ハネモノ 第二十六話「反撃手段」

 潮の匂いがする。
 辺りは静かで波の音しか聞こえない。湿り気を帯びた空気は少し蒸し暑く、手を動かして地面に触れてみるとさらさらとした砂の感触がする。重い瞼をこじ開けてみると、雲ひとつない青い空が見えた。
「……砂浜……?」
 ルピナスは身を起こして辺りを見回す。どうやらミミナ村から少し離れた場所にある砂浜のようで、遠くに村と熱帯雨林が見えた。海の様子は穏やかで、水平線の向こう側に東の大陸の輪郭が見える。そしてその上空には――
「……やっぱ、夢じゃねえのか」
 島が、浮かんでいた。

 非現実的な光景をぼんやりと眺める。東の大陸上空に浮かんでいるそれは何らかの動きを起こしているわけではないが、静かに浮いているだけで気味が悪い。今頃リヒダ・ナミトやリーモ村、ユノキスでは大変な騒ぎになっているだろう。
 吹き飛ばされる直前のサシアムの言葉を思い出すと、何としても島に乗り込んで彼の目論見を阻止しなければならない。
 だが、どうやって乗り込めばいい――? 悶々と考えを巡らせるルピナスの耳に「ルピナス!」と聞きなれた声が不意に飛び込んできた。声のした方、ミミナ村の方角に振り向くと、ベリスとビオラがこちらに向かって駆けてきた。
「ベリスちゃん!」
 駆け寄ってくるベリスを抱きとめようと両手を広げるが、
「ご無事で何よりで、す、ね、え!」
 そこにビオラが納まってルピナスの体を抱きしめる……と言うより、締め上げた。
「貴方がお嬢様を抱こうとするなど十年早い!」
「よし、十年はベリスちゃんと一緒にいていいんだな!」
「屁理屈を!」
「あああやめろ痛い関節技はやめろ折れる」
 そのまま喧嘩に発展しそうな二人を、
「……日暮れ頃にまた来ればいいか?」
 ベリスの一言が諌めた。

「皆、ミミナ村に流れ着いたのか?」
 村へ向かう間、ルピナスはベリスに問いかけた。再び喧嘩が起きないように二人の間を歩くベリスは「そうだ」と返す。
「私達が海に落ちた地点は、ミミナ村から少し離れた北西の海だ。異変を感じて見回りに出た人魚が偶然発見して助けてくれたそうだ」
 そしてその地点から最も民家が近いという理由でミミナ村の砂浜に置かれ、村民に発見されて今に至る。
「あの野良猫は助けずに放っておいても良かったんですけどね」
 ビオラが忌々しげに呟いたので、ラジも無事なのだろう。
「そのおっさんはどこだよ」
「一足先に南の古代都市に行って貰っている。何か、あれに対する有効な手段があればいいのだが」
 そう言ってベリスは空に浮く孤島を指差した。
 ミミナ村で目覚めたベリスが考えた事は、ルピナスとほぼ同じ事だった。島に乗り込んでサシアムの計画を阻止しなければならない、しかし孤島に行く手段が見つからない。
 特務隊の飛行船が使えないかラジに訊ねたが、リヒダ・ナミトが魔物に襲われた際に集中攻撃を受けて壊されたらしい。恐らくそれも偶然ではなく、サシアムの差し金なのだろう。ベリスが乗っていた飛行船も未だ故障しており、空を飛ぶ手段が絶たれた。
 南の古代都市を探ろうと決めたのは、藁にもすがる思いだ。はっきり言って望み薄だが、行くしかない。
「……私は、これから古代都市に向かって手がかりを探る。空を飛ぶ手段があれば、私はそれを用いてサシアムの元へ向かうつもりだ。……それで、だ……」
「分かった。俺はベリスちゃんについてくよ」
 歯切れの悪いベリスの言葉を待たずにルピナスは歯を見せて笑った。
「ベリスちゃんが一人であの野郎と会うなんて危険すぎるし、そもそも俺もあそこまで行こうって思ってたしな」
「……そうか」
 ベリスは微笑みを浮かべ、二人の間に親密な空気が流れる。その空気を敏感に察知したビオラが二人の間に割り込み、ルピナスを横目で睨んだ後にベリスに向かって微笑みかけた。
「何故お嬢様が一人で行く前提なんですか。私もお嬢様をお守りする為どこまでもついていきますよ」
「何だよ、いい雰囲気だったのに邪魔すんなよ」
「私の目が黒いうちは貴様のような俗物は許しません!」
 ぎゃあぎゃあと言い争いを始めたルピナスとビオラの姿を見ながら、ベリスは目を細めた。

 * * *

 峡谷の底に広がる古代都市は、以前訪れた時と全く変わっていなかった。北の孤島と改めて比べてみると、老朽化が激しい。使える物があるのかどうか怪しいが、以前より入念に調べてみるしかない。
「おっさんはどこだよ」
 先に赴いているはずだが、見渡してもラジの姿は見えない。
「……どうやら地下、のようですね」
 ビオラは鼻をひくひくと動かし、地面を指差した。ルピナスも辺りの臭いを嗅いでみたが、あの悪臭はしない。最も、人間であるルピナスが地下にいるラジの体臭が分かれば、ラジの体臭は一種の兵器と化してもおかしくない。
「前にタテハと会った所か」
 ベリスはそう呟いて地下への階段に向かってすたすたと歩き出した。
 タテハ――地下室で長く眠っていた単眼の機械。彼女の知識は古代都市が生きていた頃のものだ。まだ動いていれば、彼女から話を聞くのが手っ取り早い。ルピナスとビオラもベリスの後に続いた。

「早かったな」
 地下室に入って早々、ラジが普段と変わらない態度で煙草を持った片手を挙げた。その傍らにはタテハが佇んでおり、ルピナス達に向かってぺこりと頭を下げた。地下室は薄暗いが、明かりが灯っている為周囲の様子は確認できる。
「結論から言うと、ここに飛べるようなモンはねえぞ」
 ルピナスがタテハに質問をぶつけるよりも早く、ラジは釘を刺した。タテハも「申し訳ございません」と頭を下げる。
「かつては多人数を収容する飛行具もあったのですが、修復不可能な程に損傷しております」
「……何か、他に使える物は?」
「こちらに」
 タテハが指示した先、ラジの横には二つの道具が置かれていた。
 一つは赤銅色の金属で出来た剣で、柄と刀身に深い緑色の石が埋め込まれている。刃の流れに沿うように深い溝が刻まれているが、それが何を意味するのかはルピナスには分からない。切れ味も悪そうで、剣としては粗悪に見える。
 もう一つは、赤銅色の金属で出来た針金の塊だ。手の平ほどの大きさの赤銅色の金属板に深い緑色の石が埋め込まれ、そして金属板からいくつもの針金が伸びている。そして伸びた針金は、羽のような形をしている。
「……何ですか、これ?」
 ビオラが率直な感想を漏らす。
「まずこちらの剣ですが、ベリス様がお持ちになると良く分かるかと」
 タテハは剣を拾い、ベリスに手渡した。
「これで、どうしろと」
 ベリスが軽く剣を振る。すると、剣に埋め込まれた深い緑色の石がふわりと鮮やかに輝いた。ルピナス達がその輝きに目を奪われている間に、刃に刻まれた深い溝から青白い光が漏れる。
「……っ……!」
 ベリスの表情が苦しげに歪み、次の瞬間には赤銅の刀身が溝に沿って分離した。青白い光が分離した刀身の欠片を支えるように膨張し、光の刀身を形作る。
「……これは、私達がかつて使用していた武器です。刀身が光なので物理的に『斬る』事は出来ませんが、光が与える衝撃はあらゆる生物を気絶させる事が出来ます」
「……なるほど。しかしこれは、少し……疲れるな」
 ベリスの額に一筋の汗が流れ、剣から手を離した。地面に落ちた剣は暫くの間輝きを放っていたが、深い緑色の石が輝きを失うと同時に元の赤銅色の剣に戻った。
「はい。消耗が激しい武器ですので、あまり長時間の使用はできません」
「……すげぇな。じゃあ、こっちは何だ? 見た所羽の形をしてるけど……」
 ルピナスは赤銅色の針金の塊を指差した。タテハは「ああ、それは」と針金の塊を手に取り、そっと丁寧な手つきでベリスの羽にあてがった。羽のような形をした針金の形は、ベリスの羽をきれいに飾る。
「ベリス様、羽ばたいてみてください」
 タテハの指示通り、ベリスはその場でゆっくりと羽を動かした。すると金属板に埋め込まれた深い緑色の石がふわりと静かに輝き、針金の一本一本から青白い光が漏れる。やがて光はベリスの両翼を包み、美しく輝いた。
「では、その状態で空を飛んで見て下さい」
「分かった」
 ベリスは大きく羽を広げ、ふわりと宙に浮かぶ。羽ばたきに合わせてベリスの身は軽やかに宙を舞い、薄暗い地下室の中を縦横無尽に飛びまわった。
「ベリスちゃん、すげえ……」
 その光景をルピナスはぼうっと見つめ、タテハの元へ戻って来たベリスは戸惑ったような表情で羽につけられた金属を見ていた。
「これは……飛行補助の為の道具か? 普段より遥かに簡単に飛べたぞ」
 ベリスの羽から針金の塊を取り外し、タテハは「その通りです」と頷いた。
「これを付けている間、飛翔能力は数倍に高まります。しかし、剣ほどではありませんが消耗する物なので、やはり濫用は禁物ですが……」
「……成程。これを付けていれば、何人かを担いで空を飛ぶ事は出来るか?」
「何人か?」
 タテハはルピナス達の姿をざっと眺めて「難しいですね」と返した。
「ベリス様の場合でしたら、担げても一人。しかも、あの孤島に乗りこむ頃にはベリス様の精根も尽き果てて指一本動かせなくなる可能性が高いでしょう」
 タテハの言葉にベリスは肩を落としたが、「これは借りてもいいのか?」と尋ねる。タテハは「勿論です」と頷いた。

「……あのさ、タテハは北の孤島について何か知ってる?」
 ルピナスはタテハに問いかけた。武器になりそうな道具を手に入れたのは立派な収穫だが、これだけでは孤島へ向かう事は出来ない。飛行手段はここにはないが、タテハから情報を集める事に意味はある。
 ルピナスの問いかけに対し、タテハは「記憶領域も大部分が風化しておりますので、記憶している事は少しだけですが」と前置きをした。
「北の孤島に住む民とは、長い間戦争が続いておりました。戦争の発端は記憶しておりませんが、私が作られた頃にはどちらかが滅びるまで戦争は終わらない、そんな域まで達していました。
 北の民は『自分達が最高の種族であり、他の生物は我々の下僕として生きる事のみ許可する』と主張していました。そして、その言葉通り他の生物を下僕同然に扱い、特殊な機器で化け物同然の姿に変えて南の民を襲わせました。
 我々は彼らに対抗して化け物に対抗し得る生物を作り出し、剣を取って戦いました。
 しかし、空に居を構える北の民は我々に対し圧倒的に有利。長い戦争も少しずつ我々が劣勢になり、やがて……」
 タテハは言葉を濁したが、結末は言われなくても理解できた。しんみりとした空気が辺りを包むが、それを破るようにラジがずかずかと割り込んでくる。
「歴史とか自分語りとか興味ねえから。あの孤島がああやって浮いてるのが北の連中の本来の姿。それは間違いねえな?」
「はい」
「で、お前らはどうやってあいつらと渡り合ってたわけ? その手段は俺らも使える?」
「……少々お待ち下さい」
 タテハは動きを止め、かしゃかしゃと忙しない音を体内から響かせる。ラジが煙草を一本吸い、紫煙を吐き出して吸殻を捨てた頃になってタテハは「お待たせしました」と声を発した。
「結論から申し上げますと、実現不可能でございます。戦争の際は先程申し上げた多人数を収容する飛行具を用いていたのですが、全て修復不可能な状態です」
「ん、分かった。ガキ共が貰ったやつは短期決戦用の武具で間違いねえな?」
「はい。人間や動物、及び北の民が生み出した化け物に有効ですが、ベリス様のような女性の方……しかも鍛錬を積んでいない状態ですと本当に短い間しか利用できません」
「んん」
 ラジは捨てた吸殻をぐりぐりと踏みにじり、さらに質問を重ねる。
「サシアムって奴が孤島を浮かした。お前は、あいつの正体がなんだか分かるか? 推論でいいから言ってみろ」
「……サシアム様、ですか……」
 タテハはゆっくりと一度瞬きをし、ラジの質問に答えた。
「北の民の文明は、南の民の文明と同じく、同胞にしか扱えない仕組みです。その文明を復活させたと言う事は、サシアム様は間違いなく北の民の血を色濃く受け継いでおります。そして、北の民の信条は『全生物の支配』。孤島を浮かせてから今まで我々に対して何のコンタクトも取っていないことから、サシアム様にもその信条は受け継がれているものと思われます」
「もっと物騒な考えに進化してるかもな」
 ルピナスは吹き飛ばされる直前のサシアムの言葉を再度思い出す。

――我々の復讐を指をくわえて眺め、そして無様に死に絶えるがいい!

 「復讐」という言葉の真意は分からないが、サシアムが望んでいるのは生ぬるい支配ではない。滅亡だ。
「……ルピナス、一旦宿に戻ろう。これ以上ここにいても空を飛ぶ手段は見つからない」
 ベリスはルピナスの袖を引っ張り、地上へつながる出口を指差した。二つの武具しか残されていない都市にこれ以上留まっても、確かに何の収穫も無いだろう。
 ルピナスは頷き、タテハに礼を言って足早に地上へと向かって行った。

 * * *

 峡谷を出て熱帯雨林を抜けてミミナ村に着く頃には、既に空は赤く染まりかけていた。赤く染まりかけた空も海も普段なら美しい景色なのだろうが、空に孤島が浮かんでいるだけで不安が掻き立てられる。
 砂浜には南国に似つかわしくない服装の男が立っており、忙しなく辺りを見渡していた。不思議に思ったルピナス達が彼に近づき、彼がルピナス達の姿を認めるとぱっと顔を輝かせた。
「ベリス様とお仲間の皆様ですね!」
 「お仲間」という言葉に少し険しい顔をしつつ、ルピナスは頷いた。
「私は、リヒダ・ナミトの王家に仕える者です。カモミール王女よりあなた方を城にお招きするよう仰せつかっております」
「カミルから?」
 ベリスは首を傾げた。「何の用だろう」
「あなた方に危害を加えるつもりは一切ございません。とにかく城に来て、話し合いをしたいとの事です」
 男はにこりと微笑みを浮かべたが、ルピナスは眉間にしわを寄せた。つい先日ベリスを殺そうと町民が動いていた町に再び訪れるのは、危険ではないだろうか。
 ルピナスのそんな思いを見抜いたのか、ビオラは「大丈夫です」と肩を叩いた。
「カモミール様の働きかけで、町民はお嬢様よりサシアムに疑いの目を向けています」
 ルピナス達がリヒダ・ナミトから脱出した後、ビオラが怪我を癒して出発するまでの間にカモミールは町民に対して演説を行ったらしい。その内容はその時ラジが打ち出していた推論とほぼ同じで、町民の動きは沈静化した。そして疑いの目がベリスからサシアムに移行した頃になって、こうして孤島が空を飛んだ。ベリスが関与していない文明が活発になった今、ベリスを殺そうとする者はいないだろう。
 ビオラの言葉に男も頷き、ミミナ村の港に係留している船を指差した。
「時は一刻を争います。出来ればすぐに船に乗ってリヒダ・ナミトへ向かって頂きたい」
「分かった。行こう」
 ベリスは歯切れ良い返事を返し、船に向かって歩き出す。
 若干の不安要素はあるが、ここに留まるよりましかもしれない。ルピナスはベリスの後を追い、ビオラとラジもそれに続いた。

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