ハネモノ 第二十一話「一つの可能性」
魔物が突然攻め込んで来た事による混乱は、半日で魔物が撤退した事もありすぐに収まった。数十人の町民と兵士が怪我を負ったが、幸いにも死者はいなかった。
壊された建物の修復が進められる中、町民は魔物に対する不安に囚われていた。今まで安全だと信じていた町に魔物があっさりと攻め込み、その勢力は城の兵士を総動員しても打ち勝てるものではない。半日で魔物が退いた理由は城の兵士の功績ではない事は明らかで、理由が分からない事もまた町民の不安を駆り立てた。
その不安を取り除くための手段があれば広まるのも当然のことで、王の間でベリスが言った「手段」がリヒダ・ナミトの住民に知れ渡るのはあっという間の事だった。
「……うん、この辺りはまだ大丈夫だ」
裏通りの入り組んだ道の奥、誰もいない廃屋の中でルピナスは静かに腰を下ろした。長い間放置されていた廃屋らしく、窓ガラスは全て割られて家具は全て持ち去られていた。夕陽が差し込む何もない殺風景な空間は肌寒く、隣に座るベリスに盗んだ毛布をかけるとそれだけで埃が舞った。
城を抜け出してから数日が経つ。当初は魔物の襲撃による混乱があったため、食料や衣類の調達、寝る場所の確保は容易に出来た。
しかし時が経つに連れて「ベリスを殺せば魔物はいなくなる」という事実が住民に知れ渡り、動きが取りづらくなってきた。真っ赤な髪と白い羽は目立ち、フード付きのマントを着せれば多少は分かりづらくなるものの、羽の部分で盛り上がったマントは不自然だ。何より、ベリスに髪と羽を隠そうとする意志が無い事が厄介だった。
「ルピナス」
ベリスはかけられた毛布を取り、ルピナスに頭から被せた。
「いつまでこんな生活を続けるつもりだ?」
最近のベリスの問いはいつも同じだ。住民に見つからないように居場所を転々とし、食料を盗み、固い床で眠りにつく。住民の目が厳しくなる中ではこんな生活は長続きしない。いずれ誰かに発見される。いたずらに逃げ回るより、さっさと自分を住民に突き出して事を終わらせた方が良いのではないか。
「ビオラと合流できるまで」
そんなベリスの問いにはいつも同じ答えを返す。
隙あらば住民の前に姿を現せて死のうとするベリスを、ルピナスは半ば無理矢理連れまわしてきた。今もベリスの右手には手錠がかけられており、その手錠の片側はルピナスの左手にかけられていた。動きづらくはあるが、少し目を離せばどこかへ行こうとするベリスを繋ぎとめるには、こうするしかなかった。
「合流したらどうする?」
ベリスがもぞもぞと体を動かすと、それに合わせて手錠の鎖が鳴る。鎖の長さには多少の余裕があるが、それでも煩わしい事は確かだ。
「とりあえずリヒダ・ナミトから脱出するかな。その後のことはその時考える」
正直に言ってビオラの安否は分からない。食料の調達ついでに住民の会話の切れ端を盗み聞いているが、ビオラの噂は全く聞かない。怪我人はいるが死者はいない、という言葉を信じればビオラは無事なのだろう。しかしその言葉が本当かどうか疑ってしまうルピナスもいた。ビオラは生きていると信じたいが、盗み聞いただけの情報を鵜呑みにするわけにもいかない。
「……君やビオラに守ってもらう価値は、私には無いぞ」
ビオラが生きていたとしてもルピナス達を探しに来るだけの元気はあるのだろうか、と当ても無く思考を巡らせる横でベリスは呟いた。
「あるよ」
考えるよりも早く言葉が口に出た。
「ビオラにとってベリスちゃんは何年も一緒に過ごしてきた、妹みたいなもんだ。家族を守るのは当然の事だろ」
「……君はどうなんだ」
「そりゃ、ベリスちゃんが――」
言葉に詰まった。今まで可愛いと思った女の子に対して何度も口にした言葉が、ベリスの青い瞳を見ていると急に引っ込んだ。これはどういう事だ、と戸惑っている間にも「どうした?」とベリスがルピナスの顔を覗きこむ。反射的に全身が熱くなり、ルピナスは思わず顔を背けた。
「――女の子を悲しませるのは俺の主義に反するから!」
逃げの言葉だ、と分かりつつもルピナスはわざと対象を大きくした。ベリスはそんなルピナスの思いに気づいた様子もなく「そうか」とだけ呟く。
「いくら女が好きでも、こんな事までしていたらいずれ身を滅ぼすぞ」
「女の子に滅ぼされるなら光栄だな」
ルピナスが軽口を叩くとベリスは「馬鹿か」と足を踏みつけた。遠慮のない一撃に悶えながらも「ありがとうございます!」と応えた。
日が沈んで夜になり行く中、二人は盗んだパンを食べ、無駄にエネルギーを消耗しないよう毛布に包まって眠りについた。
「……俺って思ったより根性なしだなあ……」
眠りにつく直前、ルピナスはぽつりと呟いて窓辺を見た。窓の向こうには夜空ではなく隣の廃屋の壁があり、お世辞にも眺めはよくない。見ていて楽しいものではないな、と瞼を閉じる。野良猫の鳴き声が遠くに聞こえたが、すぐにルピナスの意識は眠りに落ちた。
* * *
にゃあにゃあと猫の鳴き声がする。毛布の中で小さな塊がもぞもぞと動く気配もあり、ルピナスは重い瞼をこじ開けた。朝日が差し込んでぼんやりと明るくなった部屋の中、そこここに猫がいた。毛布をめくると子猫がルピナスの胴をよじ登ろうとしており、つまみあげると人懐っこく鳴いた。
「……寒い……」
ベリスがもぞもぞと身を動かし、不機嫌そうに目を覚ました。猫が辺りにいる状況に目もくれず、ルピナスの手から毛布を奪い取ろうとしたが、その手が空中で止まった。眠そうな目のままでベリスはある一点を睨みつけている。
「ベリスちゃん、どうし――」
ベリスの視線の先を追い、ルピナスの言葉は途切れた。何もないはずの部屋に折り畳み式の簡素な椅子があり、その上には――
「お前ら、もう手錠プレイする域に達してんのか? 最近のガキは早いねえ」
膝の上に猫を乗せたラジの姿があった。片手は煙草を持ち、もう片方の手がその猫の顎を撫でている。普段と変わらない気だるい雰囲気を持っているが、ルピナスは短剣を抜いてラジに向けた。
「何の用だよ、おっさん」
「おーおー、怖いねえ」
ラジは肩をすくめ、降参するように両手を上げる。
「安心しろ。今の俺様はプーだからよ、お前らを捕まえるとかそういうつもりはねえよ」
「プー?」
警戒しながらも首を傾げるベリスに対し、ラジは面倒そうに「何の仕事も受けてねえって事だ」と説明をした。
「……そうだとしても、何で俺達のとこに来たんだよ」
ルピナスは依然短剣を向けながらラジを睨みつけた。
「お前らに一つ、可能性の話をしてやろうと思ってね」
ラジは煙草を床に捨てて火を踏み消し、膝に乗せていた猫をつまみあげて床に下ろした。
「……可能性?」
「お前らにとって悪い話じゃねえな。だから、その物騒なやつはしまえ。気が散る」
ラジはルピナスの短剣を指差し、ルピナスは躊躇いながらも短剣を収めた。いつでも短剣を抜けるよう右手は短剣の柄に触れていたが、ラジはそれに対しては「まあいいか」と容認した。
「お子ちゃまはさ、自分がいるから魔物が生まれる、だから自分が死ねば魔物は増えなくなって万々歳だって思ってるだろ」
「ああ」
「で、自決するほどの勇気はねえんだな」
「…………」
ベリスは気まずそうに目を伏せた。それが出来ればルピナスやビオラにここまで苦労をかけなかった、と後悔している。しかしラジはそんなベリスに対して「お子ちゃまがヘタレでよかったよ」と呟いた。
「え?」
「自分がいるから魔物が生まれるって話、誰から聞いた?」
記憶を辿るまでもない。口頭で説明し、資料も手渡してくれたのはサシアムだ。ベリスがその名を口にすると、ラジは「だろ」と首肯した。
「で、王様を襲って城の物を奪っていったのは誰だ?」
「……サシアム、だな」
ルピナスが答え、微かな違和感を感じた。ラジはそんなルピナスの様子に気付いているのかいないのか、話を進める。
「あいつの目的は見えねえけど、あいつは魔物の発生に関わってると俺様は思ってるわけよ」
「……何故だ?」
「あいつが城に来たのは、俺様がお前らを城に連れてきた時とほぼ同時。んで、それから殆ど間を開けずに魔物がやって来て今回の事態だ」
十五年前の事件と違い、魔物が発生してから今まで町が襲われる事はなかった。油断をしていなかったと言えば嘘になる。その油断を突くように魔物が徒党を組んで襲撃した時、サシアムは「偶然」城にいた。
「非常事態が起これば、王は自分の身の安全は二の次に国民の保護に兵を動かす。かつて執事をしていたサシアムは、当然王のその性格を知っている。魔物が現れたら、王の警護は手薄になるのがあいつには分かっていたはずだ」
「……つまり、サシアムが魔物を操って町を襲わせたっていうのか?」
「俺様はこの事をただの偶然で済ますつもりはねえな」
偶然にしては出来すぎている、とラジは付け加えた。
「――で、だ。あいつが魔物を操る事が出来ると仮定すれば、この状況はちょっとおかしいんじゃねえかと俺様は思うわけよ」
「おかしい?」
ベリスは眉間にしわを寄せた。ラジが言わんとしている事が全く分からない。
「魔物を操れるのなら、そりゃあいつにとってでっかいアドバンテージになるだろ」
魔物を操り本気でかかればリヒダ・ナミトを滅ぼす事も出来るだろう。これ以上ない強力な戦力である事は火を見るより明らかだ。
「それじゃあ、何でお子ちゃまがここにいるわけ?」
「……あ」
ルピナスがはっとしてベリスの顔を見た。まだその意味が理解できていないベリスは「どういう事だ」と二人に問うた。
「サシアムからしたらさ、魔物ってのはすげえ戦力になるだろ? つまり、魔物がいなくなるって事は何が何でも避けたいだろ」
「そうだな」
「じゃあさ、ベリスちゃんが死んだら魔物がいなくなるってのが本当なら、こんな所にベリスちゃんを放っておくわけがないって」
「…………」
おかしいだろ、と続けるルピナスの言葉に対し、ベリスはぱちぱちと何度か瞬きをした。
「あいつにとって魔物の力はもういらないから捨てたって可能性もあるけど、お子ちゃまがあいつから聞いた話――魔物が発生するメカニズムそのものが嘘だって可能性もある、っつー事よ」
「……そうか……」
「理由がはっきりするまでは、生きてても良いんじゃねえの?」
ラジの言葉に対し、ベリスは静かに頷いた。
「……ま、俺様が言いたかった事はそんだけかな。つーかお前ら、なんでこんな所にいるの」
さっさと町を出たらベリスにとって多少は安全なのに、と言いたげなラジにルピナスはビオラとの事を説明した。
「あー……なるほどなあ……」
ラジはがしがしと頭を掻いた。フケが宙を舞い朝日にきらきらと照らされるが、お世辞にもきれいとは言えない。
「俺様さ、魔物が来た時は城で姫の身の安全を確保してたのよ」
「カミルか」
「そりゃ騎士ごっこしてる時の名前だ。……で、単刀直入に言うと、城門で兵士とやりあってる子犬ちゃんの姿は俺様も見た。つーか知り合いのよしみで加勢してやった」
「本当か! ビオラは今どこにいるんだ?」
ベリスは勢い込むが、ラジはそれに対してふいと目を逸らした。
「……俺様しかここにいない状況で、それを聞く?」
「……え……」
ルピナスは辺りの空気がさっと冷え込むのを感じた。いつものへらへらとした笑いもなく、気まずそうに目を逸らすラジの姿は、とても嘘をついているとは思えない。
「嘘だろ……?」
「俺様、こんな所で嘘をつくほど性根は腐ってねえよ」
ラジは肩をすくめた。ベリスもラジの言わんとしている事を理解したのか、気の抜けた様子で地面にへたり込んでいる。
「……だからな、こんな所で待ち続けるより出来る事をやった方がいいんじゃねーかと俺様は言いたいのよ」
ラジの声がやけに遠い。ルピナスは意識してラジの言葉を拾っていく。
「このまま町にいても仕方ねえ。あいつが住んでた所――リーモ村に行って手がかりを探した方がいいんじゃねえの」
確かにそうした方がいい。ラジの意見は真っ当なものだったが、それを受け入れるとビオラの事も肯定する事になりそうで、ルピナスは逡巡した。横に座るベリスも同じようで、目を閉じて小さくかぶりを振っている。
二人の様子を見たラジは小さく舌打ちし、席を立って二人の前に移動して膝をついた。
「さっさと決めねえと、ベロチューするぞ」
「「やめろ!」」
ラジの恐ろしい提案に二人は揃って立ちあがって拒否した。
「ほーう、じゃあどうするか言ってみろよ」
「……リヒダ・ナミトを出て、リーモ村に向かう」
「……で、サシアムの目的を探って『可能性』が本当かどうか見極める」
不承不承ラジの言った事を呟くと、ラジは「おう、それでいい」と二人の頭を乱暴に撫でた。
「あんま猶予はねえぞ。昨日の晩に酒場で聞いた話だと、今日は町を挙げて『魔物が発生する原因』を探すらしいからな」
ラジは立ちあがって大きく伸びをした。ルピナスとベリスも立ちあがって伸びをして「もう必要ないな」と手錠を外した。
「お前らだけじゃ頼りねえし、俺様が手助けしてやるよ」
暇だしな、とラジは背中を丸めて廃屋を出た。二人も続いて廃屋を後にし、更にそれを追うように何匹もの猫が歩きだした。
* * *
町の出口には既に人の姿があった。魔物の襲撃によって生まれた瓦礫の山は脇に寄せられ、出口の傍にいくつかの資材が積まれている。資材の傍には工具を持った男の姿があったが、少し離れた所には武装した兵がいた。魔物の侵入に備えての警備だろうが、ベリスを見つければ捕まえようとするのは間違いない。
「めんどくせえ事になってるなあ」
横道の影からその様子を確認したラジはため息をついた。
「強行突破するか? 気絶させるくらいは容易いが」
「ベリスちゃん、物騒な事は避けた方が良いよ」
ルピナスは今にも雷を放ちそうなベリスをたしなめる。
「俺様がなんとかしてやるよ」
ラジはしゃがんで足元に群れる猫に対して小声で話しかけ、猫はうにゃうにゃと相槌を打ってから迷いのない足取りで歩きだした。
数匹の猫が兵士に向かって歩き、残りの数匹が工具を持った男に向かって歩いた。兵士と男の目が猫に向けられた瞬間、ラジは針を兵士と男の足元に向けて投げた。針は狙い通りに突き刺さり、ラジは針に通された糸をくいくいと引っ張って強度を確認した。
「あいつらが転んだら一気に町の外まで走るぞ」
「随分と適当な作戦だな」
「これぐらいの方が、証拠が残ってもガキの悪戯で済ませられるから楽なんだよ」
猫はそれぞれどこかへ案内するようににゃあにゃあと鳴いていた。兵士と工具を持った男が歩きだすのはほぼ同時で、猫の誘導通りに糸に引っかかって転ぶのもほぼ同時だった。
「行くぞ!」
ラジが先陣を切り、ルピナスがベリスの手を取って後に続いた。出口までは少し距離があるが、猫達がよってたかって兵士と男の顔にのしかかっている為、二人が起き上がるまでにはまだ少し時間がある。
三人が一気に駆けて出口に到達し、手近な茂みに身を隠しても兵士や男が様子を見にやってくる気配はなかった。
「……上手く行った……?」
ルピナスがそろりと茂みから顔を出してみるが、辺りは静かで町の中からしか人の気配はしない。
「よし、ならばリーモ村へ向かうか」
ベリスは茂みから身を出し、リーモ村がある森の方向へ足を向けた。
「乗りかかった船だし暇だし、俺様もついていってやるよ」
ラジも続いて足を向けたが、ルピナスとベリスは一様に渋い顔をした。
「まだついて来るのか……?」「無茶はしなくていいぞ。年を考えて身体を労れ」
二人の容赦ない言葉にもラジはへらへらと笑みを浮かべた。
「手の平の返しっぷりがすげえな二人とも。……ま、おっさんにしか気付けねえ事もあるかもしれねえだろ。ほれリーモ村に向けて行くぞ」
ラジにばしばしと背中を叩かれ、二人は一様に眉間にしわを寄せながらもリーモ村に向けて一歩を踏み出した。