を持つ灰色の肌の悪魔が現れた。
「神より遣わされた『天使様』リシェル嬢と御見受け致します。小生はギフト。しがない悪魔で御座います」
「悪魔でしかも外法使い」
 リシェルは眉間に皺を寄せ、槍をギフトに突きつける。
「汚らわしい。この場で私が祓い清めてやろう」
「おお怖い。小生、まだこのお嬢さん……そう言えばまだお名前をお伺いしておりませんでしたな。お伺いしても?」
「……え、今? アステル、だけど……」
「良いお名前です。そのアステル嬢と御話ししたい事が御座いますので、消えるわけには参りません」
「ほう。確かにその外法は厄介だが、それで私に勝てるとでも?」
「まさか!」
 ギフトは大袈裟に肩を竦め、黒い盾は瞬きをしている間に消滅した。
「小生は平和主義者で御座いますからして。ここは穏便に……」
 ギフトの視線が俺の背後、野次馬に向く。
「……『お話』と参りましょうか!」
 その声は俺達ではなく、明らかに野次馬に向けられていた。

「ここにいらっしゃいます法王ターラー殿。彼はあらゆる才能に恵まれ、神に愛された法王として君臨しております。それは皆様もご存知の事で御座いましょう」
 唐突に話を向けられた野次馬は、互いに視線を交わしながらも頷いた。
「……果たして、それは本当なのでしょうか? 彼は『神に愛された法王』なので御座いましょうか?」
「てめえ……っ!」
 光の矢を放つが一瞬で盾が現れ、それを弾く。ギフトがにたりと笑う。
「おお怖い! 何故彼は小生を攻撃したのでしょうか? それは、小生が言わんとしている事が不都合な事実だからではないでしょうか。そうでなければ、このタイミングで小生に殺意を向けるはずがありません」
 高い位置でふわふわと浮かんでいるギフトを睨みつけるが、彼は涼しい顔をしている。
「ターラー殿にとって不都合な事実。それは一体何なのでしょうか? ……いえ、勿体付けるのは止めましょう。彼は気が長い人種では御座いませんからね。雑談に興じているうちに小生が殺されてしまいます」
 リシェルを横目で観察すると、彼女は戦闘態勢を保ったままギフトの話に耳を傾けている。黒い盾の突破方法でも考えているのだろうか。俺は光の矢を複数放つが、それらもあっさりと黒い盾に阻まれる。黒い盾の影でギフトが「んふふ」と笑った。

「――ターラー殿は小生、ギフトと契約して『神に愛された』と称される程の才能を手に入れたので御座います」

 野次馬が静かにざわめく。
「悪魔の妄言です。信じてはなりません!」
「小生を信じるかターラー殿を信じるかは皆様の決める事。ただし、悪魔だからという理由で小生の話を嘘と断じるのは思考停止でありましょう」
 そもそも考えてみてください。ギフトはそう言って首を傾げる。
「人間はそれぞれ得手不得手があり、協力することで互いの足りない部分をカバーして生活の安定や向上に勤めてまいりました。欠点があるからこそ人間は集団で生活を営み、これほどまでに発展して参りました。すなわち、欠点は人を人たらしめる要素であり、神が真に人を愛しているのなら欠点も愛するのでしょう。リシェル嬢、そうで御座いますね?」
 リシェルは静かに頷く。
「完璧な生物が欲しければ、最初からそうしている」
「でしょう! ……さて、それでは『神に愛された』と称されるほどの才能は今の話を考えるとおかしくありませんか? 神が真に愛しているのならば、このような『完璧な才能』を与えるはずが御座いません。ならば彼の言葉は嘘である。そう考えられましょう。……まあでも、こういった嘘をついて法王に成り上がる図太さは、ある意味欠点で御座いますかね?」
「…………。よく、口が回りますね」
 野次馬をちらりと見る。悪魔の言葉に揺れている。愚民は大人しく俺の言葉だけを信じていれば良いものを。
「ここで小生の自己紹介を致しましょう。小生は悪魔ギフトと申します。『感覚と才能の等価交換』という能力を持ち、ターラー殿とも契約を交わし、彼にあらゆる才能を与えました。……おや?」
 ギフトはそこまで話して顎に手を当てて首を傾げた。その仕草も憎らしい。
「等価交換であるはずなのに、何故ターラー殿は何不自由ない生活を送れているのでしょう?」
 野次馬はざわめき、思案する。もう一度光の矢を放つが、黒い盾が的確に弾く。
「……ええ。皆様お考えの通り。彼は、対価を他者に支払わせたのです。それもこれだけの才能。一人で背負いきれるものではありません」
 まさか、という声が野次馬から聞こえた。
「よおく覚えております。ターラー殿の故郷、小さな教会には二人の孤児がおりました。純粋な心を持った男の子と女の子。輝く未来を信じ、充実した日々を送る彼らの瞳は美しく輝いておりました」
 落ち着きが無く口答えも多い可愛げのないガキだった。
「彼らの人生を、ターラー殿は己が野望の為、摘み取ったのでございます。正確に言えば命は奪っておりませんが、あらゆる感覚を失い、何も見えない、何も聞こえない、何も感じられない、そんな暗黒の世界に閉じ込められた彼らがどうなるかは想像に難くないでしょう」
 野次馬がざわざわと揺れる。俺が野次馬の方を見ると、何人かが目を逸らした。
「最高の法王だと思っていた人物が最低の法王だった。その事実は受け入れ難いものでしょう。ですが、事実は受け入れて前に進まねばなりません。それこそが進歩。それこそが人間のあるべき姿、美しい姿で御座いましょう」
 良くお考えください。
 ギフトははっきりと言い、胸に手を当てて野次馬に向けて一礼した。
「……御託は済んだか?」
 その瞬間、リシェルが羽ばたき、ギフトに向けて鋭い突きを繰り出した。黒い盾がそれを受け止める。
「ええ。それでは小生らはこの辺りで失礼致します」
 ギフトはにっこりと微笑み、その身を崩して黒い霧と化した。黒い霧はアステルとかいう魔物にも覆いかぶさり――ふわりと浮き上がって飛んでいく。
「追うぞ」
 リシェルは短くそう言って羽ばたこうとする――が、野次馬の中から一人飛び出して彼女の腕を掴んだ。
「お待ちください! 今の……今の話は、本当なのでしょうか?」
「その話は後だ。まずはあの悪魔と魔物を排除しなければならない」
 リシェルは手を振り払おうとするが、彼は手を離さない。
「天使様は今の話をどう思われますか? 私は、今の話が本当なのか嘘なのか分からなくて……一言、一言でいいのです」
「分かった。一言で良いんだな?」
 リシェルはじれったそうに羽を動かし、
「本当だ」
 とだけ言って、男の手を乱暴に振り払って飛んだ。
「……本、当?」
 ざわざわと野次馬が揺れる。その視線が俺に突き刺さる。
「法王様。今の話は――」
「すみません。天使様を追いかけなければなりませんので」
 すがるような男の眼差しを切り捨て、俺も風を纏って空を飛んだ。みるみるうちに野次馬は小さくなり、通りをひとつふたつまたげばその姿は完全に見えなくなった。

 * * *

「どうしてくれるんだ」
 俺とリシェルは屋根の上に立っていた。路地裏の屋根の上は汚らしいが人気は無く、通りからわざわざ見上げるような物好きもいない。
「何の話だ」
「何であの時『本当だ』と答えた。否定すればよかったものを」
「嘘を吐く必要があるのか? それよりも、あの悪魔と魔物はどこに行った」
「それよりも、だと?」
 思わずリシェルの胸ぐらを掴みかけるが、あっさりと払われる。
「貴様が嘘で塗り固めた地位を私が守る道理はない」
「っ……あんたは、俺が、どういう思いでここまで来たと……!」
 ギフトの演説とリシェルの回答。
 それらは俺を法王の地位から引きずり落とすのに十分すぎる内容だった。穢れ一つない聖職の頂点は、わずかな醜聞も命とりで、悪魔と契約していたという説が流布した時点で終わりだ。証拠の有無は関係ない。火のないところに煙は立たない。そういうものだ。
「語られてもいないことを私が知るはずもないだろう」
「悪魔と契約してまで上り詰めたんだよ! そうでもしなけりゃ、俺は法王になれなかった! それを、あんたは……っ」
 俺が何年もかけて上り詰めた道を、固めてきた未来図を、あの数分間が粉々に打ち壊した。考えれば考える程足元が崩れ落ちるような感覚がして、声が震えた。
「愚痴は後で聞く。まずはあの悪魔と魔物を殺し、そして魔王を探し出さなければならない」
 リシェルの金髪が風になびく。一切の汚れを知らない天使がこれほどまでに憎らしく思えるとは。
 彼女は職務に忠実であり、世間知らずで、共感能力に欠ける。
 それはまるで、神の使い魔のように思えた。
「……あんたは、神様に仕えて幸せか? 俺のことをどう思う?」
「当たり前の質問をするな。私は『天使』であり、神が愛するものは全て愛している」
 貴様は少々欠点が過ぎるがな。リシェルは翼をはばたかせ、空を飛んだ。俺も風を纏って後に続く。
「俺はあんたのことが大っ嫌いだ」

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