箱庭リベレイト 第八話「庇護者たち」
四方を閉ざして生まれた暗闇を、小生の魔法がぼんやりと照らしておりました。
路地裏の奥の奥、行き止まりに木箱と布でこしらえた即席の隠れ家はお世辞にも居心地はよくありません。狭くて暑苦しくてアステル嬢とはほぼ密着状態。ですがこれならばしばらくの間彼女の敵から身を隠す事が出来ましょう。
「……さて、災難で御座いましたね。お怪我は御座いませんか?」
「ちょっと喉が渇いてきたくらいかな。私、スライムだし、怪我はしないよ」
「考えてみればそうで御座いましたね。可愛らしいお嬢様に化けていらっしゃるので、ついつい忘れてしまいます」
間近で見てみると、彼女の擬態能力は実に素晴らしいものでした。髪の毛一本一本がさらさらと流れ、肌のきめ細やかさや瞳の深い紅は作りものとは思えません。触れてみない限り彼女を魔族と見破るのは困難で御座いましょう。
「……助けてくれてありがとう。えっと、ギフト」
「いえいえ、当然の事で御座いますので! それに、小生もアステル嬢とお話ししたい事があったものですから」
「お話し?」
「ええ。端的に申し上げますと……小生と、契約など如何でしょう?」
小生は感覚と引き換えに才能を開花させる悪魔である事、アステル嬢が望みさえすれば契約をしたいと思っている事、契約後も誠心誠意サポートをする事を説きました。契約候補者にはいつも行っている説明で御座います。
「失うものは御座いますが、得られるものはそれ以上。アステル嬢の生活が充実する事は保証致します」
「うーん……」
アステル嬢は少し考えておりましたが、首を横に振りました。
「ごめんなさい。私はただ森の奥でひっそり暮らしたいだけだから、欲しい才能って言われても思いつかないや」
「そうですか? ひそやかに暮らすにしても人間との遭遇を避ける術、効率的に獲物を狩る術、快適な寝床を用意する術、様々な技術が必要で、才能があれば今よりはるかにクオリティの高い生活を送る事が可能になると思いますが……」
あの錬金術師のような分かりやすい指標や自尊心があればやりやすいのですが、アステル嬢のような方でも契約に繋げる事は可能です。しかし挙動や声の調子から押しに弱いタイプかと思いきや、小生の誘いをはっきりと断る程度に意志は強い。一息に攻め落とすよりじっくりと言葉を重ねるが上策でしょう。
「……まあ、すぐにご決断を頂くことでは御座いません。この状況を切り抜けてから、改めてお考え下さいませ」
今、アステル嬢を追っているのはハンターの二人と法王と天使。単純に戦闘力が高い法王と天使も厄介ではありますが、ハンターの二人もミミックスライム狩りの装備を揃えていると思われるため、無視は出来ません。
「いくつか確認しておきたいのですが、アステル嬢は『水分を失う』ことがダメージにつながるとみて宜しゅう御座いますか?」
「うん。上手く化けられなくなっちゃったりするし、最悪干からびて死んじゃう。だから火とか強い日差しとかは駄目だし、お清めされた塩も苦手かな」
物理的な攻撃は効かないとはいえ、案外弱点が多い。準備をしておけば簡単に捕獲出来るでしょうし、だからこそミミックスライムはほぼ絶滅したのでしょう。
「なるほど。では、アステル嬢は空を飛ぶ事が出来ますか?」
「うーんと……」
アステル嬢は少し思案し、ふるると体が震えたかと思うと一羽の大きな白い鳩にその姿を変えました。やはり見事な化けっぷり……ではありますが、成人女性並みの大きさの鳩は違和感を禁じ得ません。
「それか、こういう風になれるよ」
大きな白い鳩は無数の白い鳩に変化。一羽一羽は常識的な大きさの鳩で、全て合わせると先程の大きな白い鳩と同じくらいの体積になりましょう。
「器用なもので御座いますね」
「ちょっと離れたらすぐに千切れちゃうけどね」
「いえ、飛べるのならばそれで十分」
小生も自身の姿を一羽の黒い鷲に変化させました。人間に近い姿を取っている時と比べると不自由な事が多いのが難点で御座いますが、これはこれで便利な点もあるものです。
「ギフトも鳥になれるんだ」
「アステル嬢ほど器用では御座いませんが。……さて、追手がここを見つける前に空からこの町を抜け出しましょうか」
「あっ……そっか、飛べばいいんだ」
「陸路だけでなく空路や海路も視野に入れておいた方が逃走の成功率はぐんと上がりますよ」
屋根がわりにしていた布を嘴で取り除くと、眩しいほどの日の光が差し込んでまいりました。壁がわりの木箱の上に立ち、辺りを見回しても人の姿はありません。
「さて、参りましょうか」
小生が軽く羽ばたいて手近な屋根の上に移動すると、アステル嬢もそれに追従してまいりました。鳩の群れとなるとなかなか賑やかな羽音になるものです。
町を出て霧雨の森へ。そしてアステル嬢と腰を据えてお話して契約を勝ち取らねばなりません。物語の旨味は契約というスパイスがあってこそ。
小生が空を飛び、アステル嬢が後を追う。空の中にも屋根の上にも誰の姿もなく、極めて快適。
……というのも束の間。
「――ギフト!」
背後からアステル嬢の声がして、旋回して後ろを窺うとそこにはアステル嬢の姿はありません。眼下を見ると黒いネットに捕らえられた白い鳩の群れ。少し離れた場所では見覚えのある男二人。
「さっすが兄貴! バッチリ予想的中ッスよォ!」
「油断するな、あっちも撃っとけ」
「あいよ!」
ハンターのうちの一人がクロスボウの狙いを小生に定め、そして撃ちました。射出されたのは矢ではなく黒い球。それが目の前でほどけ、巨大な網となり小生を捕らえようとするではありませんか。ご丁寧にも網には魔石がちりばめられ、そこから絶えず微弱な電流が流れておりました。
(成程、これでアステル嬢を捕らえたというわけですね)
ですがこのような安い仕掛けで小生を捕らえるなど笑止千万。身体を霧散させれば済む話です。
「あっ!? どうしましょう、黒いのが消えちまいました!」
「追い払えたんならそれでいい。本命はこっちだ」
三節根を持つ方は憎らしいほど冷静に、アステル嬢に一歩ずつ近づいて行きました。
網の中に捕らわれたアステル嬢はもがいておりましたが、その度に網に流れる電流に阻まれ、鳩の群れは徐々に形を崩して行きました。
アステル嬢が落ちたのは比較的人通りのある道の真ん中。通行人がざわめきながらもアステル嬢とハンター二人の動向を見守っており、小生が迂闊に姿を見せられる雰囲気ではありません。アステル嬢を救いたいのは山々ですが、悪魔として顔と名前が広く知られるのは避けたいところなのです。有名になりすぎると小生に対する警戒心や姦計が働きやすくなる。それはあまり良くありません。
「町に紛れ込んだ魔物を捕らえるためとはいえ、お騒がせしました」
三節根の男はその一言で聴衆を味方につけ、アステル嬢を静かに見下ろします。
「そろそろ観念してくれねぇかな。悪いようにはしねぇからよ」
ゆっくりと伸ばされた手を、白い鳩に化けたままのアステル嬢は嘴で突きました。ほんの小さな痛みにしかなりませんが、抵抗の意志を示すには十分すぎるもので御座いましょう。
「……はっ……そうかよ」
男は口角を吊り上げ、三節棍をアステル嬢に突きつけました。成程じっくり見てみると中に仕込んだものが軽い衝撃で飛散するようになっており、獲物に合わせて仕込みを変えられるようになっているものと見受けられます。それなりに汎用性が高く、良い武器です。
「抵抗する気力も湧かねぇくらいに痛めつけてやる」
「……どうして、こんなこと、するの」
アステル嬢は少女の姿に戻りましたが、その足は形を留めることができず、ただの粘液の塊となり果てておりました。見上げる表情も弱弱しく、敵意というものがおよそ感じられません。
対する男の表情は野蛮そのもの。アステル嬢の問いかけにも実に下品な笑みを浮かべておりました。
「金だよ、金。ミミックスライムなんて激レア、上手いことすりゃ数年遊んで暮らせる。これ以上の理由があるか?」
「数年……? たったそれだけの、為?」
「あ? いくら人間ぶろうと魔物は魔物だろ? 魔物を狩って商売して何が悪い? むしろ生かしてやるだけ良心的だろ?」
男は三節棍を軽く振り回し、白い砂のようなものがぱらぱらと舞い、アステル嬢に降りかかって行きました。おそらくあれは「お清めされた塩」なのでしょう。
軽い準備運動が終わり、男がいよいよアステル嬢を痛めつけようとした――その時、遠くからがらがらと馬車のような何かの音が響きました。音はみるみるうちに大きくなり、男が手を留めて振り向いた瞬間、
「私の領民に何をするかーっ!」
ええ、その……なんというか。車輪付きの棺桶が、男を撥ねました。棺桶の中には白髪の若い男がおり、男を撥ねると棺桶から飛び降りてアステル嬢の元にすたすたと駆け寄り、電流をものともせず網を外してやりました。嗚呼、なんと美しい光景で御座いましょう!
「領主さん……」
「危ないところだったな。早く逃げるぞ」
領主さん。
ああ成程、彼は霧雨の国ライヘンバッハの領主アメティスト侯爵で御座いましたか。白い髪に紅の瞳の吸血鬼と聞いておりましたが、確かにそれと一致いたします。
「……ってめぇ……! 邪魔すんなコラァ!」
轢かれた男はすぐに立ち上がり、棺桶を押しのけて怒りの表情をあらわにしております。まあ、当然の事でしょう。
「あ、あああ、兄貴大丈夫ッスか!? 最近の棺桶って車輪付いてるもんなんスか?」
「知るか! さっさと構えて撃て!」
弟分と思しき方の男は慌ててクロスボウを構え、アメティスト侯爵に狙いを定めます。アメティスト侯爵はそれをまっすぐに見つめ、不敵な微笑みを浮かべました。
「……ふ。それで私を貫いて殺すつもりか。やってみるがいい」
「う……っ!」
「喧嘩を売るのなら売ってみるがいい。……予言してやる。数秒後、お前の服は返り血で真っ赤に染まっているだろう!」
「あ、兄貴、どうしましょう……!」
「落ち着け、態度は立派だが言ってる事は全然大したことねぇぞこいつ」
「……ふ、よくぞ見抜いたな」
アメティスト侯爵は微笑みを浮かべたまま、なおハンターたちの前に立ちはだかります。
「だが、領民を護るためなら私は例えいかなる状態であっても「うるせえ邪魔だ」
三節棍がアメティスト侯爵の側頭部にクリーンヒット。あっけなく吹っ飛ばされてしまいました。
「……くっ……日中でなければ、いや、せめて空腹でなければ……!」
「兄貴、ついでにこいつの首も取っときます? 小遣いになるかもッスよ」
「そうだな。そっちは任せた」
網から逃れたアステル嬢は逃げようとしておりますが、如何せん足の形状を保つことが不可能になっている今、その速度は実に遅い。三節棍の男が大股に歩くだけで簡単に追いつかれてしまいます。弟分の方も大ぶりのナイフを取り出し、アメティスト侯爵の髪を乱暴に掴み上げておりました。
さて、ここで彼女に力を貸して恩を売っておくべきか。それとも見世物小屋に入れられるまで待って、その時脱出の足掛かりとして契約を持ちかけるか。
この状況で最もローリスク、ハイリターンな行動は何か――巡らせていた考えを遮ったのは、弟分の男の悲鳴でした。
「ぎゃあっ!」
三節棍の男の足元まで吹っ飛ばされ、その頬は赤くはれ上がっておりました。彼がいた方を見てみると、そこにはどこかで見たことのあるような赤紫の髪を持つ男の姿。
「うら若き男女に随分と乱暴な扱いではないかね?」
「……んだよ、てめぇは」
三節棍の男は油断なく構えを取り、闖入者を睨みつけておりました。
「うむ、よくぞ聞いてくれた」
一方の闖入者は三節棍の男の眼差しに怯むことなく、楽しげに頷きます。
「ある時は街中を闊歩する男前。ある時は大空を自由に舞う黒紫の竜。しかしてその実態は――!」
闖入者が右手を高く掲げると強い閃光が放たれ、視界が白く塗り潰されましたが、それも一瞬の事。視界を取り戻した我々の前に立っていたのは――
「――第十三代目魔王、カルネリアン・ヤルダバオート十三世、ここに見参ッ!」
紫色の肌に黄色い目、黒に近い赤紫の髪にこめかみの辺りから伸びる捻れた角……紛れもなく、魔王陛下そのもので御座いました。これにはハンター二人もたいそう驚いた様子で、ぽかんと口を開けております。
「もう少し街を散策して掘り出し物を見つけたかったのだがな、同胞の身に危険が迫っているとなれば話は別だ」
魔王陛下はからからと笑っておりますが、そのプレッシャーは本物。三節棍の男は一歩退き、殴られた弟分の方など完全に戦意を喪失しております。民衆も突如現れた魔王に悲鳴を上げ蜘蛛の子を散らすように逃げる始末。
「さて、どうする? 二度と我々に手を出さぬと誓えるのなら、これ以上は何もせんよ」
「……っ……魔王とか、反則だろ……」
「あ……兄貴、ここは大人しく……」
「っせーなあ、分かってるよ!」
三節棍の男は武器をしまい、弟分と共にじりじりと移動し、ある程度距離が空くと身をひるがえして街中へと消えて行きました。
「アメティストもスライムの娘も、怪我はないか?」
ハンターの二人が退散したのを見届けると、魔王陛下はアメティスト侯爵とアステル嬢に順番に目を向けました。
「私はこの通り、髪型が少し乱れた程度。お心遣い感謝します」
「……私、も、大丈夫……」
二人の返答に魔王陛下は頷き、そして、
「ずっと隠れている奴はどうした? 怪我でもしているのか?」
小生の存在を言い当ててしまいました。げに恐ろしきかな。
「……やれやれ。身の隠し方には自信があったのですが」
幸いにも我々以外に誰の姿もない。霧散していた身体を収束させ、胸に手を当てて魔王陛下に深く一礼をいたしました。
「ギフトと申します。お初にお目にかかります、魔王陛下」
「うむ。貴様らがどういう思惑でこの町に来たのかは知らんが、魔族であることが露呈したならば帰った方が良い。居合わせた人々が貴様らの顔を忘れる頃にまた――」
魔王陛下は途中で言葉を切り、小さくため息を吐きました。
「……どうやら、そう簡単には行かんようだ」
その直後、天から風を切る音がして、魔王陛下を中心に強い風が吹き荒れました。小生など簡単に吹き飛ばされそうです。
「見つけたぞ」
風が収まると、そこには槍の先端を掴む魔王陛下と、上空から急襲したであろう槍の持ち主――天使様ことリシェル嬢がおりました。
リシェル嬢は槍を掴む手を振り払い、少し距離を開けて着地し、やや遅れてターラー殿が彼女の背後に降り立ちます。
魔王陛下は半身をずらして戦闘態勢に入り、リシェル嬢は槍を真っ直ぐに突きつけ、その美しい唇を動かします。
「魔王カルネリアン・ヤルダバオート十三世だな? このリシェルスドルフ=アルマンディン、神の御名の下……貴様の命貰い受ける!」