ハネモノ 第二十二話「罠」
久々に訪れたリーモ村は、以前と変わらない穏やかな雰囲気を保っていた。ルピナス達が訪れても誰も警戒する事なく、以前訪れた時の事を覚えていた村人からは「久しぶりだなあ」と呑気に挨拶もされた。
挨拶を程々に済ませて真っ直ぐにサシアムの家へと向かう。その間に周りの様子を注意深く観察してみるが、魔物に襲われた形跡は一切無い。深い森の中とはいえ、リヒダ・ナミトから程近い場所にあるこの村がここまで平和である事にルピナスは違和感を覚えた。
サシアムの家は以前と変わらない姿で建っていた。庭も荒れた様子が無く、つい最近――魔物に関する資料を携えてリヒダ・ナミトへ向かう時までこの家にいた事が見て取れる。扉には案の定鍵がかかっており、窓も全て閉められている。
「窓でも破るか」
物騒な事を言うベリスをルピナスは手で制し、先の曲がった針金を取り出して扉の鍵穴に入れた。
「こういうのは得意分野だから任せろ」
鍵穴を壊さないよう慎重に針金を動かし、さほど時間をかけずに錠の下りる音がした。単純な鍵穴で助かった、とルピナスは内心で安堵の息を吐いた。これが最新の複雑な鍵穴だともっと時間がかかったかもしれないし、最悪開けられなかっただろう。
「なんともまあ、物騒な技を覚えてんなあ」
「うるさいなあ。貰った物に鍵がついてたりしたから覚えざるを得なかったんだよ」
ラジの野次を聞き流し、ルピナスは「さっさと調べようぜ」と扉を開けて家の中へ入った。
「……これはまた、さっぱりと」
家の中に入ってベリスは開口一番でそう呟いた。
家の中には、何も残されていなかった。正確に言えば、家具は残されているがそこに収納されていた物が綺麗さっぱり無くなっている。いくつもの本棚が置かれているが、本は一冊も入っていない。机の上にもペンや生活用品はなく、部屋は不気味に静まり返っていた。
「家探しのやりようがねえなあ、これ」
他の生活スペースを覗きながらラジはぼやいた。台所や寝室も同じように家具以外の物は消えており、手がかりが残されていない事は目に見えて明らかだった。
「まるで引越しみたいだな」
単に手がかりを消すだけなら魔物を使った方がサシアムにとって手軽だろうに、手がかりをまとめてどこかへ持ち去るという策を取った理由はよく分からない。それらしい理由ならいくらでも想像できるが、今はそんな事を考えるべきではないだろう。
「他に手がかりがありそうな所……」
リーモ村でサシアムと会った時の事を思い出し、一つだけ心当たりがある事に気づいた。ルピナスの様子に目ざとく気づいたラジが顔を覗き込んでくる。
「何かあんのか?」
「……前にこの村に来た時、サシアムに頼まれて村外れの洞穴に住む魔物を退治した事があるんだけど」
「ああ、それか」
ベリスもその事を思い出し、同調するように頷いた。
「洞穴の中はある植物の栽培に適した環境が揃っているから、その環境は壊したくないとか言っていたな」
「へえ」
ラジは腕を組んで大きな欠伸を一つして「十分怪しいんじゃねーの」と呟いた。
* * *
一度通っただけの道のりは、正直に言って辿れる自信が無かった。この辺りだったか、と適当に目星をつけて森に入り、人が通った痕跡を辿るとどことなく見覚えがあった。おぼろげな記憶と運に任せて進んでいるようなものだったので、洞穴の入口が見えた時は心の底から安堵の息をついた。
「運が良かったな」
ベリスも同じような思いをしていたようで、ルピナスの横で微かに口角を上げている。
久々に訪れた洞穴は荒れていた。洞穴の手前に広がる小さな畑は荒らされてただの地面と化しており、作物と思しき植物の切れ端が散乱し、茶色に変色している。洞穴の奥の方は闇に閉ざされていて見えないが、入口近くの地面や壁面は動物の引っかき傷のようなものが刻まれていた。
「いかにも、って感じだねえ」
ラジが背を丸めて洞穴に入り、ルピナスがベリスの手を取ってその後に続いた。
洞穴の中は思った以上に広く、松明に明かりを灯して奥に進むにつれて道幅は広まっていく。一見すると何の変哲もない洞穴だが、生物の気配は一切なくしんと静まり返っている。自分達の足音だけが何もない洞穴に響く。
「…………」
ルピナスに手を引かれて歩くベリスの表情は暗く、言葉も少ない。
「ベリスちゃん、元気なさそうだけど大丈夫?」
「元気なんて出せるものか」
ベリスは頭を振って苦笑する。
「私が全ての原因だという可能性もまだ残っている。そんな状況下で元気になれるものか」
「そりゃ、まだはっきりとはしてねえけどさあ。俺はベリスちゃんが原因じゃないって信じる事にしたし、ベリスちゃんもそう信じた方が良いと俺は思うよ」
最悪の可能性ばかり考えていては足も動かない。ルピナスはふと昔の事を思い出した。
「俺だってさ、親父があんな事しでかしたから犯罪者扱いされてたよ。お袋が死んで一人っきりになった時とか、俺なんか生きてても仕方ねえんじゃないかって思った事もある」
今のベリスちゃんとちょっと似てるかな、と付け加えたがベリスは何も言わない。
「んで、そんな時に会ったのがコデマリで――ああ、ベリスちゃんが俺と初めて会った時一緒にいたトカゲ野郎な。あいつが色々励ましてくれて、俺は親父が悪人だから俺も悪人だって事は信じない事にした。そうしたら、気持ちは楽になった」
「…………」
「ええと、つまり……はっきりと分かってない事で無駄に背負い込む事はねえよ。背負い込むのははっきりしてからでも遅くないし、それまでの間はいつも通りにしてたらいいんじゃないかな」
「……なかなか、無理な事を言うな」
ベリスは腕を組んで眉間にしわを寄せた。が、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「まあ、そこまで言うなら君の言葉を信じて善処しよう」
「うん。ベリスちゃんは笑うと凄く可愛いんだから、そんな難しい顔はしないでもっと笑った方が良いよ」
ルピナスがにかっと笑みを浮かべ、二人の間には穏やかな空気が流れたが、その空気にラジが割って入る。
「ま、クソガキは盗賊って時点で規模は小さくても悪人だけどな」
「ああもうおっさんは空気読めよ……!」
「お前らがイチャイチャしてる間にそれっぽいとこに着いてるけど?」
ラジが親指で指示した先は洞穴の行き止まりで、岩壁の中にはめ込まれた鉄の扉がそこにあった。
両開きのどっしりとした構えの扉で、左右にはガーゴイルの像が乗った門柱が建っている。試しに扉を引いてみると、それなりに重みはあるが開く手応えはある。
「……入ってみる?」
いかにもな門構えにルピナスは少しだけ躊躇したが、ベリスとラジが頷いた事を確認して扉を開けた。
「……これは……」
扉の奥には、今までの洞穴とはまるで違う光景が広がっていた。壁や床は石造りの洞穴のままのこじんまりとした部屋だが、見た事もない機械が壁際に並べられていた。そして部屋の中央には透明な棺のようなケースがあり、底が青白くぼんやりと光っている。
ラジは雰囲気に押されるルピナスを押しのけて部屋に押し入り、中央のケースを覗きこんで「あー」と何の意味もない声を上げた。
「こりゃ怪しいわ」
ちょいちょいとケースの中を指差し、ルピナスとベリスはおずおずと近づいてその中を覗き込んだ。
青白くぼんやりと光る底に、小さな石が規則正しく並べられている。底の輝きに飲まれて見えづらいが、小さな石もまた青白い輝きを微かに放っている。この輝きはどこかで見た事があるな、とルピナスは記憶を巻き戻した。
「……この石……」
そうだ。この輝きは雪降る最北の孤島――そこに根城を作っていた山賊の頭領が持っていた首飾りが発していた輝きと似ている。あの後山賊の頭領がどうなったかは思い出すまでもない。
ベリスも同じことを思い出したのか、信じられないと言った面持ちでケースの中を覗いている。
「なんだ、お前らもこれが何か知ってんのか」
それなら説明は早い、とラジは一人ごちた。
「これが生物に寄生して凶暴化させる……魔物を作り上げる『種』だ」
「そんなもんがここにあるって事は……」
「サシアムの野郎は間違いなく魔物を作って操ってるな」
「じゃあ、ベリスちゃんは――」
「無実だ、とは言い切れねえな」
顔を明るくしたルピナスに釘を刺すようにラジは言った。
「この『種』を生み出す為にお子ちゃまの魔力を使ってるかもしれねえだろ」
ラジは部屋に置かれている機械を指差した。青鈍色の機械は今は動いておらず、この機械が「種」を生み出している事を予測できてもその構造はまるで見当がつかない。動力源がベリスの魔力である可能性も否定できず、悔しいがラジの言う通りだった。
「……サシアムを探して真意を問うか、この機械を調べて動力源を明らかにするか」
どうする? とベリスは首を傾げ、ルピナスが意見を言おうとした瞬間――鉄の扉がひとりでに閉じた。扉の外では何かがずるずると動いており、暫くするとその音も止んだ。不審に思ったルピナスが扉に駆け寄って開けようと押してみるが、びくともしない。ベリスも手を貸すが、扉は一向に開く気配を見せない。
「閉じ込められた?」
ラジが面倒そうに呟き、するりと袖口から糸を取り出す。ルピナスとベリスを押しのけて扉の前に座り、わずかな隙間に糸を差しこんだ。
「おっさん、何を――」
「ちょっと黙っとけ」
ラジは静かに目を閉じ、微妙に指先を動かす。糸を使って何をしているのかは分からないが、ルピナスとベリスは黙ってその様子を見守った。
「――ふうん、なるほどな」
それほど時間が経たないうちにラジは目を開け、袖口から糸を切り離した。
「扉の横に門柱があったろ。あれが動いて扉を塞いでやがる」
「なっ……」
「こりゃ内側からはどうしようもねえな。単純な罠だけどしてやられたな」
あーあ、とラジは大きな欠伸をして地面にごろりと寝転んだ。
「ちょっと待てよおっさん、本当にどうしようもねえのか?」
「ねえよ。扉越しの門柱押し倒すほどの怪力はねえし、魔法陣で力を増やそうとしても石の地面に図形が描けるようなものは持ってねえだろ」
大人しく外から救助が来る事を待つんだな、と言い捨ててラジは素早く船を漕ぎ始めた。
* * *
太陽の光が入らない洞穴の密室にいると、どれぐらい時間が経ったのか分からなくなる。空腹を覚えてきたが、室内に食べられそうなものは無い。
ラジは早々に脱出を諦めたが、ルピナスとベリスは何度も脱出を試みた。二つの門柱のうち一つだけでも倒せたら良いと力を合わせて扉の片側を押したがやはりびくともしない。サシアムと同じように風で地面を刻んで魔法陣を描こうとしたが、かなり頑丈な石なのかなかなか傷がつかない。傷をつけようと力むと線はいびつになり、魔法陣は機能しなくなる。
魔法陣を描けるほどのスペースが無くなると、ルピナスとベリスもラジと同じように寝転んだ。空腹をこらえ、体力を消耗しないよう待ち続ける。本当に救助など来るのだろうかという疑問が頭をよぎるが、そんな事を考えても落ち込むだけだと疑問を捨てた。
リーモ村を壊滅させずに残しておいたのは、サシアムに不信感を持ち、なおかつこの洞穴の存在を知っている者をこうして罠にはめる為だったのだろうか。洞穴の存在がどこまで知られているのかルピナスには知る由もないが、サシアムにとってこの洞穴は弱点であると同時に、特定の敵を誘いこんで捕える道具でもあったのだろう。
やられた。ルピナスは己の迂闊さに歯ぎしりをし、無理矢理目を閉じた。
こつこつと硬い物が床に当たる音がする。部屋の外から聞こえてくる物音にルピナスは飛び起きた。規則的に響くその音はどう聞いても足音でしかなく、足音は少しずつこちらに近づいてきている。
「誰か来る!」
ルピナスは扉に張り付いて大声をあげようとしたが、寝転んだままのラジがまたもや釘を刺す。
「サシアムが止めを刺しに来たのかもな。迂闊に大声あげたら中にいるのが誰かバレて放置されるかもよ」
「なっ……」
よくそんな事を思いつくな、とルピナスは半ば感心しつつ声を潜める。
「じゃあ、開けてくれるまで静かに待ってろって言うのかよ」
「おう。そこのお子ちゃまを見習えよ」
ラジが指差した先にはベリスが寝転んでおり、すうすうと静かに寝息を立てていた。
「……いや、あれは単に寝てるだけで……つうか寝顔可愛い……」
「ほれ、そうこう言ってる間にそこまで来たぞ」
こつこつと続いた足音が止み、辺りはしんと静まり返った。耳を澄ませば扉の向こうでごそごそと何かが動いている音がするが、何をしているのかは分からない。
こつ、と足音が一つ響いて一瞬の無音の後にずずずと重いものを引きずるような音がした。門柱を押しのけているのだろうか、と予測を巡らせていると扉が微かに動いた。
――来る。
ルピナスは短剣を抜き、不意打ちを加えられるように扉の横に陣取る。扉の向こうでは躊躇うような気配があったが、意を決したように扉が一気に開け放たれる。
扉の向こうから現れたのは、いやに背が高く、黒い毛並みを持つ犬の獣人の男で、ルピナスの目の錯覚でなければ、間違いなくビオラだった。
「……ええっ?」
がくりと姿勢を崩したルピナスに獣人の男は「ルピナス、無事でしたか」と聞き慣れた声をかける。獣人の男はぐるりと辺りを見回し、ラジを鬱陶しそうな眼で睨んだ後、横になって眠るベリスに気付いて慌てて駆け寄った。
「お、お嬢様! どうかされましたか!」
獣人の男はベリスの体を揺さぶり、鬱陶しそうに目を開けたベリスは「うるさい!」と獣人の男の鼻っ面を殴り飛ばした。寝ぼけまなこのまま立ち上がったベリスはうずくまる獣人の男を静かに見下ろす。
「人が気持ちよく寝ている所を起こすな! 執事の癖にそんな事も分からないのか、ビオ……」
ベリスは目の前にうずくまる獣人の男にようやく意識が向き、はっと言葉を詰まらせた。
「……どういう事だ?」
「……は? どういう事だと言われましても……話はそこの野良猫から聞いているでしょう」
ビオラはラジを指差し、三人の注目を一身に受けたラジはくつくつとおかしそうに笑った。
「ちょっと待て。話って何だよ。ビオラは死んだって言ってたじゃねえか」
「はぁ? ちょ、ちょっと、何故私が死んだ事になってるんですか」
怪我をして治療に少し時間がかかるから、ルピナスとベリスを連れて先にリヒダ・ナミトを脱出してリーモ村の調査をしていてくれ、と私はラジに頼んだ。ビオラのその言葉に対し、ラジは「言われた通り、調査はしただろ」と可笑しそうに笑っている。
「子犬ちゃんが死んだとも言ってねえよ。俺様の言い方が悪かったからかガキ共が勝手に勘違いしてただけじゃねえの」
「なっ……言い方が悪かった、てもんじゃねえぞアレは!」
ルピナスがラジの喉元に掴みかかるが、ラジはへらへらと笑っているだけだ。
「はいはい、申し訳ありませんでしたー。ほれさっさと本題に入る」
「本題って……」
ラジの謝り方に苛立ちを覚えたが、ルピナスはビオラに対して今までの事を手短に説明した。
「……ふむ、分かりました。ではこれからどうするつもりですか?」
「サシアムがどこに行ったかの手がかりがあればいいんだけど、見つからねえしなあ……」
機械の構造を調べて『種』の成り立ちを調べてみるかとルピナスは考えているものの、素人が未知の機械の構造を調べられるのかと言うと不安しかない。
「手がかりならあるじゃないですか」
ルピナスの言葉にビオラはきょとんとした。
「この部屋に漂ってる匂い、北の孤島で嗅いだ匂いですよ」
「え」「え」
ルピナスとベリスが同時に素っ頓狂な声を上げた。
「ほら、スターティスさんの腰痛を直す為の薬草。あれと同じ匂いがしますよ。だから北の孤島に行けば何かあると思うんですが……」
「……今この時ほど、君が鼻の利く犬の獣人でよかったと思った事は無い」
「同じく」
ルピナスとベリスは顔を見合わせて頷き合い、ビオラの手を取って駆け出した。
「お、お嬢様?」
「ほら、行くぞ! 北の孤島だ!」
ばたばたと騒がしい足音を立てて三人は部屋を後にし、一人残されたラジはケースの中に残った「種」を一瞥した後に「もうちょい保護者してやるか」と、のろのろと部屋を後にした。