ハネモノ 第十三話「海底の楽園」

 久々に訪れたリヒダ・ナミトは祭りの華やかな雰囲気こそ消えているものの、平和な空気に変わりは無かった。祭りの時には時々しか聞こえなかった兵士の金属質の足音がそれなりに聞こえる程度で、魔物の被害はまだ町中には及んでいない事が伺える。
「……ビオラ、大丈夫そうか?」
「ええ」
 車窓のカーテンが閉められ、薄暗い馬車の中でビオラは頷いた。ビオラとベリスの事がどこまで知れ渡っているのか検討がつかない今、リヒダ・ナミトという危険地帯を通るには出来る限り人前に姿を現さないようにしなくてはいけない。幸いにも御者が話の分かる人で、リヒダ・ナミトの港まで送り、船が見つかるまで馬車の中にかくまうという事になっていた。
「カミルは元気にしているだろうか」
「そりゃ元気だろ。何かあったらこんなのどかな空気じゃねえし」
 己の身分を考えずに男装して街中へ繰り出していた無謀な姫も、今は流石に大人しくしているだろう。ビオラも「そうですね」と呟きカーテンの隙間から外の様子を伺った。
「あ」
「どうした?」
 ベリスがカーテンの隙間を覗こうと身を乗り出したが、ビオラがそれを押しとどめた。
「……大人しくは、していないようです」
 ビオラの苦笑いから、今外で見えたものが何か分かった。
「仕方ねえ奴だな」
 馬車から降りて注意するわけにはいかない。ルピナスは苦笑しながらもカミルの身にトラブルが起きない事を祈った。

 潮の匂いが車内に漂った頃、馬車はゆっくりと速度を落として停まった。
「着いたみたいだな」
 身元が割れている可能性が最も低いルピナスが先に馬車を降り、船を捜す手筈になっている。港にいつまでも馬車が停まっているという状況は好ましくない為、手早く船を見つけないといけない。
 馬車を降りたルピナスはまず港に停泊している船の数を数えた。それなりに船は揃っているが、多くはどこかが破損していて使い物になりそうもない。使えそうな船であっても出航の準備をする様子は無く、船と言う船が沈黙していた。
「なあ、船って出てねえの?」
 船を留める為の杭の上に腰掛けた男に話しかけてみると、男は紫煙をくゆらせてため息をついた。
「出てねえよ。おっかねえ化け物が海で暴れまわってるからな」
 男の口ぶり、そして壊された船の惨状を見る限り、化け物と言うのはルピナス達がこの大陸に渡る際に襲ってきたあの海龍だろう。
「一隻も?」
「当たり前だ」
「金は多めに払うって言っても?」
「金より命だ」
「どうしても?」
「しつこいぞ」
 男はこれ以上話す事はない、とルピナスを手で追い払った。辺りを見回すとちらほらと船の持ち主の姿があったが、ルピナスがいくら頼んでも誰も船を出そうとはしなかった。

「……どうしよう」
 船着場の縁に腰掛け、足をぶらぶらと動かした。憎らしいほどいい天気で、水平線の向こう側にうっすらと西の大陸の姿が見える。
「いっそ、管理が甘そうな船を一隻借りて……」
 いや、そうしたところで船を運転できる人がいない。ベリスとビオラは飛行船に乗っていたが、自動で操縦されていたものだからあまり期待は出来ないし、そもそも同じ船とはいえ海と空ではお門違いと言うものだろう。
 二人にどう説明しようか。ぼんやりと水面を見ながら考えていると、不意に海面が揺れた。
「ルピナス! やっと見つけた!」
 愛らしい声と共に海面から顔を出したのは、可憐な顔立ちの人魚の少女――ロミだった。
「ロミちゃん! 久しぶり!」
 元気だった、と聞く前にロミは「ねえルピナス、お願いしたい事があるんだけど」と両手を合わせた。
「お願いしたい事?」
「えっとね……海龍っているでしょ。私の声を奪った奴」
「ああ」
 ロミは遠くの海面に視界を移した。そこに海龍の姿はなく、静かに海面が揺れているだけだ。なんだか嫌な予感がするなとルピナスが感じていると、ロミはその予感にふさわしい台詞を言った。
「あいつを退治してほしいの」
 静かな港にその声だけが響いた。

「……えーと、ロミちゃん?」
 あまりにも無謀な依頼にルピナスは思わずこめかみを押さえた。
「何か勘違いしているみたいだけど、俺はそんなに強くないよ?」
「でもミミナ村の時は海龍と戦ってたじゃない」
「あれは陸上戦で、しかも時間稼ぎが目的だから上手くいった。そういう本格的な退治は俺なんかより城の兵士に頼んだ方がいいよ」
 ロミは静かにかぶりを振った。
「皆で何回も港の人に兵士を呼んでもらって話はした。でも、地上の魔物で手一杯だから海の事まで協力は出来ない、自分達で何とかしてくれないかって言われただけで……」
 自分達で何とかできないから手助けしてもらおうと思ったのに、とロミはため息をついた。
「……で、俺にお鉢が回ってきたってわけ?」
「駄目?」
「ロミちゃんの頼みなら何でも聞いてあげたいけど……」
 ごめん、と言う前に背後から「じゃあ聞いてやりゃいいんじゃねえの」と声がした。同時に酒の匂いがぷんと漂ったので誰が来たのかは振り返らずとも分かった。
「何の用だよ、おっさん」
 ラジは何の遠慮も無くルピナスの隣にどっかりと座り、短くなった煙草を地面に押し付けた。
「お前、こんなとこにいるって事は西の大陸に行きたいんだろ」
「それが何か」
「俺様も西の大陸に野暮用があんのよ。だからお前が西の大陸に行くってんなら尻馬に乗ろうかなと」
 野暮用とはどうせ新しい酒や煙草を調達する事だろう。
「兵隊さんは動かねえんだろ? 勇者様が現れて海龍を退治してくれるのをここで待ち続けるか?」
 そんなに待てねえだろ、とラジは意地悪く笑った。
「万に一つ……いや、億に一つの確率に賭けて海龍とドンパチするしかねえだろ」
「…………」
 悔しいが、国に追われている身として出来る事はそれぐらいしかない。ルピナスは無言で立ち上がり、馬車の方へと向かった。

 ベリスとビオラを連れてロミの元を再度訪れ、同じ説明をもう一度した。ベリスはあっさりと頷いたが、ビオラは渋い顔をしていた。
「……そうするしか手はないだろう、と言う事は分かりました。でも……」
 その渋い顔の先にはラジがいた。
「何故この腐れ猫まで一緒なんですか」
「腐れ猫はねえだろ。俺様のどこが腐ってるって言うのよ」
「ルピナスに海龍退治をけしかけて己は何もせずのうのうと西の大陸へ渡ろうとする根性が、ですかね」
 その苛立ちはルピナスにも分かったので口は挟まなかった。
「えー……じゃあクソガキが海龍退治できたら、俺様のマル秘ルートで仕入れる新品の無修正エロ本五冊プレゼントとかどうよ」
「乗った」
 ルピナスはすかさず親指を立てた。ラジも親指を立て返した。
「……むしゅうせいえろほん?」
 二人の様子を見てベリスは首を傾げ、ビオラは慌てて「お嬢様とは何の関係もないことです」と告げた。

「準備はいい?」
 ロミはいつの間にか四頭のイルカを呼び出していた。ルピナス達は船着場の縁からイルカの背に乗り移り、ロミの先導でイルカはきゅうきゅうと鳴きながら泳ぎ始めた。
「……で、海龍がどこにいるのかってのは分かってるのか?」
 ベリスが疑問を口に出すと、ロミは「えっ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「今すぐに海龍退治するわけじゃないわよ。まずは女王様に許可を貰って武器を貸してもらわないと」
「許可? 武器? というか、女王様?」
 女王様という単語には心弾む響きがあるが、人魚の女王となると、どうしても嫌な予感が拭えない。ふと横を見るとビオラも似たような表情をしていた。
「……あ、あの、ロミちゃん……?」
 俺達水中だと息が出来ないんだけど――と言う前に、ロミは海中に潜り、イルカも続いて海中に潜った。

 * * *

 本気で海中に引きずり込むつもりならイルカから手を放して逃げ出さないといけない。ルピナスは固く閉じていた目を開け、ベリスにも逃げるよう伝えようとした――が、そこで顔の周りにだけ水中の感覚が無い事に気づいた。
「あ、あれ……?」
 併走するイルカに乗ったビオラの姿を見ると、巨大な空気の泡が頭全体を覆っていた。片手でイルカの背びれを掴み、開いた片手で自身の頭の周囲を触ってみると、ルピナスの頭にもまた空気の泡があることが分かった。深く息を吸ってみると、きちんと呼吸が出来る。恐らくこれも魔法の一種なのだろう。
「……良かった」
 陸上生物の呼吸の事を忘れるほどロミは馬鹿ではない。ルピナスはほっとため息をついてイルカの背びれを握り直した。落ち着いて辺りを見回してみると、海中は静まり返っていた。魚影は少なく、海草の隙間に隠れるように小さな魚が群れている程度だった。
「もうすぐよ」
 海の中だというのに、ロミの声がはっきりと聞こえた。進路の先に微かな光が見えた。

 光の正体は海中をゆらゆらと漂うクラゲだった。等間隔に並んでゆるやかに明滅を繰り返し、何もない海中に道を作り出している。ロミは道に従って真っすぐに泳ぎ、クラゲの光はどんどん増えていく。
「すっげえ」
 ルピナスの眼前に柔らかな光に包まれた都市が現れた。人間の背丈をゆうに越える巨大な貝殻を用いた住居が立ち並び、色とりどりの海草がそこかしこに植えられている。小魚の群れがわらわらと泳ぎ、クラゲの光がその銀の体に反射してきらきらと光る。住居の窓に目をやると、人魚がじっとこちらの様子を見ていた。ルピナスが手を振ると慌てて身を隠した。
「女王様のお城はあそこよ」
 ロミが指差した先には、巨大な貝殻をいくつも用いた巨大な城の姿があった。クラゲの光に照らされたその姿は幻想的で、リヒダ・ナミトの城とは違う高貴さに満ちている。
「なあロミ、女王様ってどんな人なんだ?」
「とっても綺麗で優しいお方よ。一目惚れしちゃわないように気をつけてね」
「ロミちゃんも十分綺麗で可愛いと思うけど、それ以上?」
「ふふ、そうね」
 ロミは意味ありげな視線をルピナスに寄越し、ルピナスは思わずだらしない笑みを浮かべた。
「……よかったな。綺麗で可愛い人魚に気に入られて」
 ベリスが不機嫌そうに呟いた。

 城の中は広く、クラゲや魚を用いた明かりがふんだんに用いられており、ここが海中である事を忘れてしまうほどに明るい。ロミは城の中を迷い無く泳ぎ、警備中の人魚と二言三言と会話を交わし、海草で作った扉代わりのカーテンをくぐった。ルピナス達が乗ったイルカもその後に続いてカーテンをくぐる。
 カーテンの先はこれまた広い空間で、赤い海草が等間隔に植えられて道を作っている。その道の先には二枚貝を用いて作られた玉座があり、妙齢の人魚がそこに腰掛けていた。
「…………」
 ゆるくウェーブのかかった青い長髪、豊満な胸、くびれた腰のライン、エメラルドに輝く鱗、そして少し気の強そうな整った顔立ち。全てが段違いの美しさを誇っており、ルピナスは言葉を失った。
「こりゃまた美味しそうなお姉ちゃん」
 すぐ後ろでラジがぽつりと呟いた。
 ロミは女王に向かってぺこりと頭を下げ、玉座の横に立った。イルカ達は静かに横一列に並び、挨拶をするかのようにきゅうと鳴いた。
「このような所までご足労頂き感謝します。私は、この人魚達が住まう国を治めている者です」
 女王の声は力強く、聞き取りやすい。
「既にロミから話はお聞きになっていると思いますが、改めて私の口から説明致します」
 女王は深く息を吸い、ルピナス達の目を順番にしっかりと見つめた。
「数週間前から姿を現した、海龍と呼ばれる魔物。彼……もしくは彼女は、姿を現した日から今日まで、私達の同胞を食い荒らしてきました」
「同胞? 人魚が海龍に食べられているのですか?」
 ビオラの問いかけに女王は首を振った。
「この海に生きる生物全てが私達の同胞です。人魚も数名海龍に襲われ命を落としましたが、それ以上に多くの同胞が海龍の餌食になりました」
 女王は目を伏せる。その憂いを帯びた表情もまた美しく、大事な場であるにもかかわらずルピナスは女王に見とれてしまう。
「このままでは多くの種が滅ぶ……いいえ、この海から生物が消えてしまいます」
 そこで、と女王は玉座の後ろから一振りの銛を取り出した。目立った装飾は施されておらず地味な外見だが、黄金の輝きを静かに放っている。
「そこで、人魚の魔力を込めてこの銛を作りました。あれほど巨大な海龍とはいえ、この銛を刺せばひとたまりもないでしょう」
「……でも、刺すことが出来なかった?」
 ベリスが合いの手を入れると、女王は力なく頷いた。
「私達人魚は争いを好まず、外敵と戦うという経験がありませんでした。その為、銛を刺そうと海龍に近づいてもいいようにあしらわれ、運が良くても海龍から逃げるのが精一杯でした」
 歌で大人しくさせても、銛で刺そうとすれば生存本能が歌に打ち勝ち反撃に出る。数名の犠牲が出た末に、人魚の力では海龍に太刀打ちできないと判断した、と女王は続ける。
「陸の方々に協力を願うしかない、でも陸にも魔物が現れていたので国の手助けは期待できない――と半ば諦めていた頃、ロミが貴方達の事を言い出したのです」
 無理なお願いだと分かっています。女王はそっと頭を垂れた。
「武器はあります。支援もします。どうか、海龍を討って頂けますか」
 しんと辺りが静まり返った。

「……支援って、どんな事でもしてくれるの?」
 ルピナスがそう問いかけると、女王は頷いた。
「分かった。どうせこのままじゃ西の大陸にも行けねえし、引き受けた」
「……ありがとうございます」「ありがとう、ルピナス!」
 女王は再度礼をし、ロミは勢いよくルピナスに抱きついた。
「で、でさ。支援の話だけど」
「はい」
 ロミの頭を撫でながら、ルピナスはだらしない笑みを浮かべた。
「たくさんの人魚と一緒に楽しくおしゃべりしたいなー、なんて」
「はあ」
 女王は目をぱちぱちさせた。
「それが海龍退治にどう役立つのでしょうか」
「やる気が出て海龍退治する時にいい動きが出来るようになる」
 ルピナスはしれっと応え、女王は「そういうものでしょうか」と首を傾げた。
「……まあ、その程度の事でしたらすぐにご用意できます。隣の部屋でお待ち下さい」
 女王の言葉を聞いてか、イルカ達はきゅうっと鳴いて女王の間を後にした。

 * * *

 応接間と思しき部屋に、多くの人魚が集まっていた。二枚貝の大きなソファが等間隔に並び、人魚達はそれぞれのソファにわらわらと集まっている。ルピナス達はそれぞれ別々のソファに座り、人魚達と思い思いの会話を繰り広げた。
 ビオラは当たり障りのない会話と海龍についての話を聞きだしていたが、ルピナスは世間話や冗談を飛ばす事しかせず、その表情は幸せに満ちていた。
「ああっ……こんなに沢山の人魚と楽しくお喋りできるなんて夢みたいだ……夢じゃないって証明代わりに頬をつねってくれ……いや踏んでくれてもいい。グーで殴ってくれてもいい……」
 幸福の絶頂にいるルピナスを、ベリスはじいっと睨んでいた。
「あら、やきもち?」
 人魚の一人がふふっと微笑んだ。
「こんな所で餅が焼けるものか」
 ベリスはルピナスから目を離してラジの様子を見た。どうやら人魚達に対して嫌がらせに励んでいるらしく、何かを言っては人魚を赤面させどさくさに紛れて腰や胸に触れている。ルピナスと同じぐらい楽しそうな様子だったが、不思議と腹は立たない。というかどうでもいい。
「……やきもち……?」
 人魚と幸せそうに会話をするルピナスに苛立つ。ルピナスに対してのみ向けられるこの不可思議な想いが「やきもち」と言うものなのだろうか。ベリスは首をひねったが、人魚達は微笑ましいものを見守るように何も教えず、結局答えは出なかった。

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