ハネモノ 第十六話「父の願い」
「元々、サルビア様は調査の為にこの都市へ頻繁に足を運んでおられたようでした」
「はっきりしない言い方ですね」
ビオラが首を傾げると、タテハは「仕方のないことです」と言った。
「住民の皆様が眠ると同時に私も休眠モードに入っておりましたから」
目覚めたのは十五年前だった、とタテハは続ける。
「私を復活させた時には、サルビア様はこのフロアにある機械の構造はほぼ把握しておりました」
だからこそタテハを起動させても問題がないと判断し、起動させる事が出来た。
「把握していたからこそ、最後に私の言葉による裏付けを欲したのでしょう」
「最後……? 裏付け……?」
「ルピナス様をこの装置に預けていいのかどうか、ですよ」
タテハは事も無げに言ったが、ルピナスはその言葉の意味を理解する事が出来なかった。
「……は? なんだよ、それ」
この装置に預ける? ルピナスはこの空間に並ぶ卵形の機械をちらりと見た。その様子を見てタテハは静かに頷く。
「この機械には、中に入った人間の健康を保ったまま成長を止め、機械が稼働する限り眠らせ続ける機能があります」
「…………」
「つまりこの機械に入れば、どれだけ重い病に冒されていようとも、治療されて健康になります」
「……それが、俺と何の関係があるんだよ」
ルピナスの問いかけに対し、タテハは分かりませんか? と呟いた。
「ルピナス様は生まれつき重病に冒されており、サルビア様はその治療法にこの機械を選んだ、という事です」
「……なんだよ、それ……?」
訳が分からない。自分が生まれつき重病に冒されていて、父であるサルビアはそんな自分を救うためにこの機械を使った? そんな話は、母からも聞いたことがない。
「……ちょっと待って下さい。では、ルピナスをこの機械に預けたのは十五年前で、つまり――」
町や家族を襲う魔物の姿が、ビオラの脳裏をよぎる。
「機械の故障を修理し、新たにルピナス様を機械に入れて起動させる為には、都市機能を全て復活させる必要がありました」
つまり、治療のための機械だけでなく、この都市を守るための機械――兵器類も復活させる必要があった。そして、この機械で「治療」する為には都市機能を復活させたままにしておく必要があり、ルピナスの病を治すには一年程の時間が必要だった。
「サルビア様は悩んでおられました」
ルピナスを救うためには、一年間この都市を復活させなければならない。この都市に備えられた兵器類――魔物を生み出す兵器が世界中に牙を剥くことは、サルビア自身がよく分かっていた。兵器が都市の中枢部にあり、壊すこともできないこともよく分かっていた。
「……でも、最後には決断を下されました」
世界中に牙を剥けても、極悪人と言われ死刑を受けようとも、たった一人の息子を救う。
それが、サルビアの願いであり、決断だった。
「……そんな、理由が……」
言葉を絞り出したのは、ビオラだった。
「一年間、サルビア様は逃げ続けました」
襲い来る魔物から、着実に距離を詰める追っ手から、サルビアはその身を隠し続けた。時には窮地に立たされることもあったのだろうが、息子を救うという思いを支えに切り抜けてきた。
「そしてルピナス様の治療が終わった時、別の機械で眠っていたベリス様も保護して国に投降したそうです」
「そうです、って何でそこだけ曖昧なんだ」
「サルビア様が『地上で特務隊の隊長さんが待ってる。ルピナスとこの子はあいつに任せて、俺は投降するよ』と仰っていましたから」
それだけ言うと、サルビアは二人を抱えてこの部屋を後にした。この部屋を守るという役割があったタテハは、それ以上彼の後を追うことはせず、静かに彼を見送った。
「……そして、サルビアが捕らえられて処刑される、というわけですか……」
ビオラははあ、とため息をついた。
* * *
「……私がとても長い間この機械で眠っていた事、ルピナスを治療するためにサルビアが十五年前の事件を引き起こした事は分かった。一つ、聞きたいことがある」
ベリスがタテハに一歩歩み寄った。その声は、心なしか震えている。
「この都市の動力源は何だ?」
多くの機械が朽ちるほどの年月を、ベリスはこの機械の中で健康と肉体を保って眠り続けてきた。治療を含まない分消費が少ないとはいえ、何の消費もなく機械が動き続けることなどあり得ない。
「動力は、この機械を作った民の魔力――ベリス様の魔力を元に精製しております」
タテハはそう答え、ベリスは「……そうか」と呟いた。どこか納得したような様子だったが、その目には不安の色があった。声をかけて不安を和らげないといけない、とルピナスは感じたが、今の彼にはそれができなかった。
自分と母親が盗賊に身を落とし、貧しい生活を送ったのは父のせいだと思っていた。全て父が悪いと思っていればそれでよかった。
なのに、父が罪を犯したのはルピナスを救う為だった。今まで悪だと信じていたものが、完全な悪ではなかった。自分の中の何かが揺らいでいた。
「……いったん、帰りましょうか」
二人の動揺を察して、ビオラがそう提案した。タテハから得られた情報は二人にとってとても重要なものだ。少なくとも一晩、落ち着いて考える必要がある。
ビオラの提案に二人は無言で頷き、ラジは「うーい」と気のない返事をした。
「タテハさん、貴重なお話をありがとうございました。また後日お話を伺いに行くと思います」
「お待ちしております」
タテハは歩道の脇に身を寄せ、ルピナス達が入ってきた道を指し示した。
「あちらからお帰り下さい。私はこの身が朽ちるまでこの部屋におりますので、いつでもいらして下さい」
ルピナスとベリスはビオラに連れられて部屋を後にし、一人残されたラジはとろとろと歩きながらタテハを横目で見た。
「お前さあ、作られたときからずっとここにいるわけ?」
「はい」
「んで壊れるまでここにいるの?」
「はい」
それが私が作られた理由ですから、とタテハは答える。
「ふーん……下らねえ理由だな」
がしがしと頭を掻いてフケをまき散らしてラジは出口へと向かった。
「あの」
その背に向けてタテハは言葉を投げかけたが、少し考えた後静かに頭を振った。
「……いえ、何でもありません」
「ん」
ラジも去って静かになった部屋で、タテハは僅かな明かりを消して暗闇の中で一人佇んだ。無駄に動いてエネルギーを浪費すれば、それだけ供給元であるベリスに余分な負担を強いることになる。ベリスが意識するほどの消費量ではないが、無駄な行動は避けるに越したことはない。
「…………」
侵入者に気づけるだけの知覚は残し、それ以外の機能は全て眠らせる。ゆっくりと意識が薄れていく中、かすかに感じた違和感をタテハは思い返した。
「……初めて……?」
この目で見た者の情報は自動的に記録される。地上にやって来た侵入者に対しては、地下から出られないタテハに代わって地上に設置されているカメラの映像が取得できる。ただし、カメラの映像から取得できる情報の精度は低い。
昔のカメラの映像に残されていた情報の一部が、あの猫耳の男と一致するからと言って、彼がかつてこの都市に来たことがあるとは言い切れない。それ程に、カメラの情報は当てにならない。
「…………」
カメラの情報はもう抹消しよう。タテハはそう思いながら静かに機能を停止させた。
* * *
洞窟を抜け、ミミナ村に向かう間もルピナスとベリスは黙っていた。ビオラも無理に二人に話しかけることはせず、足下のぬかるみを注意するなど声かけは最低限に留めた。ラジは三人の後をとろとろとついて歩き、紫煙をくゆらせている。
密林の終わりが見え、ミミナ村が近づいてきた。まだ日は高いが、村に着いたら宿を取って二人を休ませよう。ビオラはそう考えていた。
密林と村の間には開けた土地が広がっている。砂浜と密林の間らしくちらほらと草が生えているが、草の密度は低く砂の方が多い。
「もうすぐですよ」
ビオラがそう呟いた瞬間、その頭上を巨大な影が通り過ぎた。
「何だ?」
ルピナスが空を見上げると、そこには一隻の飛行船の姿があった。飛行船はゆっくりと高度を下げながら旋回している。どうやらこの付近に着陸するつもりらしい。
「あれは……どこかで……」
ベリスが乗っていた飛行船ではない。だが、この飛行船はどこかで見た覚えがある。ビオラが必死に記憶を辿っている中、ラジがひょいと三人の進行方向に立ちはだかった。
「うだうだ説明するのは俺様の性に合わねえからさっさと言うけどよ」
ラジはコートのポケットからくしゃくしゃの紙を取り出し、それを広げて三人に見せた。
「指令が出ちゃったんで、お仕事させていただきまーす」
その紙は、リヒダ・ナミト国王からの勅令が記されていた。
「……は……?」
ルピナスの口はぽかんと開いた。紙に書かれている事を要約すると、白い羽を生やした赤髪の少女――ベリスと使用人であるビオラ、及び彼らの仲間を捕縛しリヒダ・ナミトまで連行する事と書かれている。そして、国王の名前とこの仕事を任命する相手の名前。それらを見てルピナスは違和感を感じた。
「君の名前がないじゃないか」
ベリスはその違和感を口にした。ラジの名前がどこにも書かれていない。
「ハイドレイジア」
紙には、そう書かれている。ベリスの言葉にラジは「ああ」とだらしなく口を開けた。
「その本名、長ったらしいから嫌いなんだよなあ」
「本名……?」
「そ。ラジが偽名でハイドレイジアが本名。ラジの方が呼びやすくていいだろ」
ラジは紙をくしゃくしゃに丸め、コートのポケットにしまった。その間にも飛行船は高度を下げ、ルピナス達からは少し離れた位置に着陸した。
「あの飛行船は……国が保有している船……ですか?」
ビオラは着陸した飛行船を横目で見ながら問いかけた。国が保有している飛行船はベリスが乗っていたものを除くと一隻しかない。そしてそれを動かす権限を持っているのは、王の他には特別任務隊――特務隊しかいない。
「あなたは……特務隊の一員だったんですか?」
二つの問いに、ラジはあっさりと頷いた。
「……私の覚えている限りでは、特務隊の名簿にあなたの名前はありませんでしたが……」
「そりゃねえだろうよ。俺様隊長だもん」
ラジの言葉に辺りはしんと静まり返った。
「は……? お前が、隊長……?」
特務隊の隊長は存在しない。だが、その「存在しない隊長」が仕事をこなしているという噂はビオラから聞いていた。目の前にいる、この猫耳の中年の男がその「存在しない隊長」とはとても思えなかった。
「そうよー。かれこれ二十年ほどこれで飯を食ってるってわけ。お前ら俺が残飯を漁るホームレスだと思ってた?」
「思ってた」
ベリスが素直に頷くと、ラジはげらげらと笑った。
「普段はヒラ隊員が仕事してて、俺様はあんま仕事に出ることがねえからな。ホームレスよりも気楽かもなあ」
「……二十年ほど、ってことはお前……」
ルピナスが言葉を続けようとするが、ラジはそれを手で制した。
「うだうだ説明するのは俺様の性に合わねえ、って言っただろ」
ラジの顔からへらへらとした笑みが消える。
「そろそろ捕まっちゃってくれるかな? 拒否権はねえから、そこんとこよろしく」
空気がぴりりと張りつめる。今まで見たことのないラジの姿に戸惑いながらも、ルピナスは護身用に購入していた短剣を抜いた。ビオラも静かにレイピアを構え、ベリスは明らかに迷っていた。
「ラジと……戦うのか……?」
「……そうしねえと、捕まるぞ」
ルピナスは自分の思いが迷わないよう、短剣を両手でしっかりと握りしめた。
最初に動いたのはベリスだった。短く呪文を唱え、小さな雷をラジに向かって飛ばした。直撃しても大したダメージにはならない、牽制用の魔法だった。
雷はラジに向かってまっすぐに向かい、その速度は牽制とはいえ遅くはない。ラジはあっと言う間に距離を詰める雷に対し、すっと手を横に振った。きらりとラジの手元が光り、雷は突然軌道を変えてラジの髪をかすめて逸れていった。
「……え?」
雷はまっすぐ飛ばした。軌道が突然曲がるなんて事はあり得ない。間違いなくラジが何かしたのだろうが、種が見えなかった。
「お嬢様、次は本気でお願いします」
ビオラはそれだけ言うとラジとの距離を一気に詰め、鋭い突きを繰り出した。ラジはそれを僅かに身を屈めて避け、ビオラに顔を近づけ、ふう、と息を吹きかけた。ルピナスのような人間が相手ならただの臭い息だが、ビオラのような犬の獣人にとっては強烈な一撃だった。
「……うあっ……」
仰け反るビオラにラジは手を伸ばす。
「そこだっ!」
すかさずルピナスが飛びかかったが、短剣がラジの肩を貫くよりも早く、ラジは振り向いて両腕を開いた。するとラジの両腕の間で短剣はくい止められ、はじき飛ばされた。短剣が宙を舞い、地面に落ちる前にラジはルピナスを蹴り飛ばした。そして短剣が地面に落ちた直後、ラジのハイキックがビオラの顎に命中する。
「……っ!」
ビオラの体はぐらりと揺れ、レイピアがその手から放れる。すかさずラジはレイピアを遠くへ蹴り飛ばした。ビオラはその行方を目で追い、ふらつく頭でレイピアを拾おうと駆けだしたが、数歩も走らないうちに何かに引っかかって転倒する。起きあがろうとするが、足に何かが絡まり動けない。もがいているうちに両手にも何かが絡まり、たちまち身動きがとれなくなる。
「……糸か」
ルピナスは短剣を拾おうとする足を止め、ラジの動きを注意深く観察した。ビオラの手足には細い糸が何十にも絡まっており、ラジの手――コートの裾からは限りなく透明に近い糸が延びていることが、太陽光の反射でかろうじて分かった。
「あっ、分かった?」
「さっき短剣を弾いたときに見えたし、つうかビオラ縛ってるじゃねえか」
「ですよねー」
ラジが暢気に笑顔を浮かべた瞬間、ベリスの手から身の丈ほどもある巨大な火球が放たれた。いくらビオラに「次は本気で」と言われたからとはいえ、これではラジが死ぬんじゃないかとルピナスは危惧したが、ラジは眉一つ動かさずに火球に向かって腕を振り上げた。
きらりと糸が光り、火球がぱっくりと二つに割れた。
「下手くそだねえ」
そう呟くラジの左右を、二つに割れた火球が通り過ぎていった。ラジは振り上げた腕を軽く左右に振る。太陽光に反射する僅かなきらめきが揺れ、ベリスの上半身に絡みついた。
「なっ……!」
何だと、とベリスが叫ぶ合間に糸はベリスの両足をも縛り付けてあっと言う間に体の自由を奪う。
「お子ちゃまはすげえ才能持ってるけどさ、使い方は全然下手だよな」
ラジは両手をくるくると回し、糸をピンと張った。その糸はぼんやりと輝いており、透明に近い糸であるはずなのにルピナスの目にもはっきりと糸の形が見えた。
「俺様みたいに魔法の才能が無い奴でもさ、こうやって糸に纏わせるようにして工夫したらさっきみたいなでかいのも余裕で対処できる訳よ」
努力と経験が足りなかったな、とラジはいつもの憎らしい笑顔を浮かべた。
こうなったらなりふり構っていられない、とルピナスは砂を掴んでラジに向かって投げつけた。しかし、ルピナスが砂を投げた先には既にラジの姿はなかった。
「目つぶしなんておっさんは感心しねえなあ」
背後からラジの声がした。振り向こうとしたが、ルピナスの首筋に一本の針が静かに当てられていた。
「動いたら首の血管に刺しちゃうよ」
「…………!」
ルピナスは振り向かずに肘でラジの腹を殴ろうとしたが、不意に首筋に当てられた針が離れた。
「ま、お前等の冒険はここで終わりってことでよろしくー」
とん、と首に衝撃が走り、ルピナスの意識はそこで途切れた。