ハネモノ 第十二話「功績と幸福」

 二本の足で立ち、二本の腕で道具を扱う。目の前に現れた魔物と人間の相似点を挙げるならばその程度しか思いつかなかった。漆黒に染まった肌。ぬらりと輝く肉食獣のような牙。理性の欠片も感じられない虚ろな眼光。この魔物が先程までこの場にいた恰幅のいい男――山賊の頭領であった事は、体型が彼と同じである事から推測できる。
「お……お頭……?」
 たまたま彼の傍にいた部下の男が恐る恐る声をかける。すると魔物はゆらりと部下の男の方を向き、牙の隙間から人間のものとは思えない唸り声を上げた。その声に部下の男は身をすくめ、魔物はそんな部下の男に向かってぐるりと腕を振るった。
「何が起こっ――」
 部下の男がそれ以上言葉を続ける前に、魔物がその顔にラリアットをかけた。部下の男の体は勢いよく吹っ飛び、遠巻きにその様子を見守っていた他の部下の男達の元に突っ込んでいった。
「ひいっ!」
 部下の男達は吹っ飛んできた男を受け止め、魔物の姿をちらりと見て蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
 魔物は逃げる部下を追うことはせず、ぐるぐると唸りながら辺りを見渡した。この場にはルピナスとベリスとビオラ、そして山賊が奪った物資の山があるだけだという事を理解するのにそれほど時間はかからず、すぐにルピナスの方を向いて咆哮を上げた。

 ルピナスが身構えると同時に魔物は地面を蹴り、人間離れした速さで距離を詰め、ルピナスに殴りかかった。避けきれない速度の攻撃にルピナスは咄嗟にメイスで防御を取るが、あっさりと弾き飛ばされる。それでもメイスの防御で拳の軌道が逸れ、魔物の拳はルピナスの鼻先をかすめていった。魔物は間髪を入れず反対の手でルピナスに殴りかかるが、ルピナスは大きく後ろに跳んでその攻撃をかわした。
「何で俺なんだよ! そっちにもっとガタイも歯ごたえもある奴がいるだろ!」
 メイスが弾き飛ばされた時の衝撃で両手がじんじんと痛む。辺りには逃げ出した山賊が置いていった武具がごろごろと転がっており、ルピナスは小型の丸い盾と銅製の剣を手に取った。銅製の剣は見るからに切れ味が悪く、斬るというより叩くという用途で使えそうだった。相手が元々は人間である事を考えるとその方が都合が良い。
 魔物は再びルピナスの元に駆け寄って殴りかかり、ルピナスはそれを丸い盾で受け流した。それによって魔物の体勢が崩れ、ルピナスはすかさず銅製の剣を振り上げる。
――が、その剣を振り下ろすよりも先に雷が魔物の体を襲った。
「ベリスちゃん!」
 最高のタイミングだよ、と言葉を続けるルピナスの横にビオラが立ち、レイピアを真っ直ぐに魔物に向けた。
「さあ、観念しなさい」
「何もしてないくせに随分と偉そうな口を利くもんだな」
 ビオラはルピナスの嫌味に聞く耳も持たず、レイピアの刃先を魔物の喉に突きつけた。雷の為か魔物の体はぴくぴくと痙攣している。
「……動けないようですね。ルピナス、ロープを」
 ビオラがレイピアの刃先を僅かに動かした瞬間、魔物の瞳がぎらりと輝く。「ビオラ!」と呼びかける間もなく魔物はレイピアを蹴り上げて起き上がり、ビオラの腹を殴り飛ばした。魔物は続いてルピナスに殴りかかってきた。ルピナスは咄嗟に身を屈め、魔物の巨躯の下に潜り込んだ。ここからアッパーカットを打ち込んでやろうか、と思ったところで魔物の胸元に金の鎖が輝いているのが見えた。金の鎖の先に宝石は無く、魔物の胸の中に埋まっている。
「これは……」
 まさか、と思いながらもルピナスは金の鎖を掴んで力任せに引っ張った。すると胸の中から小さな宝石がずるりと姿を現し、魔物が悲鳴を上げた。宝石からは植物の根のようなものがいくつも生えており、それが胸の中へと繋がっている。ルピナスは銅の剣を振り上げ、全ての根を断ち切った。魔物は更に大きな悲鳴を上げ、ぐらりと仰向けに倒れる。
「やったのか?」
 少し遠くからベリスの声が聞こえる。ルピナスは宝石の生々しい輝きを銅の剣で叩き壊し、「多分、これで大丈夫」と答えた。宝石の輝きが消えると共に、魔物の姿は元の頭領の姿に戻っていった。

「……何だったんだ?」
 ベリスはルピナスの隣まで首を傾げた。頭領に意識は無く、ルピナスはこれ幸いと頭領の手足をロープで縛っていた。
「この宝石が原因だったんでしょうか」
 ビオラは輝きを失った宝石の欠片を摘み上げようとした。しかしビオラが摘むと同時に宝石の欠片はぼろりと崩れた。
「多分な。こいつがいきなり光ってこのおっさんに向かって根を伸ばしたらああなったし、根を切って砕いたら元の姿に戻ったし」
 どういう理屈かは分かんねえけど、とルピナスは付け加えた。頭領の体を縛り終え、ユノキスの町から奪ってきた物資の山に目をやった。見る限り大部分が食料品で、金目のものはほんの一握りのようだった。
「とりあえずこのおっさんの身柄を町の人らに明け渡して、大事そうなものだけ持って帰ったらいいか」
「……あの、この、とても恰幅がよろしい人を町まで運ぶのは……」
 ビオラは嫌そうな顔をしていたが、ルピナスとベリスは揃ってビオラを指差した。
「……ですよね」

「……よし、こんなもんか」
 ルピナスは山賊の食料が入っていた袋を失敬してその中に貴重品を詰め込んだ。その間にベリスは辺りをうろつき、見たこともない草を摘んできた。
「ベリスちゃん、どうしたのそれ」
「薬草だ。スターティスが薬草も取りにいけない、と嘆いていただろう」
「ああ、そういえば」
 山賊退治に夢中ですっかり忘れていた。ベリスが薬草をビオラに見せると、ビオラは見たこともないような渋い顔をした。
「……あの、お嬢様。あまりその草を近づけないで下さい」
「何故だ?」
「その草の匂いは、私にはその……少々きついと言いますか……」
 ビオラが言わんとすることをベリスは理解し、にこりと微笑んだ。
「そうか、分かった。この匂いが君の弱点というわけか。ほれほれ」
 その笑顔のまま、草を持ってビオラを追いかけ始めた。頭領を背負っている為草を取り上げることも出来ず、ビオラは涙目になりながら逃げ惑った。
「くっ……羨ましい……!」
 笑顔のベリスにいじめられるとは何たる僥倖。ルピナスは二人の様子を見ながら強く歯軋りをした。

 * * *

 再び氷河を渡ってユノキスに到着し、ルピナス達は町民を呼んで頭領の身柄と貴重品を渡した。町民達は信じられないと言った面持ちで各々の奪われた物を取り返し、口々に礼を言った。中には山賊に奪われないよう大切に隠していたへそくりを謝礼として渡す者もいた。小さい町なので貴重品の返還はあっという間に終わり、最後に残ったのは古びた首輪だった。
「これは?」
 これと言って飾り立てられているわけではない。しかしさりげなく施された刺繍や金具の形状が洒落ており、年季は入っているが値が張るものである事は分かる。
「ああ、それは確かスターティスさんのだね」
 町民の男がひょいと首輪を覗き込んで言った。「触ろうとしたらこっぴどく怒られたからよく覚えてるよ」
「じゃあ、薬草渡すついでに返しに行くか」
 ルピナスは町民の男に礼を言い、スターティスの家に足を向けた。
「……触ろうとしただけでこっぴどく怒られるなら、今回はどうなるんだ」
「……天に祈りましょう」

「また貴様らか! 渡すものは何もないと言っとるだろうが!」
 ルピナス達の姿を認めるなりスターティスは甲高い声を上げた。ルピナスはその声に少し怯んだものの「ほらよ」と首輪をスターティスに手渡した。するとスターティスの激昂はぴたりと収まり、首輪をそっと手――というか翼に取り、じっと眺めた。
「……これ、は……」
「山賊から取り返してきた」
「それと、薬草はこれで良いのか?」
 ベリスは薬草をスターティスに見せ、スターティスは静かに頷いた。
「……それを煎じてくれんか」
「煎じる?」
 ベリスが眉間にしわを寄せていると、ビオラが薬草を手に取り「私にお任せ下さい」とスターティスに頭を下げた。スターティスは「うむ」と頷き、台所の場所を指し示した。
「貴様ら……いや、お前さん達には悪い事をした」
 ビオラが台所で湯を沸かす準備を始めると、スターティスはぽつりと呟いた。
「妻の形見を取り返してくれて、ありがとう。礼を言う」
「どういたしまして」

 * * *

「……そういえば、教えて欲しい事がある、と言っていたな」
 サシアムからの紹介だったか、とスターティスは続け、ルピナスは改めて紹介状を見せた。スターティスはベッドからよろよろと半身を起こし、枕元に置いていた老眼鏡をかけて紹介状に目を通した。読み終わると「ふむ」と呟いてベリスの姿をちらりと見た。
「ベリスさん、かな? お前さんの種族が何なのか知りたい、と言う事でよろしいかな」
「ああ」
 ベリスはベッドの傍まで歩み寄り、膝をついた。雀の獣人用にあつらえられたベッドは小さく、人並みの体型であるベリスが妙に大きく見えて奇妙な気分になる。
「いくつか質問をするから、正直に答えるように」
 ベリスが頷くと、スターティスはぽつりぽつりと質問を始めた。両親の事や翼に関する事、あるいは鳥の獣人に見られる特徴に関する質問が主なものだった。中にはどういった意図でその質問をするのかルピナスには分からない質問もあったが、それにもベリスは正直に答えていた。質問の合間にはベリスの羽の付け根の部分を触り、ベリスの瞳をじっと観察もした。
「……ふむ……」
 質問が途切れ、スターティスは嘴に翼を当ててじっと考え込んだ。
「何か分かったのか?」
 スターティスは静かにかぶりを振った。
「お前さんのような種族は民族学上、存在せん」

「……なんですか、それ」
 ビオラは薬草を煎じ終え、それを湯飲みに入れて持ってきた。薬草の匂いはルピナスには感じられないが、ビオラにとっては耐え難いものらしく空いた手で鼻をつまんでいる。
「人間でも獣人でも、それ以外の種族でもないという事じゃ」
 スターティスは湯飲みを受け取り、一口飲んで「ああ、これじゃこれじゃ」と嬉しそうに呟いた。
「存在しない、って事はねえだろ。今ここにベリスちゃんがいるんだしさ」
 何か見落としてるだろ、と言葉を続けるルピナスに対しスターティスは「まあ落ち着きなさい」と言った。
「世の中には未だ調査が行き届いとらん種族が山のようにおる。この娘さんも恐らくは、そういう種族の一人じゃろう」
「な……何か手がかりは、ありませんか?」
 ビオラがすがるような眼差しをスターティスに向けたが、スターティスは「ううむ」と渋い顔をした。
「両親の記憶は無し、生まれた地がどこなのかも不明、羽が生えている事以外は人間と変わりがない。わしの力……いや、今の民族学の力では娘さんの正体を知る事は難しい」
 ビオラががっくりと肩を落とす。ここまで来て結局「分からない」と振り出しに戻されたのだから肩を落とすのも無理はない。かく言うルピナスも気持ちが少し暗くなった。
「しかし」
 と、スターティスは続ける。
「とある考古学者……サルビア、と言ったかな。彼の著書で、我々が文明を築くよりも以前に栄えていた都市――古代都市には我々の想像を遥かに超える膨大な情報が眠っている、と書かれていた」
 サルビアの名にルピナスは思わず顔を上げた。ビオラもまた顔を上げたが、こちらは「膨大な情報」に反応しての事だろう。
「古代都市に向かい、うまく情報を引き出す事が出来ればあるいは――」
「ベリスちゃんの種族について分かるかも、って事か?」
 ルピナスの問いかけにスターティスは静かに頷いた。
「古代都市は北の孤島に一つ、そして東の大陸にあるミミナ村という村の南部に存在する巨大な峡谷の中に一つ。その二箇所が今も比較的形を残して存在している」
「北の孤島、という事は……」
 ビオラの意外そうな呟きにスターティスは「そうじゃ」と続けた。
「あの島に広がる廃墟は、古代都市のものじゃ」
「では再びあちらに向かって調べてみればいいのか?」
 それなら話は早い。ベリスは窓の外に目を遣ったが、スターティスは「いや」と翼を左右に振った。
「あの古代都市は、かつてこの近辺に住んでいた種族によってとうの昔に調べ尽くされておる。あそこに眠っていた情報を元に魔法と言うものが発見され、今日の文化の発展に貢献してきたんじゃよ」
 古代都市の情報をあらかた取り尽したところでその種族が国家に向けて反乱を企て、それを察知した王によって滅ぼされる。そんな経緯もついでに軽く説明し、「つまり、あの古代都市に行ってみた所で新たな情報を得られる可能性は低いという事じゃ」と締めくくって湯飲みに嘴をつけた。
「では、ミミナ村の南にあるという方に……」
「行くしかねえだろうな」
 北から南への大移動だ。かかる時間、そして追っ手が来るかもしれないと言う事を考えるとのんびりしていられない。二人は腰を上げた。
「なんじゃ、もう行くのか」
「あんまりのんびりできる状況じゃないんでね」
 お嬢様、とビオラが手を伸ばすとベリスもその手を取って立ち上がった。
「世話になった」
 ベリスはスターティスに対して頭を下げたが、スターティスは「それはわしが言う台詞じゃ」と頭を下げ返した。
「今後、困った事があれば遠慮なく言うてくれ。わしに出来る事があれば何でも手伝おう」
 それと、と一呼吸置いてから「ルピナス、と言うたかの」と続けた。
「サルビアが犯した罪は途方も無く大きい。じゃが、古代都市の調査において彼が果たした功績もまた大きいものじゃ」
「…………」
「今ではサルビアは史上最悪の犯罪者とされておるが、わしは彼の功績を認めとるよ。お前さんの父は優秀な考古学者じゃった。考古学に詳しくないわしが言うと説得力に欠けるかもしれんが、その事は忘れんようにな」
「……分かった」
 ルピナスは複雑な表情で頷き、スターティスの家を後にした。

 * * *

 ユノキスを出発した馬車の中、ルピナスはぼうっとしていた。隣に座っていたベリスがルピナスの顔を覗き込み、「どうした」と問いかけた。
「元気がないな」
「ベリスちゃんが殴ってくれないから」
「馬鹿な事を言う」
 ベリスはルピナスの足を踏みつけた。反射的に「ありがとうございます!」と声が出た。
「最後にスターティスが言った事を気にしているのか」
「…………」
 スターティスはサルビアの事を優秀な考古学者と言った。サルビアの功績は母の口からも何度も聞かされていた。そのお陰でルピナスはサルビアの果たした仕事については人並み以上に知っている。
 それでも。
「……いくら優秀でもさ、家族を不幸にする時点で俺は許せない」
 ルピナスはサルビアに関する思い出がない。ルピナスが赤子の頃にサルビアは罪を犯し、死刑を受けた。父親とはいえ、ルピナスにとっては面識のない男のせいで母や自分が不当に差別されてきた。いくら彼の素晴らしさについて話を聞かされても、ルピナスはサルビアに対する見方を変えることが出来なかった。
「そうか」
 ベリスはそれきり何も追及する事もなく、馬車の窓から外の風景を眺めた。

 * * *

 祭りが終わったリヒダ・ナミトは平穏な日常に戻っていた。魔物の襲撃に備えての警備兵の数が増えた程度で、住民は以前と変わらない生活を送っている。
 噴水が静かな水音を立てる広場の隅、丁度日陰になっているベンチの前に猫頭の獣人の男の姿があった。猫頭の男の足元、ベンチの周りには何頭もの猫がころころと転がっており、みゃあみゃあと猫頭の男の足にじゃれついてきた。猫頭の男はそんな猫達を意にも介さず、ベンチの上で眠る男を見下ろした。
「起きて下さい」
 静かな声で彼に呼び掛けるが、彼はぴくりとも動かない。顔には古雑誌が被せられており表情は見えないが、尻尾が億劫そうに揺れているから少なくとも死んではいないだろう。猫頭の男は古雑誌を取り上げた。
「……んあ」
 その下には猫耳を生やした獣人の男の顔があった。彼の視線はふらふらと宙をさ迷った後、猫頭の男の姿を認めた。猫頭の男は彼の目の前に一枚の紙切れを突きつけた。
「仕事ですよ」
 彼はがしがしと頭をかいて身を起こし、その紙を受け取った。猫頭の男は「では」と踵を返し、足早にその場を去った。
 残された彼は紙切れに書かれた内容をじろじろと眺めて「あらまあ」と意外そうに呟いた。内容を読み終えると紙をくしゃくしゃに丸め、コートのポケットに突っこむ。
「何がどうなるか分からんもんだねえ」
 彼は大きな欠伸を一つして、ベンチから立ち上がった。周囲に集まる猫ものろのろと身を起こし、彼の足元に集まった。
「あー、眠気覚ましに酒飲みてえ……お酒が無いと俺様死んじゃう……」
 おもむろに煙草を咥え、ぷかぷかと煙を吐きながら彼は広場を後にした。

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