ハネモノ 第二十四話「日記・二」

一五〇四年 磨羯月 一二日

 城の兵士長から奇妙な噂を聞いた。リヒダ・ナミトをはじめとした各都市の近辺で、今まで見た事のない生物が出現しているらしい。それだけなら良いのだが、その生物が住民を襲っていると言う。
 兵士の間ではその生物は「魔物」と呼ばれ、王は可能な限りの人員を魔物退治に充てているらしい。更に原因究明の為に特務隊を出動させ、隊長を駆り出すほどの騒ぎになっているらしい。
 王室付きの執事として経験を重ねていた私からすると、寝耳に水の話だった。とはいえただの執事に出来る事は無く、せいぜい今の主に危険が及ばないよう注意を払う程度だ。今の主は内向的な性格で、殆ど城から出ない。それ故に注意を払う必要も無く、今まで通りに職務をこなす事とする。

 それにしても、魔物とはどういったものだろうか。私がリーモ村に持ち込んだ装置を利用して私兵と化した獣の姿を見れば、それは「魔物」と呼んでも遜色ないものである。しかしあの装置の原動力は私の魔力であり、今はその供給を切っている為、あれが暴走したとは考え難い。あの装置だけでなく、偉大なる先人が残した文明は同じ血脈を持つ者の力――つまり私にのみ反応する。
 環境の変化により凶暴な新種が大量に発生しているのか、私の手が及ばない同一程度の文明――南の果ての文明が目覚めたのか。規模の大きさと、私の肌に感じる環境変化の無さを鑑みると、後者の可能性が圧倒的に高い。
 南の果ての文明に生き残りがいたのか、原始人が何かの手違いで文明を復活させたのか、その原因は定かではない。憶測に憶測を重ねた所で何の意味も無い上に、今の私は「貴族に仕える原始人の一人」なのだ。口出しをするべきではない上に、この事態を上手く利用すれば鍵を入手する事が出来るかもしれない。
 今まで通りに職務をこなし、魔物騒動の状況を把握した上で適宜計画に修正を加える。それが最良だ。

 * * *

一五〇四年 宝瓶月 二九日

 特務隊と隊長の働きにより、魔物騒動を引き起こした犯人が判明する。
 犯人の名はサルビア。若くして数々の功績を残している優秀な歴史学者らしい。主に南方の古代都市の調査を行っており、彼がその都市を復活させたと言う事らしい。動機は不明だが、姿をくらまし続けている事から意図的に行ったものだと推測される。
 隊長は既にサルビアと何度か接触したらしいが、その度に逃げられている。本来ならより優れた者にサルビアの追跡を任せるべきだが、残された駒の中では彼が最も高い能力を持っていた。よってサルビアの確保は彼とその配下に一任し、他の兵士は魔物の駆除に当たる事と方針が決められた。

 それにしても、人探しを始めとしたきな臭い仕事のプロである特務隊の隊長と遭遇して逃げ切るとは、サルビアという者は原始人にしてはかなりの能力を秘めているのだろう。彼の書物に数冊目を通したが、机にかじりつくタイプではなく四六時中南方の古代都市やその周辺に赴いていたらしい。そういったフィールドワークで培われた体力と、歴史学者として日々研鑽を重ねた頭脳。王はサルビアをただの学者と軽視しているようだが、侮り難い。
 しかし特務隊の隊長もまた、一旦仕事を始めると有能である事は少し観察すれば分かる。普段は当てもなく辺りをふらつき、彼に仕事を命じる為に彼の所在を突き止める仕事を他の兵士や隊員に与えなければならない程に自堕落な男だ。そして仕事を与えたところでその態度は変わらないが、最終的に与えられた仕事は全て達成している。
 彼のその特務隊隊長にあるまじき態度から「彼を隊長と認めない」という動きも少なからず存在し、その為に特務隊の名簿に彼の名前は載っておらず、彼自身の名や姿ではなく「存在しない隊長」と、幽霊のような存在として周知されている。
 ただ、人々の反応を仔細に観察していると、態度以外の要因で彼が認められていない節がある。しかしそれを追求するほど私は彼に興味がない。ハイドレイジアという彼の名と、彼が警戒に値する人物である事だけを覚えておけば十分だ。

 話が逸れてしまった。
 ともかく、サルビアとハイドレイジア。両者は私が認めるほどの実力者であるから、この魔物騒動は長期化する可能性がある。つまりそれだけ鍵を入手する可能性が増える。どちらが勝とうと興味はないが、騒動を長期化してこの国を疲弊させるという点において、私は彼らを密かに期待している。

 * * *

一五〇五年 磨羯月 五日

 魔物騒動が私の耳に入ってからおよそ一年。ついにサルビアが捕らえられた。
 城の地下牢に収容された時、彼の両足に深い傷がついていたが、一連の事件の処理に不都合はない。むしろ、逃げる可能性が消えただけ好都合だ。
 後はサルビアを尋問して魔物の発生を止める方法を割るだけだと思われたが、サルビアと一緒に想定外のものが城に持ち込まれた。

 生後間もない赤髪の女児。
 サルビアとハイドレイジアの弁では、彼女は南方の古代都市にいたと言う。さらにサルビアの話では「彼女はこの都市の生き残りで、ある装置の中で長い眠りについていた」らしい。
 その話を裏付けるかのように、女児の背には一対の白い羽が生えていた。通常、鳥の獣人ならば腕の部分が羽の形状を取る。女児は今までの獣人とは異なる生物であったが、それでも城の学者は「突然変異」と主張してサルビアの荒唐無稽な話を嘘だと決め付けた。
 だが、私には分かる。サルビアの言うとおり、あの女児は南方の古代都市の生き残りだ。

 女児は厄介な障害になりうる。
 頭の程度は原始人の教育によって育てられる為にたかが知れているが、問題はそこではない。女児が南方の民の「純血」である事が重大だ。
 私の故郷である北方の都市は純血の民である私の魔力のみ反応する。同レベルの文明を築いていた南方の都市も、同じような仕組みだろう。
 つまり、女児が目覚めて「純血」の力を発揮すると南方の都市が復活する可能性がある。完全に復活する事はないだろうが、一部の機能だけでも復活する事、そしてそれが原始人に知られる事は避けなければならない。
 薄くではあっても優秀な南方の民の血を持つ原始人だ。原始人の群れの中で頭脳が秀でているものをかき集め、時間をかければ南方の都市の仕組みを解き明かし、連鎖的に北方の都市の仕組みも解き明かすだろう。
 長い年月による老朽化から守り抜き、復活に向けて少しずつ組み上げてきた私の祖国が、原始人に蹂躙される。そのような事はあってはならない。

 女児を事故に見せかけて始末すべきか。
 いや、南方の都市がどのような仕組みを持っているのか明らかになっていない今、迂闊な行動は取れない。女児の死を契機に未知の機能が目覚める可能性もある。女児と南方の都市を同時に封じ込めるのが最良だ。そして、その為の手段も十分に手配できる。
 このまま研究を煮詰め、鍵を入手して北方の都市を復活させるまで、多めに見積もって二十年ほどかかるだろう。それまでの間、女児と南方の都市を封じ込めれば良いだけの話だ。

 今日はその為の策を練り、明日から下準備を開始する。

 * * *

一五〇五年 磨羯月 八日

 地下牢にてサルビアと面会する。私が今まで築き上げてきた信頼を利用すれば、彼と二人きりで会話する事も容易く実現できた。
 幾度も尋問を受けたサルビアの肉体はひどく傷ついていた。それでも彼は「魔物を発生させたのは自分である」と言う事は認めてもそれ以上の事は何も話さなかった。私を見るサルビアの目には明らかな知性があり、私を警戒している事も手に取るように分かった。
 まず「私は尋問の為にここに来たのではない、貴方と取引がしたい」と言う旨を伝えた。彼は動揺しながらも続きを促した。

 私は以下の内容を簡潔に述べた。
 私はしがない歴史学者であり、今回の件で貴方が魔物を発生させたのは南方の都市を利用したものだろうと見当がついた。しかし南方の都市にある物の構造が私には到底見当がつかない。貧しい学者の端くれとしてその情報は喉から手が出るほど欲しい。そしてその情報は私一人で独占し、より詳細な検分を重ねた後に私の功績として世に発表したい。
 つまり、南方の都市に関する未発表の研究内容を全て私に譲渡し、他の誰にも研究内容を口外しない事。これが私の要求である。
 その見返りとして事件が風化するまでの間、貴方の家族と南方の都市で保護された女児の生活を保護しよう。

 私の提案にサルビアはしばし悩んでいたが、最終的にその条件を呑んだ。ただし、生活の保護は女児だけで良いと付け加えた。家族の身の安全は信頼できる友人と「約束」したらしい。取引ですらない約束を何故こうも信じられるのか私には理解できないが、負担が減るのはこちらとしても歓迎する。
 取引が成立し、私は早速彼に研究内容の保管場所を尋ねた。彼はややこしい場所にややこしい方法で隠したからと紙に細かい字で文章を書き連ね、私に寄越した。
 立ち去る直前に、魔物の発生に関する情報も漏らさないで欲しいと念を押すと彼は頷いた。彼の殊勝な態度にやや疑問を感じたが「魔物が発生する装置の重要なパイプを一つ壊したから、もう魔物は発生しない。口外しなくてもこれ以上被害は広がらないし、問題はない」とサルビアが補足して苦笑した。
「俺はその研究結果を纏められそうにない。自分の手で世に送り出せなかったのは残念だが、後は全て貴方に託そう。重罪人である俺の名は伏せて、貴方自身の研究結果として発表してくれて構わない。その方が多くの人の目に触れ、正しい形で歴史に残るだろう。貴方のお陰で、俺の歴史学者としての悔いはなくなった」
 それ以外の事で悔いはあるのか、と問うてみると彼は「あるね」と断言した。
「もっと妻と一緒にいたかったし、元気になった息子が成長する様子も見たかった」
 これが私が聞いたサルビアの最期の言葉だった。もう二度と彼と会うことも、話すこともないだろう。
 必要な情報を得、口止めも済んだ原始人に最早用はない。

 サルビアとの面会を済ませ、王の元へ向かう。
 謁見はあっさりと成功し、王に対して練り上げておいた自説を説いた。
 自説の内容は執事の仕事の傍らで積み重ねた知識と、今回の騒動で得られた情報を元に作り上げた。その主旨は、女児を保護して魔物の発生を止めるには、飛行船に乗せて魔法陣を描くように航行させれば良いというものだった。憶測で塗り固められた提案は我ながら説得力に欠けると思うが、何の提案もなされていない中でこうして具体的な意見を出すという事が重要だ。
 案の定王は渋い顔をしていたが、細かい事を質問してきた為心象は悪くないだろう。女児の世話は誰がするのかという問いも出た為、ビオラという名の私に付きまとう子犬の名を挙げた。あの子犬は私に従順で、私の言葉を疑う事を知らない。期間未定で意図が見えない仕事であっても、彼ならば何の疑いもなくこなすだろう。
 勿論「提案者である貴方が世話をすれば良いのではないか」という意見も出た。しかし私は魔物に教われて怪我を負い、その傷口から病にかかり世話を出来る状況ではないと説明した。あらかじめ用意をしておいた傷跡を見せて細かい病状を述べ、事態が落ち着いたら執事を辞めてリーモ村で養生したいと王に願い出た。
 突然の願いにも関わらず、以前からの体調不良を知っていたのかあっさりと受け入れられた。数年間に及ぶ原始人の真似で培われた演技力は、私が思っている以上のものだったらしい。

 まだもう少し根回しをする必要はあるが、大よそは完成した。後は気取られないよう話を進め、女児を飛行船に閉じ込めて南方の都市を封じ込める仕組みを作っていけば良い。
 それが済めばリーモ村に移り、可及的速やかに研究作業を進めていく。出来る事ならば女児が成長して知識と力をつける前に蹴りをつけたい。
 当初の予定とは少し異なる展開を迎えたが、最終目標に向かっては着実に進んでいる。

 * * *

一五二〇年 白羊月 六日

 今日、ベリスの魔力が飛行船に込められた魔力を凌駕して進路を書き換えた。丁度食糧補給をしている最中だったらしく、船の中にビオラの反応はない。船は東北東の方角に進んでおり、その先にはクバサと呼ばれる町があった。わざわざその町へ寄る目的をあの小娘が持っているとは思えない。一種の暴走状態と見て問題はないだろう。
 私は研究を中断し、飛行船の遠隔操作に集中した。意志を持って船を操作しようとする私と、無意識のうちに舵を取る小娘の差は歴然で、簡単に舵は取り戻せた。慎重に進路を曲げ、クバサ北部の砂漠に不時着するよう調節する。
 それらの命令を終えると洞穴に赴き、この日の為に蓄え、各地にばら撒いておいた「種」を一斉に開放した。種はあっという間に原始人や獣に取り憑いて凶暴化させるだろう。よくよく観察すれば十五年前の「魔物」とは違う事が分かるだろうが、一見するとほぼ同じだ。

 飛行船の不時着と魔物の発生。これらの現象を同時に発生させておけば、原始人が辿り着く結論は簡単に予想できる。結論に至るまでの時間、至ってから対処するまでの時間、対処後も魔物が出続ける事への戸惑い――このパターンで稼げる時間を利用すれば、今の研究状況から見ても完成まで十分間に合う。魔物が途切れないよう常に「種」を生産して撒き続けなければならないが、その程度の負担は耐えられる。
 あらゆるパターンを想定して下準備を行ってきたが、このパターンは比較的易しい。今まで通り冷静に対処すれば、必要最小限の労力で城に舞い戻り「鍵」を手にする事も可能だ。

 飛行船に万一の事態があった時、ベリスはどうするか。それはビオラが口を酸っぱくして教えていた。
 ビオラがいてもいなくても、リヒダ・ナミトの城へ向かう事。
 恐らくベリスはそれに従ってリヒダ・ナミトへ向かうだろう。ずっと飛行船で暮らしてきた彼女が一人でそこまで行けるかは疑問だったが、最悪の場合、野垂れ死んでも計画に変更はない。彼女が生きていれば陽動して時間を稼ぐ事が出来るだろうが、そうして稼げる時間は誤差の範囲内だ。生きていようが死んでいようがどちらでも構わない。

 原始人が持つ知識でどう動こうが、私が鍵を手にして我々の文明を復活させる事は最早絶対なのだ。そして、長い間待ち侘びた復讐の時が始まり、原始人は全て死に絶える。一切の生物がこの世界から消え去るが、それが我々にとって最良の選択だ。

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