ハネモノ 第十一話「ヒトの魔物」

 空気が頬を刺すように冷たい。馬車に乗ってリーモ村から出発して随分時間が経ち、辺りの景色も様変わりしてきた。青々とした緑は減り、その代わりに岩肌や針葉樹林が増えている。この調子で進めば明日の昼頃にはユノキスに到着するだろうとビオラは見通しを立てた。
「順調に行って明日の昼頃かあ」
 最北端に位置する小さな町だから仕方ないとは言え、長時間何もせずに馬車に乗り続けるのは気が滅入る。最初は興味深く外を眺めていたベリスも、今は退屈そうに欠伸を噛み殺している。
「……そういえば、一つ気になる事がある」
 欠伸を噛み殺して目尻に涙を浮かべながらも、ベリスは呟いた。
「リヒダ・ナミトから出発した時、私達は城の目前まで来ておいて突然逃げ出しただろう」
 しかもその時ビオラは自身が飛行船に関わる者である事を明かし、関係者を呼ぶよう門番に要請した。その時の門番の対応からも、飛行船は城にとってそれなりに重要な事であるはずだ。ルピナスはベリスが言わんとしている事を理解した。
「何故追っ手が来ない?」
 人相や風体は割れている。捜索はそれ程難しい事ではないはずだ。ベリスがそんな疑問を口にすると、ビオラは「ああ」と顎に手を当てた。
「恐らく、周辺の魔物の対処で手一杯で人員に余裕がないのでしょう。十五年前の事件の際も、城の兵は全員が魔物の対処に当たっていて、それでも手が回らないほどでしたから」
「……じゃあ、もし追っ手が来るとしたら普通の兵士じゃない奴ら――特務隊が来るのか?」
「彼らが来るとしたら私達はとっくに捕まっています。推測でしかありませんが、特務隊も魔物の対処に当たっているのでしょう」
「魔物退治ばっかして事が収まるとは思えねえけどなあ」
「それは王も分かっている事でしょう。……ともかく、追っ手には気をつけておきましょう」
「そうだな」
 ベリスは何気なく窓の外に目を向け、外に舞う白い粉を見て「雪だ」と呟いて窓際に身を寄せた。その様子につられて窓の外を見たルピナスは思わず目を見開いた。
「これが雪? すげえ……初めて見た……」
「なんだ。君は雪も見たことがないのか」
「ベリスちゃんはいいよな。飛行船で世界中を飛び回ってたから色々見れたんだろ」
「そうでもない」
 ベリスは窓を開けて手を伸ばし、雪に触れた。
「空から見るのと、こうして間近で見るのは大違いだ」

 * * *

 リーモ村も小さな村だったが、ユノキスも同じくらい小さな町だった。しんしんと雪が降り積もり、昼過ぎだと言うのに誰も外を出歩いていない。レンガ造りの家の煙突からは白い煙が吐き出されているので、無人ではないのだろう。
「スターティスって奴の家はどれなんだ」
 どの家も似たような造りで一見するとどんな人物がどの家に住んでいるのかまるで判断が付かない。玄関先に表札が引っ掛けられているのが唯一の判断材料だ。
「片っ端から表札を見ていくしかないでしょうね」
 幸いにも町の規模は小さい。それ程苦もなく目当ての家は見つかるだろう。三人で手分けして探し始めると案の定あっさり見つかった。他の家と比べるとやや小さいこと以外は同じようなレンガ造りの家だった。
 ビオラが前に出て扉をノックしてみるが反応はない。煙突から煙が出ているので家にいることは間違いない。再度ノックしてみるが反応はなく、ビオラは迷いながらもドアノブを回した。鍵はかかっていないらしく、あっさりと扉が開く。

 洒落た図書館。
 内装を見たルピナスはそう思った。背の低い本棚には民族学に関する本が整然と並べられ、要所要所には大きな字で索引まで付いている。本棚の上には民芸品が並べられ、一つ一つに説明書きが添えられている。壁面にも仮面や民族衣装といったものが掛けられており、空いたスペースというものが存在しない。一歩間違えれば雑然とした汚い部屋になりかねないが、民芸品は不思議と互いの魅力を引き出しあっており、洒落た雰囲気をかもし出している。
 どうやら部屋はこの一部屋のみのようで、奥の方は生活のためのスペースになっているようだった。ルピナスは懐からサシアムに書いて貰った紹介状を取り出し、慎重に歩を進めた。本棚と民芸品の陰に隠れて見えないが、部屋の奥の壁際に誰かがいるらしいことは衣擦れの音で分かった。
――少々気難しいところがあるが、私の紹介なら話を聞くぐらいはしてくれるだろう。
 サシアムの言葉を思い出す。果たしてどんな人物なのだろう――とルピナスは期待と不安が入り混じった面持ちで部屋の奥に入り込んだ。

「誰じゃ、貴様らは!」
 直後、甲高い声がルピナスの耳を貫いた。反射的に耳を押さえて声がした方に目をやると、そこには小さなベッドに横たわる小さな雀の獣人の姿があった。獣人とは言え雀の血が濃く、道端で見かける雀をそのまま大きくしたような風体だった。ベッドに横たわっているので正確には分からないが、背はルピナスの腰ほどもないだろう。ゆったりとした部屋着を身に纏っており、その生地の良さは一目で分かった。
「誰じゃと聞いとるんじゃ! 質問に答えんか!」
 どうにも迫力に欠ける声音だったが、突然の来客に怒っている事は確かだ。ビオラが一歩前に進み出て非礼を詫び、自己紹介を行った。
「貴方がスターティスさん、ですね?」
 ビオラが問いかけると、スターティスは不承不承頷いた。
「わしに何か用か」
「教えて欲しい事があるんだ」
 ルピナスはビオラの横に並んで立ち、話を続けようとしたがスターティスはぷいと顔を背けた。
「貴様らに教える事など何もない」
「何故だ? 信頼できないと言うのなら、サシアムから貰った紹介状がここにある」
 ベリスはルピナスの手から紹介状をひったくり、スターティスの目の前に突きつけた。しかしスターティスはそれを一瞥しただけで再び顔を背けた。
「あの若造をも脅したか。だがわしは山賊なんぞに屈しはせんぞ!」
「山賊?」
 思いもよらない単語にルピナスは首を傾げた。山賊と言えば文字通り山間部を拠点とする盗賊の一団の事だ。ルピナスは盗賊ではあるが山賊と言われるほど山間部に精通してはいないし、なによりここから遠く離れたクバサの町で日々の糧を頂戴していただけのちっぽけな盗賊だ。スターティスに山賊と言われる覚えはない。
「しらばっくれるな! 貴様らが好き放題やってくれるお陰でわしらの生活は滅茶苦茶だ!」
「スターティスさん、落ち着いてください」
「貴様らが北の孤島を乗っ取ってくれたせいで薬草も取りに行けん! お陰で腰痛が悪化して立ち上がれもせん……貴様らの言う事なんぞ聞く気はないわ!」
「スターティスさん、話を――」
 ルピナスは説得を続けようとするビオラの腕を引っ張り、「一旦退こう」と呟いた。ビオラは反論しかけたが、その言葉を呑み込んで静かに頷いた。
「……分かりました。失礼します」
 三人はぺこりと頭を下げ、「二度と来るな!」と罵声を浴びながらも家を後にした。

「何故あんなに怒っていたんだ?」
 外に出て開口一番そう呟いたのはベリスだった。
「多分この町は今、山賊に襲われてる」
 外に人っ子一人いないのは山賊を警戒しての事だろう。ルピナスは更に言葉を続ける。
「北の孤島を根城にして、住民は生かさず殺さずで搾取を続けてるってとこだろうな」
 金品の強奪だけが目的ならば、時間をかけずに奪うだけ奪って逃げれば良い。住民を生かし、根城を構えると言う事は目的は継続的な搾取で間違いないだろう。スターティスが突然の来訪者を山賊と勘違いし、警戒するのも無理はない。
「……どうしましょう」
 ルピナスの説明を聞いて事態を把握したビオラは顎に手を当てた。スターティスの警戒を解き、こちらが山賊ではないと信じてもらうには――
「山賊を退治すればいいだけの話じゃないか?」
 真っ先に思い浮かぶ選択肢をベリスは口にした。確かにそれが最も手っ取り早い手段であったが、危険性も大きい。山賊の規模も武装の程度も分からず、北の孤島という場所の土地勘も無い。おまけに相手にするのは魔物ではなく人間だ。
「ベリスちゃん、あっさり言うけどそれはちょっと……」
「じゃあ、他にどんな手があるんだ」
 ルピナスは答えに詰まった。自分達が山賊ではないと証明するのに最も有効だと思われる物は、サシアムに書いて貰った紹介状ぐらいしかない。しかしその紹介状も「脅して書かせた」と一蹴された。スターティスの態度から考えて、説得を試みたところで耳を傾けてもらえそうも無い。
「決まりだな」
 ルピナスが何も言わずにいると、ベリスは踵を返して歩き出した。
「ちょ、待、待ってよベリスちゃん」
 ルピナスは慌ててベリスの腕を掴み、ベリスは「文句でもあるのか」と不機嫌そうに振り向いた。
「いや、そうじゃなくて。北はそっちじゃなくてあっち」

 * * *

「……寒い!」
 ベリスの苛々とした叫びが辺りに響いた。しんしんと雪は降り、吐く息は白い。おまけに足元は氷の塊だったため、辺りの空気は冷え切っている。
「なあビオラ、本当に大丈夫なのかよ」
 ルピナスは足が滑らないよう細心の注意を払いながら不安げにビオラに訊ねた。ユノキスから少し北へ歩くと海岸に辿り着き、北の孤島は肉眼ではっきりと見えるほど近くにあった。それでも間を隔てるのは海であるから船を調達しないといけないな――とルピナスは思っていたのだが、目の前に広がる光景はルピナスが知る海ではなかった。
 巨大な氷が海を埋め尽くしていた。一見して海が凍りついたのかと思ったが、よく見ると氷は緩やかに動いており、巨大な氷の群れが海上を漂っているのだと気づいた。こんな状態だと船も出せないなとルピナスが思案する中、ベリスは「船を捜す手間が省けた」と氷の上に飛び乗って歩き始め、ビオラもそれに続いた。ルピナスも不安を感じながらもそれに続き、今、孤島に向かって流氷の上を歩いていた。
「大丈夫です。……多分」
「多分って何だよ……」
 ルピナスはため息をつきながらも前方を見た。間もなく孤島に到着しそうだという事が幸いだったが、帰りもこのように不安を抱えて氷の上を歩くのかと思うと憂鬱な気分になった。

 孤島には確かに人の気配があった。雑草が方々に生え、建築物は朽ちていたが、道の中央は歩きやすいように手入れがされていた。手入れがされた道は太い通りを真っ直ぐに進み、通りが右に直角に曲がるのに従って同じように曲がっていた。
「あの先にいるのか」
 ベリスはさくさくと歩を進め、曲がり角に従って進んでその姿を朽ちた建築物に隠した。何の迷いも警戒もない足取りにルピナスとビオラは慌てて追いかけた。
「べ、ベリスちゃん! もうちょっと慎重に……てか俺が先に様子見るから待って!」
「そうですよお嬢様! ここはルピナスに囮になって貰う方が安全です!」
「囮って言い方はねえだろ!」
 二人が曲がり角に従って進むと、真っ直ぐに進む太い道が続いていた。規則正しい間隔で横道も延びているがそれは細いものであり、この道がいわゆる大通りである事は容易く分かった。大通りの突き当りにはおおよそ五階建て程の高さの円柱形の建物が建っている。屋上部分はドームのように丸い形をしており、降りしきる雪が屋上部分や壁面のわずかな出っ張りに降り積もっている。
 ベリスは大通りの中央を迷いなく歩いていた。彼女が歩く先にはその円柱形の建物があり、建物の入り口付近には数人の男の姿があった。
「……やっべえ、ビンゴかよ」
 ルピナスは咄嗟に近くの横道に隠れ、ビオラもついでに引きずり込んだ。「何を」と声を出そうとしたビオラに対し、ルピナスは自分の唇に人差し指を当てた。
「このまま二人でベリスちゃんの後を追って山賊に見つかるのはまずい」
「しかしお嬢様を単身あんな男共の前に晒すわけには……」
 ビオラは声を抑えながらも早口にまくし立て、ちらちらと大通りに目を遣っている。
「分かってるって。だからビオラが後を追ってベリスちゃんを守ればいい。それで俺が隙を見て一番偉い奴に不意打ちする。こういう奴らは頭を叩いたら一発だから、多分それで終わる」
 山賊からすると、ベリスとビオラの二人は世間知らずのお嬢様とそのボディーガードと言う風に見えるだろう。そこに盗賊の少年が加わるとは夢にも思わない。山賊の油断を誘い、不意打ちを加えるにはこの役割分担が最適だ。ビオラはルピナスのその意図を汲み、一度こくりと頷いてから踵を返して大通りへ出た。
 ルピナスは横道に留まって辺りを観察した。どうやら横道は規則正しく格子状に延びているらしい。床や壁の状態からするとかなり昔の町のようだが、これだけ綺麗に道が延びているのは少し不思議でもあった。
「……んな事気にしても仕方ねえか」
 大通りとの位置関係が分かりやすい事はありがたい。ルピナスは二人の進行方向に沿って横道を駆けた。

 * * *

「――何だあ、お前ら?」
 恰幅の良い男が気だるげな声を発した。彼の目の前で焚き火がぱちぱちと燃えており、他の男達は彼よりも焚き火からは一歩離れた位置に座っている。彼以外はほっそりとした体型をしており、それらの事から彼が山賊の頭である事はベリスにも分かった。
「ユノキスの町民から搾取を続けているのは、君達か」
「だったらどうする?」
 恰幅の良い男は不敵な笑みを浮かべた。部下の男達は各々の得物を手にして静かに立ち上がる。棍棒であったり、短剣であったり、槍であったりと得物に統一感はないが、それを手にする男達がぎらぎらとした表情をしている為に威圧感がある。
「どうするもこうするも――」
 ベリスは一歩前に踏み出そうとしたが、その前にビオラがこちらに背を向けて立った。既にレイピアは抜かれており、その切っ先は恰幅の良い男に向けられている。
「――ここから追い出すまでですよ」
 どうやら走ってベリスを追ってきたらしく、ビオラの肩はかすかに上下している。二人を置いて先に進んでしまったのは少しまずかったかな、と思いつつベリスは辺りを見回した。そこにはルピナスの姿はなく、ビオラが小声で「お嬢様、お話が」と言いきる前にベリスは山賊たちにも聞こえるほどの声で言った。
「ルピナスはどこにいる?」
 ビオラの表情が固まった。

「……ルピナスぅ? まだお仲間がいるってえのか」
 恰幅の良い男は辺りをぐるりと見渡した。見える範囲に自分達以外誰もいない事を確認すると、数人の部下に辺りを探すよう命じた。残りの部下はビオラとベリスとの距離をじわじわと詰め、恰幅の良い男が「かかれ!」と言おうと口を開いた瞬間、
「ぎゃあ!」「ぐげっ!」
 と部下の叫びが響いた。その場にいた全員が声のした方に顔を向けると、そこには地面にうずくまる二人の男とその傍に立つルピナスの姿があった。手には男が持っていたと思われる武器――メイスが握られている。
「予定通り……とは言えねえけど、もうお前らの思い通りにはさせねえぞ!」
 ルピナスはメイスを真っ直ぐに恰幅の良い男に向けるが、恰幅の良い男はげらげらと笑った。
「ガキ二人と保護者一人で俺らを倒す? 冗談も程々にしろよ」
 恰幅の良い男はゆらりと立ち上がり、指の骨をぽきぽきと鳴らした。風もないのに胸飾りが揺れ、その中の小さな宝石が青白い輝きを放つ。恰幅の良い男はその輝きに気づいて胸飾りをつまんだ。
「何だぁ?」
 青白い輝きはいっそう強さを増し、目も眩むほどの閃光が一瞬だけ全員の視界を奪った。何も見えなくなる直前、宝石から触手のようなものが伸びて恰幅の良い男に絡み付こうとする様子がルピナスには見えた。
「…………?」
 今見えた光景は何だ? ルピナスは焦らすように戻ってくる視界にやきもきしながらも思考を回転させた。先程の様子から考えると、恰幅の良い男にも今の事態は予測できていなかったようだった。ならばあの胸飾りは罠の一種で、その胸飾りを入手したのは一体どこで――と憶測でしかない思考に終止符を打つように視界が戻る。
「なっ……何だ、こいつ……!」
 恰幅の良い男がいた場所に、人間とは言いがたい異形の怪物――魔物の姿があった。

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