ハネモノ 第十八話「盗賊風情」
そこは懐かしさを感じる部屋だった。十五年間を飛行船の中で過ごし、城の一室など見た事も無いベリスがそう感じるのはおかしいのかもしれない。しかし飛行船の一室と似た雰囲気の家具で統一された部屋は、不思議と落ち着いた。
扉は固く閉ざされており、窓には頑丈な鉄格子がはめられていた。魔法を使えば扉や鉄格子を壊すぐらいの事は出来そうだと思い試みてみたが、何度呪文を唱えても魔法は発動しなかった。どういう事だろうと辺りを観察してみると、天井にうっすらと魔法陣が刻み込まれていた。椅子や机を踏み台にしても届く高さではなく、それ以前に刻み込まれた魔法陣に対しては打つ手はなかった。
自分が監禁された事を理解して間もなく、城の兵士と名乗る者が食事を持って部屋を訪れた。兵士と共に学者風の男も部屋を訪れ、ベリスに現在の状況を説明した。ここがリヒダ・ナミトの城の最上階に位置する事。ビオラは同じ階に、ルピナスは地下牢にいる事。こうして監禁をしているが、悪いようにはしない事。学者風の男は一通りの説明を済ませると、申し訳ないが暫くはこの部屋で過ごしてくれと言い残して部屋を後にした。
「退屈になるな」
部屋には暇潰しの為の道具が揃えられていたが、ルピナス達と世界各地を旅していた頃よりも退屈なのは目に見えている。ベリスはため息をついて適当な本を手に取って開いた。
* * *
監禁されてから数日が経った。本やパズルでひたすらに暇を潰す生活にベリスは少し嫌気を感じていた。食事を持ってくる兵士にこんなものが欲しい、と希望を言えば次の食事の時に一緒に渡されるが、それでもやはり限界はある。
運動がてら、天井の高さを活かして羽ばたく練習もした。空を飛ぶ事はそれほど難しくは無かったが、体力の消耗が激しい。長時間の飛行は魔法で気流を生み出さない限り不可能に思えたが、魔法が封じられたこの部屋ではその練習は出来ない。
「……こんなにつまらない生活だったのか」
ベリスはごろりとベッドに寝転がって呟いた。たった一人で暇を潰すだけの生活は、飛行船で暮らしていた頃と何ら変わりは無かった。当時はそんな生活が当たり前だと思っていたが、今のベリスには退屈しか感じられない。
飛行船が不時着し、ルピナスと出会ってからの日々を思い出した。今まで窓から見下ろすだけだった景色が身近にある。本では知る事が出来なかった物事が山のようにあった。暑い砂漠、怪しい路地裏がある港、海水浴が楽しめそうな開放された海辺、祭りで賑わう城下町、森の中に佇む小さな村、雪に覆われた町、海底にある美しい国――どこを訪れても新鮮な驚きがあった。
「退屈だ……」
世界の広さを、楽しさを知ってしまった。もう飛行船での生活に戻れないのではないか。
早く外に出たい。もっと色々な事を知りたい。ベリスの欲求は、日に日に深まっていった。
こんこん、とノックの音がした。ベリスが扉に目をやると、鍵が開けられる音がして兵士がちらりと顔を覗かせた。食事の時間でもないのに珍しい、と思っていると兵士の顔はすぐに引っ込んで「失礼する」の声と共に見覚えのある男が姿を現した。
「ベリス君、久しぶりだな」
「確か……サシアム、だったか?」
銀の長髪に褐色の肌、そして落ち着いた風格。その姿は紛れも無くリーモ村で出会った青年、サシアムだった。
「覚えていてくれたのか。光栄だ」
サシアムは椅子に腰掛け、ベッドの縁に座るベリスの目を真っ直ぐに見つめた。
「君に、大事な話がある」
「大事な話?」
サシアムは手から提げていた鞄を開き、そこから分厚い紙束を取り出した。紙束の合間には付箋が張られ、紙がばらばらにならないように紐で綴じられている。
「魔物が復活してから今まで、私は学者として魔物の生態を調査研究していた」
これがその資料だ、とサシアムは紙束をベリスに渡した。ベリスはぱらぱらと紙束の中身を流し読みしたが、書いている内容は非常に高度なもので、じっくり時間をかけないと理解は出来ないようだった。
「中でも魔物の弱点や発生のメカニズムは早急に解明する必要があったが、いくら調べても『魔物』に共通した弱点は見つからず、発生の根本は皆目見当が付かなかった」
「……それが大事な話か?」
ベリスの問いかけに対し、サシアムは首を振って続ける。
「正直言ってお手上げだったが、君達――正確にはビオラ君が教えてくれた情報のお陰で、魔物が発生する根本の正体が分かった」
情報提供に感謝する、とサシアムは頭を下げて更に話を続ける。
「まず、魔物は『種』が生物に取り憑いて強暴化させる事で生まれる。ここまでは魔物の様子を注意深く観察すれば分かった事だ。しかし問題はそこではなく『種がどこで生まれるのか』だ。魔物を倒し続けたところで、新たな種が新たな魔物を生み出す。種が生まれる場所を特定し、二度と魔物が増えないように手を打つしか我々が生き残る術は無い」
「……つまり、私達が得た情報から『種がどこで生まれるのか』が分かったのか」
「私の憶測でしかないが、これ以外に説明のつく理由は無い」
サシアムはベリスに渡した紙束をぱらぱらとめくり、あるページをベリスに見せた。
そこには一枚の紙を贅沢に使った図が描かれていた。一見するとその図が何を表しているのか分からないが、所々に書き加えられている説明文を読むとサシアムの言わんとする事は理解できた。
「あの種は現代の技術では到底作れないものだ。ならば、現代よりも優れた文明を築いていた古代文明の遺物が絡んでいる可能性が高い」
しかし、ここで一つの疑問が起こる。古代文明の遺物――それも、優秀な考古学者であったサルビアですら理解できなかったものを扱える者はいるのだろうか。
「いるはずがない。古代文明の遺物の構造をここまで理解し、扱える者がいたらより進んだ技術革新が起きている。……そこで、考えられる可能性としては古代文明の遺物が自動的に種を生産している、という事がある」
「…………」
「ここで、ベリス君に関する話をしよう。十五年前――サルビアが捕らえられて間もなく、君はビオラと共に飛行船に乗った。その飛行船は『何かを封印するための魔法陣』を描いていた。それで間違いないな?」
ベリスは何も言わずに頷いた。
「何事も無く平穏な日々が続き、ある時ビオラが船を降りた隙に飛行船が動き出し、クバサの郊外に不時着した。そして、その直後から魔物が発生し始めた」
サシアムは図の中の一点を指差した。そこには峡谷の古代都市と思われる絵が描かれている。
「つまり、不時着と同時に古代文明の遺物が動き始めた事になる。この事実から、飛行船が描いていた魔法陣は古代都市そのものを封印していた事が分かる」
「…………」
「そして、ビオラ君がタテハという機械から得た情報によると、あの古代都市は住民の魔力を糧にして動いているようだな。……つまり、あの古代都市に住んでいた者が存在する限り、種の生成は止まらない」
ベリスはぎゅっと目を閉じた。タテハを通じて情報を得た時から、嫌な予感しかしなかった。この部屋に監禁されてからも目を逸らし続けていた事を、サシアムは静かに語り続ける。
「そう考えると、ベリス君が飛行船に乗って封印の魔法陣を描いていた理由も納得がいく。住民の魔力を糧にするということは、それだけ住民の魔力の影響を受けやすい。下手な魔術師を置くより余程効果的だ」
サシアムはさて、と一息ついた。
「ベリス君がどういった役割を持っていたのか、これで分かってもらえただろうか」
ベリスは無言で頷いた。
「近いうちにクバサに不時着していた飛行船が修理され、城まで運ばれてくる。到着次第、船に乗ってくれないか。勿論、世話役としてビオラも同行する」
「……分かった……」
ベリスがそう言って頷いたのを見届けると、サシアムは立ちあがって部屋を後にした。がちゃん、と錠の下りる音がいつもより大きく響いた気がした。ベリスはサシアムから突きつけられた事実を思いながら、手元の紙束に目線を落した。紙束のずしりとした重みは、先程の出来事は現実だと静かに主張していた。
* * *
サシアムが残した紙束に書かれた内容は難しく、読み終えるまでに一日以上の時間がかかった。ようやく読み終えた紙束を机の上に置き、ふと窓の外を見ると外は既に日が暮れていた。扉の傍に置かれていた食事を摂り、ぼうっとしていると難しい文章を読んだ疲労とその文章が示していた事実にずっしりと体が重くなった。
飛行船はベリスが乗っていたものの他にもう一隻あった。ラジが「仕事」の際に手配をしていた船だ。あの船を使えば修理を待たずにあの古代都市を――魔物の増加を止められるのではないか。そう考えたベリスは兵士を通じてサシアムに意見を伝えたが、「あの複雑な魔法陣を人の手による運転で描く事は不可能だ。あの船に自動操縦の機能を組み込む前に飛行船の修理は完了する。大人しく待っていてくれ」とあっさりと却下された。
ベリスが考える限りでは、飛行船の修理が終わるよりも早く魔物の増加を止める方法は一つだけあった。将来の負担を考えると、そうする事が一番良いのだろうとベリスは思っていたが、この部屋はそれを実行できる環境ではなかった。
紙束も読み終え、自分が成すべき事も理解した。飛行船が来るまでの間、何をしていようか――と考えあぐねていると、不意に窓の方から物音がした。そちらに目を向けると、見慣れた顔が窓の外側の鉄格子にへばりついていた。
ベリスは無言で窓を開け、見慣れた顔は見慣れた笑顔を浮かべた。
「ベリスちゃん、久しぶり」
「……君は城から脱走したと聞いていたが」
「ベリスちゃんを救う為、舞い戻ってきました」
ルピナスはロープを体に括りつけ、城の外壁に器用にしがみついていた。ベルトに付けられたポーチや肩掛け鞄からは見慣れない道具がはみ出ている。恐らくそれらの道具を用いて城への侵入を果たし、外壁をよじ登ってここまで辿り着いたのだろう。
「窓から連れ出せるかと思ってたけど、これじゃ無理だな」
ルピナスは鉄格子を掴んで軽く揺さぶった。鉄格子はびくともせず、取り外そうとしてもネジの頭にあった溝は簡単に外されないように丁寧に潰されていた。
「別のルートを探してそっちの部屋に直接入る。ベリスちゃん、悪いけどもう少し待ってて」
それだけ言って鉄格子の前から姿を消そうとしたが、ベリスは「ルピナス」と落ち着いた声で呼び止めた。
「いいんだ」
ルピナスはバランスを崩さないよう鉄格子を握りなおし、眉をひそめた。
「もういい。私を助けようとしなくていい」
「よくねえよ。このままだとベリスちゃん、また飛行船生活だぜ? 何も分からないまま元の生活に戻るなんて嫌だろ」
「分かったんだ」
ベリスの言葉使いは落ち着いていたが、その中には諦観も混じっている。何があったのか分からないルピナスは「分かった?」と鸚鵡返しに訊ねる事しか出来なかった。
「私がこうしてここにいるだけで、あの古代都市は生き続ける――古代都市の中の、魔物を生み出す装置も動き続ける。それを防ぐためには、私の魔力を用いて古代都市を封じ続けるしかないんだ」
「……は?」
「飛行船が不時着した直後から始まり、今この瞬間も、あの都市で魔物を生み出す元凶が放たれて、その結果何人もの人間が命を奪われている。私達が呑気に旅をしている間も、どれだけの被害が出ていたか君は知っているか?」
ベリスは紙束をぱらぱらとめくり、被害状況が記されたページを突きつけた。
「……まあ、君と共に旅をしなかったとしても、飛行船が無いからどうしようもなかったが。しかし、もうすぐ飛行船の修理は完了する。今から君と城を抜け出す余裕は無いんだ」
「…………」
「私はあの古代都市を抑え、これ以上の被害を防ぐために飛行船に乗る。私はそれで納得したんだ」
「……でも……」
ルピナスは泣き出しそうな表情をしている。ベリスは鉄格子の間から手を伸ばし、そんな彼の鞄にサシアムから貰った紙束を詰め込んだ。
「サシアムがまとめた調査結果だ。それに目を通せば分かるだろう。私がいるだけでどれだけの被害がもたらされたのか、そして飛行船に乗せるという事がどれほど人道的な処置なのか」
ルピナスはちらりと紙束を見たが、すぐにかぶりを振った。
「でも」
「これで問題が収束するんだ。もう私の事は忘れて故郷に帰ったほうがいい」
「……嫌だ」
ルピナスは鉄格子の間から手を伸ばしてベリスの腕を掴んだ。
「ベリスちゃんは納得したのかもしれないけど、俺はベリスちゃんが飛行船に戻るなんて嫌だ。納得してない」
「じゃあ訊ねるが、そうする以外に良い手があるのか?」
「……それは……」
ルピナスが言葉に詰まると、ベリスはため息をついた。
「そうする以外の解決策と言えば、私が死ぬ事ぐらいしかないだろう」
古代都市が動くのはベリスがいるからだ。ベリスが死ねばこの問題は解決する。それなのに、この国は多少時間がかかろうともベリスを生かしたまま事を収める手段を取った。十分すぎるほど手を尽くされているのは、少し考えれば分かる事だった。
それなのに、ルピナスは納得していない様子だった。ベリスの説明を聞いて頭では理解しているのだろうが、苦悶に満ちた表情でベリスを見つめている。
「……でも、俺は……」
「君になにが出来るのか、冷静になって考えろ」
ベリスはルピナスが二度と危険を冒さないよう、追い打ちをかける。
「君はただの子供の盗賊だろう? 盗賊風情に、何が出来る」
「…………」
何も出来ないだろう、という言葉は呑み込んだ。
「今までありがとう。君といるととても楽しかった。でも、もうこれでお別れだ。私の事は忘れて、普通の生活に戻ってくれ」
「ベリスちゃん」
ルピナスが続けて何かを言う前に、窓を閉めた。背を向けて窓からは見えない位置に避難する。
暫く経ってから窓の傍に戻ると、そこにはもうルピナスの姿は無かった。ベリス自身が望んだこととは言え、誰もいない窓を見つめていると胸がきりきりと痛んだ。
* * *
リヒダ・ナミトから程近い、鬱蒼とした巨大な森の中にリーモ村はひっそりと佇んでいる。村の周辺だけ暮らしやすいように開拓されており、上空から見ると緑一色の森の中でその一点だけぽっかりと穴が開いているように見える。
それでも辺りの木々の密度を考えると、リーモ村の日当たりは悪い。太陽が高く上がる頃になってようやく日の光がまともに差し込む程だ。その貴重な時間帯を、多くの村民は日光浴をして過ごした。
「……何だ、あれ?」
それ故に、リーモ村の上空を通り過ぎる無数の影を多くの村民が目撃した。影の大きさも羽音もばらばらな為、渡り鳥の一団ではない。村民が首を傾げて見上げている間に無数の影はあっという間に姿を消した。
「変な生き物もいるもんだ」
この世界には未知の生物がまだまだ存在する。あの無数の影も、その類だろう。村民達は楽天的に解釈し、特に何をする事もなく日光浴を再開した。
リーモ村の上空を通り過ぎた無数の影――魔物の集団は、真っ直ぐにリヒダ・ナミトへ向かっていた。地表でも魔物の集団が一斉に移動しており、その目的地は同じだった。鋭い牙と爪を持つ者、刃を通さない甲殻で覆われた者、棍棒のような尻尾を持つ者、外見こそ千差万別だが、どれもが破壊や殺戮に適した「進化」を遂げている。
それら魔物の体一つ一つに埋め込まれている「種」は宿主の肉体の改造を止め、代わりに一つの指令を発し続けていた。
――リヒダ・ナミトを壊滅させろ、と。