ハネモノ 第十九話「反旗」
城の外が騒がしい。昼食を食べ終えて本に目を落としていたビオラは窓の外から聞こえる騒がしさに気づいた。しおりを挟んで本を閉じ、窓の外に目をやった。鉄格子のお陰で外の景色は少々見づらいが、「彼ら」の姿は簡単に捉えられた。
「……魔物……!」
数え切れないほどの魔物の群れがリヒダ・ナミトの上空を飛び回っていた。城壁に阻まれて見えづらいが、城下町では数頭の魔物が駆け回り、逃げ回る人々の姿があった。城の兵士が魔物を倒そうとしているが、戦っている間にも新たな魔物が空から飛来している。
これは危険なのではないか――と思っていると、不意に部屋の扉が開かれて一人の学者風の男が姿を現した。
「ビオラさん、大変です! 魔物が……魔物が、リヒダ・ナミトに侵入しました!」
「そのようですね。私に何か出来る事は?」
軟禁された身で出来る事などたかが知れている。それでも物心ついた頃から国に忠誠を誓ってきたビオラとしては、この危機を目の前にして何もしない訳にはいかなかった。
恐ろしくてたまらないが、自分が力になれるなら魔物と相対する事も覚悟できる。
「……王の護衛をお願いします」
しかし、学者風の男の口から飛び出したのはビオラの予想をはるかに上回るものだった。ビオラの戸惑いを感じた男は説明を付け加える。
「最初は精鋭の兵士が王の護衛に当たっていたのですが、王の命令で兵は全て城下町に駆り出され、城は魔物の進入を防ぐために全ての出入り口が塞がれました。しかし万が一の事を考えると王に護衛をつけたいと思い、腕に覚えのあるビオラさんに頼もうと思い、こうしてお願いに参りました」
お願いします、と学者風の男は頭を下げた。
断る理由など何もない。ビオラは二つ返事で承諾した。
「分かりました。すぐに向かいます」
部屋のすぐ外にビオラのレイピアが立てかけられており、それを装備してビオラは王の間へ足早に向かった。同じ階、というか隣の部屋にいるベリスの事も気がかりだが、こんな所まで魔物はやってこないから大丈夫だろうと思う事にした。
「ビオラ君じゃないか」
不意に横から声がした。横目で確認するとサシアムがビオラのやや後ろを走っている。
「サシアム様も城にいらしてたんですね」
「魔物について調べるために、な。そんな事よりも、君も王の間へ行くのか?」
「君も、と言う事はサシアム様も……?」
ビオラが少しだけ走りを緩めると、サシアムはその横に並んでこくりと頷いた。
「魔法でも王を守ることは出来るからな」
階段を踏み外さないよう慎重に、かつ出来るだけ早く駆け下りていく。ビオラが城にいた頃と変わりなければ、王の間はもうすぐだ。
「サシアム様と一緒だと、心強いです」
ビオラが正直な気持ちを述べると、サシアムはふっと笑った。
「そうか」
王の間に繋がる大きな扉は閉ざされていた。ビオラが試しに扉を押してみるが、うんともすんとも言わない。ビオラがまだ城の中で過ごしていた頃は、毎朝城の兵士が数人がかりで扉を押し開けていた。その事を思い出してみると、ビオラ一人の力で開けられるはずもない。何とかならないものかと扉を睨むビオラの横で、サシアムは懐からチョークを取り出して足元に手早く魔法陣を描いた。
「乗りなさい」
サシアムの言葉に従って魔法陣の上に乗ると、魔法陣が輝いた。体に特に変化は感じられないが、試しに扉を押してみると重い音を立てて扉が僅かに開いた。力が一時的に増幅されたのだと理解し、一気に扉を押し開ける。
「よくチョークなんてものを持ってましたね」
「これさえあれば大抵の場所で魔法陣が描けるからな。君も良ければ持つといい」
サシアムが差し出したチョークを受け取った直後、ビオラは彼の口が小さく呪文を唱えている事に気づいた。
何の為に、と思う間もなく強風が吹いてビオラの体は吹き飛ばされた。
「え?」
サシアムが魔法で強風を起こしたのだ、と理解すると同時にビオラの体は今しがた開かれた扉にしたたかに打ち付けられた。
鈍い痛みに呼吸が詰まり、その場に崩れ落ちながらもビオラはサシアムを見上げた。
「……サシアム様……?」
何が起きたのか分からない。ビオラが辛うじて絞り出した声をサシアムは無視し、玉座に座る王に向かって一歩ずつ歩を進めていった。
* * *
宿の外が騒がしい。早めの昼食を食べ終えて宿の一室でくつろいでいたルピナスは、窓の外から聞こえる騒がしさにいち早く気づいた。ベッドから起き上がって窓の外を見ると、眼下で一頭の犬のような魔物が慎重な足取りで歩いていた。
「こんな町中に魔物……?」
魔物の視線の先を追うと、そこには今にも泣きだしそうな顔の小さな子供がいた。彼女は魔物に対していやいやと首を振りながら、じりじりと後ずさりをしている。魔物は彼女の意志を無視し、後ずさった分だけ距離を詰める。異常事態である事は一目で分かった。
ルピナスは迷うことなく部屋から飛び出し、宿の階段を駆け下りて外に出た。魔物の背後に立つと、魔物はルピナスの気配を感じて素早く振り向いた。しかしその首には既にロープが絡められており、魔物がルピナスに噛みつく前に一気に締めあげられた。魔物はじたばたともがくが、やがてがくりと気を失った。
気を失った魔物の四肢をロープで縛り、茫然とした表情でその場にたたずむ少女の頭を軽く撫でた。
「大丈夫?」
ルピナスがそう問いかけると、少女は目尻からぽろぽろと涙をこぼして何度も頷いた。
「家はどこ? 近い?」
「うん」
少女は囁くように言い、来た道を指差した。「あそこの角を、曲がったところ」
「そっか。また魔物が出たら危ないし送ってくよ」
ルピナスが手を差し伸べると少女はその手をそっと握り、涙をこぼしながらも歩き始めた。
少女の家は本当にすぐ近くで、歩き始めて何を話そうかと考えているうちに着いてしまった。扉の前に立つと、少女は「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう」とお辞儀をした。
「困った女の子を助けるのは当然の事だし、気にすんな。何が起きてるのかよく分かんねえけど、危ないから魔物がいるうちは家から出るなよ」
「うん」
少女が家に入ったのを見届けた後、ルピナスは足早に宿に戻り、荷物をまとめた。荷物といっても大したものは無く、城に侵入するために買い集めたものぐらいしかない。
だが、それだけあれば十分だ。ルピナスは宿代を支払い、真っ直ぐに通りを駆けた。顔を上げると、空を飛ぶ魔物の姿が建物の合間から見えた。どうやら魔物は表通りの方に集中して現れているらしく、ルピナスのいる裏通りに魔物の気配は殆ど無い。
「城は無事なんだろうな……?」
やすやすと落とされるような城ではない事は分かっているが、それでも不安だった。魔物が表通りに集中している事から、魔物の側にも多少の知恵があることは察せられる。それと同時に、多少の知恵があるなら城のような目立つ建物を放っておくはずが無いと予想できた。
以前ベリスに会うために利用した侵入ルートを辿り、ルピナスは城の中庭へ侵入した。前に侵入した時は警備の目をかいくぐって少しずつ歩を進めていくしかなかったが、今はどこにも兵士の姿が無い。それ以外に以前と違う点と言えば、全ての扉が固く閉ざされ錠が下りている事ぐらいだ。兵士を城の中に集めているのか、それとも全員を表通りに向かわせたのかルピナスは知る事も出来なかったが、城が篭城作戦を取っている事だけが分かれば十分だった。
幸いにも扉にかかっている錠は簡単なものだ。ルピナスは針金やその他の道具を用いて鍵を難なく開け、城の中へと侵入した。もしも兵士が城の中にいればすぐに逃げようかと思っていたが、城の中に兵士の気配は無い。ルピナスは内側から錠をかけ、ベリスがいる部屋へ向かって階段を駆け上がった。
城の最上階、ベリスの部屋があると思われる棟には誰一人いなかった。頑丈な扉が二つ並んでおり、一つは扉が開けられており、もう一つはしっかりとした鍵がかかっている。
扉が開いている方の部屋を覗いてみると、落ち着いた雰囲気のそれなりに広い部屋だった。本棚には題名順に分厚い本が並べられており、この部屋を使っていた者の几帳面な性格が垣間見えた。地下牢に入れられていた時にラジから聞いた話を考えると、ここがビオラが軟禁されていた部屋なのかもしれない。だとすると、何故ビオラがこの部屋にいないのかが引っかかるが、もう片方の扉の向こうがベリスのいる部屋だと言う事の方が重要だ。
幸いにも扉の傍に鍵が掛けられており、それを使えばあっけなく鍵は開いた。
「ベリスちゃん!」
以前鉄格子越しに見えた部屋の中に、ベリスがいた。
「ルピナス?」
ベリスの表情は明らかに戸惑っていた。ルピナスはそんなベリスの腕を取って部屋の外へ連れ出そうとしたが、ベリスはルピナスの手を振り払った。
「何の用だ」
「魔物がこの町を襲ってきてる。城も危ないから早く安全なところへ逃げよう」
「安全なところ?」
ベリスは眉をひそめる。
「私がそこへ向かう意味はあるのか?」
「え?」
「私が生きているだけで魔物が生まれる。飛行船に乗るか、命を絶つかしか対抗策は無い」
それは説明しただろう? とベリスが言うと、ルピナスは黙って頷いた。渡された資料を読んでみたところで内容は半分も把握できなかったが、ベリスが言わんとしている事だけは理解できた。
それでもルピナスはベリスの腕を強引に掴み、歩き始めた。ベリスが何度も振り払おうとするが、本気で握り締めたルピナスの握力には到底叶わない。振り払う事を諦めたベリスは大人しくルピナスに引っ張られながらも歩いた。
「……君は、君の父親にとても似ているな」
ふっと漏らしたベリスの言葉にルピナスは振り向いた。ルピナスの父――サルビアの事など何も知らないも同然だったが、この状況と二人の選択は似ているなとベリスは感じた。
サルビアはルピナスというたった一人の人間を助けるために、多くの人間を危険な目に遭わせた。そしてルピナスもまた、ベリスというたった一人の人間を助けるために、多くの人間を危険な目に遭わせようとしている。
前者は一年間と言う期限付きだったが、後者はそうは行かない。そこの所を君は分かっているのか――とベリスが説得をしようと口を開いた瞬間、階下から何かが叩きつけられる大きな音がした。
「何だ?」
「見に行くか」
ベリスの提案にルピナスは渋い顔をしたが、「……ま、ここで待ってもらってる間に逃げられるのもまずいか」とベリスの腕を握ったまま階段を下りた。
「ベリスちゃん、何かあったら危ないし俺から離れるなよ」
「君の傍にいると色々な意味で危険だと、ずっと前にビオラから聞いたが」
「あの犬野郎」
ビオラの過保護ぶりにルピナスは苦笑を漏らした。
「――ビオラ!」
その犬野郎が、開け放たれた扉の傍でうずくまっていた。他の扉とは比較にならない程に大きな扉で、凝った意匠も施されている。
「大丈夫か?」
ベリスがビオラの腕にそっと触れると、ビオラはかすかに頷いた。
「……を……」
「何?」
「王を……」
辛うじて聞こえた単語に促されて顔を上げると、豪勢な椅子に座る王と思しき男の姿と、その男の目の前に立つ男の後姿がそこにあった。王の前に立つ男の後姿には見覚えがある。
「サシアム?」
ベリスの声に反応してサシアムはこちらをちらりと見たが、すぐに視線を王に戻した。右手の周りに風を纏わせ、銀の長髪がなびく。二人が止めに入るよりも早く、サシアムはその右手を王に向けて振るった。
鋭い風が王の胸を裂き、赤い花が散る。王の身体がぐらりと揺れ、椅子から落ちて横たわる。全ての動作がスローモーションに見える世界の中で、サシアムは王の横にしゃがみ何かを確かめるかのようにぽんぽんと全身を叩いていく。
――何かを探している?
その動作は万引きの有無を確かめる時に見た覚えがあった。ルピナスが見ている事を意にも介さず、サシアムは王の腰を叩いた所で動きを止めた。そして何の躊躇もなく王の外套をまさぐり、その内ポケットから何かを取り出した。
「……何を、している……?」
ベリスが数歩サシアムに歩み寄り、サシアムは立ちあがってベリスの顔をじっと見た。服にも顔にも返り血が付いており、その立ち姿は不気味だ。
「君に話しても、分からないだろうな」
微かに口角を上げてほほ笑むその表情は、今までルピナスが見てきたどの笑顔よりも悪意に満ちていた。嘲りと憐れみに満ち、ルピナスを弱者――いや、それ以下の存在として見ていた。
サシアムは堂々とした足取りで二人の間を歩き、扉の傍で横たわるビオラを完全に無視して王の間を後にした。
「……王様は大丈夫か!」
ルピナスは弾かれたように王の元に駆け寄り、王の様子を見た。完全に気を失っているが、幸いにも傷は浅く出血は止まっている。命に別状はなさそうだが、応急処置は早めにしておく方が良い。
手当てをしようと鞄から包帯を取り出したその手から、ビオラは強引にそれを奪い取った。
「王の応急処置は私がします。あなた方はサシアム様を追って下さい」
「……ベリスちゃんも一緒に連れて行っていいのか?」
あのサシアムは今まで知るサシアムではない。彼を追うと言う事は、かなりの確率で危険が付きまとう。ルピナスのその問いに対し、ビオラは静かに頷いた。
「サシアム様は、貴方一人で抑えられる方ではありませんから。……お嬢様、自分の身は自分で守れますね?」
「ああ。王の事はビオラに任せる」
ベリスは踵を返し、ルピナスに「行くぞ」と呼び掛けた。ルピナスは鞄から応急処置用の道具だけ抜き出してビオラに渡し、ベリスの横に並ぶ。
「サシアム様の匂いは通路を出て左、地下の方へ続いています。地下へ続く道は一本道なので今なら見失う事は無いでしょう」
そこまで分かるならビオラが行った方がいいのではないか――と言おうとして、ビオラが少し苦しそうに胸元をさすっている事に気付いた。ルピナス達が王の間に辿り着く前に、恐らくサシアムによって受けたダメージが響いているのだろう。
「――分かった。ベリスちゃん、急ごう」
ルピナスは地下へ向かって駆け出し、ベリスもその後に続いた。