ハネモノ 第十四話「決着」
「……ったく、何で俺様がこんな事……」
「仕方ねえよ、消去法だろ」
薄暗い海底の中を、二頭のイルカが泳いでいた。その上にはルピナスとラジの姿があり、二人の表情は浮かない。
「俺様こんな所で死にたくねーぞ」
ラジはため息をつきながらイルカにつけられた手綱を引っ張った。イルカはそれに応えてスピードを上げ、より深く海の底へ潜っていく。
「俺だって死にたくねーよ。けど、ベリスちゃんを危険に晒すわけにはいかねえだろ」
ルピナスもラジに続いて手綱を引っ張る。右手には女王より借りた銛がある。海中だからか、見た目に反して軽く感じる。
海龍という巨大な敵の事を考えると、今までのように全員で退治に向かうのは得策とは思えなかった。万が一ベリスに何かあったら大問題だ。そして、ベリスや国の事をよく知るビオラもまた同じ目に遭わせる訳にはいかない。そんな事を考えると必然的にルピナスが退治に行く事になり、一人は無謀だからとラジも一緒に行く事になった。ラジの戦力にはいささかの、というかかなりの不安があったが、いないよりはマシという理由で嫌がるラジを連れる事になった。
「美人の人魚もいねえしさ」
ラジよりも人魚を連れてきた方が余程役に立つのではないかとルピナスも思ったが、それは女王に断られた。というのも何人もの人魚が海龍の餌食になり、その凶悪さに人魚たちはすっかり戦意を失い海龍に近づくどころかその姿を見る事も嫌がった。一度は海龍と相対し歌を披露したロミであっても「もうあいつには近づけない」と目を伏せた。
「悪かったな、お供がこんなガキで」
「ホントだよ」
ぶつぶつと愚痴を言いあう二人の前に、徐々に沈没船が姿を現した。
そこは、船の墓場と呼ばれる場所だった。いくつもの沈没船が辺り一面に広がっており、積み重ねた年月によって様々な姿を見せていた。何故この一帯で船が大量に沈没するのか、全くと言っていい程海を知らないルピナスには見当もつかなかった。ラジにも分からないらしく、船の墓場の話を聞いた時は「ヘンな話もあるもんだな」と呟いていた。
だが、理由はどうでもいい。重要なのはここには大量の沈没船があり、身を隠す場所には困らないという事だ。武器があるとはいえ、真正面から海龍と相対するのは無謀でしかない。この場所で罠を張り、そこへ海龍を誘導して隙を見て討つ。船の墓場の存在を知った時、そうするしかないとルピナスは考えていた。
「じゃあおっさん、この辺で俺が言った通りにやってくれ」
「へいへい」
ラジはロープを取り出し、手綱でイルカを器用に操って一隻の巨大な沈没船の中へ消えた。ルピナスもロープを手にして同じ船の中へと入っていった。
魔法陣を用いて動きを止めることが出来たら話は早いが、二人とも魔法に関する知識が乏しく、しかもイルカに乗った状態で完璧な魔法陣を描けるはずがない。ルピナスが知る限りの罠を仕掛け、死角から隙を伺う事にした。
海龍の知能がどれほどのものなのか予測はつかないが、沈没船の中に仕掛けて外からは見えないように罠を張った。ラジもルピナスが教えた通りに罠を張っているはずだ。
「ちゃんとやってるか……」
ラジがきちんと仕事をするかどうか、という点には一抹の不安があったが、信じるしかなかった。手早く罠を張り終えたルピナスは沈没船から出てラジの作業の終わりを待った。
しばらく経つと沈没船からラジが姿を現した。外で待つルピナスの姿を認めるとやる気がなさそうにひらひらと手を振った。
「おっさん、ちゃんと罠張ったか?」
「やったっつうの。いくら俺様でも自分の命がかかってりゃ本気出す」
ふふん、と偉そうに腕を組んだが、ルピナスは「そうでもない限り本気は出さねえんだな」と呆れた。
「……で、これからどうするかは分かってるよな」
「クソガキにガキ扱いされるとは俺様心外」
ラジは手綱を引っ張ってくるりとルピナスから背を向けた。
「クソガキこそちゃんといい場所に隠れていい所で決めろよ。じゃねえと俺様が真っ先に死んじまう」
「おっさんが死ぬのは別にいいけど、そしたら次に俺が死ぬから本気は出す」
「嫌なガキだ」
ラジはそう言い捨て、イルカの横腹を叩いて船の墓場を後にした。ルピナスはそれを見届けた後、罠を仕掛けた沈没船がよく見える位置にそろりと隠れた。
「お前も怖いだろうけど、一緒に頑張ろうな」
ルピナスは自分が乗っているイルカの頭をそっと撫でた。人魚達が恐れる海龍を、イルカが恐れないわけがない。
「これが無事に終わったら、もう海龍の姿に怯える事もなくなる。あと一回だけ、勇気を出してくれ」
銛を持つ両手が震える。この銛を突き立てることさえ出来れば、後は傷口から人魚の魔力が流れ込み海龍を無力化する事が出来る。それだけの話なのだが、あの巨体を思い出すとルピナスも恐怖を感じる。
「おっさん……海龍から逃げずにここまで陽動してくれよ……」
その可能性も大いにあり、口にした途端に不安になった。その不安を紛らわすかのようにイルカがきゅう、と鳴いた。
* * *
ぴりりとした空気が辺りを走った。海中だというのに空気というのもおかしいが、ともかくルピナスは異変を感じた。それはイルカも同じようで、より深く物陰――沈没船の影に身を寄せた。
「来た」
彼方にイルカに乗ったラジの姿、そしてそれを追う巨大な影が見えた。みるみるうちに影は海龍の形を取り、咆哮が海を揺らした。
ラジはまっすぐに全速力でイルカを泳がせ、罠を仕掛けた沈没船の中へ入っていった。海龍もその後を追い、沈没船に頭から突っ込む。ばきばきと木材が壊れる音がして沈没船はゆっくりと傾く。それでも海龍はラジを追ってより深く沈没船に入ろうとし、沈没船を壊しながらその体をめり込ませていった。
「いいぞ」
このまま上手く罠が作動すれば、沈没船のあちこちに括りつけたロープが海龍の体を固定する筈だ。その隙に一気に接近し、銛を刺せばいい。ルピナスは銛を握りしめ、罠が作動する瞬間を待った。
海龍は沈没船に体を埋めながら遠慮も容赦もなく船を破壊していく。徐々に形を失っていく沈没船を見ながらルピナスは違和感を覚えた。
「おかしい……」
これだけ海龍が船に入り込んだというのに、罠が作動した様子がない。特定のロープが強く引っ張られると作動するように仕掛けたが、その仕掛けに異常が発生したのだろうか。ルピナスがそう考えている間にも沈没船は壊されていき、やがてそこからラジが抜け出した。それを追うように海龍が沈没船から顔を出し、沈没船はその衝撃に耐えられず廃材の山と化した。
海龍の顔や首にはロープがぐるぐると巻き付いていたが、それで締め付けられたような様子はない。海龍はロープを振り払うことなくラジに向かって再度吠えた。ラジはイルカを駆って他の沈没船の影に隠れたが、このままでは捕まって食べられてしまうのも時間の問題だろう。
「……仕方ない、おっさんを囮にして後ろから行くか」
ルピナスはイルカの頭を軽く叩き、イルカはそろりと物陰から抜けて海龍の後ろについた。海龍はラジを追うのに夢中でルピナスには気付いていない。
右手に銛を握りしめ、左手で手綱を握る。イルカも意を決したようで、海龍に向かって静かに、素早く泳ぎだした。
ラジを追って泳ぐ海龍の尻尾の動きは激しく、銛を刺すのは難しい。胴体付近は比較的動きは少なく、ラジに向かってまっすぐに体を動かしている。
「胴体だ」
ルピナスはそう呟き、イルカはそれに従って海龍の胴体に接近した。ラジを追う海龍に沿って泳ぎ、じわじわと距離を詰める。前方では沈没船の合間を縫ってラジが泳ぎ、海龍がそれを追って沈没船をなぎ倒しながら泳ぐ。なぎ倒された沈没船の破片を避けながら、ルピナスは徐々に海龍の胴体に近づいていき――
「今だ!」
ルピナスの声を合図にイルカは銛を刺せる距離まで一気に近づく。両手に銛を持ち、振りかぶった瞬間に海龍の体が大きくうねった。
「え?」
進行方向に目をやると、巨大な沈没船に海龍が正面から突っ込んでいた。轟音と共に沈没船が傾き、大きくうねった海龍の胴体がイルカとルピナスをはね飛ばした。手綱から手を離していた為イルカとルピナスは別々の方向にはね飛ばされ、ルピナスは傾いた沈没船に叩きつけられた。
「あぐっ!」
意識が一瞬遠のいたが、銛は手放さなかった。イルカは遠くに飛ばされ、気を失っているようだった。やばい、と思うと同時に海龍がルピナスの存在に気づきこちらに顔を向けた。遠くを逃げるラジから近くでふらついているルピナスに標的を変えた事は明らかだった。
「…………」
ルピナスは体勢を整えて銛を構えた。船に叩きつけられた衝撃は大きく、痛みで呼吸が苦しい。イルカという海中の足を失い移動もままならない。
海龍は大きな口を開けて咆哮をあげ、そのままルピナスにその牙を向けた。ルピナスの体をまるまる飲み込めるほどの大きな口が眼前に迫り、ルピナスは銛をしっかりと握りしめたが、銛の刃先が恐怖で震えた。
「……まだベリスちゃんに踏まれ足りねえんだよ……」
死にたくない。体の自由が利かない海中では銛を投げることは出来ず、海龍に食われる寸前で銛を刺さなければならない。しかし海龍の口がルピナスの眼前に広がっており、銛を刺すには海龍の口の中に入るしかなく――つまり、死ぬ可能性も大いにある。
海龍の口から吐き出される生暖かい潮の流れを感じる。口の中で噛み砕かれて海龍の餌となる姿がリアルに想像できたが、ルピナスはその想像から意識を逸らして両手に握りしめた銛を振りかぶった。
ルピナスの体が海龍の口の中に入る――寸前、海龍の口がばくんと閉じられた。
「えっ?」
海龍の口にはロープが複雑に絡まっており、それらが海龍の口をきつく締めていた。一本だけ海中に延びるロープがあり、その先にはラジの姿があった。
「こんな事もあろうかと思って勝手に罠を仕掛けちゃいましたー」
ぺろりと舌を出すラジの姿はこの上なく憎らしかったが、口を塞がれ無防備になった海龍が目の前にいるチャンスを逃すわけには行かない。ルピナスは深く息を吸い、銛を海龍の鼻先に突き立てた。
傷口から少量の血が漏れだしたが、その血が見えなくなるほどの黄金色の輝きが銛から発せられた。海龍の叫びなどお構いなしに黄金色の輝きは傷口から海龍の体内に入り込み、輝きが全身に行き渡っていく。海龍の全身が輝くと、次第にその巨躯が縮んでいく。
バランスを崩した銛が海龍の頭から抜け、ルピナスはそれを慌てて掴んだ。全ての輝きを海龍に移した銛はくすんだ色をしていた。その間にも海龍は小さくなり、やがて輝きが収まるとそこには一匹の海蛇の姿があった。海蛇はゆるゆると海底に沈み、途中で気がついたのかすいすいと泳ぎだして沈没船の合間に消えた。
「元はあんなちっこい海蛇だったのかよ」
ルピナスの隣までやってきたラジは呆れたような声を出した。ルピナスが乗っていたイルカがいた方をみると、どうやら意識を取り戻したらしくどこか申し訳なさそうな様子でルピナスに寄り添った。
「つうか、いつの間にああいう罠張ってたんだよ」
「自分の命がかかってりゃ本気出す、って言っただろ」
ラジは数々の沈没船から背を向け、泳ぎだした。
「早く帰るぞ。こんなとこでクソガキと二人きりでいても楽しくも何ともねえ」
「同感」
ラジが勝手に張った罠で命拾いしたのだから礼の一つでも言うべきかなと思ったが、
「お礼に人魚の乳揉ませてくれって言ったら揉ませてくれるかな」
などと言いだしたので、その思いはなかったことにした。
* * *
「ああ……本当にありがとうございます……!」
人魚達の国に戻り、女王に海龍を倒したことを告げると女王は深々と頭を下げた。その際胸の谷間が実によく見えたので遠慮なくそこへ視線を注いでいたら、ビオラに小突かれた。
「そういう堅苦しいのは抜きにして、礼の話だけどよ」
谷間に視線を注ぎながらラジが話を切り出す。
「ちょっとその胸揉ま「ミミナ村まで送っていってくれないか」
ラジの煩悩にまみれた要求をベリスの言葉がかき消した。
「ミミナ村まで……ですか?」
「ちょ、ちょっとベリスちゃん!」
きょとんとした顔の女王と慌てたルピナスに対して「駄目か?」とベリスは首を傾げた。
「いえ、その程度の事でいいのですか……?」
「そうだよベリスちゃん、どんだけ無欲なんだよ!」
「無欲? ミミナ村へ向かっているのだからそれで十分だろう」
ベリスの言葉にルピナスは何か言おうとしたが、その言葉を飲み込んで「いいや」と苦笑した。
「送ってくれたらそれでいいよ」
「……本当にそれでいいのでしょうか」
女王は明らかに戸惑っていたので、ルピナスはラジを指さして「どうしてもって言うなら、俺らの代わりにこのおっさんの言うこと聞いてやったらいいよ」と言った。
「おっ、気が利くねえクソガキ」
「…………」
王女は嬉しそうな様子のラジをじっと見つめ、そっと頭を下げた。
「ご一緒にミミナ村までお送りします」
* * *
「ルピナス、本当にありがとう!」
ミミナ村へ向かう中、先導のロミが愛らしく微笑んだ。
「何か困ったことがあったらいつでも言ってね。皆で助けに行くから」
「人魚が総出で俺の所まで助けに来てくれる……だと……」
ご褒美にも程があるじゃねえか、と呟いたルピナスをベリスはじろりと睨んだ。
「ね、ルピナス。ミミナ村で声を取り返してもらった時から気になってることがあるんだけど」
「何?」
「ルピナスって、ベリスと付き合ってるの?」
「え」
ロミの直球の質問にルピナスは一瞬言葉を失ったが、すぐにへらへらとした笑顔を浮かべた。
「そうかあ、付き合ってるように見える程お似合いかあ。ねえベリスちゃんこの機会に付き合わない?」
「付き合う?」「許しませんよ」
ルピナスの誘いにベリスは首を傾げ、ビオラは即座に横槍を入れた。その様子を見てロミはにやりと怪しい笑みを浮かべた。
「……ふーん、付き合ってないんだ。じゃあ私にもチャンスはあるって事ね」
「えっ」
目をぱちくりとさせるルピナスにロミはそっと近づき、その頬に軽くキスをした。
「私、わりと本気よ? その気になったらいつでも誘ってね。二人きりでデートしましょう」
「ちょっ、ま、ええっ」
突然の事態にルピナスはうろたえ、その様子を後ろから見ていたラジは「青春だねえ」と汚いほほえみを浮かべた。
そうこうしているうちに海面に近づき、太陽の光が一行の行き先――ミミナ村の海岸を照らし出した。