ハネモノ 第十五話「単眼の機械」
「……なあ、本当にこっちでいいのか?」
「大丈夫です」「間違いない」
密林の中を、ベリスとビオラが自信満々に先導して歩いていた。ルピナスとラジはその後をついて歩き、道に迷わないように目印になりそうなものを探して片っ端から頭にたたき込んだ。
どうやらルピナスとラジが海龍退治をしている間に、二人はミミナ村南部にあると言われる古代都市についての話を人魚達から聞いていたらしい。人魚達にも古代都市の詳細は分からなかったが、古代都市までの道のりは知っていたらしい。
「陸に上がれないのに何でそんなこと知ってるんだ?」
ルピナスは純粋な疑問を口にした。
「それはですね、海に出たミミナ村の漁師と話をする機会がしばしばあったからだそうです」
漁師は周辺の地理に詳しく、陸に興味を持った人魚に対して古代都市の存在や道のりを事細かに話していたらしい。地元の住民にとって古代都市の存在は有名なものだが、狭い洞窟を抜ける必要があり道具を持ち込んでの大規模な調査は困難なこと、そして何より古代都市を調べたところで自分達の生活の足しになるわけではない。その為存在は知られていても、ろくな調査はされてこなかったそうだ。
「ああ、ここがその洞窟だそうです」
ビオラは岸壁に生えた蔦をかき分け、そこに埋もれていた小さな入り口を露わにした。四つん這いになってようやく入れるほどの小さな入り口で、中を覗き込んでみると真っ暗で全く先が見えない。試しに小石を投げ込んでみると、ころころと音を立てて転がっていき、やがて音が遠くなり聞こえなくなった。
「行くぞ」
洞窟に顔を近づけていたルピナスを押し退け、ベリスは四つん這いになって洞窟へ潜った。
「ま、待ってよベリスちゃん!」
と言ったところで止まるベリスではない。ルピナスは意を決してベリスに続いて洞窟へ潜った。
ルピナスの後にラジが続き、最高尾をビオラが務めているらしいことは臭いで分かった。酒と煙草の臭いが強く、しかも洞窟は緩やかに下降しその流れに沿って風が微かに流れているため、ラジの体臭がルピナスに直撃する。早く洞窟を抜けて新鮮な空気を吸いたい、とルピナスは心の底から思った。
前をゆくベリスの歩みはしっかりとしており、何かがあるとルピナスに「そこに水たまりがある」などと逐一報告をしてくれる。
「…………?」
だが、ルピナスはその態度に違和感を感じた。口調は普段のベリスと変わらないが、声音や雰囲気がどことなくよそよそしい。先程ビオラと密林を歩いていた時はそんな雰囲気はなかったため、よそよそしいのはルピナスに大してだろう。
「……俺、なんかしたかなあ……」
心当たりはあると言えばある。山のように。後でベリスと話をしよう、と心に決めた。
緩やかな下り坂を暫く進み、本当にこの洞窟で合っているのか不安になってきた頃、進む先に外の光が見えた。
* * *
光の先には、廃れた町の姿があった。洞窟を通っている間に峡谷の底にたどり着いていたらしく、左右には高い岸壁がそびえ立っている。日光は岸壁に遮られ、昼間だというのに薄暗い。
「……すげえ……」
こんな不便極まる場所にかつて栄えていた都市の姿にルピナスは感嘆した。一目見るだけでもリヒダ・ナミトよりも優れた文明を持っていたことは分かる。流線型の住居は金属で出来ており、不思議な波線が彫られている。地面も同じ金属で舗装されており、歩道に沿って同じような波線が彫られている。歩道の両端には等間隔で街路樹のようなものが設置されていたようだが、既に朽ちて崩れ落ちており、ただの鉄くずの塊と化していた。
「北の孤島にあった都市とは、また少し雰囲気が違いますね」
ビオラは鼻をひくひくと動かし、金属の歩道を靴でこつこつと叩いた。金属と言っても既に錆びきっており、意味ありげな波線も既にその機能を失っているのか、何の反応もない。
「ここで何か情報を掴めばいいんだな」
ベリスは何の迷いもなく歩道の中央を歩き始め、ルピナスはその後を追う。
「そうだけど、何があるか分からないから慎重にな」
「お嬢様、ここは私が先に様子を――」
様子を見ます、と言い切る前にビオラの足下の歩道がぱっくりと落とし穴のように開いた。
「え」
一瞬だけルピナスとビオラの目が合い、次の瞬間にはビオラはルピナスの視界から消えた。
「おわ」
たまたまビオラの側にいたラジも巻き添えを食っていたが、それはどうでもいい。ルピナスとベリスが落とし穴を覗き込もうとする前に、落とし穴の蓋は閉じて元の歩道の姿に戻った。
「なんだ、今のは?」
ベリスは不思議そうに歩道をこつこつと叩いた。歩道は何の反応もなく、どこが開いたのかも分からないほどに落とし穴は巧妙に隠されていた。
「後を追いかけるのは難しそうだな……」
どういう仕掛けで落とし穴が開いたのかも分からず、簡単に壊せるような歩道ではない。
「他の所から地下に行く道がないか探してみるか」
「そうだな」
落とし穴の先は凶悪な罠があって二人はもう死んでいる可能性もあるが、そんな可能性は信じたくない。きっと二人は無事で地上へ出る道を探し始めるだろう。
「また落とし穴があってはぐれたら危険だから、ほら」
ルピナスはベリスに手を差し伸べたが、ベリスはそれを払いのけた。
「落とし穴があったとしても飛べるから問題ない」
その態度はつんとしていた。普段ならご褒美でしかなかったが、今回の態度にはルピナスに対する怒りがほんの少し含まれているような気がした。
古代都市はそれほど大規模なものではなく、歩道の先には明らかに民家ではない建物があった。歩道の左右に建ち並ぶ民家と思しき建物の扉は全て閉ざされており、ルピナスたちの力では開けられなかった。そもそも取っ手がなくつるりとした鉄板のような扉をどうやって開けるのか見当がつかない。
「……ベリスちゃん、怒ってる?」
民家の扉やその間にある瓦礫を調べながら、ルピナスは話を切りだした。
「怒ってる? 私が?」
「ミミナ村に着いた頃からそんな感じがするんだけど、ひょっとして俺がロミちゃんにキスされたから?」
冗談半分でルピナスは思い当たる原因を口にした。
「なぜ私がそんな事で怒るんだ」
ベリスはルピナスから背を向け、歩道をさっさと歩きだす。ルピナスは扉を調べていた手を取め、慌ててベリスの後を追う。
「ロミちゃんに好かれたのはそりゃ男心としては嬉しいよ。でもさ、俺はベリスちゃん一筋だから」
「…………」
「俺がここにいるのは、ベリスちゃんをあの飛行船から自由にして、それから一緒に色んなものをのんびり見に行きたいからだよ」
ベリスは何も答えず、ただ歩道を歩いてその先にある建物を目指す。
「出来るだけベリスちゃんを守りたいなとは思うけど、何度か危険な目に遭わせてごめんな」
「……はあ?」
その言葉にベリスは振り向いた。眉間にしわが寄せられており、まるで意味が分からないといった表情をしている。
「私は私の出生が知りたいからここにいる。私の意志で君やビオラと行動を共にし、私の意志で危険な目に立ち向かってきた。自分の身は自分で守るから、君は君の身を守っていればいい」
ベリスは一気にそれだけ言い、一息ついて「……まあ、私が君に冷たい態度をとっていたのなら謝ろう」と続けた。
「人魚からも似たような事を言われたが……そうか、これが嫉妬か」
「え」
その言葉に硬直したルピナスを尻目に、ベリスは歩道の先にある建物の扉に手を触れた。やはり反応はない。
「つ、つ、つまり、ベリスちゃんは俺のこと好きなわけ?」
「君の言う『好き』が私の知る意味とは違うとはビオラから聞いたから、好きかどうかは分からない」
「あの犬野郎」
「ただ、君が他の女性と楽しそうにすると苛立ちを覚える。これが嫉妬なのだろう? 違うのか?」
「…………」
さらりと放たれた言葉にルピナスは耳まで赤くなるのが分かった。ベリスはそんなルピナスの様子など意にも介さず、建物の周囲を調べ始めた。
「ルピナス、こっちの扉は崩れていて中に入れる。と言っても、地下に続く階段しかないな」
というベリスの声でルピナスは我に返り、慌ててベリスの後を追った。
「ベリスちゃん、置いて行かないでー!」
* * *
「……ここは……?」
ビオラが目を開けると、そこには暗闇が広がっていた。地面を触れてみると金属質の冷たさがあり、地上で見たものと同じような不思議な波線が彫られている。見上げてみても光はなく、落とし穴の蓋は完璧に閉ざされていることが分かる。
「子犬ちゃん、生きてるかー?」
背後から聞きたくもない声がして、ビオラは顔をしかめた。
「着地失敗して骨折して野垂れ死んどいて下さいよ」
「残念だなあ、俺様は猫だし高いとこからの着地くらいお手のものよ」
足音が近づき、ビオラの横を通り過ぎてその先を歩く。ビオラは仕方なく後に続いた。
足下の感触、そして手を伸ばして触れられる得体の知れない物体から、大まかな構造は地上と変わらないことは予測できた。ただし、ビオラが今触れている物体は家と言うにはあまりにも小さく、人一人が立って入れるほどの卵形のカプセルだ。それが等間隔に歩道に沿って並んでいる。
「……これは……何だ……?」
「見えないのに気にしても仕方ねえだろ」
前を歩くラジは事も無げに言う。
「子犬ちゃんは本当、下らねえことにこだわるよなあ」
「あなたに私の何が分かるんですか」
「これは何かとか、自分が何に仕えてるかとか、そんな細けえ事は気にしなくていいんじゃねえの」
「あなたのような方の助言は結構です」
「自分が必要とされて、金が貰えるならそれで十分じゃねえか。納得のいく答えなんて後からついてくるだろ」
「…………?」
ビオラが視線を前方に移すと、ラジの後ろ姿がぼんやりと見えた。暗闇なのにおかしいな、と思ったら前方に二つの明かりが灯っていた。明かりに炎の揺らめきはなく、魔法によって動いているらしい。そして、二つの明かりの間に人影があった。
「ようこそいらっしゃいました」
人影はそう言って頭を下げた。きんきんと響くその声は明らかに人のものではなく、頭を下げる時にはぎしぎしと金属がきしむ音がした。今まで見たことのない奇妙な衣服に身を包んでおり、顔がある部分には大きなレンズが一つあり、レンズを覆うカバーが半分だけ開いている様子は、半開きの目のように見えた。
信じ難い事だが、目の前で動いて言葉を話すのは人間ではなく、獣人でもなく、人に似せた機械だった。
「私、タテハと申します。以後お見知り置きを――と言っても、短い間でございますが」
じゃきん、と音がしてタテハと名乗る機械の左手に鋭い爪が現れた。
「あなた方を侵入者と認めました。排除致します」
タテハの背から触角のような物が広げられ、次の瞬間には触角から虹色の光が延びて蝶の羽をかたどった。美しい、と思う間にタテハは駆けだしてラジに向かってその爪を振るった。
「あぶねえなあ」
ラジは屈んで爪を避け、すたこらと害虫のような素早さでタテハから離れた。タテハが発する光のおかげで辺りの状況は見えるようになったが、そのタテハが自分達を「排除」しようとしていることもよく理解できた。
タテハはラジからビオラへと目線を移し、がちゃがちゃと機械音を発しながらこちらへ近づいてくる。ビオラはレイピアを抜き、タテハの爪を紙一重で避ける。タテハの背後に回り込み、突きを繰り出そうとしたが、そこでタテハはぐるりと首を回してビオラを見た。その人外の動きに怯んだうちにタテハは体をもぐるりと回転させてビオラの方を向いた。そして再度爪を振るう――
「ビオラ!」
――が、その声が響いた瞬間ぴたりと爪は止まった。
声のした方を向くと、そこにはルピナスとベリスの姿があった。二人の姿を認めるなりタテハは爪を下ろし、頭を下げた。
「お待ちしておりました。――様」
タテハが口にした名前は、聞いたこともない言葉だった。
* * *
「……何だって?」
ルピナスが聞き返すと、タテハは「ああ、現在の主要言語ではありませんでしたね」と事も無げに言った。
「そちらの、赤い髪のお嬢様。お名前は?」
「ベリス」
「承知しました。お帰りなさいませ、ベリス様」
タテハはそう言うと再び頭を下げた。
「……お帰りなさいませ?」
その場にいた全員が首を傾げたが、タテハはそれに対して何の説明もせずに続ける。
「メッセージをお預かりしております」
誰もいない方を向き、半分閉じられていたレンズの蓋を完全に開けた。きりきりと何かを回す音がして、レンズから光が放たれた。光は壁面にぶつかり、そこに一組の男女の姿を映し出した。
若い男女の背にはベリスと同じような白い羽があった。映像の所々に乱れがあるが、その羽が作り物ではない事は簡単に分かる。
男女はおもむろに何かを話し出したが、聞いたこともない言葉で彼らが何を言いたいのか分からない。
「私達はこれから長い眠りに就く」
タテハがこの場にいる全員に聞こえるように言った。恐らく、彼らの言葉を翻訳しているのだろう。
「お前がこの映像を見ているという事は、私達はお前の側にいないのだろう」
女性の髪はベリスと同じ赤で、男性の目元はベリスにとてもよく似ている。
「伝えたいことは山ほどあるが、もう時間がない。ただ一つだけ、伝えたい」
白い羽が、ふわりと広がる。
「私達はいつまでも、あなたを愛している」
男女が幸せそうに微笑み、映像は唐突に終わった。
しばらくの間、誰も言葉を発することが出来なかった。
「……今のは、何だ?」
ベリスがようやく絞り出した言葉には戸惑いの色しかなかった。自分と同じような羽を持ち、髪の色や目元が自分と酷似している――まるで、あの男女がベリスの両親のようではないか。
ベリスの問いかけに、タテハはあっさりと答える。
「ベリス様のご両親からお預かりしたメッセージです」
「……両親……? なんだよそれ、わけわかんねえよ」
ルピナスが横から入ると、タテハは「ああ」と何か納得した様子でルピナスの姿を見た。
「その生体情報……ルピナス様でしたか。お元気で何よりです」
「はあ?」
ベリスだけでなくルピナスの事も知っていたのか? 何がなんだかわからない。
揃って眉間にしわを寄せていると、タテハはその意味を察したようで「説明が必要ですか」と呟いた。
「ベリス様のご両親と数名の住民は、この治療ルームで長い眠りに就いておりました」
この機械がそうです、とタテハは卵形の物体を照らした。長い年月を経て卵形の物体にはひびが入っており、機能は完全に停止しているように見える。
「ご覧の通り、月日の流れには勝てずこれらの機械は壊れ、ベリス様以外の住民は全員この装置の中で亡くなりました」
中をこじ開ければ骨があるはずですとタテハは続けたが、ルピナスはそれを確かめる気にはなれなかった。
「ベリス様が入られていた機械も寿命が近づいておりました。しかし今から十五年前、彼がその機械を作動させてまだ赤子であったベリス様を救いました」
彼の名は――とタテハは記憶を辿るように呟いたが、ルピナスにはその続きが予想できた。
「サルビア様――そう、ルピナス様のお父様でございました」