ハネモノ 第二十五話「日記・三」

一五二〇年 双児月 四日

 ハイドレイジアが数週間ぶりに現れる。「世界中の酒と煙草について知りたい」とうそぶいて定期的に私の元に訪れて十五年になる。魔物騒動が治まり、私が執事を辞めてからずっとだ。
 探りを入れたり危害を加える事はないが、彼のような油断ならない原始人が家に上がりこむのは非常に鬱陶しい。しかしここで激昂すれば私は原始人以下となる上に、恐らく彼の思惑通りだ。
 彼が私を特別視しているのは明らかだが、それが私に対する不信かそうでないかは分からない。不信だとしても、私の日々の行いに関する証拠はこの日記以外に何もない。だからこそこうして小まめに訪れ、私が尻尾を出すのを待っているのだろう。無駄な努力である。
 それにしても、魔物騒動が治まってからラジの体は常に酒臭い。体に染み付いた血の匂いを隠す為なら煙草だけで十分だから、単純に酒に依存しているのだろう。サルビアと奇妙な信頼関係を築いていた事は容易に連想でき、彼を失ったから酒に依存したのだという憶測は誰にでも立てられる。
 しかし、原始人が一人消えただけで酒に依存するものなのだろうか? 私にはやはり、原始人の心は分からない。

 勝手に本を読むハイドレイジアを放置し、日が暮れた頃。
 ベリスが私の元までやって来た。ビオラを連れているのは当然だが、見知らぬ少年も連れていた。ひとまず家に上げて自己紹介を済ませると、少年の身元はすぐに分かった。ルピナスという名はサルビア本人から聞いていたし、髪の色は父譲りのものだった。ルピナス本人もあっさりとそれを認めたが、犯罪者の息子としての辛酸は一通り嘗め尽くしたらしい反応が見られた。
 どうやら彼らは一度は城に辿りついたものの、ベリスの身柄を城に移す事に抵抗して逃げ出したらしい。そして飛行船の航行ルートに魔法陣を見出し、その手の知識に秀でたリーモ村へ赴いたところ、私がこの村にいることを知ったようだ。ハイドレイジアとも面識があるのがいささか意外だったが、特に問題はない。

 魔法陣の効果について知りたいと言う彼らに対し、魔物退治を条件とした。彼らの実力を測り、私兵を制御する練習に丁度良い。彼らは私の思惑に気付く様子もなくその条件を呑んだ。
 翌日の早朝に出発すると伝え、ベリス達とついでにハイドレイジアを家から追い出す。
 「魔物退治」の下準備を整えて思考を整理し、魔法陣について語るべき内容を吟味する。知られても私の計画に支障がなく、そして適度に時間が稼げるように。

 それらの準備を終える頃にはすっかり夜も更けていた為、明日に備えて休息を取る事とする。

 * * *

一五二〇年 双児月 五日

 「魔物退治」が終了し、昨夜吟味した情報を彼らに与えてユノキスへ追いやる。ハイドレイジアは彼らについていく事はなく私の家を後にした。
 魔物退治と称して彼らの実力を測ったが、大したことはない。
 ルピナスは与えられた武器を適切に使う適応力の高さが目立ったが腕力はなく、魔物もなかなか倒せない。ビオラはレイピアの扱いはそれなりで魔物も数匹倒していたが、彼の性格を考えると少し心を揺さぶれば簡単に力を削げる。そしてベリスは私と同等の才を持っていたが、経験が不足している。魔法で生み出したものをぶつけるしか能がなく、それを操る繊細な技術は磨くどころか触れてすらいない。
 もし彼らと表立って敵対する事があっても、この程度では朝食を食べる前に倒せるだろう。原始人はやはり原始人だ。

 昼食を済ませ、研究内容の再確認をしているところ、奇妙な客が訪れた。
 派手な色の燕尾服に身を包んだその男は自らを道化と名乗り、毒にも薬にもならない話を矢継ぎ早に打ち出した。新手の嫌がらせかと思い無理矢理追い出そうとしたところ、彼はこう言った。

「世界滅亡を企むヒトにお得な取引を持ちかけにきたのに」

 驚く私をよそに、彼は早口に以下の内容を述べた。
 自分は他者に特殊な能力を与えることが出来る。どんな能力かは人によって違うが、有用であることは間違いない。そして自分はこの世界に思い入れはなく、世界が滅びる過程が見られるならば是非見たい。その為ならば貴方に能力を授けても良い。
 もしも世界を滅ぼすことに成功すればその能力はそのまま貴方のものとして構わない。ただし、失敗した場合は自分の期待を裏切り能力を与える労力を無碍にした罰として、能力剥奪に加えて魔法も使えないようにする。
 それが彼が言う取引だった。

 能力がどの程度有用なのか予測がつかない、と言う点では怪しいものがある。しかし、彼が持つ能力を見せて貰うと確かにそれは有用なものだった。有用であっても方向性が自分の嗜好とは合わない可能性もある、という彼の言葉も含めて考えたが、私はその取引に応じた。
 私が世界を滅ぼすのは確実な事で、失敗した時のリスクを考える必要はない。

 取引を終えて私に能力を与えた後、去ろうとする彼に「何故私の目的が分かった」と問いかけてみたが、彼は秘密だとはぐらかした。いい滅亡を期待している、とだけ言い残して彼は私の家を後にした。
 ……奇妙な男だった。身にまとう雰囲気や口ぶりから、彼は原始人ではない。かといって南の民でもなく私の同胞でもない。異世界から来た、という表現が最も腑に落ちる。しかしそんなことは有り得ない。異世界など子供が暇潰しに見る空想、絵物語だ。

 彼に関する謎と疑問はさておき、授かった能力はどうやら本物らしい。狭い空間では活用が難しいが、屋外や広い空間では有用である。
 幸いにも研究はほぼ終了しており、暇はある。この能力の全容を把握する為に数日を費やしても問題はないだろう。
 それ以外にも魔物の制御など課題はあるが、残された期間を考えるとそれらの課題をこなしても十分釣りが出る。計画は至って順調。

 * * *

一五二〇年 天秤月 二八日

 ついに「鍵」と資料の奪還に成功する。
 今まで築き上げた信頼、かき集めた城の内部情報、幾度も試行を重ねた魔物の統制――それらの努力の結晶が、今、私の手元にある。
 王に危害を加え、数名に顔を見られた為、リヒダ・ナミトどころかリーモ村にも身を置く事は出来ない。しかし、原始人の集落にもはや用はない。リーモ村に置いていた学者らしく見せるための物は全て処分し、必要最低限の荷物を持ち北の孤島――我々の故郷へ向かった。リーモ村から距離はあるが、能力を活用すれば原始人の手を借りずとも日が落ちるまでに故郷に到着した。原始人を騙すのはこれが最後だと思っていただけに、演技をする手間が省けたのは幸いだ。

 後は実物の鍵と資料を基に最終調整を進めるだけだ。一週間程でその作業も終わるだろう。滅亡のカウントダウンは始まったが、このまま何事もなく終わりが始まるのはつまらない。
 だから、敢えて道筋は残しておいた。
 私が首謀者である事が明らかになったという前提で、ベリスを生かして放置する事により生まれる矛盾。その矛盾に気付き、あちこちに残しておいた微かなヒントを発見してこの私の元まで辿り着けるかどうか。
 期間は作業が終わるまで――つまり、一週間。それまでに数名の原始人がここに来ることが出来れば、私の手で彼らを殺した後に我々の文明が全ての原始人を根絶やしにしよう。来なければ、私の手で殺さないだけで後は同じだ。
 どちらに転ぼうとも私の勝利は確たるものである。そんな理不尽なゲームであっても、この最後の作業をより楽しむスパイスとしては十分だ。

 * * *

一五二〇年 天蝎月 五日

 全ての準備が終了した。
 つまり、研究活動の補助道具として活用してきたこの日記も今日が最後となる。
 日記を書き始めてから二〇年――一年ごとに新たな日記を調達していた為、私の手元には二十冊の日記がある。
 なかなか感慨深いものがあるが、私情を書き連ねる時間が惜しい為、私の感情の機微は割愛する。

 私はこれから、この文明を完全に復活させる。
 そして、最後に残された高潔な民としての使命……原始人の殲滅を開始する。
 私以外にこれを読む者などいないだろうが、宣言する。

 我々の勝利だ。

 * * *

「――いってぇー!」
 ごつんと鈍い音がして、ルピナスの絶叫が流氷の大地に響き渡った。流氷の表面は所々が濡れており、油断をすればルピナスのように転んで頭を強打する。
「……大丈夫、血は出ていませんよ」
 ビオラはルピナスが立ち上がるのを手伝い、そのついでに怪我がないか確認する。少しこぶが出来ているが、放っておけばすぐ治るだろう。先を歩いていたベリスも何事かと戻ってきたが、大丈夫だとビオラは伝える。
「ああ駄目だ……頭が痛い……ベリスちゃんがキスしてくれたらこの痛みもどこかに吹っ飛ぶのに……」
「……痛みを感じない体にして差し上げましょうか?」
 ビオラが静かにレイピアを抜くと、ルピナスは「冗談だって」と頬を膨らませた。いつもと変わらない掛け合いを聞き流し、ベリスは進行方向を確認する。
 北の孤島は目と鼻の先だ。あと少しで到着するだろう。
「ほら、早く行くぞ」
 ベリスがそれだけ言って歩き出すと、ルピナスも「ベリスちゃん待って!」と慌てて駆け出す。駆け出して、濡れた氷に足を取られて顔面を氷上にぶつけて「ぶへ」と情けない声が漏れる。
「馬鹿だろ、お前」
 ベリスの前を行くラジがくつくつと笑った。流氷の上でも煙草を吸い、酒の匂いを撒き散らすラジこそ最も転びやすいように思えたが、ラジは一度も転んでいない。ルピナスだけでなくベリスやビオラも何度か転んだというのに、普段と変わらない調子で歩き誰かが転べば指差して笑う。腹立たしいことこの上ない態度だが、これもまた特務隊として身につけた技能なのだろうかとルピナスは思う。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」
 ラジはそう歌いながらひょいひょいと流氷の上を渡っていく。それを追う様に三人がそろりそろりと流氷の上を歩き、少しずつ北の孤島へ近づいていく。
「おっさんに負けて悔しくないのー?」
 神経を逆撫でする口調に引っ張られるように歩く。
「……殺す……全部落ち着いたら殺す……!」
 とビオラがルピナスの隣でぶつぶつと呟いていたが、聞かなかったふりをした。

 久々に訪れた北の孤島は、これといって大きな変化はなかった。方々に生えた雑草も、うっすらと積もる雪も、朽ちた建築物も、全てが以前見た時と同じだ。景色だけ見ていれば、時が止まっているかのように錯覚する。
 しかし、何かが違っている。それは目に見える形ではなく、音や匂いで感じられるものではない。本能、第六感、無意識……そういった類の感覚が違和感を告げている。
 嫌な予感、としか表現が出来ない。
 ルピナス以外の全員も同じ事を感じているらしく、無言で頷き合って孤島の中央部に向かって歩き出す。違和感の正体が中央部にあるという確信も理屈も無い。光に集まる羽虫のように、足は自然とそちらへ向かった。
 大通りと思しき太い道を歩く。初めてここを訪れた時、ベリスは山賊に向かって躊躇なく歩いてルピナスとビオラの肝を冷やしたものだ。横道を駆けて山賊の不意を打とうとした事も、随分昔の事のように思える。
 あの時は大通りの突き当たり、大きな円柱形の建物の前で山賊が野営をしていた。今はそこに何も無く、路上にはうっすらと雪が積もっているだけだ。あの時ルピナス達が去った後にユノキスの町民達が片付けたのか、サシアムが片付けたのかは分からない。
 あの円柱形の建物だ――とルピナスが感じた瞬間。

 ごう、と地面が吼えた。

 足元が大きく揺れ、ルピナスは咄嗟に低くしゃがむ。周りを見るとラジも同じようにしゃがんでおり、ベリスとビオラは揃って尻餅をついていた。足元が、地面が揺れるなんて事は今まで経験した事がない。立ち上がる事が出来ないほどの揺れの中、ルピナスはじりじりと動いてベリスの傍に寄り添う。
「……大丈夫?」
「ああ、怪我は無い」
 それよりもこの揺れは――とベリスが言いきる前に、地面が大きくがくんと跳ねた。次いで、軽く体を抑えつけられるような奇妙な感覚に襲われる。揺れはますます激しくなり、周囲の建物に積っていた雪が路上に落ちる。
 未知の現象に抗う事も出来ず耐え続け、建物が崩壊するのではないかと危惧し始めた頃になって、唐突に地面の揺れは収まった。
 恐る恐る立ち上がり、辺りの様子を観察する。足には揺れの感覚が残っており、奇妙な気分になる。建物に積もっていた雪が路上に落ちた事を除けば、周囲の環境に変化はない……しかし、漠然とした違和感がある。
「何かがおかしい……」
 近辺を観察しても分からないのなら遠くを見れば、と思い大通りの向こう側、建物の隙間、上空の景色を観察してみる。しかし古代都市の建物以外に見えるのは空ばかりで、底抜けに天気が良い事しか分からない。
 ……空ばかり?
 ルピナスは自分達が来た方角、つまり大陸がある方の空を確認する。流氷の上を歩いていた時、振り返れば山々が見えた。山の雪化粧が太陽の光に反射して少し眩しかった事を覚えている。今、建物の隙間から見える空には山の姿は見えない。
 まさか、ありえない。降ってきた推論はあまりにも現実味が無く信じ難い。
「――この島、飛んでる?」
 推論を確かめるべく大通りを後にしようとしたルピナスの背に、聞き覚えのある声が響く。
『間一髪、だったとはな』

 ルピナス達のすぐ傍に、サシアムは立っていた。正確に言うとサシアム本人ではなく、立体的な映像だ。大通りの隙間に埋め込まれた小さなレンズから光が放たれ、それがサシアムの像を結んでいる。
「……サシアム……!」
 ベリスが腕を掴もうとするが、その手は像をするりとすり抜ける。
『無駄だ。私は既に、貴様らの手など届かない高みにいる』
 サシアムはにやりと笑う。初めてリーモ村で出会った時とはまるで違う、蔑視に満ちた笑みだ。
『あと少し早く到着していれば、私が直々に殺してやるところだったが、今は忙しい』
 かつん、と甲高い音を鳴らしてサシアムは杖で地面を突く。すると辺りの建物が一斉に輝き、立っていられないほどの強風がルピナス達を襲う。
『我々の復讐を指をくわえて眺め、そして無様に死に絶えるがいい!』
 サシアムの高笑いと共にひときわ強い風がルピナス達の体を持ち上げ、建物よりも遥か高く、遠くへ吹き飛ばす。

 強風で思うように身動きが取れない中、ルピナスはベリスの手を掴もうとするが届かない。「ベリスちゃん!」と叫んでもその声が届いた気配は無く、ベリスも何かを言っているようだが風に遮られて聞き取る事が出来ない。
 ふと上空を見ると、巨大な物体――北方の孤島そのものが宙に浮かんでいた。ああ、やはり空を飛んでいたのだなと思う間にも、空の孤島とルピナスの距離はぐんぐん離れていく。
 何が起きたのかまるで分からない。サシアムが島に何かをして孤島は宙に浮かんだのだろうが、そのからくりやサシアムの目的が分からない。ただ、先程の言葉から悪事をこれから犯す事だけは明らかだ。ルピナスは上半身をひねって自分達が堕ちる先を確認する。真っ青な海だ。孤島はそれなりの速度で移動しているらしく、海に流氷は無い。
 こんな所で死ぬわけにはいかない。
 ルピナスはきつく目を閉じ、大きな飛沫を立てて海に落ちた。

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